「あぁ、夕陽が綺麗だなぁ」
海岸線から見える夕陽を見て、俺はひとりつぶやく。これが末期の目だとでもいうのだろうか、どうせさよならするなら、綺麗なものを見て死のうと思うから、こんなに綺麗に見えるのだろうか。
心地よい潮風、キラキラと赤に輝く夕陽。そして、一歩踏み出せばすぐそこにある、青い海。しかし、死ぬと決めても、俺はまだ、一歩踏み出すことができないでいた。
「お前達を連れて行くかどうか、だよなぁ」
右手に持った数枚のカードを広げて、呼びかける。そのカード達には、「ティアラメンツ」という共通の名前が与えられている。ティアラメンツ・シェアレーン。ティアラメンツ・ハゥフニス。ティアラメンツ・キトカロス。ティアラメンツ・ルルカロス。そして
「ティアラメンツ・メイルゥ。お前に一目惚れして、カードショップを歩き回った」
クリクリとした抹茶色の目、容易に抱き抱えることのできそうな小さい体躯。人魚とはまた違うヒレのような脚部。そのどれもが俺の心を掴んで離さなかった。お小遣いをもらってすぐ、ストレージを買い漁り、デッキレシピを探した。イシズは知らん。
「お前達は、一緒に来てくれるか?」
俺はそうカードに問いかける。ちなみにカレイドハートはお留守番だ。野郎は好みじゃない。
「……」
問いかけても帰ってはこない。当然だ。所詮は紙。言語を介せるわけがない。
「ごめん、連れてくよ」
離せないのだ、これだけは。カードは俺の青春の一部だ。無論それが全てではないが、俺の生の三割ほどは遊戯王が占めているだろう。友達とずっとやっていたかったし、見知らぬ人に話しかけて対戦したりもした。リンクが出てやる人が消えたから、大会に出向いて色んな人と戦った。一度、受験を境に辞めてしまったけど、メイルゥを見てから、また、遊戯王をやりたいと思った。
自分勝手だけど、死ぬならこいつらと一緒が良い。
大きく息を吸い込んで、吸い込んだ以上に息を吐く。よし、覚悟はできた。
地面を蹴って、俺は真っ逆さまに海面へ向かって落ちる。しかし、数秒後来るはずの衝撃も、肌にまとわりつく塩水の不快感も、やってこない。それどころか、落ちてすらいない、けれど、地面についてすらもいない。風を感じる、潮の匂いがする。けれど、何にも触れていない。
目を開ける。空が見える。首を動かして下を見る。不気味なほど青い海面が広がっている。ただし、海面以外なにも見えない。踏み切ったはずの崖がどこにもない。それを認識すると、急に重力に引っ張られ、海面へと落ちる。この状況を理解できずにいる今、海へ落ちる、ということに俺が対応できるはずもなく、大量の海水を、肺へと招き入れてしまった。
(やばい、死ぬ!苦しい!)
もがいてもがいて、海面へ浮上しようとしても、服が海水を吸って重くなり、べっとりと肌に吸い付いて、呼吸はたどり着くことはできない。
(あぁ、死ぬんだ、俺)
とっくのとうに死ぬ覚悟はできてたと思ってたのに、今更死ぬのが怖くなった。しかし、自覚するのが遅すぎた。目を開けても、光が見えない。あんなに青かったはずの海の、色のかけらも見えない。溢れるはずのない涙が、頬を伝うのが分かった。死ぬということがどういうことなのか、今はっきりと理解できた。暗く冷たい、熱の一切がない、寂しいものだったんだ。思い出すのは、懐に入れたカードたち。一人で死ぬのは嫌だからと、無理やり連れてきたカード達。
(ごめん、俺のわがままに巻き込んで)
心の中で、深く深く謝罪する。許すとか、許されないとか、そんな概念が入る余地があるのかすらわからないけれど、謝らないといけない気がした。
意識が混濁する。どこか冷ややかに、死がもうすぐそこまで来ていることを確信する。どこまでも沈んでいくなか、海面に向かって手を伸ばす。
そっと、誰かに手を握られた気がした。
潮の香りがする。どこまでも落ちている感覚がなく、代わりに後頭部に何か柔らかいものの感触がある、確かめてみたい気持ちもあるが、目を開けるのがとても怖かった。自分は死んでしまったのかもしれないと思って、目を開けてしまったら、そこには死後の世界が広がっている気がした。
おそるおそる、後頭部へと手を這わすと、「きゃっ」という可愛らしい悲鳴があがり、反射的に目をあける。そこにあるのは、見覚えがあるはずの顔だった。薄い黄色目の少女と目が合う。視界の上から宙吊りになっている頭の頂点には、小さなティアラが乗せられており、白に近い灰色のショートの髪と共に、透明な水色のベールが垂れてきている。
目の前の人物が、鮮明な記憶に重なる。これは夢だろうか、しかしこれが夢であるならば、後頭部に感じる感触も、鼻をくすぐる潮の匂いも、感じないはずだ。
数秒、少女と見つめ合っていると、少女は遠くの方へ呼びかけた。
「シェイレーン、ハゥフニスー!起きたよー!起きたー!」
少女が叫んだ名前を聞いて、俺はバネのように飛び起きた。くるりと回って、改めて少女を見つめる。
少女は座ったまま、期待と喜びが半々に混じった眼で、俺を見つめている。そして先ほど少女が呼んだ名前、その名前が指す人物が俺の想像通りなら、彼女は……
「メイルゥ……?」
おそるおそる、少女の名前を口に出す。俺の声を聞いた少女は、勢いよく、俺の胸に飛び込んできた。
「マスター!」
少女の勢いに耐えられず、俺はそのまま後ろに倒れ込む。その時ちょうど、ちゃぷん、と水音が聞こえた。
そちらの方に目をやると、先ほど想像した通りの、二人の顔があった。
「ようやく起きたんですね。マスター、待ちわびましたよ」
長い銀髪の少女が喋る。その少女の片目は隠れており、ベールはついていなかった。
「初めまして、でいいかしら。こうして話すのは初めてだし」
と、ツインテールの少女が言う。
「そうだね、初めまして!マスター」
俺に倒れこんだまま、少女は言う。未だ、状況を飲み込めていない。
「ところでメイルゥ……早く退いたら。マスターが混乱してる……」
長い銀髪の少女はそう言って、メイルゥに退けるよう促した。
「そうだね、ハゥフニス。まだ、何も説明してないもんね」
メイルゥは俺からどけると、二人がいる方へ歩いて行き、そのまま水に飛び込んだ。飛沫が高く舞い、音を立てて落ちた。飛沫を浴びた二人は顔を顰める。俺は体を起こし、三人の方を見て座りなおす。
「じゃあ、知ってると思うけど自己紹介! 私が、ティアラメンツ・メイルゥ!」
俺に抱きついてきた少女はが名乗る。
「私が……ティアラメンツ・ハゥフニス」
銀髪の少女が名乗る。
「私がティアラ・シェイレーン。これからよろしくね、マスター」
ツインテールの少女が名乗る。
メイルゥ。ハゥフニス。シェイレーン。目の前に並んでいるのは、確かに俺と一緒に海に沈むはずのカード達の名前だった。