……私は運命を変えたつもりだった。でも、実際は何も変わってなかったのだ。
いいえ、それどころかこのままだと〝最悪な形〟に変わってしまう可能性がある。皆が……死んでしまう。
お願い、皆……早まらないで!
─────
その頃、村の人達は武器を手に広場に集まっていた。その中心にはノジコ、ベルメール、そして、ゲンゾウがいる。
ゲンゾウは握り拳を作り、全身を震わせる姿は何処か痛々しい。それを見て全員が黙ったままゲンゾウの言葉を待つが、さほど長い時間待たされはしなかった。
「我々はあの日誓った、耐え忍ぶ戦いをしようと!ナミが無事でいる限りっ……と!だが、どうだ!」
ゲンゾウの言葉で、海軍へ冷たい視線が向けられる。あの時逃げ出した海軍達も、村人達によって縛り上げられていた。
情けない姿で転がる海兵隊に、ベルメールが所属していた頃の信頼感は抱けない。引退してなお、村と娘の為に戦った女海兵となんと言う違いか。
「あの子が文字通り身を削って、集めた十億を手にしてなお、奴等はここの支配を緩めるか、もしくは……ナミを監視しつつ永続的な奴隷にしようとしている!我々の為に、ナミ一人を犠牲にしても良いと言えるかっ!?」
「言える訳ねェ!!」
「そうだ!ナミちゃんをこれ以上犠牲に出来るかっ!」
村人達の叫ぶその声が、村中に響き渡る。そこへ大きな声が割って入り視線を向ければ、明らかに乱暴されたと伝わる下着を晒した姿のナミが、微笑みながら歩いて来るのが見えた。
村人全員、その笑顔に泣きたくなった。なぜ、微笑みにしか見えない形の笑顔が泣きそうだとわかってしまうのか……。
「皆!待ってよ!」
─────
私が到着した時には、村の人達は自力で動ける全員がその場に集まっていた。そして、誰一人として武器を手にしていない者はなく、車椅子に座るベルメールさんもその手には銃があった。
幼い子供達でさえ、武器を手にしている。流石に三歳以下の子供の姿と、杖歩行の人達の姿は見当たらないけれど……他は全員が武器を手にしているのだ。
なのに、車椅子のベルメールさんも参戦しようとしてる。手押し車はこの村に存在してないから、両手が空いてる事が参戦するかの基準なのかもしれない。
「大丈夫だから、今ね、アーロンと話をしてきたのよ!皆の事はちゃんと解放して貰えるから!もう大丈夫だから!」
「それは……ナミだけがアイツらに、好きに扱われるって事?」
ノジコが震える声で問い掛けてくる。私はそれに笑って首を横に振る事で応えた。
今、真実を伝えるつもりは無い。私がアーロンの傍にいて、アーロンの希望に沿った海図を描いていれば、この村だけは大丈夫なのだから。
もう、それだけで良い。私と原作のナミちゃんの夢なんて……生命と引き換えにする程の価値は無いもの。
愛する人達の安全と幸福の他に、いったい何が必要だと言うの……?
細く息を吐き出して、精一杯笑ってみせる。大丈夫、私、強いもの!
