※この作品はR-18です。

波間の向こうを目指して   作:夢枕 七変化

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アラバスタ編
仲間のカタチ


 突然妙な音が聞こえて私は顔をしかめた。その音はゾロにもまた聞こえている様子から、どうやら私の気の所為や聞き間違いではないらしい事がわかる。

 となれば何か大切な事がある筈なのに、思い出せない。折角あった知識は、何故か脳の奥底に眠ってしまっていて起きる気配を見せないから答えを導き出す事が困難。

 気象現象でこんな音が鳴る物はこの海域では有り得ない。そうなると洞窟とか……つまり龍穴でも近くにあるのかと探すけど見当たらないのだから、首を傾げるのも当然。

 でもそういえば、シャンクス達とここを通った覚えがないわ。平然と凪の帯(カームベルト)を航海してたと気付いて実力差に崩れちそうになった時、サンジ君の声が聞こえて顔を上げる。

 

 「ナミさん、前方に山が見える!」

 

 マストの上にある見張り台からそんな事を言うけれど、地図ではそんな物は無かったわ。双子岬を超えた先を言っているのなら、そこには偉大なる航路(グランドライン)はが広がっている筈なのだから。

 そう思っていた次の瞬間にルフィが発した言葉で、すべてが走馬灯のように思い出される。それは知識の濁流。

 

 「山じゃねェ!クジラだ!」

 

 双子岬、鯨、頭の傷、治療、骨、留守番。歌、ブルック、ラブーン……ルンバ海賊団。

 頭が、割るかと思った。でも、その知識の奔流を拒絶はできない。

 これは必要な事。恐らくは転生した時に落として来ているべき知識を、無理に思い出している弊害。

 ラブーンと戦うにはサイズが大きすぎるし、ラブーンの過去を知るからこそ戦いたくもない。でも舵は壊れているから、避ける事もできないわよね。

 ならここでやるべきなのは……なんて考えている間にルフィがラブーンに攻撃を仕掛ける。それは、止める間もないもので、船首も折れてしまい、ルフィを止める方法がもう既に分からない。

 ここで私は、何をしたらいい。何を言えば、皆を守れるの。

 私は自分の中に突然蘇った知識に翻弄されながらも、とりあえず暴れるルフィを見て言葉をかける。勿論「やめろ」と止めているゾロ達がいるから、それ以外で。

 ならばできるのはひとつ。短い言葉で助言する事だけ。

 

 「ルフィ!海に落ちなければまた会えるから!」

 

 私の言葉にルフィは一瞬動きを止めて、大きく頷いた。その眼差しは真剣で、嘘偽りや誤魔化しは一切見受けられない。

 照れや戸惑いも見えないから、大丈夫。無駄にカッコつけてる訳でもないわね。

 

 「ナミが言うなら信じる」

 

 無条件に寄せられる信頼に、私の方が気恥ずかしくなり言葉を失った。その次の瞬間、ルフィだけを残して私達はメリーごとラブーンに飲み込まれていく。

 少しでもバランスを崩せば転覆する。それがわかっているから下手に動けない。

 

 「みんな、下手に動かないで。この流れの早さなら、下手な事をしなければ転覆はないわ」

 

 転覆さえしなければ、手漕ぎでも進める。後は前を見据えて、船が安定するのを待てば良いだけよ。

 船が転覆しそうな騒動が落ち着き安定した時、ゾロとサンジ君は夢だろうという意味の言葉を繰り返していた。でも、ここで私が説明するのは何か違う気がして、無言で目の前にある家を見つめる。

 中から出て来た人物を見て、私は再び頭を抱える事になった。それは他の人から見たら、ただ花のようなお爺さんとの会話を聞いて疲れたようにも見えるだろうから、私としては寧ろ良かったけど。

 蘇る記憶には、必要な知識が沢山ある。逃げる訳にはいかないからこそ、倒れたり意識を失う訳にはいかないのよ。

 寧ろ迎え撃つつもりで居なければ。いらない情報等、この世にひとつもありはしないのだから。

 

 「クロッカスさん。レイリーさん」

 

 言葉を口に出している自覚も無く、私は記憶の本流に飲まれないようにするのが精一杯だった。皆が出口を知って、更にクロッカスさんを誤解しているのに気付いても、体調の悪い今、私は揺れる船から外に放り出されないだけで精一杯なのだ。

 でも、それでも……。これだけは、伝えなきゃ。

 

 「ゾロ、サンジ君。ルフィと他二名が降ってくるから、助けてあげて。特にルフィは、泳げないから」

 

