絶望のワルツ
「はぁ……っ!はぁ……ッ!これは、少しまずいわね……」
第七特異点ウルク、つい先程までは繁栄を誇っていた大都市は、ティアマト神の泥の浸食によりそのほとんどが崩壊し、今やこの中心地……ウルクにある大通りしか残っていない。
そんな絶望的な状況の中で孤軍奮闘しているのは、人類最後のマスター藤丸立香とそのサーヴァントであるメルトリリス。
彼女達の周りは、四本脚で歩行する化物”ラフム”によって完全に包囲されており、アリ一匹逃げる隙間もない。
「どうしよう……メルト、このままじゃ……」
「弱気になっては駄目よ、マスター。ここを切り抜けて、マシュのところに戻るんでしょ……?」
顔を俯かせる立香を励まし、精一杯の笑みを浮かべてみせたメルトリリスであったが、そんな彼女の表情の端々には焦りが見えた。
「(ラフムに囲まれ、援軍も見込めず、私の魔力も心許無い……まったく、考える限り最悪な状況ね……)」
額に汗を浮かべ、冷静に状況を整理していくが、考えれば考える程に絶望してしまいそうになる盤面だ。
このままラフムの攻撃を凌いで膠着状態に持っていったとしても、いずれは泥によって立香共々詰まされる。
かと言って、数百体ものラフムを一掃できる魔力も残っていない。
「(どうすればいいの……どうすれば、切り抜けられる……っ!?)」
必死に頭を働かせ、打開策を練るメルトリリスだったが、その時間を悠長に与えてくれる程ラフムは優しくはない。
「b\rb\r!」
「qkde!qkde!」
ラフム語なるものを発し、ラフム達の群れから数体のラフムが、獲物を仕留めんとメルトリリス達に襲い掛かってきた。
――考えさせてもくれないのね……
忌々しい化物に舌打ちをし、メルトリリスは立香を守る為、すかさずラフム達を迎え撃つ。
「b\rp@y2@b\r!!」
「6j5d@7j!!」
「ちっ……ッ!」
四本の脚を器用に使い、目の前に立つ旧人類を排除しようと迫る二体のラフム。
その脚は人間ならば簡単に引き裂ける程の鋭さを誇っており、サーヴァントであるメルトリリスと言えども、ラフムに一撃でも喰らわされれば致命傷は避けられない。
だが、そんな相手でも、メルトリリスは怯むことなく冷静に対処していく。
「d<!d<!」
「甘い……ッ!」
ラフムが鋭い脚を振り下ろそうとした一瞬の隙を突き、メルトリリスは自身の持つ鉄の脚でラフムの身体を両断する。
――まず、一体……!
続いて迫るもう一体のラフムに目を向けると、そのラフムに向かっては挨拶代わりの蹴りを見舞わせた。
「g@73333333333333!!」
メルトリリスの蹴りによりラフムの群れの中に吹き飛ばされたそのラフムは、少し痙攣した後にピクリとも動かなくなってしまった。
簡単に仕留められると高を括っていたであろう周囲を包囲しているラフム達からは、若干の怯えや動揺が伝わってくる。
しかし、恐れられている当のメルトリリスに余裕は一切ない。
「ふぅ……中々、歯応えあるじゃない……」
鮮やかにラフムを撃破したかに思われたメルトリリスだが、その顔はどこか青ざめており、息も切らしている。
ラフムを倒せば好転するかに思われた現状だが、実際はラフムと交戦すればする程魔力を消費していき、逆にメルトリリスがじりじりと追い詰められている状況だ。
そもそも厄介な事に、ラフム達は烏合の衆の集まりというわけではなく、ラフム達一体一体はサーヴァントに迫る戦闘力を保持している。
だからこそ、油断はできない。