「アーロンがね、私も解放してくれるって言ってくれたのよ。そりゃたまには顔出せって言われてるけど、基本的には海に出ていられるから大丈夫。もう、少なくともこの村は、大丈夫なの!」
ベルメールさんの顔が、哀しみに歪むのが見えた。ノジコが、拳を強く握り締めて居るのが見える。
村の人達が殺気立つのを感じるけど、他の村までは守れない。私は、それを誤魔化すように声を張り上げるしかなかった。
最悪の未来はいらないの。皆が幸せに生きてくれないと、私が存在する意味なんてないわ。
「だから、安心して。もう……大丈夫!武器なんていらないわ!だからね、皆はその武器を」
最後まで言わせては貰えなかった。ノジコが飛び付いてきて、苦しい程に抱き締めてくるから。
その腕が気のせいではすまない程に震えているから。そして、そんな私とノジコの頭をゲンさんが撫でてくれるから。
声を出す事が、出来ない。振り払うなんて事は、もっと出来ない。
「もう、良いんだ。分かってる。ナミは……自分だけ犠牲になろうとしているのだろう。これから先ずっとナミがそんな目に遭うと分かっていて、安寧とした日々など我々にはおくれない」
そんな目ってと思って、前半身の布が無くなったキャミソールのおかげで、下着姿でいた事に今更気付く。鬱血の跡はアーロンでは無いけど、明らかに情事の跡だと分かるものが見える。
慌てて勘違いだと言おうとして、ノジコの震える理由に気付く。逆の立場ならば……私も……。
なら、誤魔化せばいい。破いたのはアーロンだけど、跡を残したのは別な男達だもの。
「ノジコ、ゲンさん違うわ。確かに服は切り裂かれたけど、その後でちゃんと話し合ったの!だから、私は大丈夫!この、跡は別な相手だから、アーロンじゃないから!」
「それでも、アーロンの奴がナミに付けた条件の為に、その跡は着いたのよね。ナミが望んだ相手じゃ、無いって事は分かるわ」
「何言ってるのよ、この島じゃない所に私だって恋人の一人や二人位……」
いや、二人いたら困るけど。この際そこは、どうでもいい。
ノジコを落ち着かせなきゃ。安心させて、皆には元の生活に戻って貰いたいのよ。
そう思って宥めようとする私に、ノジコの真っ直ぐな眼差しが痛い。まるで、嘘を咎める母親のような眼差しに息を飲みそうになる。
どうして、簡単に見破るの。その眼差しだけで、嘘が見破られてると伝わってしまう。
「そんなのがいたら!いるんなら……ナミは、私に話すもの。それにね……ナミの嘘は、分かるのよ。小さい時から、アンタ嘘つく時癖があるの」
「え?何それ!?」
「教えたら直すから、教えてあげないけどね」
ノジコの表情は悪戯なそれで、私は声も出せずにノジコをただ凝視する。そんな私にノジコは言う。
どこか切なそうに。そして、寂しそうに。
「アイツらの誰かが相手なら、こんな事言わなかったわよ。でも、私達の為にその身を傷つけるような事は、これ以上させられない」
「ノジコ……?」
あいつらって誰だろう。でも、そんな事より、どうしたら、いいの……?
涙が溢れそうになるのを耐えながら考える。けれども、ゲンさんの言葉がそれに追い打ちをかけて来るから、それに耐えるので精一杯。
「我々の命を一人で背負って……よくここまで戦ってくれた……!お前にとってあの一味に入る事は、身を斬られるより辛かったろうに!よく戦った。お前はこのまま村を出ろ」
「えっ?ちょっ!?」
何をどう返したら良いのか分からない。分からないけど、このままでは物語の予定通りに話が進んで、でも、私はナミちゃんじゃない、ただのナミだから……誰にも助けて貰えない可能性が高いのに。
そんな中、背中を軽く叩く手があって視線を向ければ、ベルメールさんが笑っている。明るくて、豪快な、愛しい人。
「ナミにはさ……悪知恵だってあるし、夢だってある!」
それに続くように本屋の店主が言う。記憶より随分シワが増えてるけど、見間違えたりしない。
村の皆も私に優しい顔を見せる。今まで我慢してただけだと伝わる優しい顔。
「本棚に齧り付いてただけの事はあって、知識もあって稼ぐ事もできる。これまで頑張って来たからそうだ技術や航海術もあるから、心配してないよ」
「やめてよ皆!もう私っ……あいつらに傷つけられる人を見たくないのよ!アイツらのせいで死ぬ人を見たくないのよ!……そんな事したら、死ぬんだよ!?」
そんな最期みたいな事言わないで。お願いだからっ!