 伝えなければいけない事は、確かにあるのだ。それは、例えば私の言動を疑われる事になったとしても。

 でも、大丈夫。私は見聞色の覇気が使えるから、多少の先読みはおかしい事じゃないもの。

 

 「ナミ?……わかった、任せろ」

 

 ゾロはそう言ってルフィの姿を確認するのと同時に、助ける体制に入ってくれる。その時サンジ君は不思議そうに私を見たけど、すぐに他の二人を引き上げる事に協力してくれた。

 ルフィが船にあがったのを見て、私はルフィに頼む。水に濡れていて辛いのはわかるけど、今はこの二人が邪魔なのだから仕方ない。

 

 「とりあえずその二人を気絶させて貰える?」

 「おゥ、わかった」

 

 何の気概もなく、今はBW(バロックワークス)はの手下でしかない二人を眠らせてから、漸く落ち着いて話が出来ると安心出来た。そこから先の説明はクロッカスさんに任せて、私はドクターに渡されていた薬を飲みに船室に入る。

 早く体調をどうにかしなければ、私は航海士であり、皆に過去世での記憶や知識については詳細には話すつもりがないのだから。記憶の事を話したからと言って、気味が悪いと邪険にされたり、利用されるとは思わないけど、信じて貰えなかったり、腫物を扱うようにされる可能性は否めない。

 それは、つらい。それならば、何も教えない方がずっと楽だわ。

 私は海図や地図を描いたり、天候を読む為に部屋にこもる事が多いから、常備してある果実水を飲みに来ても誰も不審がらない。ただ、この薬って蜜柑の成分入ってて大丈夫だったかしら?

 グレープフルーツでもアルコールでも、牛乳でもないから大丈夫かも知れないわね。そう思ったら少し安心して、蜜柑の香りを楽しんだ事でクロッカスさんと向き合う覚悟が決まった。

 クロッカスさんは海賊王の船(ロジャー海賊団)の船医だったのだから、シャンクスの育ての親という枠に入るだろう。違っても兄や伯父の立ち位置の筈だわ。

 そうなれば、間接的であれウタがシャンクスの娘となった切っ掛けを作ったのだから、感謝したい相手。冷静に少し、話をしたいわね。

 私が船室から出ると話は大体終わっていて、ルフィがクロッカスさんを仲間に誘ってすげなく断られていた。ここでクロッカスさんを仲間にできたら、恐ろしい程の戦力にはなるだろうけれど、無理なのは当然でもあるからその光景をただ眺める。

 メゲないルフィのその様子に少し笑ってから、私はクロッカスさんに声をかける。どうしても心配だったから。

 

 「ラブーンは大分悪いの?」

 

 クロッカスさんは一瞬なんとも言えない眼差しで私を見てから、激突をやめない限りは永くないと悲しそうに言った。その悲哀は、分からなくもない。

 本来ならば自分より長く生きる筈の存在が、自ら生命を絶とうとするのだから……苦しいだろうと思う。助けたい気持ちは、痛い程によく分かる。

 鯨はイルカと同じ種族。つまり賢い。

 イルカと鯨の違いは、体長が4mを超えるかどうかのみ。それは独自の会話能力を持ち、言語の通じない筈の人間とさえ意思疎通できるような賢さを持っている種族であるという事。

 まぁ、この世界だとその限りではなく、イルカの形で超巨大なのいるけど。それでも地球の基準として見たら、同じ生き物。

 そんな種族が、諦めきれずに追い求める家族のような仲間。そんな人達だからこそきっと彼等は諦められずに、あの選択をした。

 もしかしたらいるのかもしれない。病から助かった人だって一人くらい。

 でも、約束は〝一周して戻る〟事だから、彼等は生き残ってもここに来られずにいるのかもしれないわ。回復してから、船を調達して追いかけた人達だっていないとは限らないもの。

 それでも、約束は〝未だ〟叶えられていない。それだけの事。

 その為に今、双方が苦しんでいる。闇の中で手探りに進むしかない現実に、打ちのめされて絶望しているのだとわかってしまう。

 船が外に出ると、クロッカスさんに言われるままに二人を海に捨ててからは、私は皆の話を大人しく聞いていた。けれど、サンジ君の言葉につい、口を開きかけて止める。

 サンジくんは知らないから、この判断は正しい。私も知識がなければそう思った筈だもの。

 

 「死んでんだよ。帰って来やしねェ」

 「彼らは逃げ出したのだ。確かな筋の情報で、確認済だ」

 

