誤字脱字ありましたらご了承下さい。
遅筆だと思いますが頑張って書きます。ご容赦下さい。
プロローグ
今日は国民栄誉賞授与式の日。
柔は迎えに来た黒いリムジンから降りて、授与式会場前にいるたくさんのマスコミ陣を見渡しながら、自身の想い人である日刊エブリーの記者の松田耕作の姿を探した。
でも、いくら見渡しても彼の姿が見えない。
(松田さん、まだ来てない…)
柔は途端に不安に襲われる。バルセロナオリンピック以降、全く彼に会えていない為、ここで絶対会えると思っていたからだ。
そんな時、柔ちゃーん!と自分を呼ぶ声がしてそちらを振り向くと、かつての恋敵だった邦子が自分に向かって必死に叫んでいて、そこで柔
は衝撃の事実を知った。
「耕作、仕事でアメリカ行っちゃうのよ!もう今度は会えなくなっちゃうんだからー!今成田に向かってるのよ!」
柔はもうそれ以降、授与式どころではなくなってしまった。ただ悲しみが胸の中に広がり、涙を堪えるだけで精一杯だった。
授与式に招待されていた柔の親友の花園夫妻も、元気の無い彼女をどうする事も出来ず、ただただ心配そうに見守っていた。
そして、いよいよ柔に国民栄誉賞が授与されようという時、それは起きた。
柔の目の前に突然、一人の男が飛び出して来たのだ。
それは、彼を見つけてつい嬉しくなってしまった邦子から背中を突き飛ばされた松田耕作本人だった。
柔は驚いて、少しの間思考が停止し、耕作と見つめ合ってしまった。
(…ま、松田さん?何で彼がここにいるの?今、成田に向かっているはずじゃ…)
不思議に思いながらも、柔の顔に喜びが広がっていく。
「…や、やあ…」
耕作が、少し赤い顔をしながら柔に挨拶をする。
「松田さん…」
会いたかった人が、今自分の目の前にいる。本来なら、アメリカに行く為に成田空港に向かっているはずの人。
ならば何故彼がここにいるのか。柔にはもう、それは自分に会う為に戻って来てくれたのではないかと思わずにいられなかった。
バルセロナオリンピックの時、あの雨の夜に邦子から言われた言葉が、柔に期待感を持たせていた。
赤い顔をして何かを言い淀んでいる様な彼の様子に、もしかしたら告白してくれるかも?と思い、耕作の言葉を柔は待っていたが、彼が発したのは、成田に行かなくちゃならないというもので、柔は少しガッカリしてしまった。
しかも、彼本人からアメリカ行きを突きつけられて、思わず泣きそうになる。
そんな中、風祭がその様子を悔しそうに歯噛みしながら見つめていたが、さやかの彼を捕まえなくて良いのかという言葉に我に返り、耕作を暴漢扱いする様に叫んだ。
すると、前々から耕作の猪熊柔に関するスタンドプレーに腹を立てていた記者連中が耕作に群がり、会場は大騒動に発展した。
「松田さん!」
柔はすかさず動き、もみくちゃにされている耕作に手を伸ばして彼を救出した。
「飛行機、何時発ですか?」
柔にとっては、授与式もその騒動もどうでも良かった。ただ、目の前にいる好きな人のアメリカ行きだけが心を支配していた。
もう柔は彼と一緒に成田に行く事を決めていた。
「あ、ああ。14時発」
柔はそれを聞くと、腕時計で時間を確認した。もうそんなに猶予は無い。
「大変!急がないと!」
二人は手を取り合い、騒ぎに乗じて会場を逃げ出し、鴨田の待つ車へ一目散に走って行った。
二人が車に乗り込むと、鴨田は車を急発進させた。
「えらい事しちまった!国民栄誉賞の晴れの舞台をメチャクチャにしちまった!」
ハァハァと息を切らしながら、耕作が少し青い顔をして言った。