でも、皆は聞いてくれない。聞く気がないとわかってしまうの。
強い決意を秘めてると解る表情と眼差しに、言葉が続かなくなる。ノジコがそっと私から離れて、ベルメールさんの車椅子の背後に立った。
「知っている」
ゲンさんの決意を込めた言葉に声を出せずに、助けを求めるように視線をさ迷わせればドクターが続ける。他に、今皆を助けてくれそうな人が思い付かなかった。
なのにドクターさえ首を横に振る。まるで、視線を向けられる事をわかってたかのように。
「無駄じゃ、儂らは心を決めておる」
他に思い付かなくて、行かせてなるものかと動こうとしたら、ノジコが言った。優しく穏やかな声で。
その声を聞いて、泣きたくなる。叫びたくなるの。
「もう、充分ナミには守って貰ったよ。ここからは私達の番」
そんな順番は無いと言おうとしたけど、その瞳を見たら声が言葉にならなくて……。身体が震える。
皆、覚悟なんてとっくにできてたんだ。それを、隠して溜めて、今やっと表に出しただけ。
いつか時が来たら、皆でこうすると決めていたのだと伝わってしまう。なのに、どうして私をそこに加えてはくれないの。
「ナミ姉、今までありがとう。俺達を一人で守ってくれてたのは、村の全員が知ってるんだよ」
あの日の直後に産まれた少年が、そう言って笑う。朗らかな表情で、おおよそ子供には似つかわしく無い。
そうだ、あの日……私は、祝ってもあげられなかった。私は、この子に何もしてあげられてない。
なのにどうして、私に〝姉〟のそれをつけるの。私は、ろくに会話さえしたことは無いのに。
「ナミ」
ノジコは優しい顔で笑って、ベルメールさんが優しく私の名を呼ぶ。達観したその表情に、寒気がする。
嫌だ!嫌だっ!
止めなきゃ!何としても!
両手を広げて、涙を堪えて皆を睨む。行かせるものか。
「ナミ、退きなさい!」
ゲンさんのその強い声に、空気が揺れて、私の身体が威圧されて震える。刃を向けるなんて出来ない。
殴り掛かるなんて出来ない。どうやって止めたらいいか思い付かないの。
思わず自分の首にベックから貰った短剣を向けた時、ゲンさんの手が短剣の刃を握る。そのまま掌から流れ落ちる血液を見たら、身体から力が抜けてしまうのを感じた。
その間にゲンさんは皆に声を掛けて行ってしまう。皆は私を残して歩いて行く。
どうして……どうして、届かないの。どうしてっ!
皆を見送るしか出来なくて、そんな自分が情けなくて、苦しくて、肩にあるアーロン一味の証が憎くて。既にそれがアーロンにしか見えなくて。
力の抜けた身体は地面に座り込み、放心しかける。ベックに貰った短剣に手を伸ばして、ゲンさんの血がついたそれを見詰めると意識が覚醒した気がした。
しっかりと柄を握り締めて、アーロンに……自分の肩に躊躇いなく振り下ろす。その瞬間膝から力が完全に抜けて、身動きが取れなくなったのを自覚した。
消したい……消したい、消したいっ消したいっ!
消えろ……消えろ、消えろっ消えろっ!
