Aパート
冬の気配を色濃く残した、雨の朝。
給湯室でお茶汲みをしていた私は、「課長」のコーヒーにこっそりと
「ふ……ふふ……」
私はヨル・ブライア。
オスタニアの首都バーリントの市役所で、事務員として勤務しています。
「ねえちょっと、ヨル先輩はどう思います? キモくないです?」
「えっ、はい?」
同僚であるカミラさんの声。
慌てて顔を上げます。彼女は悪口に興じる人間特有のニヤケ顔で、こちらを見ていました。
「あ、あの、何がでしょうか……?」
「あのキモハゲ課長の話ですよぉ。最近ヨル先輩の事もジロジロ見てますよね。お尻触りたいとか思ってたりして」
課長。これから鼻くそ入りのコーヒーを飲ませようとしている、
心が、嫌な音を立てました。
第一話
部下からも嘲笑される小太りで
キモいハゲオヤジの慰み者、
ヨル・ブライア
「…………そうですね。私も、キモイ、と思っています」
私は努めて不快感を表情に出さず、笑顔で答えます。
するとカミラさんは一瞬だけ驚いたような顔をした後、他の同僚とともに盛り上がり始めました。
「ヨル先輩でもキモいんだー! ですよねー! 私もああいう気弱そうなオッサンってマジ無理~」
課長の悪口で、皆さんは給湯室に花を咲かせています。それは、いつもどおりの光景でした。
悪口が楽しいかどうかは、ともかくとして。
私も、課長には悪い印象を持っています。
いえ、はっきり言って、嫌いです。
とても、嫌悪しています。
「モテない中年が若い女に色目使うとかぁ、あり得なくないです?」
「ええ……」
「チビでハゲでなんか全体的に汚いし、『次長』とは大違いですよねぇ」
「…………」
私は曖昧に微笑みつつ、一歩だけカミラさんから距離をとりました。
私はヨル・ブライア。
上司である課長、ミハエル・ゲルゲスという中年男に凌辱されている、二十七歳にもなって独身の冴えない
◆◆◆
私は殺人を
平和に
組織によるコードネームは、いばら姫。
自慢するようで恐縮ですが、仕掛けて仕損じ無しのスゴ腕と自負して、いました。
三週間前、あのような失態を犯すまでは……。
『ブ、ブライア君!? ヨル・ブライア君か?』
『あっ』
そう、ゲルゲス課長に目撃されたのです。
彼はご家族とホテルのレストランに来ていました。私は標的を片付けた直後、彼とばったり出くわしてしまったのです。
『ああ……! やっぱりブライア君じゃないか!』
私は対処を誤りました。
直接手を下す事も、「部長」に報告して「お仕置き」してもらう事もできたはずです。
でも、彼の奥様と娘さんを見てしまったがために、その選択肢は消えてしまいました。
課長にさえ黙っていてもらえれば、罪もないご家族を泣かせずに済む。そんな甘い考えに囚われたのです。
『ば、ばらされたくなかったら……!』
浅はかでした。課長は私を脅迫し、関係を強要したのです。
殺すという選択肢を放棄した世間知らずの殺し屋女に、為すすべはありませんでした。
『ぼ、僕は君の事が好きだったんだ!! ずっと好きだったんだ!!』
『や、やめて下さい…………! 私、経験が……なくて……』
『…………! う、うおおおぉぉぉ!!!!』
後はもう、なし崩しです。
課長に抱かれた回数は、すでに両手の指では足りません。何度も汚され、辱められ、私はもう逆らう事すら諦めてしまいました。
こうして、ヨル・ブライアは卑劣な中年男の慰み者へと成り下がったのです。
◆◆◆
「ゲルゲス君! 君はいつになったら私の要求を満足できるようになるんだ!?」
「すっ、すみません……すみません……」
「まったくもう! 君みたいな使えない男が何で課長になれたのか不思議だよ!!」
オフィスの廊下から、ゲルゲス課長が次長に叱責されている声が聞こえてきます。
次長の声には怒りの他に、呆れと侮蔑の感情が入り混じっていました。
「やあ諸君、おはよう!」
ドアを開けて、次長が入ってきました。生地のしっかりとした背広にはシワひとつなく、ブロンドの髪には一点の乱れもありません。
「「「「「おはようございます」」」」」
