「おえぇぇえっ……!」
ユーリ・ブライアは便器に顔を突っ込み、胃液と共に朝食の残骸を吐き戻していた。脳裏には、情報屋から買った資料に書かれた内容が焼き付いて離れない。
(姉さんっ……! 姉さん姉さん姉さん姉さん姉さんっ……!!)
それは姉が歓楽街に出入りしていたという情報だった。ある特定の中年男とともに、酒場の貸し部屋に入る姿が何度も目撃されたらしい。
それだけではない。情報屋は、姉が住むアパートを一晩見張ったと言う。そうして、姉が件の中年男を出迎え、腕を組んで建物内に入っていく姿をカメラに収めていたのだった。さらにその数時間後、再び二人が建物から出てくる姿も。
友人を通して寄せられた、姉が職場の上司と不倫をしているという噂話。それらを裏付ける、写真に写る親密な男女。
「ミハエル・ゲルゲスっ、楽に死ねるとおもっ、おええぇ……っ!」
姉の色っぽい顔がフラッシュバックして、ユーリは嗚咽しながら嘔吐し続けた。
◆◆◆
スキー場の冷気が、火照った顔に心地いいです。
「やあん……課長の、カチンコチン……」
「おぉっ、ほおぉ」
ズボンの上から股間をさすり、硬く張り詰めた感触に得も言われぬ興奮を覚えます。
(おっきくなってるぅ……♡)
ズボンの上から撫で回しているだけで、ビクビク震えるペニスの反応。我慢できなくなってしまい、ベルトを外してジッパーを下げました。
ズボンの中から現れたパンツは大きく盛り上がっていて、先端には小さな染み。
そこに顔を近づけ、匂いを嗅いでみました。
(すごい濃いぃ……♡)
蒸れたような男性の匂いにクラクラします。鼻先を押し付けたままスーハーしていると、さらにムクムク♡と。下着をズラせば勢いよく飛び出してきたものが頬に当たり、ヌラヌラした汁が私の肌を汚しました。
「さ、寒いよヨルくんっ」
「ええ、冬だし、ここはお外で……あは、ホカホカ湯気が出てますよ……」
青筋の浮く太い肉茎から、目が離せません。鼻先を近づけるとツンとした雄の匂いが鼻腔を満たし、脳がジンと痺れました。
(今ここでなら……いいえ、今日こそ)
私はまだ、お口でこれに奉仕をしたことがありません。だって怖かったから。もし歯が当たったりしたら、それで課長に嫌われたら……そう思うと怖くてたまらなかったんです。だから今までずっと避けていたのです、が。
(これを、食べてみたい)
口に含みたい。頬張って味を堪能したい。喉の奥まで迎え入れて思いっきり吸い付きたい……!
そんな妄想をしながら亀頭の先っちょにチュッとキスをすると、ビクビク震えて悦んでくれました。
「あっ、ヨルくんっ、そんなぁっ……!」
「んっ、ちゅっ、課長ぉ♡ あーん……♡」
私は意を決して口を開き、舌を出し……
ドサッと、樹上から雪の塊が落ちる音がしました。
「やめなさいよッッッ!!!」
「!?」
「ティーナ!?」
まさかの出来事でした。突然背後から怒声が聞こえ、それと同時に背中へ衝撃が走ったのです。どうやら誰かが突進してきたようで、そのまま押し倒されてしまいました。
「あ、あら?」
私はびっくりしていました。まさか、素人さんにマウントポジションを取られるだなんて。
地面に仰向けになった私に覆い被さるのは、マルティナさん。今、私がペニスを咥えようとしていたゲルゲス課長の娘さんで、普段は寮住まいで、反抗期で、お父さんの息が臭くて鬱陶しくて、ええと、それからそれから……。
それから、青く燃え上がるような瞳で私を睨みつけていました。まだ明るい太陽がブラウンの髪を輝かせ、まるでスポットライトを浴びているかのようで。
「なんなのよアナタはっ!」
「は、はあ……」
思わず気の抜けた声がこぼれてしまいます。うーん、雪が首筋に当たって冷たいですね。
課長は顔を真っ青にして固まってしまっていますし、一体どうしたものやら。私たちの間を行き来する彼の目は、助けを求めているようにも見えました。もう、しっかりして欲しいです。
「ティ、ティーナ、待って」
「パパは黙んなさい! それからズボン履いてっ!!」
課長を一喝したマルティナさんは、私の肩を押さえつけながら続けます。
「なんなのよって聞いてるのよ!! アナタ一体どういうつもりなのッ! うちのパパの、パパのっ、おっ、おっっ……ッ!」
「おちんちんですか?」
「バカッ!! 口に出すんじゃないわよッ!!」
どうしましょう。なんだかものすごい剣幕で、酸欠気味なのか顔を真っ赤っかにしながら叫んでいます。怒り顔は誰でも怖いものですけど、特にこの子はキリッと整った顔立ちなので、余計に迫力があるというかなんというか……
「なに余裕ブッこいてるのよ!? アナタおかしいんじゃないの!? なんで顔色も変えないのっ!? それにさっきしてたことも信じられないわ! なんであんなことしてるのよッ!?」
ああそうだ、前にテレビドラマで見たことがあります。たしかこういうのを、鬼のような形相と言うのでしたっけ?