「アーロン……!」
痛みも感じずに、何度も刺す。薄皮じゃ、意味なんて何も無い。
流れ出るものがあるのは分かるけど、それを気にする余裕も無い。アーロンの高笑いが耳の奥で谺響しているのを打ち消したくて、自分の声を張り上げる。
憎いのか、悔しいのか、悲しいのか、それさえ分からない。全てを消し去りたいだけ。
「アーロンッ!アーロンッ!アーロン!アーロン!アーロンッ!」
肩の肉ごと切り落としたくて、でも、うまく行かなくて、今度こそ肉ごと削ぎ落とそうとした瞬間に、その手が掴まれた。でもその温もりは、有り得ない筈のもので。
まさか……と思う。でも、だけど、それは間違いなくルフィで。
ルフィを見たら、手から力が抜けるのが分かった。ベックから貰った短剣が、これ以上そんな風には使われたくないとでも言うように逃げて行く。
手から落ちた短剣が、少し離れたところまで移動する音が、どこか遠くで聞こえた気がした。でも、今はそれを追い掛ける気力も体力もない。
「どうして……」
声がこぼれ落ちる。情けない程に震えた声が。
「何も、知らない癖に」
私が本当のナミちゃんじゃない事も。この島に起きてる事も。
私の絶望も。何一つ。
「うん、知らねェ」
ルフィが相槌をうつ。いつもの調子のまま。
「私、島を出ろって、言った……わよね?」
あれ?言い忘れたかな?
こんな平然としてるし、でも、言ったつもりなんだけど。不安になる。
「あァ、言われた」
ああ、良かった。言ってたんだ。
でも、なら、どうして……?私は、ナミちゃんじゃない。
何の力も無くて、何も出来ない、見た目だけ引き継いだ偽物の弱いナミでしか無い。だから、こんな言葉を口にする権利なんて、無い筈なのに……。
言ったって、どうにもならないかも知れない。振り払われるかもしれない。
でも、でも……他に何も言葉が浮かばない。私では、アーロンに勝てないの。
皆が……殺されてしまう。苦しい、怖い、お願い……だから……。
「ルフィ……助けて」
もう、私の力では、どうにもできない。皆を……死なせたくないの。
言葉にならない想いが、枯れた筈の涙となる。私の意思を無視して、あふれ出て流れ落ちる。
留まる事を知らないそれは、後から後から溢れ出て、流れ落ちる。私はただ、皆に生きていて欲しいと……それだけを願って来たのに、それさえ私一人ではどうにも出来ない。
ルフィの足音が間近で聞こえた気がする。その瞬間、頭に何かが乗せられた感触があった。
驚いてそれに触れてみれば、ルフィの大切な麦藁帽子で……。これ、ルフィ、の。
ルフィに視線を向ければ、いつの間にか落としていたらしい、髪にしていた筈のリボンを拾ってそれを見ている。そのまま何を思ったのか、そのリボンを握ったままでルフィが叫ぶ。
「当たり前だァー!」
その勢いにおされて、私はもう、何も言えない。声を出すなんて考えられなかった。
ただ、ルフィがその手首にリボンを巻いているのを見て、そんなシーン知らない。なんて事を頭の隅で思った。
少し冷静になった脳が、現状を理解すると私の身体は短剣を拾いに動く。短剣の柄を強く握り締めて、ルフィの背を追いかけようと立ち上がれば、微かにふらつく。
巻き込みたくないと思っていたのに、どうして……。ルフィの掛け声一つで、ゾロとウソップ、サンジ君まで歩き出すのが見える。
その瞬間、サンジ君が一瞬私の方を振り向いて、上着を脱ぎながら近付いてくる。そして、そっと肩に上着をかけてくるのを見て、慌てて断ろうと試みるけど、それは不可能らしい。
「サンジ君……服が、汚れちゃうから……」
「そんな扇情的な姿は、人に見せない方が良いですよ。ナミさんは、元々魅力的なんですから。服は替えがありますが、ナミさんの代わりになる人はいません」
優しく微笑むとサンジ君はそう言って、私の額に唇を落としてから三人の元へかけて行く。私の足元には血溜まりが出来ていて、それを見てから有難く上着に袖を通させて貰うと、しっかり前を閉めて歩き出す。
泣いてる場合じゃないわ。涙を強引に拭って止めて、震える身体に力を入れる。
行くしかない。これは本来私の戦いなのだから。
そんな私の様子に気付いたウソップが、慌てた様子で駆け戻ってくる。そして私を当然のように支えようとするので、慌てて声を出した。
「大丈夫よ、私は」
「俺はもう、ナミの〝大丈夫〟を信じねェよ。……俺達は全部、お前の姉ちゃんから聞いた」