快活な挨拶に、同僚たちは大きな声で応えました。私も、オフィスチェアごとくるりと回転して振り返り、笑顔を顔に貼り付けます。
「お、おはよう…………」
その後ろから小さくなって現れた課長の事は、誰も見向きもしません。足取りは重そうで、くたびれた背広の背中が丸まって見えました。
「ブライア君もおはよう!」
「はい、おはようございます」
「どうだい? 最近調子は?」
「え……特に、変わりはないです」
「そうか。それは良かった! 君のような美人が元気でいてくれると私も嬉しいよ!」
「あ、ありがとうございます……」
次長は後ろから私の肩に手を乗せ、揉みほぐすようにして……体格も良く、男性ホルモンが溢れているような方なので、少し怖いです。
「ブライア君、今日の夜時間あるかな? 良かったら食事にでも行かないか?」
「え……? あ、えっと……」
突然のお誘いに困惑していると、横からカミラさんが口を挟んできました。
「あー、次長ダメですよー。ヨル先輩はちょっと個性的って言うか、男性に興味無いんでぇ」
「む、そうなのかね? こんなに……美人なのに……?」
次長の視線が、私の首筋から胸元へと移ります。その視線の動きに気づいた私は、反射的に両腕で胸を隠してしまいました。
「ははは、これは失礼! ほんの冗談さ」
「はあ……」
「では、私はそろそろ会議の時間だから失礼するよ。今日も一日頑張ろうじゃないか!」
次長はそう言うと、足早に去っていきました。歩き方もサッサッと音がしそうなほど軽快です。
「はぁ~。次長って、洗練されてるって言うか、スマートですよねー」
「……はい」
カミラさんは頬杖をついて、去りゆく次長の背中を眺めています。彼女の言葉どおり、次長の女性人気は高いものでした。
若くして出世街道を突き進むエリート。美男子で仕事ができて独身というのは、「普通の女性」には魅力的に映るものなのでしょう。
「それに引き換え、課長ってばダサすぎですよねぇ」
「…………」
その反対に、机に突っ伏してどんよりしている課長。私よりも背の低い小太りの体が、ますます縮んで見えます。
私はコーヒーを載せたお盆を持って、立ち上がりました。
「おはようございます」
「お、おおヨルくんか。お、お早う」
顔だけ上げて、私を見るなりびくりと怯えて、それから笑顔で取りつくろおうとする課長。
四十歳になったばかりのはずですが、もっと老けて見えます。淋しくなった黒髪と、くたびれたスーツが余計にその印象を強めているのかもしれません。
「コーヒー、どうぞ」
「あ? ああ、ありがとう」
私は、作り笑顔で
ですが、私の手は宙でピタリと止まってしまいました。
「ヨルくん? どうかしたかね?」
「……何でもありません。コーヒー、冷めているみたい、ですから」
結局私は、コーヒーを引っ込めました。
別に、課長に優しくしたいわけじゃありません。あまりにも下らない事をしかけた自分に、少し腹が立ったのです。
「新しいのを、いれてきます」
「ああ、いや!」
私が給湯室へ向かおうとすると、課長は慌てて立ち上がりました。
「あ、あの……何か?」
「いやあ、その…………『後で郵便局に手紙を出してきて欲しい』んだけど、頼めるかな」
「!」
マイナスの感情が背筋を這い上がってきます。これは合言葉なのです。今夜、二人きりで会いたいという。私は彼の顔色を見ながら、はいとだけ答えました。
「そうか、じゃあよろしく頼むよ」
課長は私に封筒を手渡すと、すぐに目を逸らしてしまいます。封筒には、落ち合う為の場所と時間が書かれた紙が入っているはずです。
よほどの事がない限り、私はそこへ行かなければなりません。それが、脅迫によって押し付けられた秘密の契約。
「……分かりました」
「うん……。よろしく」
◆◆◆
「や、やあ、待たせたね」
「…………はい」
午後六時。定時を過ぎてから少し時間を空けて、私たちは落ち合いました。冷え切った空気が、コートの上からも肌を刺します。
ここはバーリントの中心から少し離れた歓楽街。
『オスタニアで最も罪深い1マイル』と称される、極彩色のネオンサインが輝く夜の街です。
この通りでは、様々な人たちが酒を飲み、踊り、そして性を売り買いしています。
