私がアーロンパークに到着すると、そこは阿鼻叫喚の巷と化しており、恐らく仲間意識の強い魚人には、地獄絵図に見えるであろう光景が広がっている。これは不味いと咄嗟に思うが、もはや成り行きに任せる他無い。
血を流して倒れる魚人達。それにより慟哭する幹部。
でも誰一人死人はなく、なのにも関わらずブチギレるアーロン。その結果疑われるのは、私。
このシーンは見た事がある。思い出せ、ナミちゃんはどうやってこの場を乗り切った?
案の定私への疑いの言葉が紡ぎ出されるのを聞いて、私は宝を押しながら姿を見せる。疑惑の視線が私に集まるのをわかっていながら、無表情で見据えてみせた。
「何が、言いたいの?」
意識して怒りの表情を浮かべて、私はおもむろに左肩を見せる。呼吸を整えて、低く冷たい声を響かせれば全員声を失ったように黙った。
注目される事には慣れてるもの。その程度で怖気付いたりしないわ。
「8年も前に私はここの一味になった。契約の10億ベリーも揃って、今持ってきた所なのよ。今更それを疑うと言うなら、証拠を見せなさい!」
その場からざわつきさえも消えて、瞬間的に静まった。けれども幹部は私の勢いに完全に押されはしなかったのか、平然と言葉を紡ぐのはクロオビで……。
ああ、今すぐ殴り倒したい。コイツだけなら、私でも倒せるわ。
一人ずつ沈めるなら、容易い。けど、多勢に無勢では私の筋力では無理。
だから耐えるしかない。皆を犠牲にはできないから……。
「地下にいたロロノアが姿を消した。その縄は刃物で切られていた」
「それで?」
それを平然とした態度で見ながら、私は顎で続きを促す。けれども何も言葉は返らないから、代わりに私の方から嘲笑うような表情で問い掛ける。
証拠なんて残してないわ。何かを言われる可能性は、先に考えてあのナイフを渡したんだもの。
「私が使ったとわかる刃物が落ちてた?それとも私が裏切った証拠でも落ちてたの?まさか、ナイフが無いのが証拠なんて言わないわよね?」
用意していた筈の言葉なのに、内心はバクバクだ。そう言えば漫画では、使ったナイフがその場に残されてただろうか。
いや、それともナミちゃんが直接切って逃がしたのだっただろうか。記憶が無い。
まさか、あのメモ紙でも残されていたのだろうか。ゾロには刀が必要だから、知らせない訳にもいかなかったのだけど。
親友の形見でもあるあの刀は、大切な物だろう。何故だか刀は一本しかなかったけど。
そう考えて思い出す。そうか……鷹の目、ミホークさんに折られたんだったと。
「いや、何も無かった。だが、奴は刃物なんて持っていなかったように思っていたが、刃物で切られていてたから、ナミが渡したか逃がしたのかと思ってな」
「靴に仕込んでたとか、髪の毛に編み込んでた可能性は?」
「髪は無理だろ。靴は……考えていなかったが、そっちは可能性あるかもな」
「そう、つまり何の証拠もなく、八年も共にいた私を疑うのね。なら、ねぇ……」
そう言って視線をアーロンに向ける。アーロンはただ、この成り行きを楽しむように眺めているだけ。
だけど、そんなの許さないわよ。アーロンはやりたい事があって、その為にお金が必要なんだもんね。
「この契約は、そちらから破棄してきたと思えば良いのかしら?それなら、このお金もいらないでしょうし、私も一味を抜けるわ。私を欲しがる男は……こんなお金がなくても、履いて捨てる程いるのよ」
艶やかに見えるよう意識して笑えば、アーロンは一瞬言葉に詰まってから笑い出した。狂った……とかじゃ無さそうね。
不気味なそれを冷たい視線で見詰める。動揺は悟らせないわ。
「悪かったなァ!疑う訳ねェだろう?我等が同胞のナミよ。少し皆気が立ってたんだよ。許してくれ、な?」
アーロンの言葉にわざと大きな溜息をつけば、アーロンは嬉しそうに肩を抱き寄せて来る。そして身体中に残る跡を見て、不愉快そうにアーロンが舌打ちした。
それを受けてなお、私はその手を振り払い「どうするの?」と問い掛ける。それにアーロンは僅かに顔を引き攣らせたけど、すぐに軌道修正したのだから一応トップとしての素質はあるのねと思ってしまう。
「今金額を確認する。おい、クロオビ!」
そう言って確認を開始するのを眺めていれば、金額に間違いは無いと全員の前でアーロンが宣言した。それから紙にアーロンが、譲渡返却する事を書いて寄越す。
これで、もう大丈夫。皆は助かるわ。
「これで……ココヤシ村は私の物ね。それで……私はどうしたらいいのかしら?」
「契約じゃなく、俺の正式な仲間になったらどうだ?考える時間はやるぜ?」
その正式な仲間とやらになれば、アーロンは私を抱くのだろう。でも今あえてそれを口にしたのだから、私が断れないような何かがある……!