 そう、もしクロッカスさんがサンジ君の言葉に続けなければ、私は最後まで黙っていられた筈だった。だって……そんな勘違い悲し過ぎる。

 待ってもいいのだと、それさえ知らないラブーンも。待たせているのに身動きひとつ取れないブルックも、ただ苦しいだけ。

 加害者なんて居ない。被害者にだって、今はまだならなくていいの。

 

 「そんな事ないわ。彼等にも事情があって、でも、まだ、約束の為に独りで海にいるもの」

 「……何を、知っている」

 

 私の言葉にすぐに反応を返され、言葉に詰まった時、ルフィがラブーンに攻撃を仕掛けようとしているのが見えて、咄嗟にルフィを止める為に立ち上がる。だって、メリーを壊させたくないもの。

 ここで止めなきゃ、私は絶対後悔する。だから私は、剃でルフィの元へと移動し全力で殴った。

 

 「メリーを壊すな!大馬鹿者がっ!やるなら自分の拳を使いなさい!」

 「ってェー!なんでわかったんだよ!?」

 「私は覇気を使えるからよ!」

 

 直前で思い出したとは言わない。取り敢えずメリーは無事だわ。

 もし本当に覇気でわかっていたのなら、相当な覇気の使い手よね……と、内心で自分を笑いながら頭を抱えるルフィを見る。ウソップはそんな私達を見てホッとした様子でいるから、メリーを本当に大切にしてるのだと解るので守れてよかったと心から思うばかり。

 それからすぐに、ルフィが海に落ちた時の対策としてウソップをその場に残して、私はクロッカスさんの元へと戻る。それに対してクロッカスさんは再び「何を知っているのか答えてくれ」と、問い掛けてきた。

 それは静かな声で、凪いだ海を思わせる雰囲気だった。けれども歴戦の猛者らしい威圧感がある。

 あぁ、長い刻を海で生きてきた人なのだなと、痛感させられるような雰囲気。この威圧感は、無意識的なものなのかも知れない。

 ルフィが次の約束を取り付けて、ラブーンが泣いているのが見える。それは恐らく、感動して涙のひとつも見せるべきシーンなのだろうけど……。

 でもね、ルフィ。サンジ君もクロッカスさんも〝ラブーンの仲間は死んだ〟と言い切るけど、確かに沢山の仲間が死んだけど、ただ一人……本当に生きているのよ。

 これは、伝えて行きたい。でも、ルフィには聞かせたくないの。

 ルフィがラブーンに約束の印を描いている間に、私はクロッカスさんの問い掛けに、ゆっくりと口を開いた。ルフィには届かないように、小声で。

 

 「これを信じるか信じないか。ラブーンに伝えるか伝えないかは任せます。でも、うちの船長には、聞かせたくないんです」

 

 うちの船長は、自由だからこその人。未来を教えるなんて野暮な事、最低限しかしたくないし、しちゃいけない。

それが、クルーとして生きて行く上で最低限の決め事。ルフィの邪魔だけは、死んだってしない。

 

 私が真っ直ぐにクロッカスさんを見つめて言い切ると、それを見たクロッカスさんもまた、黙って見つめ返してくる。そして、僅かな間を置いて、クロッカスさんが呟くように言った。

 

 「聞かせてくれ」

 

 私は頷くと、ルフィを見つめながら極力静かな調子で語り始める。そうしなければ、ブルックの事を思って、泣いてしまいそうになるから。

 私がブルックの立場なら、生きてなんて居られない。絶望と孤独しか無くて、未来なんて何も見えなくて、自分さえも奪われていて……どうして、それなのに耐えて生き抜けたのかと……その強過ぎる精神力に、涙が溢れそうになる。

 海賊王(ゴール・D・ロジャー)の処刑から22年、その海賊王の航海にクロッカスさんがついて行っていた事を考えれば、病気で半数の仲間を失ったのはそれより更に時を遡る筈よ。だってブルックは海賊王の事を〝新人〟と言っていたわ。

 情報を得た前後に毒で仲間の全滅と考えれば、ブルックは最低でも20年以上の時を霧の中で過ごしていた事になる。今の私となって生きてきた期間よりも、それは長い。

 

 「その海賊団は、ルンバ海賊団ですよね。彼等の船長は病で離脱を余儀なくされ、同じ病になった人達と共に、凪の帯から前半の海(パラダイス)を離脱しました。それを恐らくは掴んだのでしょう」

 