「6j54x@e!b\r!!」
「f7hb\r!」
「b\r!b\r!」
怯んだはずのラフム達の群れの中から、次々とメルトリリスに向かって突進してくる三体のラフム。
だが、今度はメルトリリスだけを狙っているわけではなく、同時に立香も狙っているようで、二体のラフムは完全に立香を標的にしている。
「(ちっ……ッ!卑怯な事を……ッ!!)」
隣に立つ立香を庇うようにして前に立ち、すぐさまメルトリリスは迫り来るラフムの脚を自身の脚で受け止めた。
「b\r!b\r!」
「くっ……ッ!いい加減にしなさ、いッ!!」
「u――eqe!」
受け止めていた脚とは反対側の脚をラフムの身体へと打ち込むメルトリリスだったが、魔力不足のせいかラフムを消滅させるまでには至っておらず、ラフムの肩へ穴を開けるに留まった。
それでも大きなダメージを負わせたことには変わりなく、そのまま四本の脚を地に着ける一体目のラフムであったが……
「6j5、4x@e!b\r!」
「2@x@j!2@x@j!」
一時的に動けなくなった仲間を後目に、二体のラフムは狡猾にマスターである立香を狙う。
当然立香を傷つけられるわけにはいかないメルトリリスは、立香を庇うようにして戦わざる得ない。
「(絶対に……っ!マスターには触れさせないわ……ッ!!)」
息を合わせるかのようにして交互に脚を振り下ろし、思うように戦えないメルトリリスを弄ぶ二体のラフム。
メルトリリスはラフムの猛攻を全て鉄の脚で捌いていくが、一向に打開策は見えない。
「d2@se!d2@se!」
「はぁ……ッ!!は……ッ!は……ッ!」
一撃でもラフムの攻撃をもらえば終わり、今までなるべく意識しようとしなかった恐怖が湧いてくる。
もう魔力は底を突きかけ、メルトリリス自身の気力も限界に近い。
「90e!90e!」
「hqf@;!hqf@;!」
「やらせないわ……っ!マスターは、私が守る……ッ!!」
初めてカルデアに召喚された時から、ずっと自分のことを見てくれた立香。
一般人でありながら人類最後のマスターとしての責務を負わされ、日々頑張っていた彼女の姿をメルトリリスは知っている。
どのサーヴァントにも優しく、気遣いができる藤丸立香というオレンジ髪の少女を好きになったからこそ、全力で守り抜く価値があるのだ。
「(こんな所で、
立香への想いを胸に、メルトリリスは力を振り絞って二人のラフムの攻撃を受け止めると、そのまま力押しで跳ね返し――身体を仰け反らせた。
「「40!!」」
押し返されると思っていなかったのか、驚きの声を上げる二人のラフム。
その一瞬の隙をメルトリリスは見逃さなかった。
「よくも、弄んでくれたわね……ッ!アン……!ドゥ……ッ!」
鉄の脚を前へと突き出し、横長の衝撃波を作り出すと、そのまま前に身を翻す。
そして一回転した後、縦に脚を振り下ろして着地すると、メルトリリスの前には十字型の衝撃波が完成している。
当然、防ごうと自身の脚を交差させ身を守ろうとする二体のラフムであったが、もうその時には全てが終わっていた。
「――ドロー……ッ!!」
メルトリリスが前に衝撃波を蹴り出すと、二体のラフムに向かって神速の勢いで衝撃波は飛んでいき、防ぐ間もなくその二体の身体を貫通した――
「eqe!eqeeeeee!!」
「333!eqe!eqe!!」
見事なまでに綺麗な十字型に刻まれた自身の身体を見て、獣のような絶叫を上げながら地面でのたうち回る二体のラフム。
――はっ!ざまぁ、みなさい……!