小さく溜息を吐き出した時、捕まっているウソップが目に止まる。……何で、捕まってるのよ。
呆然と見詰めてしまうのは、素直に気付いていなかったから。助け方が思い浮かばずにいる間に、アーロンが立ち上がり私の肩を軽く叩いた。
その直後、アーロンは私から離れてウソップを抱え込むと獰猛に笑った。明らかに殺気立ったその様子に、どうしたらいいだろうかと考える。
でも、考える時間は僅か。どうしたらいいのか、明確な答えが導き出せない。
ゾロなら兎も角、ウソップを安全に逃がすにはどうしたらいいの。アーロン達にクリマタクトの能力は伏せておきたいし、幻を複数体作っても水鉄砲で同時に狙われたら意味が無いわ。
「ナミを疑う原因になったのは、コイツらの責任だ。ロロノアと、その一味」
流れるような動きで、アーロンはウソップにナイフを突き付ける。それから怒りを抑えて穏やかに話すアーロンは、ウソップを恐怖のどん底に陥れる事に悲しくなる程成功していた。
けれども無謀にもウソップが、そんな状態のアーロンにハッタリをカマしたりするから、余計に殺されそうになってしまう。そんな姿を見て、変わらないんだからと笑いそうになるのを抑えて、ベックから貰った短剣を撫でて気持ちを落ち着かせる。
仕方ないわね。漫画のナミちゃんと同じ事が出来るかは分からないけど、やるしかない。
「待ってアーロン」
「なんだ、仲間の命乞いか?」
今も疑う魚人達……特にクロオビには目もくれずに、アーロンに笑いかける。ウソップも、ルフィに返さないと……いけないから……。
周りに視線を向けて、小首を傾げてやる。それは少し愛らしく見えたらしいけど、戸惑うのは雑魚だけ。
可愛い見た目とは違い、威圧感と冷たさを乗せて声を出す。殺気を込めればそれは簡単。
「アンタ達、いつからアーロンになったの?私、アーロンに話しかけたんだけど……外野は黙ってなさい」
ザワつく魚人を横目にアーロンに視線を戻す。それだけでアーロンの機嫌はよくなるのだから、ありがたい話。
扱い方は案外簡単。でも、やり過ぎたら私の事をコイツは平然と穴だらけにして、拷問部屋に監禁される事だろう。
「とりあえず今はまだ、私もアンタの一味なのよね?……それなら、これまでずっと守られてきたんだし、コレ、私に始末させてよ」
アーロンはまじまじと私を見てから、にんまりと笑って面白いと呟いた。だから、このまま話を進めれば何とかなると言葉を重ねる。
海水に浸かっても錆びない奇跡の短剣。アンタに、かけるわ。
「私もいつまでも無駄に疑われるのは鬱陶しいし、アーロンの手をそんな小物に煩わせるのは嫌だわ。……私達、長い付き合いじゃない。今回の契約成立を祝して……ね?」
「今まで殺しは見たくもないと言っていた癖に、随分海賊らしくなったもんだな」
「その台詞は……殺し終えてから、言ってくれる?」
私がそう言ってアーロンに笑いかければ、ウソップはその瞬間に解放される。しかしウソップが「ルフィはナミを信じているのに」とか色々言うその姿は必死で、だからこそ魚人達の笑いを誘うだけ。
知ってるわよ、この流れならルフィは迎えに来てしまう可能性が高い事は。……ずっと、いつかナミちゃんを助けてくれたルフィなら……と心のどこかで思っていた。
期待して、その僅かな希望に縋りそうに何度なったか分からない。でも、大切だからこそ、可愛いからこそ、巻き込めないのよ。
だって私の知るルフィは物語の主人公では無くて、ここで生きている一人の少年だから。泣き虫で、無茶ばっかりする、無鉄砲な弟だから。
うちの可愛い娘と戦っては負けてしまうのに、女の子相手だから手加減する……なんて事もできない子。そんな素直過ぎる優しい弟を、死ぬかもしれない戦いに巻き込める筈ないじゃない。
私よりも年下の、元気で明るい少年を、こんなリスクしかない事に巻き込めないわ。何よりも、私はナミちゃんとは違うから、必ず助けて貰えるとは限らないのよ。
もしも……手を伸ばして、見限られたら?