 それから私はどこまで細かく話すべきか考えて、簡潔に話す事を決めた。あまり語っても、私が動揺するだけで良い結果は生まないと分かるから。

 私が動揺したら、信じてなんて貰えない。私が伝える事で運命とやらが、少しは変わる可能性もあるけど、同時に変わらない可能性もある。

 ここまで生きて試して気付いたのは、大きな運命は変えられないって事。シャンクスは腕を失わなかったけど、大きな傷が残りケロイドのようなものができてしまっている。

 その為に腕にあった謎の模様も消え失せた。シャンクスは、何故かそれを喜んでるみたいだったけど。

 ベルメールさんは生きてるけど、車椅子が基本になっているわ。何とか歩けるようになって来たけど、この先も健常者とは言えるようにはならないと思うし、中々に大きな運命は変えられない。

 それなら、ラブーンとクロッカスさんの心を救う程度なら、大きな変化と世界はみなさないのではないかと思っている。だけど、貴方を待っていますの花言葉を持つ名前なのだし、信じてくれないかも知れないのよね。

 

 「残りの半数はラブーンとの約束を果たす為に海に残り、新たな船で新たな船長を選び出発しました。けれど、彼等はこの海を渡るには弱く、その生命を散らした。……ひとりを遺して」

 

 その言葉でクロッカスさんは、無言で私をじっと見つめた。その視線に私も気づいてはいたが、あえてそちらは見ずに話し続ける。

 見たら何も言えなくなりそうだから。その視線から、私は逃げます。

 

 「彼は、ラブーンと良く似た頭の持ち主で、ヨミヨミの実を食べていました」

 「ブルックか」

 

 クロッカスさんの驚いたような言葉に私は頷いた。あのアフロはラブーンと似ていると仲間が言ったから、大切なのだと言っていた筈。

 ……だいぶ曖昧だけど。でも、あのアフロを大切にする理由は、ラブーンの兄弟みたいだからって事だったのは間違いないと思うのよね。

 

 「彼は今も、約束の為に独り、海にいます。いつかきっと、それがここにいてもわかる時が来ます」

 「アンタは……」

 

 クロッカスさんの方は見ないまま、ルフィに視線を集中した状態で私は自嘲の笑みを浮かべる。だって、これはあまりにも卑怯な能力だから。

 もしもルフィに知られたら嫌われそう。そう思うのは、私が弱いだけだと言う事を本当は私もわかってるの。

 

 「私は、麦藁の一味の航海士でナミと言います。この話を信じるか等を含めて、すべて任せます」

 

 そう言った直後、ルフィがラブーンに頭の印を消さないようにと言って笑っているのが見えて、私は自然とそれに釣られたように笑う。クロッカスさんもそれ以上は何も聞かずに、ルフィとラブーンを見て、穏やかに笑った。

 ゾロ以外がそれぞれ働いていた後で、サンジ君の作ってくれた食事を食べようとテーブルにつく。その時になって、漸く思い出して問い掛ける。

 

 「あ、クロッカスさん。ログポースの予備とかありませんか?私持ってなくて」

 

 シャンクスが用意してくれたログポースは洋服の一部とセットで置いて来てしまった。だから、今はもう無いのも嘘では無い。

 そもそも奥に隠すようにしてあったから、持ち出すのが大変だったのだ。ログポースを持ってるのがバレたら、アーロンに何を言われたりされたりしたか分からなかったもの。

 テーブルから声を掛ければ、他のメンバーがなんだそれはと言い出して、クロッカスさんが丁寧に話してくれる。その説明を聞いたルフィが「これか?」なんて言うので、とりあえず一発殴ってからそれを笑顔で受け取る。

 

 「拾っていてくれてありがとう、ルフィ」

 

 それについてルフィが何か文句を言っていたけれど、その言葉はすべて聞こえなかった事にして、壊されないようにご馳走様と言って私は早々に席を立つ。そんな私にクロッカスさんが言う。

 

 「礼になるかはわからんが、必要な物があれば持っていくか?」

 

 その礼がルフィの行動に対してか、私の発言に対してかは分からないけど、私はそれに甘える事にした。楽器や医薬品を少し融通して欲しい事と、医学書を見せて欲しい事を伝えるとクロッカスさんは私に驚いたような視線を向ける。

 

 「航海士と言っていたが、船医も兼ねてるのか」

 「今、この船には船医が居ないんです。だから、知識だけでも持ってないと、こいつらが危険で……」

 

 私の言葉に「さもありなん」と笑うと、クロッカスさんはもう不要だからと言って数冊の本と武器を改良して作られたらしい楽器、そして包帯等を含む医薬品を融通してくれた。本を手にしてそれを撫でると、クロッカスさんは「本が好きか」と問い掛けてくる。

 