いくつものガラス窓の向こうで、煽情的な姿の娼婦たちが道行く男性に媚を売っているのが見えました。
「は、はは、今日もすごい人だな。ヨルくんは、き、きれいだから、こんな所だと声をかけられて大変でしょう」
「はい」
この寒さの下で脂汗を流し、声を上ずらせながら思いやる
私はそんな彼を見て、やはり胸の奥で不快な音がするのを感じていました。
「わ、私は君の部屋でも」
「すみません、部屋は、許して頂けませんか?」
「い、いや! いいんだ! いいんだよ! すまないね!」
「いえ、ありがとう、ございます」
この男を、家に上げる、なんて。心安らかに眠れる私の聖域を踏み荒らされるなんて、とても我慢できません。それだけは絶対に嫌でした。
「お腹は空いてないかい?」
「いえ、あまり」
私は正直に答えます。この関係が始まってから飲み始めた避妊薬が、私の体から食欲を奪っていました。特に課長と会う夜は、何も口にしたくない気分になるのです。
「あ、ああ、そうか……。こ、今夜は冷えるからね。はは、あはは……」
そんな私を見て、課長は悲しげな顔をしました。
心の弱い人です。自分が女を傷つけていることに耐えられないのでしょう。軽蔑する一方で、憐れみを覚えてしまいます。
「そ、そうか。なら、行きましょうか」
「はい……」
私達は並んで歩き始めます。課長は周囲をきょろきょろと見回しながら、私の腰に手を回してきました。
「な、何だか、寒いねぇ。ほら、くっついて」
「……」
私は何も言わず、彼に身を任せました。だって、逆らえませんから。
◆◆◆
「ヨルくん……ああっ! ヨルくーん!!」
「っ……! ……終わりですか……」
脈動が終わると、課長はゆっくりと体を起こしました。萎え始めたペニスを引き抜かれる瞬間は、何度経験しても背筋が粟立つような不快感を覚えます。
課長が正常位で私を犯したのは、酒場の三階にある粗末な貸し部屋。壁は薄く、外を歩く人々の話し声まで聞こえてきます。
本意ではありませんが、私にとってはもはや慣れ親しんだ場所でした。こんな所を使うのは酒場で出会った一夜限りのカップルか、娼婦と客か、さもなければ人の道に外れた男女くらい。
そう、まさに今の私みたいに……。
「い、いつもごめんね、こんな普通じゃないモノで」
「いえ…………」
彼が言うモノとは、ペニスのことです。確かにソレは、普通ではありませんでした。大きさもさることながら、とてもグロテスクなのです。
全体に反り返って、ピンクの亀頭とどす黒い陰茎の段差がはっきりしていて、びっしりと浮き出た血管が脈打っていました。
殺しの仕事で男性の裸体は度々目にしてきましたが、これほどまでにおぞましい、別の生き物のような男性器は見たことがありません。
それが今、自分の中に挿入されていたと思うだけで吐き気がします。
「ふう……ええと、次は……『後戯をして、女の子の体を気遣ってあげましょう』……か」
課長の言葉を聞いて、また心が嫌な音を立ててしまいます。それはまるで心臓に刃を突き立てられるような、鋭い痛みを伴うもの。
ですが課長はそれに気付かないまま、ぎこちなく私の髪を撫で、額やまぶたに口づけをしてきました。私は目を閉じて唇を固く引き結びます。
すると彼は苦しそうな声でこう言いました。
「ごめんねヨルくん、苦しかっただろう? ごめんね、ごめんね」
私は課長の事が嫌いです。大嫌いです。こんな風に優しくされても、私の心は晴れません。もっと激しく乱暴に扱ってくれた方が、まだマシだと思うのです。
「つ、次は、気持ちよくしてあげるからね。もっと勉強して、上手にできるように頑張るからね。許しておくれよ、ヨルくん……」
私は何も言わず、ただ膣内に射精された精液の感触に耐えるばかりでした。
大丈夫、避妊薬は飲んでいます。もし妊娠してしまったとしても、そのときは堕胎すれば良いのです。お金ならあります。そうです、そのはずなのです。
「ええと、次は……『優しく体を触り、女性の快感を長引かせましょう』…………お、おっぱいにしようか。ヨルくん、いいよね」
「……どうぞ」