もしも……ルフィが、負けてしまったら?
私のせいで、ルフィが傷付く姿なんて見たくもない。私のせいで……。
脳内にゲンさんの大怪我した姿と、ベルメールさんの今の姿を思い浮かべて、表情を作り変える。……生きてるだけでも、奇跡なのよ。
ウソップを、逃がさないと。ルフィとゾロの、大切な仲間だもの。
そんな決意を胸に秘めて、表情は愚か者を嘲笑う悪女のように見えるものにする。そして後は、決別とも取れる言葉を口にするだけ。
「馬鹿ねぇ。今の私は、お金しか信じないのに」
……そんな感じで、心にも無い事を平然と言える自分がいて、それに魚人達も違和感を感じてはいない様子で……それだけでこれ迄どれ程嘘を重ねて、心を凍らせて来たのかが分かる。騒ぐウソップに言葉を返しながら、海をウソップが背にするのを待つ。
なのにウソップが、煙幕を利用してアーロンに一撃入れようとするのが見えて、内心で慌てる。それでも、それを表には出せないから、ウソップの攻撃をアーロンに届かせないように、庇う。
やめなさいよ。いい加減に、してよ。
私は、誰も喪いたくないの。もう誰にも、傷ついて欲しくないのよっ!
我儘でも良い、傲慢で結構。ただ……生きて、逃げ延びて。
思わず本気でウソップをクリマタクトで殴り、手にしていた玩具を蹴り飛ばす。……生きて、欲しいから。
逃げようとすると思ったのに、どうしてアーロンを狙ったりするの。そんなに、死にたいの!?
「無駄な事しないでよね」
私は今、誰から見ても冷たい顔を出来てるみたい。だって魚人が、何も言わないもの。
ウソップも声を失ってる。その様子に騙せている事を確信して、身体から力が抜けそうになるのを耐えて足を進めた。
そのままウソップを海に追い詰めた所で、愛用の短剣を足から取り外して構える。それにアーロンは即座に気付いたみたいで、目を見開くのが視界の端に映った。
手に持ってふと気付く。これが扱いやすい姿に、私も成長していたんだなって。
ベックはこんな使い方したって知ったら、怒るかな。……いや、呆れるかも。
微かに笑いそうになるのを耐えて、ウソップを見詰める。唇が勝手に動いて、言葉を紡ぐ。
「私の待望の為に、死になさい」
ウソップの事を刺すフリをして、自分の手を刺す。そして双方の身体を密着させて、ウソップの耳元で囁く。
アーロンに聞こえないように。でも、ウソップにはちゃんと聞こえるように。
「このまま刺された振りして落ちたら、海から顔を出さないで出来るだけ遠くまで泳いで、逃げて。後はどうにでもするから、早く」
驚いた顔をしたウソップが、何かを言おうと口を開いたから海に蹴り落とす。その直前に名前を呼ばれたけど、もう振り向かない。
うまく、逃げなさい。……生きて、逃げ延びて、ルフィ達と冒険に……。
ウソップが海に落ちると歓声が上がる。疑って悪かったと泣き出す魚人達に目もくれないで、アーロンに近付く。
「納得して貰えたかしら?」
「あァ、納得したし満足だ。それでこそアーロン一味の幹部だ!これからも、宜しく頼むぜ!」
アーロンはそう言いながら、短剣から血が滴るのを見て、嬉しそうに笑ったのがわかった。私はそれに冷たく返事をする。
ここでアーロンを受け入れるなんて、無駄な事よ。私は村を返して貰って、皆を解放したいの。
「それについては少し考えるけど……とりあえず、海図を描きたいから、暫く邪魔しないで」
最後に、手が汚れて気持ち悪いと呟けば、魚人達が楽しそうに盛り上がった。それを聞き流しながら、自分の部屋へと戻り、備え付けられた風呂に入る。
切れ味の良過ぎる短剣は、良く切れたから血も多く出たけど、跡も残らずに治りそうだとホッとして治療する。跡が遺るとノジコとベルメールさんが悲しむし、ベックが知ったら卒倒しそうだ。
あの人アレで心配性なのよね。……師匠、ベック……逢いたい、な。