 「えぇ、好きです。知識をくれて、皆の助けになれる可能性が高まるから。……私は弱い。いつも、何も守れない。だからせめて、知識だけは……」

 「にわかでも船医を兼ねてくれる、美人航海士ならば男共には充分すぎるだろう。……それに、覇気を使える人間が弱いとは思えん」

 

 先程ルフィを殴ったのを見ていたからかと、クロッカスさんに視線を向けてから笑えば、何故か溜息をつかれてしまった。……解せぬ。

 意味の分からない悔しさに奥歯を噛み締める。そんな私にヤレヤレと言わんばかりの様子で、クロッカスさんが見てくる。

 

 「荷物を人に預ける事の出来ないタイプか。……何かを決断する時、他の仲間がそれをしたら自分はどう思うか考えてみるようにしなさい」

 「……はい、ありがとうございます。あの、ところで……この本、編纂して出版したいと言ったら怒りますか?」

 

 ドクターの本と共に、可能ならば編纂してしまいたい。編纂する元になる資料は、少しでも多い方が良いから。

 私の問い掛けにクロッカスさんは少し黙ってから、考えるように顎に手をやる。そして、真剣な眼差しで私を見据えた。

 強い視線に対して、私は逃げる訳にも行かずに対峙する。胸に抱いた本は返さないぞと、強く腕に力を入れながら。

 

 「……著者の、名は?」

 「必要ならば、クロッカスさんの名で「それは困る」」

 「ならば、どうしたら許可して頂けますか」

 

 被せるように、間髪入れずに断られたので、私は即座に問いかけた。それに対しクロッカスさんは、何も答えずにただ私を見てくる。

 互いに睨み合うようにしていた時間はそれ程長くはなかっただろうけど、私には異様に長く感じた。それからクロッカスさんがふっと笑い、海に視線を向けた。

 

 「そうだな。そう問われると困るが……ナミでもクロッカスでも無い名で出すならば、許可しよう」

 「……ならば〝宝玉〟の名で出るとしたら、どうでしょうか」

 

 私の言葉にクロッカスさんは驚きを隠さずに私を見て、小さく頷いた。そして、サッと右手を差し出して来たので無意識でその手を握ると、楽しそうに笑った。

 意味がわからなくて目を白黒させていると、クロッカスさんは少し悪戯に笑ってから肩を震わせた。それから破顔したと思ったら、愛おしそうに私を真っ直ぐに見詰める。

 

 「……会いたかったぞ〝宝玉〟さん。それならば、追加でもう少し持って行け。医者の一人として、世界の医学が進歩するのは嬉しい。宝玉が出すならば、それだけで手に取る人間も多いだろう」

 

 そのまま続けて「売上も何もいらない」と、クロッカスさんは笑う。寛大な言葉に息を飲んでいると「医学の発展に貢献できるならば、それだけで充分だ」と続ける。

 どうしてこう、皆優しいのだろうかと苦笑するしか出来ない私に、クロッカスさんは少し思案するようにしてから頷き「宝玉の正体は胸に秘めておこう」と私が何かを頼むより早く自ら約束してくれた。それに感謝しつつ、クロッカスさんが追加の資料や本を取りに行く背中を見送る事しか、私には出来なかった。

 私は不安そうな顔でもしていたのだろうか。だとしたら本当に申し訳ない。

 クロッカスさんは大量の本や資料を手に戻って来ると、それを私に渡さずに何故か直接メリーに運んでくれた。そして、部屋を視線で問われたので素直に案内すると、私の部屋にそれらを容赦無く積み上げてくれる。

 この老齢としか言えない年齢になって尚、クロッカスさんの筋力は素晴らしいものがあり、テキパキと動ける様子に思わず感嘆の息がもれる。この世界の人って、老若男女問わず基本的にアグレッシヴよね……とその姿を見ていて思う。

 それから室内を見たクロッカスさんがふっと笑って私の頭を突然撫でるから、何事かと思い見詰めると髪を掻き乱したその手が当然のように、本棚にあった一冊の本を手にして私を見た。それから妙に落ち着いた声で、問い掛けてくる。

 

 「……この本が、ブルックの話か?」

 

 示されたのは皆の過去を元に書いたひとつ。指摘の通りブルックの過去を題材に使った物で、私はそれに頷く事で答える。

 それを見たクロッカスさんはそうかと言って本を戻すと小さく、微かな声で「教えてくれた事に感謝する」と言って、即座に立ち去ろうとするから、思わず声を掛けてしまった。

 

 「……今は!」

 

 クロッカスさんの足が止まる。私は今これを伝えないと後悔する気がして、必死になって言葉を紡ぐ。

 勝手に本にしたし、これまでも運命には逆らって来た。結果変わってない事も多いし、変えた事で何が起きるかなんて分からないけど……伝えなかったら後悔するわ。

 