ふらつく私を支えながらも、残れとか言わないでウソップは歩いてくれる。そうして私の歩調に合わせて、ゆっくりと歩きながらウソップは語り出す。
ノジコが初め助けてくれて、その後で私に助けられて、もう一度ノジコに会った時、話を聞いたのだと。私が最後に一人犠牲になれば済むと、アーロンに身を捧げようとしていた事も含めて、分かってるのだと苦しそうに。
「今、ここに残れって言っても勝手に来るだろ。なら、支えさせろよ。それ位は……させてくれ」
私の左肩からは今も血が流れ出ているのが分かるけど、それさえ気にはならない。そんな事よりも、ウソップが苦しそうな事の方が気になる。
悲しませたかったわけじゃないの。出会う前の事なんて、どうでもいいと思ってたし、皆が生きていてくれるならそれ以外どうでも良かったのよ。
「迷惑かけて、ごめんね」
「こういう時は〝ありがとう〟だろ。馬鹿」
声は聞こえるのに、表情は見えない。真っ直ぐに前を見ているウソップが、少し首を傾げる。
視線を前に戻せば、アーロンパークの前には村の人達が立ち止まっていて、何やらざわめいている。皆が生きているのが確認出来たとホッとした時、大声が聞こえた。
その声は聞き覚えがある。でも、なんで……。
「ナミの姉貴が泣いていた!」
「それ以上に命をかける理由があるのかい?」
その声に視線を向ければゾロの弟分達で……それにゾロが笑ったらしい事が分かった。村の人達が、モーゼの十戒を思わせる勢いで割れる。
それは、想定外。こんな話を私は知らない。
「よく言ったな。……此処で待ってろ」
ゾロの言葉に二人が頷くと、ウソップがソワソワし始めたので「もう私を支えなくても、皆がいるから大丈夫よ。……行って」と伝える。それを受けてウソップは駆け出したので、少し微笑ましく思えるから不思議。
ゆっくりと歩み寄る私に、村の人達は揃って声を掛けてくる。心配そうに……優しく。
気遣うように……切なく。ゾロの後輩だという二人もまた、ナミの姉貴と呼んでくれる。
慕われるような事は何もしてないのに、それどころか海に突き落としたりしたのにと一瞬苦笑がもれるけど、その間にルフィは簡単に石の門を砕いて進む。その時、ルフィの声が低く響いた。
「アーロンってのはどいつだ」
「アーロンってのは、俺の名だが?」
アーロンはルフィの言葉に答えるから、ルフィはそうかと言って歩き出す。私は村の人達に「大丈夫だから、少しここに居て欲しい」と宥めて、戦いに身を投じようと足を進めたけど、その時私は名前も知らない6~7歳の子供に手を掴まれた。
それに視線を向けると「行かないで、ナミ姉、行かないで……」と泣かれてしまう。何故何もしてない私を、関わりのない私を、こんなにも慕ってくれてるのか分からない。
それでも泣いている子供を突き放せずに居たら、アーロンパークの中からルフィの怒りの声が聞こえてきた。それに驚いて視線を向ければ、ルフィが少しカッコ良く見える不思議。
「うちの航海士を泣かすなよ!」
「そうかお前ら、ナミが目当てか」
アーロンのその言葉に、私は咄嗟にアーロンパークの中に飛び込む。村の人達やルフィにアーロンは、何を言うつもりなのか。
「アーロン!?何を……」
「ナミを欲しがるのは分かるさ。海図を描かせりゃ天才と呼ぶ他なく、航海術も並外れて高い。容姿も傍に置いておきたくなるような女だ……それで、お前らのうち、誰がナミを抱いた?」
「お前……ナミの事……」
アーロンの低い声に、ルフィは驚いたような声を出した。それに対してアーロンは鼻で笑うと、悠然と立ち上がる。
それはさながら、舞台の中心で歌う歌手のように堂々としていて、アーロンは高らかに語り始める。それはルフィに知られたくなかった事であり、村の人にも家族にも、知られないようにして来た事。
「村の奴等を引き合いに出せば、どんな難題も受け入れて、軽々とこなしてしまう上に、抵抗もしない人形のような女だ。どんな拷問にも耐えるから、良いサンドバックにもなり得る」
「黙りなさいアーロン!私はっ……!!」
「あァそうだな。ナミは村人の為なら何でも犠牲に出来る。自分を蛆虫でも見るように毛嫌う奴らの為に、生命も身体も心も全て捨て去れる。……だから、俺がそれを有効活用してやってるんだ。感謝して欲しいくらいだ」
身体が、震える。私は……どうしてしまったのか。
動けない私と、高らかに宣言して笑うアーロン。それを見て、聞いて、ゾロは髪を覆うようにバンダナをつける。
震えてる場合か!私が戦わなくてどうする!