他の皆も大騒ぎしそう。ホンゴウは嫌味炸裂させながら、それでも的確に治療してくれそうよね。
ルーは慌てて「肉食うか?甘いのが良いか?」って聞いてきそう。それを見て笑ってから、私の頭をスパコーンって叩きそうなのがヤソップよね。
そんな想像をするだけでも楽しい。スネイクなら、ライムジュースなら、ガブとモンスターは、パンチはきっと……。
そんな事を取り留めもなく想像してしまう。もうすぐ開放される事に、少しだけ浮かれてるのかな。
自らの意思で閉じ篭った私に、魚人は満足して宴を開く。これで全てが終わったと私は理解して、でも本当は分かってる。
この様子だと私だけは解放されないだろう。それでも皆が解放されるなら、私はここに残ったって……。
…………ゾロは暴れてくれて迷惑だったけど、もう逃げ出してる。ウソップだってもう大丈夫。
他に、何を望むというの。ルフィと、海に出たかったなんて……そんな夢みたいな事、考えるだけ無駄。
多分、この後何かがある。それによって私は、アーロンから離れられなくなるんだろう。
それは、分かりきってる。伊達に八年も共にいた訳じゃない。
さっきの笑い方は、絶対何かある。分かってる……のに、何処かでこれで解放される事を期待してた自分がいて、それが悔しい。
なんで、そんな期待したんだろう。無理なのはわかりきってるのに……。
「ふっ……ぅ……」
勝手に流れ出る涙を誤魔化す為に、シャワーを強目に流す。水で水を無かった事にしようと、大きな水の音で嗚咽を消してしまおうと、いつもより数倍長い時間、私がシャワーから出る事は無かった。
シャワーから出て髪を縛った所で、なんと無くそれを団子にしてみる。頭の下の方で作った団子が、ウサギの尻尾みたいでなんと無く気に入った。
シャワーを浴びたから、自分から蜜柑の香りがしてホッとする。大した事では無いけど、香りが人に与える影響って馬鹿にできないのよね。
記憶喪失になった人……医学用語的には○○健忘症とか言われる人……に、好んでいた歌や好きな香りを向けると、記憶が戻る事が有るのは結構有名な話。嗅覚や聴覚は脳に直接作用するから、記憶を呼び起こす事が多いので、香りを嗅ぐと懐かしくなったり嬉しくなったり、悲しくなったりって事は多い。
そういう意味では、蜜柑イコールで幸せな日常と家族が出る私には、蜜柑の香りは心を落ち着けるのに最適だったりする。それに、蜜柑ってか柑橘類は油に強いから、汚れもちゃんと落ちて良いのよね。
もしもアーロンが私を手放したくないと言うなら、村人達には今後一切関わらないのを条件に残ったって構わない。そうしたら、皆は無事だもの。
私は皆に手紙でも書いて、執筆して、演奏して、たまに皆と歌って……そうやって生きて行けばいい。それでも、一人でも海図を描く為ならアーロンは私に航海する事を止めないもの。
最後の仕上げに、ノジコから貰ったリボンで団子頭を飾ってから、海図を描く。先に描いていた海図と、今描き上げた海図を持って私はアーロンのいる所へと降りる。
「アーロン、これ次の海図よ。確認して大丈夫なら私の続き部屋に置いといて。私は何かあった時の為に、いつもと同じようにこれを保管しに行くから」
そんな私を呼び止めるように、アーロンが私に問い掛ける。心底不思議そうに。
その表情は、はじめて見るもの。なんだか、謝る必要があるとわかってて謝れない子供みたい。
「ナミは俺の元に残ると決めた訳でもねェのに、何故海図を描き続けているんだ。何か心を残してでもいるのか?」
「馬鹿ね。心を残せる様な何かが、ここにある筈ないじゃない。私はお金しか興味無いのに、そのお金を契約とはいえ取られたのよ?これまでの分は契約の中に描く事が明記されてたからだし……描きかけの海図が可哀想だから、それを描き終えるまでは通うってだけよ。その先の事はこれから考えるわ」