 「今はまだ、彼は喪っただけで何も得てなくて、新たな仲間という光にも、希望にも出逢えていません。けれど、私の船長がその光になると信じています。この海の怖さは分かってます。だから、数ヶ月でなんて言いません。何年かかるかも分かりません。それでも……」

 

 何を言いたいのか自分でもよく分からない。でも、ここで何も言わずにいたら絶対に自分を責め続けるとわかるの。

 それだけは確実だと言えるから、少しでも伝わって欲しくて言葉を音にする。言葉は言霊だから、音にすれば必ず相手に何かを伝えてくれると信じてるから。

 

 「……どうか後数年、待っていてください。きっと彼はここに帰って来ます。仲間達との約束と共に」

 「…………もう、50年待った。後数年くらい、待ってやるさ」

 

 背中しか見えないけど、声も泣いては居ないけれど、クロッカスさんが泣いているのだと何故か分かってしまう。私は、余計な事をしたのだろうか。

 でもきっと、その名が示す花のように、彼はここにいる。その花言葉のような優しさと強さを持っているから。

 罪悪感に押しつぶされそうになった時、クロッカスさんが振り向き、一瞬で間合いを詰めるとその勢いのまま私を強く抱き締めてくる。その腕の微かな震えが、心の震えだと分かってしまう。

 

 「ありがとう。これでまた奴らを〝待つ〟事が出来る。……奴らの数年とは、随分と……」

 「……そう、ですね」

 

 何も言わない事も考えたけど、頭上から雫が落ちて来るのを感じてしまえば、私は動く事も出来ずにただ「そうですね」と言葉を繰り返す事しか出来なかった。……大切な人達だったのだろう。

 例え共に居た時間は短くても、彼等はクロッカスさんにとってもまた、大切な人達だったのだろう。勿論そこにラブーンへの想いが詰まっているのは分かっているけれど、それだけで大人の男が、子供相手に涙を見せるなんて出来る筈もないのだから。

 それから少しした時、爆発音が響いた。それにより私が先に船内を飛び出してサンジ君に声を掛けると、後からクロッカスさんが出てきたのを感じ取る。

 

 「サンジ君、今の爆発音の中に女の子の悲鳴みたいなのが聞こえたんだけど」

 

 ビビを殺す訳にはいかないと内心焦りつつも、つとめて平静を保って声を掛ければ、サンジ君とルフィが海岸に近付いて行った。これで先へ進むルートが決まると思い、私は微笑ましく二人を見送りながらラブーンに視線を向ける。

 待たせてごめんね、何年かしたら、きっと戻るから。心でラブーンにそう声を掛けて、私は静かに微笑んだ。

 それからルフィが二人を乗せる事と、その二人の希望を踏まえて行き先を決めたので、新たに二人を乗せてからクロッカスさんに別れを告げて船は動き出す。次の島をを目指し、波間の向こうへと。

 船は行く。今日の天候は冬、時々春。

 リバースマウンテンの麓双子岬を出た船は、一路ウィスキーピークを目指す。甲板に積もる雪で遊ぶルフィとウソップを眺めながら、客のように振る舞う居候二人を叱り飛ばしていた私は、空の変化を目の当たりにして息を呑む。

 

 「分かっていたつもりだったけど、確かにここは難所のようね」

 

 シャンクス達(赤髪海賊団)の船に乗ってた頃は、凪の帯を通過してたから、冒頭特有の環境変化はほぼ経験していないのよね。もちろん偉大なる航路後半の海(新世界)は、全体的にこんな気候が多かったけど、前半の海でこれはこの海域だけと言えるだろう。

 私は外に飛び出すと全員に指示を出していく。勿論ビビ達……居候達にも。

 それでも、船はその場を回転したりと忙しなく、なかなかに前へ進んだ気がしない。疲れ果て、倒れ込んでも休む暇はまだ無い。

 ……ゾロを除けば。この騒ぎの中で、眠り続けられる神経が信じられないわ。

 そんな中でも、苦労や努力はいつか報われる。そう……。

 

 「島が見えたぞー!」

 

 目的の島に、到着出来たのだから。しかし、上陸の直前で二人の居候はその姿を消してしまう。

 それはまるで手品のように鮮やかに。それを見送り呆然とする男達を眺めてから、私は深い息を吐き出す。

 これから始まる筈の、厄介事を少し思い出してしまったから。勿論それは大歓迎で私達を迎え入れる人達の怪しさに関するものではなく、その更に後ろに控えるサー・クロコダイルの案件の方。