「どうして貴方が怒るんですか?」
「はあ!?」
は?
「はあって、何がですか? マルティナさんはお父さんをいないものみたいに扱ってましたよね?」
「う……!?」
少しずつ、自分の声が上ずってきているのがわかる。
「なのにいきなり割り込んできて、一体何なんですか?」
「なによ!?」
なぜでしょう? わからないけれど、まるで心臓が耳に移動したかのように、鼓動の音がハッキリと聞こえます。血液が顔に巡って、頬がカッカと火照っていくのを感じました。きっと今、私の顔は熟れたトマトみたいに真っ赤になっていることでしょう。
一体何なんですか? 旅行に連れてきてくれたお父さんを邪険にして、勝手にどこかに行って、一人ぼっちにさせて、涙を流すほどに傷つけて。
「何様のつもりなんですか? 娘? 親子がなんなんですか? ただ血が繋がっているだけの他人じゃありませんか」
「なっ……!」
一瞬目を丸くした後、マルティナさんの眉がつり上がります。そして私を睨みながら歯を食いしばり、拳を握り込み始めました。
「ティーナ、止めなさい! その人に手をあげちゃ駄目だ……!」
「黙っててって言ってるでしょッ!!」
彼女が手を振り上げます。そんな事をすれば当然、私の上半身がフリーになるわけで。
右手で、彼女を突き飛ばしました。
「────っ!?!?」
誓って言います。手加減はしました。それでもマルティナさんはポーンと宙を舞い、頭から雪の中に突っ込んでいきます。
「ティーナッッ!!!」
衝突の寸前で、飛びついた課長によって受け止められました。衝撃で雪が飛び散り、白い煙のように辺りに漂っています。
「う、ううっ」
彼は雪の上にひっくり返りながらも、ぐったりしたマルティナさんを抱きとめていました。
「課長、……どうして」
「かっ、家族だからだよ」
「あんなに冷たくされて、それでも家族なんですか?」
「ぼ、僕が家族って言ったら家族なんだ」
「……ただ血が繋がっているだけじゃないですかっ」
「ティーナは僕の宝だ、宝物なんだよっ。君が言ったことは間違ってないけど、でも、でも僕はこの子の父親でありたいんだ……」
よろよろと起き上がった課長は、雪の上に額を擦りつけるようにして頭を下げました。
「娘が迷惑をかけたね。この通り謝るよ、申し訳ない……」
「…………!!!」
私は、マルティナさんを強く睨みつけました。彼の宝とやらは、父親にすがりついて小さく縮こまっていて、それでいてこちらを見る瞳は敵意に満ち満ちていて……ああ。ああ、そうですか。今分かりました。ようく分かりました。
この娘は自分が愛されることを当然だと思ってるんだ。父親に好きって伝えなくてもいいと思っているんだ。……なぁんだ、難しく考えること無いじゃないですか。
「ごめんなさい課長、マルティナさん。私こそ乱暴してしまって、本当にすみませんでした」
私は、二人を視界にしっかりと収めて笑顔を作りました。後ろに回した手は、ワナワナと震えていますけど。
「バーリントに帰ります。課長? また私の部屋に来てくださいね」
ちろりと舌を出します。
「私、いろいろ準備してお待ちしていますから。気持ちいい事、たくさんしましょうね♡」
誘惑するように唇を濡らしてからウインクをしてみせれば、課長の顔はみるみる真っ赤に染まりました。
「パパッ!!」
「ご、ごめん」
踵を返す私の背中に、憎悪の視線が突き刺さります。
(ふふん)