私の言葉にアーロンは「だとしたらやり過ぎか……?」なんて呟いたから、やはり何か仕掛けてるらしいと分かる。それにしても、アーロンは私をどうして手放したくないのだろう。
いや、正確には私ではなくてナミちゃんの高い能力を……でしょうけど。見た目も髪を伸ばした事の他は変わってないし、能力も無事に引き継がれてるから、ここまで生き抜けた。
だけど……アーロンの仕掛けによっては、私はここアーロンパークでこの生命を失う事になる。そんな事を考えながら、アーロンに冷たい視線を向けつつ笑う。
「海図の確認位は、いくらアンタでもできるでしょ。私に必要以上に干渉しないで」
私の言葉にアーロンは何かを耐えるような顔をするから、それに僅かな引っ掛かりを覚えたけど、立ち止まる事も出来ない。何かが起きるのだと言う事は、確定したのだから、躊躇う時間さえ惜しいもの。
アーロンが何もしなければ、この不安が杞憂に終わるならそれで良いの。でも、違うなら刺し違えてでも村の皆を守ってみせる。
こうなったのならば、私は急いでルフィ達を追い出さなければ。ルフィまで苦しむ必要は無い。
もう、仲間には戻れない。ルフィの時間を奪う権利なんて、誰にも無いわ。
ベルメールさんとノジコが心配で少し足早に歩いていたら、不思議な形で森が失われているのが見えて、まさかと思い慌ててそちらに足を向ける。歩き出して少しすると、ルフィに対して詰め寄る二人と、それを宥めるゾロが見えた。
あ、サンジ君もいる……ちゃんと、仲間に出来たんだ。よかった。
サンジ君なら一通りの事はできるし、料理も心配ない上に戦闘力も高いから私が居なくてもどうにかなるわね。良かったわ。
私の思考を知らないルフィは太陽のような笑顔で、私に言う。たった今詰め寄ってた男達の事は完全無視だ。
「ナミ!迎えに来た、一緒に帰ろう!」
「なに、言ってるのよ。私はアンタ達の仲間なんかじゃない。手を組んでただけ。迎えに来た?迷惑だわ。今すぐアンタの言う仲間を連れて出て行って」
私の冷たい視線と表情を気にしないで、低く響かせている言葉に対してルフィは嬉しそうに笑う。……どうして、笑うのよ。
ルフィに飛び付いて、大声で泣いて、一緒に行きたいと言いたくなるのを抑える。そんな事は、望んではいけない事だと分かっているのよ。
望んでも、これからすぐに何かが起きて無理になるのは分かってるのだから。ルフィを巻き込めない以上、突き放すしかない。
何も起きなければ、それならアーロンに従えばいい。そうしたらずっと私の存在が抑止力になって、皆を守れるもの。
それならば、どちらに転んでもルフィとは行けない。そこが確定した以上、ルフィに怪我をさせたり生命を危険に晒させたりする必要は無いのよ。
そう思ってるのにルフィは、私を何の衒いも無く連れて行こうと手を差し出す。それがまるで、至極当然であるかのような顔で。
「おう!だから、ナミも一緒だよな!」
悪意を感じさせない無邪気な笑顔。それはなんて残酷なんだろう。
心が軋んで悲鳴をあげた時、それを耐えようと努力してる私の横で、ウソップを殺しただのなんだのと騒ぐ男の声が割って入った。それで私は漸くハッとする。
そうだ、私は迷ってる場合でも揺れてる場合でも無い。そんな時間的余裕は無いのだから、早くルフィ達を逃がさないと。
本来のナミちゃんよりも強い筈の私でも、全くかなわない相手。何かを計画していたのが分かりきってるアーロンを相手に、私がここで居なくなったら……。
「なに、言ってるのよ。帰るも何も、ここが私の居場所なのよ。勝手に入って来ないで、出て行きなさい」
私の言葉にルフィは嬉しそうに笑う。なんで……ルフィは変わらないのよ。
どうして、私を責めないの。私を見捨てないのよ!