メルトリリスはそんなラフムに軽蔑の目を送り、後ろに居る立香へ声を……
「マスター!大丈夫かし――ッ!?」
振り返った途端に、メルトリリスは少しだけ緩んだ顔を歪ませ、一瞬言葉を失った。
さっきまでは高揚感で満ちていた身体から、一気に熱が冷めていき、戦意が削がれていくのが分かる。
何故ならば。
「……ひっ!来ないで……ッ!!」
「90e!6j5f90e!」
二対のラフムに気を取られ過ぎていたせいか、一切立香の事を考慮していなかったメルトリリス。
それが仇となり、立香は自分のカバーが届かない所で一体のラフムに襲われていた。
「……ッ!?マスター……ッ!!」
とんでもないミスだ、守るべきマスターから離れて戦闘を行い、彼女を危険に晒してしまっている。
サーヴァントでもなく、魔術師でもない非力な彼女を守れるのは自分だけだったというのに、なんという失態だろうか。
「くっ……!待ってなさい!今助けてあげるわ……ッ!」
失態を取り返す為、すぐさま立香を救助しようと思考を冷静にするメルトリリス。
――このままマスターの所に行ったところで、多分間に合わない……なら!
さっきと同じく、衝撃波を飛ばしてラフムを刻むのみ。
「アン……ッ!」
まずは鉄の脚を前に蹴り出して横長の衝撃波を作れば、後は縦長の衝撃波を作るだけ。
そうすれば、ラフムなどすぐに……
「ドゥ――……?」
そのまま一回転し、縦長の衝撃波を作り出す……はずだった。
だが、身体は回転するどころか一切動いていない。
――なんで?どうして……?
首を傾げた後、メルトリリスは胸から熱い感触や喪失感を感じつつ不思議そうな顔をした。
「あ……ぁぁ……っ!うそ、うそ……ッ!メルト……ッ!!」
突然口元を押さえながら目を見開かせ、メルトリリスの胸の辺りをずっと見つめる立香の姿。
――何よ、私の胸に何かあるの……?
立香の視線に導かれるようにして自分の胸へとメルトリリスが視線をやると、胸から……黒い脚が突き立っていた。
「え?なに、これ……?けほ……ッ!?」
自身の胸を貫通する黒い脚は間違いなくラフムの物、そのことを認識すると同時に口から赤黒い血を吐き出すメルトリリス。
さっきまでは胸から熱さしか感じなかったが、段々と胸から痛みが広がり始める。
それでも何が起きたか把握しきれないメルトリリスは、ゆっくりと後ろを振り返った。
「g@7ffffff!vsldyq@!dyq@!」
メルトリリスの胸に自身の脚を突き刺しながら醜く笑うのは、肩へ穴を開けているラフム。
そう、先程メルトリリスが真っ先にダウンさせたラフムだ……
「油断、した……わ……」
そこでようやく状況を飲み込めたメルトリリスからラフムの脚が引き抜かれると、メルトリリスは立香の方を力無く見つめた。
「ごめん、なさい……ます、た……ぁ……」
胸から大量の血液を地面に溢し、涙ながらに謝罪の言葉を口にするメルトリリス。
全身から感じる寒気や悪寒と戦い、立香へ手を伸ばす彼女であったが、何歩か歩いた後に地面へと倒れ込むと、そのまま動けなくなってしまった。
「いや……ッ!!いや、いやだ……っ!メルト……ッ!!」
メルトリリスが倒れた所から広がる血だまりを見るに、致命傷であることは間違いない。
今すぐにでも止血しなければ、消滅も有り得る。
だから、すぐに行かな――
「zg@f6j5」
「……っ!」
ラフムの脚を喉元に突き付けられ、立香は強制的に意識をメルトリリスから目の前に迫る死へと切り替えさせられる。
戦闘を行えるサーヴァントが倒れてしまった以上、マスターである立香はただの無防備な少女に過ぎず、ラフムによってバラバラの肉塊にされるのは時間の問題だった。
「(令呪もない、メルトもやられた……もう、おしまいだ……)」
いつでも奇跡を信じてきた立香だが、それはマシュや特異点で出会った頼もしいサーヴァント達が居てこその話。
今のように周りをラフムに囲まれ、救援のサーヴァントも望めないようではどうしようもない。
できることと言えば、やけくそでラフムに殴りかかるぐらいか?