さあ、善は急げです。肥満体の奥様や幼稚な娘さんには真似のできないエロティックなおもてなしで、課長を虜にしなくては。
冷たくて寒いゴカテイになんか、帰りたくないって思わせてみせますとも。
◆◆◆
その翌日、まだお日様が空の高いところにある時間に、私はアパートでウンウン唸っていました。
「ど、どれがいいんでしょう……?!」
ベッドの上に広げたのは、歓楽街の服屋で買い込んだいかがわしい衣装の数々。娼館ご用達の品なので、とても露出度の高いものばかりです。
私はその中から一つ、下着を手に取りました。毒々しい紫のランジェリーで、ブラのフロント部分は細い紐のみ、というか網目状になっているんです。ショーツも同様、下着というより、おっぱいやお尻のラッピングといったほうが正確かもしれません。
「これを着けて、課長の前に……い、いやいや……」
次は、ちょっとはマシそうな黒のミニスカート。ああダメ、いけません……下着が見えてしまいそうなギリギリの長さで、ちょっと屈めばお尻まで見えてしまいそうです!
「こ、これが給仕の服!? こんな格好で働くだなんて信じられません!」
ウサギをモチーフにしたヘアバンドとレオタード、あと燕尾服風のジャケット。ウサギは1年を通して発情期だから、というコンセプトらしいです。なんだかすごくエッチです!
「す、透け透けです! こんなに肌が見えていいんですか!?」
薄いピンクのネグリジェ、着心地は悪くないですけれど身体のラインが丸わかりです! こんなの着て眠れるわけがありませんっ、襲ってくださいと言っているようなもの……ま、まあ課長相手なら襲われても……♡ ……ではなくてっ!!
「にゃ、にゃおーん……?」
キャットスーツ……猫耳と尻尾はいいとして、乳頭とワレメのところがパックリと割れているなんて恥ずかしすぎます!! こんなものを着て、にゃおんにゃおんと鳴くだなんて恥ずかしくて死んでしまいそう……! これはさすがに却下ですね……
あ、こちらはどうでしょう? 可愛らしいフリフリのついたエプロンドレス。ベース色は黒で大人っぽく、丈も長く太ももの中ほどくらいまでは覆ってくれそうですね。これならなんとか耐えられそう……
「ご主人さまぁっ♡ ご飯ですか? お風呂ですか? それともエッチなヨルをお召し上がりになりますか~?」
ダメです! これも恥ずかしいやつでした!
結局、何を着ても恥ずかしくなりそうで決めかねてしまいます。困ったことになりました……
「それにメイク、髪型、香水、会話術、……あとお料理も練習しなきゃですよね……」
ちょっと甘く見ていたかもしれません。私には足りないものが多すぎます。少しばかり若いとかセックスできるとか、それだけでは女として不完全だと聞きました。……とにかく、やれることを全部やって、課長を振り向かせなければ。
ジリリリリッ!!
「ひゃっ!?」
突然鳴り出した電話に飛び上がってしまいました。受話器を取って、深呼吸してから応対します。
「はい、ブライアです」
『姉さん。元気?』
「ああ、ユーリ!」
それは離れて暮らす弟の声でした。戦争で親を失った私たち姉弟は、たった二人の大切な家族。でも、
「どうしたのユーリ? なんだか元気がないみたい。声もガラガラだし、風邪ひいちゃったのかな? 大丈夫? ちゃんとごはん食べてる?」
『うん……』
弟の声は沈んでいて、心配になってしまいます。だってそうでしょう? たった一人の弟が落ち込んでいるのなら、励ましてあげたいと思うのは当然のことですもの!