「そっか、ここがナミの島か!小さい時からずっと、ここの事ばっかり気にしてたもんな」
どうしたらいいの。ルフィを巻き込めないのに、そんな事を考えている私の前で、突然倒れるルフィに思わず駆け寄り名を呼びながら抱き留めれば、ルフィはにししと笑う。
イタズラな少年の、嬉しそうな笑顔。信頼してると全身で伝えて来る残酷さ。
「本当に俺を迷惑に思ってたら、ナミはこんな事しねェだろ。俺が少しでも傷付くのを避けようとする癖に、何言ってんだ」
「……巫山戯ないで。私は、部外者がこの島の事に首を突っ込んで、怪我でもして言い掛かりをつけられたくないだけよ。泣き虫坊やは大人しく帰れ!」
本当はそんな事思っていないけど、ルフィには帰ってもらうしか無い。押し問答の末に、泣きそうになる自分を誤魔化すようにルフィから手を離して怒鳴る。
今この時でさえ、私はルフィを本気では突き放せない。どうしたって、ルフィが可愛い事に変わりがないから。
そっとルフィを地面に寝かせて、頭をいつものように撫でそうになった手を握り締めて立ち上がる。近くに居るのはサンジ君とゾロで、二人の怪訝そうな表情を見れば私の仮面が剥がれそう……いやほぼ剥がれているのだと理解は出来てる。
でももう、他に選択肢は残されてないのよ。もう、お願い……私の事なんて呆れて諦めて。
「勝手に死ね!」
それでも、このまま巻き込む事は出来ない。精一杯の強さで、どうにもならない、どうにも出来ない自分への苛立ちで、叫ぶように怒鳴る。
そのまま走り去って家につけば、それまで我慢していたものが爆発する。暴れ終われば虚しさしか残らないけど、とりあえず海図を片付けて机で潰れていたら、ノジコとベルメールさんが帰ってきた。
ベルメールさんは、あれ以来一度も立ち上がれて居ない。ドクターがいつかはと信じていると言ってたから、まだ諦めていないけれど。
ベルメールさんは部屋の状況に呆れた様子で、ノジコは疲れた様子だ。そんな二人にアーロンからの権利書を差し出せば、驚いたように動きを止めた。
恐らく、これがあるならなんで暴れたんだお前的な事を思ってるんだろうな。そうわかってしまうくらいには、家族なのよ。
「多分、アーロンが何か仕掛けてるわ。いつでも逃げられるようにしておいて。皆の事は、必ず守るから万が一何かあった時は……生きて、逃げ延びて」
私はそう言って権利書の写しを作り、それを胸にしまう。本物は、ベルメールさんにそのまま持っていて貰うように託す。
それから少し熱っぽかった私は、そのまま寝かせて貰う事になり、ベルメールさんには先に避難してもらった。ノジコにはいつも負担を掛けてしまう事が、心苦しい。
蜜柑の香りに包まれて、どこか優しい温もりを感じながら眠りに落ちる。深く、深く、落ちて行く。
……少し休む筈が、目が覚めて見れば既に夕方で、日は大きく傾いていた。そして、嫌な予感に身体を起こす。
ノジコもベルメールさんもいなくて、ゾロとウソップを助けた後で私はルフィに会った。なら、もしも話の流れが変わらないなら……何が起きる?