内心でいくら叫んでも、身体の震えは止まらない。それに気付いたらしいアーロンの視線が、容赦無く私に突き刺さる。
「ナミ……?震えてるのか、珍しい事もあったもんだな」
そう言うと、アーロンは続けて村の人達に視線を向ける。そのアーロンの眼差しが憎しみに染まっているのを見て、それを向ける権利はアーロンには無い筈だよねと思う。
だって、彼等は単なる被害者。アーロンから、八つ当たりされてるだけの存在だもの。
「安心しろ、ナミ。今さら手放すくらいならば殺してやる。二度と、俺の傍を離れられると思うな」
そう言ってアーロンは私を見る。その瞳の色が欲情に染まっていて、気付いた瞬間ゾクリとした。
戻れば……私、は。……嫌、だ。
下手に男の肌を知らされてしまった私は、この身体がどんな反応をするか分かってしまう。あんな醜態をアーロンに見せるなんて、それが永続的に続くなんて……耐えられない。
そんな事になるなら、死ぬほうがずっといい。こいつらにだけは、触れられたくない……!
「何をしても、お前は表情一つ変えずに従う。人形のようなお前が、感情を見せたのは……村人に関する時だけだ」
そんな馬鹿なと思ってアーロンを見ると、フゥと溜息を落とされた。……何よ、その反応。
無言で見つめ合ったのは何秒なのか。刹那のようであり、永遠にも感じられる時間。
「お前と初めて会ったあの日、母親の為に激昂したお前は……恐ろしく強く、そして……美しかった。お前を助けに来た馬鹿な奴等が居なければ、恐らく相打ちだっただろう。もしくはお前の粘り勝ち。それを負けに持って行った村人をお前は庇ったな。……そして、姉に手を出すならば、死んでやると言った。お前を助けようとした駐在にも死なないでと泣いたな。あの日だけだ、お前が感情を顕にしたのは」
「……そっか、私が演じきれなかったから……。なら、私の責任だわ」
私のせいで皆を必要以上に苦しめたのならば、私が責任を取るべきだわ。クリマタクトを握る手に、いつもより力が入っているのが自分で分かる。
私が前に進み出ると、雑魚達が一斉に引くのが見える。その光景にゾロとサンジ君、ウソップが息を呑むのが分かった。
あの日、私は覚悟もしてたし準備もしてきていた。なのに、守れなかったばかりか演技さえまともに出来なかったのならば、それは私の落ち度。
赤髪海賊団のメンバーに叩き込まれた武術は、私の中に今も存在している。昔取った杵柄の舞だって、戦いの役に立つ。
「アーロン、もう……終わりにしましょう。これで、楽にしてあげる」
こんなもの、ハッタリだと自分がよく分かっている。今は貧血でもあるし、先程挑んで負けたばかりだもの。
それでも、いやだからこそ、私からは手負いの獣のような雰囲気が出ているのだろう。もしくは過去に〝守る為に暴れた私〟を知るから、その時の恐怖が拭えていないのかもしれない。
クリマタクトを左手に、右手には短剣を構えようとしたその時、ルフィに背後から抱き着かれて咄嗟に振り向くと、怒りに満ちた視線とぶつかった。なのにどうしてかしら、可愛いと思ってしまったのは。
「お前は、下がってろ。アイツは俺がぶっ飛ばすんだ!」
「ルフィ……」
言葉がそれ以上出なかった。ルフィが心配で、叶うならルフィを危険に巻き込みたくは無かったのよ。