 こんな雑魚達はどうでもいいのよ。取り敢えずただ酒と食料にありつく事が第一で、その後の事は寝たフリでもしながら考えたら良いのだから。

 それにしても、ビビをどうやって安全に助けたものかしらね。出来るだけ国民の被害も少なく、か。

 大歓迎で迎えられて、ウソップは踊り、ルフィは食べて、サンジ君は鼻を伸ばし、ゾロは呑む。私はそれぞれを適度に楽しみながら、思考の渦に嵌りかける。

 難しすぎるビビの願いに頭を悩ませつつも、とりあえずは飲み尽くせるだけ飲んでやろうと決めて、酒に手を伸ばす。それにはわかりやすく睡眠薬が盛られていて、これだからと思いつつ様子を伺う。

 この程度の薬じゃ、眠れないのは自分が一番よくわかってるけど、薬入りだと分かってて飲むのも何だか嫌だったりする。でもね、お酒もタダじゃないのよ?

 そう考えたら呑んどくべきなのかしら?少し、悩ましいわね。

 

 「もう、呑まないの?」

 「このお酒、薬品臭くて。何か間違えて入ったんじゃないかしら?」

 

 取り敢えず呑まない理由を伝えつつ牽制してみると、慌てた様子で酒を取り替えたので、この場にいる全員が分かっていて呑ませようとした事は明白となる。ヤダわ、コイツらの程度が低過ぎる。

 クロコダイルが下の方に該当する部下への扱いが、適当になるのも分かろうと言うものだ。この程度の奴ら相手にどうにも出来ないような海賊が、この海を進むなんてそもそも烏滸がましい。

 歓待を受けてそれぞれが思い思いの時を過ごす中で、時々ゾロの視線が気になったけど、何か用事があるのかと適当に流す。そうして頃合を見て、怪しすぎる歓待の中で、それなりにお酒を楽しんだ後で酔い潰れたように見せかけて寝た振りをすれば、それから程なくしてゾロが暴れ出した。

 ゾロが此方を見ていた理由は不明だけど、そんな事は今はどうでもいいのよ。ゾロが暴れ出したのを期に、人が居なくなったのを確認した私は、何か金目の物は無いかと物色しつつ、今後について思案する。

 ここでビビを〝保護しない〟と言う選択肢は無くて……でも〝保護する〟とあの子のドジ属性で命が危険になるのよね。今の私にBWのメンバーと戦えるだけの強さがあるのかは不明だけど、そんな事よりも今は可能な限り平穏無事に過ごして、医学書の編纂や地域ごとに海図を纏めて地図帳作りを行いたい。

 今回通って来た辺りの海図と、クロッカスさんの所の地図も描いてしまいたいし……。でもやっぱり、ビビを可能な限り安全に、アラバスタまで連れて行きたいって気持ちも強いのよね。

 相手側にロビンがいる時点で、全てを希望通りになんて難しいのは分かってるんだけどさ。うちには女に甘いサンジ君と、女は斬らない剣士と、ロビン大好きな私がいるから……。

 そんな事を考えながら、私は集めた金品を船に置きに戻りつつ、どうしようかなと考えつつ再び島へ行ってみる。その時突然掴まれた腕にゾクリとして、それを振り払うと一気に距離を取る。

 油断した、この程度の奴らなら考え事してても大丈夫だと思っていた。私程度が、油断なんか出来るだけの実力を持ってる筈もないのに……。

 内心で自分に舌打ちしながら敵に視線を向ければ、それは〝鷹の目〟で……私は呼吸を止めてその姿を凝視する。冷や汗が流れるのを止められない。

 なんで、こんな所に居るのよ。今頃とっくにシャンクスの所に到着してる頃でしょう!?

 

 「数日ぶりだが、久しく感じるな。その後どうだ」

 

 掛けられた声に身体が震えそうになる。でも、まだルフィ達に助けを求めるだけ無駄だもの。

 自力でどうにかしないと……誰も、巻き込めない。震えるな、私。

 

 「特に変わりはない……と言いたい所だけど、今は正式に仲間と呼べる人達がいるわ」

 「そうか……。それで肩のそれが変わったのか」

 

 その言葉で、やはりあの時見られていたのかと溜息を落とす。そんな私を鷹の目は興味深そうに見ていて、殺気も感じない事から何か話があるのだろうと、臨戦態勢をといてけれどもいつでも逃げられるようにと、警戒だけはしながら対峙する。