それから慌てて外に飛び出せば、ネズミのような顔をした海軍が家の前に到着した所だった。……人間、嫌な予感は当たるものね。
私の名を確認して、不当に村を占拠しているとして、権利書を海軍に提出するように言い出す。それならばこの島の他の権利書についても集めてあるのかと問えば、良いから差し出せと逆ギレされて怒鳴るように言われる。
つまりは、そういう事だ。アーロンから貰えるお小遣いが欲しいから、コイツは……。
「……成程、そう来たのね。なら」
ふっと……笑いかければ海軍の動きが止まる。流し目で誘うように、舐め回すように視線を向けていく。
息を飲み、震え出す海兵。これは恐怖ではないとわかっていて、クスッと笑ってやる。
「……私のカラダ、探してみる?」
海兵達が、ゴクリと息を飲んだのが伝わる。ふふっと笑ってから、ゆっくりと手を動かす。
それだけで、彼等の視線が私の動きから離れなくなる。本当に……馬鹿ね……。
クリマタクトに瞬間的に手を伸ばして雷雲を発生させて落としてから、一気にネズミに挑み掛かり叩き潰す。そのままの勢いで辺りの海軍を一人ずつ確実に急所をついて倒して行けば、海軍が這う這うの体で逃げ出して行く。
「ゲンさん、私が権利書を手に入れた事、知っていたのでしょう?そして、今まで私が何をしていたのか……知っていたのね」
私の言葉にゲンさんは小さく頷いて、取り残された海軍を縛り上げるのを手伝ってくれる。そのゲンさんの頭では、相変わらず風車が回っているのだ。
そう〝風車が回って〟いるのよ。なのに、どうして私は気付かなかったのかな。
「あァ、我々の期待がいつか、お前の足を引っ張ってはと、知らないふりをして来た」
私はゲンさんの言葉に笑う。どうして、分かる事ができなかったのよ。
身体が震える。ノジコは無事だったし、ベルメールさんも避難したのに、どうして。
「……ゲンさん、私、馬鹿ね。期待していたのよ、アーロンは約束を守ってくれるって。こんな私でも頑張れば、運命を変えられるんだって……。たまに見せるアーロンの優しさを、信じたかったの」
その時ゲンさんではなく、意識を取り戻したらしいネズミが言った。その声は諦めを含んでるように聞こえたけど、同時に誰かとは分からないけど、蔑みも含まれてる気がする。
偉そうに何かを語る権利は、こいつにはないと思う。でも、この世界にこいつらを処罰する法律はない。
「アーロン氏はナミと言う女がお気に入りで、手放さない為にやるように命じてきたんだ。チチチッ」
「……アーロンは、何か、他に言ってた?権利書を取り戻す他の事を」
「今までと同じようにナミを扱い、けれども怒りや不満を爆発させない為にも、村人からは半額の徴収にして、ナミから回収する。または、ナミを仲間にして常に誰かをそばにつける代わりに、村には手を出さないとするか、選ばせると……言っていたな」
それから独特のチチチッという笑い方をするので小さく頷いてから「わかったわ」と言って昏倒させる。私は笑う膝に力を入れて、静かに立ち上がった。
村の皆は共に戦っていてくれた。切り捨てられない葛藤では無くて、私に命を背負わせている事への罪悪感と、いざと言う時に希望だと担がれていては逃げられないからと言う思いやりだったのだ。
……それに私が気付いていなかっただけ。私はその話を聞いて、ふと気付いた。
……となれば、次に彼等が行う事は。私が彼等なら、何をするか。
止める為に、どうしたらいいのかを考えながら。私はアーロンパークへと駆け出す。
アーロンの元へ到着すると、誰も到着していないと気付き即座に床を蹴って短剣でアーロンに挑み掛かる。それを見てアーロンがサマーベッドから一瞬で立ち上がると、私の繰り出す攻撃を反撃もせずに、ただ躱していく。
「ナミ!やめねェかっ!」
「……アーロン、何故っ!」
私が、勝手に期待したのだ。勝手に、信じたのだとわかってる。
仲間じゃないと言っていたのは私。だから、アーロンを責める資格なんて本当は無いのを知っているけど……!