柔はそんな彼を横目でチラッと見ると、彼を安心させたい一心で言った。
「大丈夫…きっと大丈夫だと思います」
「…へ?」
「おじいちゃんがいるから」
柔のその言葉を聞いて、耕作もなるほどと納得して、とりあえず今は授与式の事は考えない事にした。
確かに滋悟郎なら、あの騒ぎでも簡単に治めて、自分の色に染めあげ
てしまうだろう。
今はとにかく自分は成田空港に行かなくてはならないので 授与式の事は滋悟郎に任せる事にした。
それからは3人で他愛の無い話しをしながら時間が過ぎ、1時間弱で成田空港に着き、柔だけが耕作に一緒に着いて行き、旅行会社に勤めている事を活かしてササッと搭乗手続きを手伝って終わらせ、チケットと荷物の半券を耕作に手渡す。
「はい!これが搭乗券と預けたスーツケースの半券」
「ありがとう!さすが旅行会社勤務だ。素早いや!」
「そんな事より早く32番ゲートです」
「…お、おう。それじゃあ!」
柔は自分の前から立ち去ろうとするその背中を、寂しそうに見つめた。
彼がいなくなってしまう前に自分の気持ちを伝えたいのに、内気な心がそれを邪魔する。
『もう!いい加減にちゃんとしなさいよ!耕作もあなたも、二人とも好きならちゃんとしなさいよっ!』
バルセロナのあの雨の夜の、邦子が言った言葉が本当なら、彼も自分の事を好きでいてくれているはず…。
そう分かっていても、気持ちを伝える事が出来ない自分が柔はもどかしかった。
ただ、今は涙を堪えるだけで精一杯だった。
「柔さん!」
「はい!」
彼が立ち止まり振り向きながら自分を呼んだ事に少し驚きながらも、柔は返事をした。
「俺、絶対取材に行くからさ、柔さんも4年後、オリンピック行くよな!」
「はい!」
「絶対だぞ!」
「絶対に!」
耕作が柔に向かってピースをしながら、エスカレーターを下りていく。
柔も微笑みながら彼に向かってピースを返した。
そして彼の姿が見えなくなると、柔は耐え切れずに涙を流し、嗚咽を繰り返した。
(松田さん…行っちゃった。好きって言いたかったのに何で言えないんだろう…もう松田さんが帰国するまで会えないのかな…)
そんなのは柔は嫌だと思った。
自分には彼が必要な存在だという事は、もう十分に理解している。
柔道の試合の時、彼が記者席にいないと、自分でもどうしようも無い
不安に襲われ、不調に陥ってしまうからだ。
松田耕作という男は、今や柔の精神的支柱であり、かけがえの無い人なのだ。
そう考えながらひたすらに泣くしかなかった柔の耳に、エスカレーターを駆け上がる足音と、息を切らした男の声が飛び込んで来る。
それは紛れもなく、大好きなあの人の声だった。
柔は顔を上げ、エスカレーターを見つめていると、彼が下りのエスカレーターを駆け上がって来て、最後はジャンプで、着地した。
ハァハァと大きく呼吸し、息を整えている様だった。
柔は何事?と思いながら彼の言葉を少し期待しながら待った。
「俺…俺…君が好きだ!」
柔ははっきりと彼の告白の言葉を捉えた。
普通の恋をする事にずっと憧れていた柔は、なかなかその夢を叶える事が出来なかった。
いつの頃からか、自分は耕作の事を好きになっていた。だけど、恋敵の存在や耕作自身による“猪熊柔は取材対象’’発言等で、自分はどうしても素直になれず、耕作に対する恋心を認められなかった。
かなり遠回りしてしまったけれど、今ならばもう大丈夫だ。
「あたしも…」
自然に体が動き、柔は彼に向かって駆け出す。耕作の方も柔とほぼ同時に駆け寄って来たので、柔はその胸に何の迷いも無く飛び込んだ。
「…ずっと好きだった!」