「どうしたの? 悪いものでも食べたのかしら?」
『……姉さん、そろそろ結婚とかどうなの。いい人いないの?』
「…………………………えっ」
唐突な話題転換に思考停止してしまい、思わず固まってしまいます。
『今の僕があるのは姉さんのお陰だから、感謝してるんだ。姉さんには、ううっ、幸せに、幸せになってほしいんだよっ!』
「ちょ、ちょっと待ってユーリ!? どうしていきなりそんな話になるの!?」
『どうもこうもないよ! なんであんな中年オヤジとっ!』
───────バレた。
ゲルゲス課長との関係が、どうしてユーリに。
「な、な、なんっ、なんのことかしらっ!?」
声が裏返ってしまう。いけないと思っていても動揺してしまう私。
『誤魔化さないでよ姉さん! 僕は聞いたんだ! 市役所の友達から! 上司と不倫してるって! 歓楽街で男と腕組んで歩いてたって!!』
「あっ」
そう言えばありましたねそんなこと。あの頃は嫌々でしたけど。
「ち、違うのよユーリ。ほら、ええと、この世には似ている人が三人はいるってよく言うでしょう?」
『知らないよそんなの!!』
「あ、あのねユーリ、ええと、その、そう、あの人はその、パパみたいな人で……」
『はぁ?』
私の説明を聞いているうちに、だんだんとトーンダウンしていく声。
『……つまり仕事上の付き合いで、食事したりプレゼントされたりしたってこと?』
「そ、そうなのよ!」
私は心の中でホッと一息つきました。とりあえず難を逃れ
『そんなわけあるかぁあぁぁあぁぁああ!!!』
てませんでした! むしろ逆効果だったようです! 弟がこんなに声を荒げるところを初めて知りました!
『もう許せない! 姉さんに嘘をつかせるなんて、あのオヤジぶっ殺してやるぅッ!』
ブツッ! ツーッ、ツーッ……
「ひっ」
切れた電話を前に、恐怖に震えあがります。ああ、どうしようどうしましょう?! ユーリはいい子ですけど、万が一課長に危害を加えてしまったら!! でも私がいくら弁解しても聞いてくれそうにないし……!?!?!?
ピンポーン♪
(今度は誰えぇっ!?)
再び鳴るチャイム。急いで玄関に駆け寄り、ドアスコープを覗き込みます。そこには、
「え、課長!?」
昨日スキー場で別れたばかりの課長が、花束を持って立っていました。
(ど、どど、どうしてこんな早くここに?!)
私は行きと同じに無賃乗車で帰ってきたのですが、ちゃんとチケットを取るにはそれなりに時間が必要なはずです。まさか、すぐに私を追いかけてきてくれたのでしょうか?
「あ、あ、あ」
胸の奥から湧き上がってくる感情が言葉にならず、私はぱくぱくと口を開閉させてしまいます。ああもう、嬉しいやら困るやらでどうしたらいいのか分かりません!! おもてなしの準備なんかまだ何も……そうだ!
「ヨルくん? 昨日のお詫びに……できたらドアを……」
「はい、はい、只今! でもちょっと待っててください!!」
飛びつくようにしてクローゼットを開け、唯一のよそ行きを着込みます。それから髪を手で整え、鏡に向かって化粧を施しました。よしっ! 完璧です!
勢いよくドアを開けた瞬間、課長がたじろぎました。
「ヨルくん、その格好……こ、殺しのときの……」
まるでお化けにでも会ったかのような反応です。失礼な話ですね。私ですよ私。あなたが愛して止まない不倫相手のヨル・ブライアです!
「えへん、えへん。いらっしゃいませ、お客様」
いつも着るリトルブラックドレスに、サイハイブーツ。スカートの裾を両手で摘み上げ、軽く膝を曲げて挨拶します。角度的に胸の谷間が見えるようにするのも忘れません。
「本日は、〈いばら姫〉がお相手させていただきます♡」
上目遣いで小首を傾げてみせれば、ゴクリと喉を鳴らす音がしました。
(続く)