「何故……約束を、反故にしようとしたっ!!」
「……ナミ」
アーロンは、切なそうな声で私の名を呼ぶ。私はそんなアーロンの呼び掛けを無視して、斬り掛かる。
この短剣相手では、アーロンは防戦しか出来ない。どんな剣だって相手だって、当然のように斬ってしまうから。
攻めに転じなければ、この短剣にも実力者は対応できる。どれほど武器が優れていても、使い手の能力が低ければ効果はそれなりにしかはっきされないのだから。
どれくらい私とアーロンはこうして居るのだろうか。短時間のような気もするし、恐ろしく長い時間そうしていた気もする。
アーロンが素手で反撃に転じる。私はそれから逃げるように動きを変えて、攻撃を躱された事で微かに乱れたアーロンの動き。
その隙をついて短剣で貫こうとした所で、その隙が作られたものだと気付いたけどその時には腕を掴みあげあられていて、その勢いで床に叩き付けられる。床の石畳がヒビ割れて、私はその場にめり込まされた。
それでも覇気のおかげで怪我はないけど、アーロンが容赦なく首を締めて来るから身動きは取れない。でも……シャンクス達の手合せより、ずっと甘いわ。
武器を持たない相手との戦闘訓練として、モンスター達が体術も教えてくれていたもの。彼ら以上に、私に隙間なく物事を教えてくれた人はないだろう。
「ナミ、巫山戯るな。この場で犯さたいか」
「それは私の台詞よ。何が約束は守る、よ。巫山戯んじゃ無いわっ!」
首を締める力が強まる。首を覇気でコーティングして無ければ、とっくに首が折れて居るだろうという状態で、細く呼吸するのが精一杯。
それでも、ここで負けたくない。皆をこれ以上、苦しめさせはしない。
「俺がいつ、約束を破った?言ってみろ!」
「……なら、殺せば良いでしょう。約束を本当に守るつもりがあるならば、私を殺せばもう、ココヤシ村に手は出せなくなる!殺しなさいよっ!」
「ナミ!」
肩を露出する為に着ていたキャミソールが、引き裂かれて上半身が下着姿になる。その時、身体に隙間無く残されている鬱血の跡を見たアーロンが、小さく息を飲んだ。
それにより効果が多少はあるかと、艶やかな笑みを浮かべて言葉を紡ぐ。こんな……精神的苦痛から成長を止めている身体でも効果があると言うなら、利用してやるわ。
「……アーロンが約束を守ると思ったから、お金で肌を許したのよ。何か問題でもある?」
「俺の事は何度も拒んだのにか?」
「アーロンから見れば私は下等生物で、しかもアーロンを相手にしても私のお金にならない。それなのに何故……アンタなんかに抱かなきゃならないのよ。それに、十億ベリー出すなら、触らせてあげるって何度も言ったでしょう。耄碌したんじゃない?」
冷たく言い捨てる私の首に、アーロンの体重が掛かる。床のヒビ割れが大きくなるのがわかるけど、それがなんだと言うのか。
アーロンを罵倒する言葉はいくらでも出て来る。望むなら、死ぬまで罵倒し続けてやるわ。
「ニュー……。ア、アーロンさん、そんなにしたらナミが死んじまうよ!?良いのか!?」
ハチの声にアーロンは動きを止めて、私を解放した。盛大な舌打ちと共に。
かなわない。力では、どうあってもアーロンにかなわないのよ。
どうしたらいい……。身体を起こしながらそこまで考えて、ネズミの言葉を聞いていたゲンさんの事を思い出す。
ここでアーロンを殺せたなら、引き続き他の魚人も殺すなり倒すなりすれば良かった。でも、それに失敗した今、次のリスクは……。
ダメだ、止めなきゃ。皆が殺されてしまう。
皆を止めるなんて、ゲンさんはしない。寧ろ、絶対煽ってるわ。
今ここで私が死んだら、ここへ来た皆がそれを見て、かなわないのに挑んで殺される。アーロンとの約束が、全て無に帰す。
それならばまだ死ねない。私がここに残るだけで、皆が助かるならそれでも構わないから、死なないで……!
私をもう二度と、独りにしないで……!
私は何も言わずに立ち上がると、村へ向かって駆け出して行く。それに対して魚人達が何か言っていたけど、気にしてなんて居られなかった。