柔も、ずっと心に秘めていた真実の想いをやっと本人に打ち明ける事が出来、何だか清々しい気持ちになった。
そして、大好きな人と想いを通わせ、抱きしめられる事がこんなにも幸せで満たされる事なのだと初めて知った。
柔も自分の腕を彼の背に回し、その体の逞しさや温もりを自身に刻み込んだ。
でも、その幸せな時間は長くは続けられない。
耕作はもう、飛行機に乗らなければならないからだ。
二人は名残惜しい気持ちの中、お互いを抱きしめていた腕を緩めた。
「向こうに着いたら、必ずお手紙くださいね。あたしも必ずお手紙書きますから!あと、電話しても良い時間も教えてください。…あたし…あたし部屋に電話を引きます!」
「ああ、必ず手紙出すよ!…柔さん、ごめんな?いきなり遠距離になっちまって…」
「仕方ないですよ。アメリカでのお仕事頑張ってください!あたし、応援してますから!それに…あたしアメリカに必ず会いに行きますから、待っててくださいね!」
「分かった。楽しみに待ってるよ。それじゃあ今度こそ行って来るよ。俺、向こうで頑張るな!」
「はい!行ってらっしゃい!あたしも頑張ります!」
柔は、これからアメリカで頑張る彼を心配させたくなくて、精一杯の笑顔で送り出した。
耕作は先程逆流した下りのエスカレーターを急いで駆け降りて行った。
彼の姿が見えなくなると、途端に淋しくてたまらなくなる。次にいつ会えるのかは分からない。
柔は、節約などを頑張って早くお金を貯めて、少しでも早く彼に会いに行こうと固く心に誓うのであった。
耕作はエスカレーターを柔に向かってVサインを出しながら下っていく。
たった今柔と4年後のオリンピック出場の約束を交わしたが、自分が本当に柔に言いたかったのは、そんな事じゃない。
自分は何の為にわざわざ戻って首相官邸に行ったのか、このままじゃ分からないじゃないか…。
(俺は…俺は…)
そうだ!チャンスはもう今しか無い。
このままアメリカに行ってしまったら絶対後悔する。この気持ちにけじめをつけなければ…!
そう決意すると、耕作は踵を返して下りのエスカレーターを逆走して駆け上がる。
何とかエスカレーターを上り切り、柔の方を見ると、彼女はポカンと口を開けて、驚いた表情をしていた。
耕作は息を整えて、6年間ずっと心に秘めていた言葉を遂に口にする。
「…俺…俺…君が好きだ!」
その瞬間、柔が息を飲み、その瞳が潤んだのが分かった。
柔が自分に向かって駆け寄って来る。耕作の体も自然に柔に向かって動いた。
「…あたしも…」
柔が胸に飛び込んで来て、耕作はしっかりと柔を抱き止める。
「ずっと好きだった!」
耕作に、その柔の言葉がはっきりと聞こえ、耕作を幸せで満たしていく。
一瞬、飛行機に乗らなければならない事を忘れ、耕作は夢中で柔を抱きしめていた。
束の間の抱擁を終え、二人は言葉と約束を交わすと、再び離れた。
耕作は急いで飛行機に乗り込み、自分の席に着席すると、やっと一息ついた。
そして、つい先程の出来事を思い出し、思わず顔がニヤケそうになる。
(いかんいかん。こんな顔誰かに見られたら恥ずかし過ぎるぞ…でも、柔さんが俺の事好きだって…柔さん、華奢だったなぁ…あんな細いのに、自分よりも大きい奴ぶん投げちまうんだから、本当にすげぇよな…そんでもって今日から俺の…俺の…か、彼女かぁ…!嬉し過ぎんだろ、そんなの!6年も片想いしてた甲斐があったなぁ…戻って勇気出して本当に良かったぜ!…よし!アメリカでの仕事、本気で頑張るぞ! )
耕作は、緩みそうになる口元を必死で手で隠しながら、決意を新たにし、心地よい疲労感の中で眠りに就いた。