許可を出した途端、課長の短く太い指が、恐る恐る乳房に触れました。脂肪の塊を鷲掴みにされ、むにゅっという嫌な感覚が全身に広がります。
「あっ……! ううっ……」
「ご、ごめんね! 痛い?」
「……いえ、平気です」
こうなるまで自覚はありませんでしたが、私の体は男性に好まれるものらしいのです。
恥ずかしながら中玉のメロンほどもある乳房は、服の上からでも目立つほどに膨らんでいます。
課長も私の容姿をことのほか気に入っているようでした。血走った目で見つめ、「ふん、ふん」と息を荒げています。
「お、大きいねぇ……いつ見ても、素晴らしい、お、おっぱいだね」
重みでほんの少し垂れ下がる、つりがね形をした脂肪と乳腺の固まりは、根本から薄紅色の先端まで約15センチ。
乳房を支える下着はGカップ、市販品の中では最も大きなサイズを選んでいます。
こんな大きなものをぶら下げていても、良いことなどひとつも有りません。肩こりと胸の揺れによる頭痛に悩まされ、殿方を喜ばせるだけです。
「あああ……すごい!」
……ほら。
課長は感嘆の声を上げ、壊れ物を扱うような愛撫を始めます。短い指は小刻みに震えており、力加減を間違えていないか不安に思っているのがよく分かります。
「き、きれいだ、ヨルくん、ヨルくん……」
「……ありがとうございます」
課長は、セックスの教本か何かをなぞっているようでした。褒め言葉も、手つきもそうでしょう。本当だったら嬉しいはずの言葉なのに、私には虚しく響くばかりです。
「優しくっ……ううっ……ヨルくぅん……優しくするから…………!」
優しく? 違うでしょう?
あなたのそれは優しさなんかじゃなくて、ただの弱さからくる保身でしょう?
あなたはただ、自分の性欲を満たしたいだけ。私の体を使って、自分を慰めているだけ。
「どうぞ、好きな様になさってください」
私はそう言って、体の力を抜きました。全てを受け入れるつもりで。そして早く終わらせてしまいたかったのです。
課長は満足そうに微笑んで、私の汗ばんだ胸元に手を伸ばしました。愛おしそうに撫で回しながら顔を寄せ、先端を口に含んでちゅっ、ちゅっ、ちゅう……と子供のような音を立てます。
「うう……おいしいよ、ヨルくん……すごく、エッチだよ……」
「……」
安心感でうっとりとしているような、幸福そうな、満ち足りた笑み。私の乳房に顔を埋める時、この人はいつも決まってこんな表情を浮かべるのです。
頬がひきつるのが分かります。普通、脅迫で言いなりにした女にそんな表情を浮かべてすがりつくでしょうか?
……普通。普通ってなんでしょう。
普通に出会って、普通に愛し合って、普通にするセックスは、こんな苦痛と屈辱と嫌悪にまみれたものとは思われません。
私だって女です。普通のセックスがしたい。普通の恋人同士でするような甘い愛撫で、身体中を優しく包んで欲しい。普通に笑い合いたい。恋をして、結ばれて、幸せな家庭を築きたい。
……なぜ私は、普通のセックスができないの。
涙があふれそうになって、慌てて両手で顔を隠します。課長に見られたら、凌辱の時間が長引くだけですから。
どうして泣くことさえできないのでしょう。人殺しだからでしょうか。殺めてきた悪人たちの恨みが、私を呪っているのでしょうか。汚れているから、普通の人に愛される事は永遠に無いのでしょうか。
そうかもしれません。だって、そうでなければ。何の罪もなしに、こんな目に合うなんて。あんまり、じゃないですか。
「ああ、ヨルくん、好き、好きだよ、好き……」
「……」
もう何度目の凌辱でしょうか。私の頭は麻痺していて、回数を正確に思い出すことすらできません。
ただひとつだけ言えることは、この関係がまだまだ続くだろうということです。彼が飽きるまで、もしくは死ぬまでずっと……。
もう、死んでしまいたい……。
◆◆◆
ゲルゲスがヨルを愛撫していた時、その隣の部屋。一人の男が連れの娼婦そっちのけで、二人の声に聞き耳を立てていた。
「へ、へへ、まさかゲルゲスのクズと、あのブライア君がなあ」
それは体格がよく、男性ホルモンが溢れているような、いかにもエリート風の男だった。
(続く)