どうして……ルフィを巻き込んでしまったんだろう。勿論、それを選ばなければ皆が殺されていたからなのは分かってるけど、ルフィの事は傷付けたくないのに。
そんな私にウソップが言う。何処か呆れた様子で。
「……アーロンは、ルフィに任せろよナミ。お前、黒の上着だから解らねェとでも思ってんのかよ。止血もしてねェってのに。それにさ、大切な村の人達と同じくらいルフィが大切で庇おうとしてるんだろうけど、それ、結構酷い話だと思うぞ」
私にはウソップの言葉が理解できない。何が酷いというのか。
昔からそうしてきた。昔からルフィを守って、庇って、大切にして来たのよ。
でも、ウソップの顔を見れば泣き出すのを堪える子供のような顔をしていて、やめてと思う。私は子供に冷たくできないのよ!
「やっと助けを求めてくれて、やっと認めてくれたように思えた仲間がさ、結局自力で全て解決しようとするんじゃ、仲間でいる意味無いだろう。俺もゾロも、助けられっぱなしって訳には行かねェんだよ」
ウソップの言葉に私はそれならばせめてと思って、サンジ君に一瞬視線を向けてから言葉を口にする。彼にはまだ、私は全く関わってないもの。
何とか説得できるかも。そしたら、私も戦う大義名分ができるわ。
「……それなら、サンジ君の事は巻き込めないわね。私はサンジ君にレストランでサービスして貰って、上着も借りてるわ。充分過ぎる」
サンジ君が私に視線を向ける。その瞳が珍しく怒っていて、この人女相手に怒る事あるんだと少し驚く。
それなら皆を説得しよう。誰か一人くらい、戦っていいと言うかも知れない。
大丈夫よ、アーロン以外ならサシで負けることは無い。アーロンだって上手くやれば……殺すだけならできる筈よ。
「ウソップの事は貴方のお父さんに昔お世話になったから、気にしなくていいのよ。ゾロだって何度も助けてくれたわ、それを返しただけ。ほら、関わる理由なんてないし、怪我したりする必要は無いのよ。私の代わりは沢山いるから、新しい航海士探し「怪我してんのも、弱ってんのも、死にそうなのも全部お前だろうが!サンジだって既に仲間だ!何だってお前は一人で全員の生命抱えてんだよ!何も出来ずに守られるだけの立場に当たる人間の気持ち、少しは考えたらどうなんだよ!」」
遮ってまで叫ぶように言われたウソップの言葉に、私は動きを止める。ウソップは今はまだ強くは無いけど、いつも大切な所はブレない。
だから、好きだったのよね。迷言も多いけど、名言も多いウソップに、だからこそ共感出来る人も多かったんだろうと今なら分かる。
「……ナミさん、俺は慟哭を上げて涙を落とす君を、勝手に護りたいと思う。これは俺の我儘だ、だから気にしなくていい」
「サンジ君……」
「君は……戦うには綺麗すぎる……。そして、優し過ぎる。残酷な程に、ね」
私はあの時、慟哭を上げていただろうか。確かにアーロンの名を何度も呼んだけど……。
そう思っている私を抱き締めるルフィの腕が、暖かくて……また涙が零れそうになってしまう。私は、随分弱くなったと……痛感する。
こんなにも、人に助けを求める事は怖かっただろうか。こんなにも〝助けて〟の一言は重かっただろうかと、自問自答を繰り返す。