「ボス、そろそろ、立ち直ってください」
返事の代わりに男はじろりと睨みつけてきたが、女は気にする様子もなく、仕方ないじゃないですかと男に声をかけた。
「ほら、新しい彼女でも、いつもみたいに」
「彼女は全てだったんだ、結婚して、これから二人で人生を」
今、自分は聞き慣れない言葉を聞いてしまったといわんばかりに女は内心驚いた。
吹き出してしまうより腹の皮がよじれてしまいだ、大笑いしたくなるが、それをぐっと我慢した。
「彼女もボスのこと好きだって言ってくれたんですから、よしとしましょうよ」
「何もできなかった、私は彼女に何もしてやれなかった」
「仕方ないですよ、人間、死んだら終わりなんですから、金だけは腐るほどあるんですから、それで何か楽しみを見つければいいじゃないですか、新しい恋人を」
「私の恋人は彼女、春雨だけだ」
その言葉に女は脱力した、今まで何人も女を作ってきたくせに、飽きたらすぐに別れて、なのに、一体どこが良かったのか。
彼女とはセックスだってできなかったのに、これが恋、愛の力というものなのだろうか。
「娘にお会いになっては」
その言葉に男は不思議そうな顔で女を見た。
初めて聞いたぞ、何故、報告しないと男は椅子から立ち上がった。
「周りも知らなかったみたいです、怪我をして」
「何故、それを言わないんだ、私の娘だ」
「それはないです、100パーセント、あり得ません、それに実の娘かもわからないですよ」
「関係ない、日本へ行く、支度をしろ」
「冷静になってください、他人同然です、彼女にしてみれば外国人のおっさんが会いに来たら、びっくりです、なんて説明するんです」
「パパだ、と、」
「他人ですよ、それに仕事はどうするんです、日本に行けば騒ぎになりますよ」
「私は犯罪者か」
似たようなものですよと女は言った、若い頃に役者として数年、だが、人気が出たときに薬物、犯罪者の集まるパーティーに顔を出して問題になった挙げ句、刑務所暮らしだ。
今でこそ、経営者として役者の養成所、慈善事業に支援して、普通の人という立ち位置を獲得した、だが周りの人間が、それを好意的に捉えて理解し、迎え入れてくれたわけではない。
「日本人は真面目ですからね、あなたの経歴を知ったら、そんな人が父親だと知ったら悲観して非行に走るか、自殺するかもしれませんね」
その言葉に男は、まさかといいたげな顔になったが、次の瞬間には不安そうに女に尋ねた。
「一目だけでもいい会いたいんだ、私は品行方正、真面目で自慢できる人間ではないが、一時の夢を見る事も許されないのか」
まともな普通の人間が言えば、それなりに心打たれるのだが、上司の悪行を知っているだけに素直にそうですかとはいえないし、頷くこともできない。
だが、彼女に対する思いだけは本物なのだろうと女は思った。
亡くなったとき抜け殻のようになっていた男、だがそんな彼を救ったのも彼女なのだ。
ホリデー、誕生日、クリスマス、イベント事に届く手紙に何が書かれていたのか、女は知らない、だが、半年一年と経つうちに男は変わっていった。
そして最後に届いたという手紙を見せられたが、それは解読もできないほど震えた文字だった。
だが、自分に向けて書かれた、それだけで男には宝物だったのだ。 医者の話によると、あの状態ではペンを握ること、書くことも、いや、生きていることさえも奇跡で、もはや薬を投薬したところで痛みを緩和させることは無理だったのではという言葉を聞いて男は頷いただけだった。
泣いたら彼女が自分のことを嫌いになるといいうのだ。
「いい歳して、夢を見たいですか、ボス」
「なんだ、その言い方は」
ほら、同情しようとしても、そうさせない、本当に呆れた人だと思いながら女はふうっと溜息をついた。
「ボディガードをつけて、外国の貴族、要人というのはどうでしょう、動物愛護や慈善事業などに資金を出している大金持ちという人物という設定では」
「お、おい」
「会いたいんでしょう、ですが、用心の為、付き合っている女は完全に切ってくださいね」
「そんな女は」
「知らないと思っているんですか」
その言葉に男は小声で呟いた、謝罪の言葉に仕方ないと思い、それ以上、追求することはしなかった。
「それと、変装をしてください、何があるかわかりませんからね」
流石だ、君は優秀な秘書だと言われて、その台詞は何度目だろうと思いながら女は予定確認の為にスマホを取り出した。
「池上さん」
声をかけられて振り返ると自分に近づいてくる相手に沢木君と池上は呼びかけた。
「どうしたんだい、こんなところで、もしかして仕事かい」
頷いた男は少しいいですかと頭を下げた。
「彼女、桜さん、バイトを始めたって知っていましたか」
「バイト、いや、初めて聞くが」
「居酒屋です、実は昨日、偶然入った店で彼女が接客していたのを見て驚いて」
「そうなのか、良いことじゃ」
だが、相手の顔を見て言葉を飲みこんだ。
「珈琲でも飲むかい、そこの自販機だけど」
頷く相手に、最近は自販機の珈琲もなかなかだよと言葉を続けた。
「居酒屋だと、結構、大変じゃないのかい」
「ええ、仕事は頑張っているみたいです、ただ」
なんだいと言いかけて話しを聞く池上だが、その顔は少しずつ、困惑した表情に変わっていった。
「絡まれる、客にかい」
従業員の男性人もです、その言葉に池上は驚いた顔になった。
見学に来てと言われたとき彼女が驚いたのは無理もない。
バイト先の居酒屋に客として来る若い女性と親しくなり仕事場の収録に来てと言われたのだ。
テレビ局、収録と聞いて驚いたのも無理はない、そういうところは一般人の出入りも厳しいのではと思ったからだ。
自分は普通のテレビに出ている女優、アイドルではない、自宅で動画を撮り、動画を配信しているだけなのだ。
今回、動画配信、オタクと呼ばれる人の特集なのだという。
「人前に出るのって苦手で、家族も恥ずかしから見学は遠慮して来ないし、友達も、だから、ハルさんが来てくれたら嬉しいなって、やっぱり駄目だよね」
動画の中では派手なメイクと衣装なのに、こんな弱気な態度と言葉を聞くと迷いながら、彼女は頷いた。
以前、書いた者を書き直ししています。