 そんな私に鷹の目は何かを投げて寄こした。 それを咄嗟に受け取ると視線で開けてみろと言われるので、手の中に収まった小さな袋を開けてみる。

 中からは小さな携帯型のペンが出て来て、よく見ればインク補充形だと分かる。使う時にインクをつけて使う物ではなく、地球のボールペンのように使えるそれはまだこの世界では珍しい。

 小型の万年筆を独自改良してあるような感覚だろうか。小さいのに持ちやすく、使いやすそうだわ。

 鷹のイメージだろう彫り物はあるけど、これは邪魔にならない程度の装飾。誰かに間違われる心配も、ほぼないと言えるし、何より相当な高級品。

 何より素材に金だのプラチナだのが含まれている時点で、価値は恐ろしく高い。普段は金色で興奮すると赤くなる自身の瞳の色を模しているのか、装飾の鷹の瞳には左右で違う宝石があしらわれている。

 

 「……気に入ったか」

 「これ、は……?」

 

 戸惑いつつ鷹の目を見れば、小さく笑われる。進路だってそう、ここに来たのは確率的には奇跡のように低いものなのに……どうして鷹の目は。

 

 「……あの日は随分酷く扱った。反省も後悔もしてはいないが、詫びはしたいと思い考えたが、宝石をメインにしたり装飾品にすれば動きを阻害しそうだとか言って、売って金にでもされそうだと思ってな」

 

 ……どれに突っ込みを入れたらいいのか、既に分からない。酷く扱った自覚あったのかと驚くべきか。

 それとも反省や後悔してないのかよと怒るべきか。そんな状態でも詫びはしてくれるのかと、素直に受け取るべきか。

 いやいや、私の何でも売り飛ばす癖を何故知られてるのかと言うべきなのかも。混乱の極みにいる私には、どうしたらいいのか正確な判断がつかない。

 それでもこのペンは正直凄く欲しい。使いやすそうだし、机で使う物としては不便も多いだろうけど、外でメモを取るには美味しいアイテムだと思う。

 

 「……あの日の事は、お金で解決したと思ってたけど、このペンは正直嬉しいわ。ありがとう」

 

 素直にお礼を伝える事にした私を、鷹の目はじっと見据えた後、帽子の鍔を少し低くしてから小さな声で答えてくれる。それが戸惑いか照れか分からないけれど、微かな動揺を含んでいるのが分かり、鷹の目も人間なのだなと妙な事を思う。

 

 「……詫びに対する礼など、おかしなものだ。気に入ったならば良い。赤髪にはこれから会うが……〝蜜柑農家として平穏に暮らしていた〟と伝えて良いのか?」

 

 確かめるようなその言葉に、ここで会えたのだからと私は少し考えてから訂正する事に決める。色々謎はあるけど、鷹の目の善意を疑うのもおかしな話だと思えばこそ、甘えさせてもらいたい。

 

 「……訂正するわ。シャンクスには〝ルフィのクルーとして共に約束を果たすつもりだ〟と伝えてください」

 

 私の言葉に小さく頷いた鷹の目は、その大仰なマントを靡かせながら近付き……私の腰を強く抱き寄せる。それにより足が浮上がれば、その不安定さに怖くなるかと思ったのに、恐ろしい程の安定感。

 流石は世界一の大剣豪と言うべきなのかしら。腕力が尋常じゃないわ。

 思わずその二の腕を撫で回すように擦ると、ピクリと身体が跳ねた。その事に驚き視線を顔に向けると、いつの間にか近付いていた顔が目の前にあり悲鳴を飲み込む。

 直後、重ねられた唇は呼吸さえも奪うようなもの。頭を押さえられているから、顔を背ける事さえ出来ずに、巧みすぎる口付けに思考がとかされそうになる。

 息継ぎの為に離れる僅かな瞬間に、拒絶の言葉を紡ごうとしても酸欠に近いからか上手く声が出せない。やっと声が出せそうになると角度を変えて重ねられるから、また声は吐息ごと奪われてしまう。

 どれほどそうしていたのか。満足したように唇を離した鷹の目が、私を地面に降ろすとマントを翻しながら背中でシャンクスに伝言を伝える事を約してくれた。その背を見送り、私は深く深く息を吐き出す。

 恐ろしい程に緊張していたと、今更気付く。身体が震えるのを自覚して、その場に座り込み自らを強く抱き締めるけど、これが恐怖だけで快楽によるものじゃないと……私には言いきれなかった。

 そうして、情けなくも震えがおさまるのを待つ事しか、この時の私にはできず、己の浅ましさに泣きたくなるのを耐えるばかり。格の違いを、嫌という程教えられた気がして、情けなくも小さくなる他の道を私は持たない。

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