「bezf6;t@7.」
「d@73jtpq」
絶望する立香をよそに、二体のラフムは言葉を交わすと、先程メルトリリスを背後から刺したラフムが立香の目の前までやってきた。
多分、すぐにでも立香を殺してしまう気なのだろう。
「(ああ、ここで……本当に終わり、なんだ……)」
もうすぐ死ぬというのに、どこかほっとした気分になってしまう自分に違和感を感じつつも、立香は抵抗もせず地へぺたりと座り込むだけだ。
――ごめんね……みんな……
この特異点で出会った者達を頭の中で思い浮かべ、目を閉じる立香。
そうして、完全に死を受け入れた様子の立香を見たラフムは、にやりと不快な笑みを浮かべると共に、立香の喉元へ突き付けていた脚を腕の方へ動かす。
「qkdhulc4q@」
おそらく、これから立香はラフム達のおもちゃにされる。
四肢を千切り、徐々に衰弱させて弄ぶ……人間を旧人類と認識する彼らにとって、人間などゴミ以下の価値しかない。
ラフム達を止める者が居ない今。立香は、ラフムの”遊び”の犠牲者の一人になってしまうだろう。
そう、何もなければの話だが――
「d@73xzc――uyq@?」
ラフムが立香の腕を切断しようとした刹那、突然ラフムの声が戸惑いへ変わった。
目を瞑って痛みが来るのを待っていた立香も、いつまでも来ない痛みを不思議に思って瞳を開く。
すると、目の前のラフムが脚をピタリと止めたまま、呆然とした様子で自身の群れが居る方を見つめていた。
その目線の先に見えたのは、見覚えのあるピンク髪の少女の姿だった。
「どいてください……ッ!!先輩が、待ってるんです……っ!」
自身の持つ盾を力一杯に振るって、迫るラフム達を吹き飛ばし、道を切り開いていく少女の姿。
それは紛れもなく数十分前、立香が先にギルガメッシュの元へと行かせたはずのマシュ・キリエライトその人であった。
「はぁ――ッ!!やぁああああああ――ッ!!」
突然の事態に動揺して浮足立つラフム達の隙を突き、一瞬の内に周りを取り囲んでいたラフム達を退けたマシュは、瞬時に立香を発見すると、すぐさま立香の元へ走り出した。
「uyq@?6j5!?」
新たなる獲物を仕留めようと、向かってくるマシュの首元を狙い、自身の脚を斜めに大振りで振るうラフム。
きっと、さっき胸を貫かれた旧人類のように、あっさりと死ぬ……その侮りは、次の瞬間に誤りだったとラフムは知ることになる。
「っ……!?甘いです!!」
「uz!?――t@z!!」
振るわれた脚をいとも簡単に姿勢を低くして避けると、マシュは避けた勢いのままラフムの下半身へと強烈な一撃を叩きこんだ。
当然、油断していたラフムが避けられるわけもなく、まともにマシュの一撃をもらったラフムはその場に崩れ落ちると、もう二度と動くことはなかった。
――す、すごい……
目の前で起こった一瞬の出来事に呆気に取られる立香をよそに、マシュは泣きそうな顔をして立香の元へと駆け寄る。
「大丈夫ですか……!?先輩!怪我はありませんか!?」
「う、うん!私は大丈夫、でも……メルトが……ッ!!」
マシュに介抱され、立ち上がった立香が指で指した場所に居たのは、肩に穴が開いたラフム一体と、血だまりに沈んでいるメルトリリス。
元より魔力に余力がない状態で戦っていたメルトリリスは、ラフムの一撃を受けたせいで、もうほとんど動けない状態にされており、消滅するのは時間の問題である。
「嘘……メルトリリスさんが、そんな……っ!?」
口を押さえ、目を見開かせるマシュから伝わる激しい動揺。
今すぐにでも助けなければ。
立香と同じく直感的にそう思ったが、メルトリリスの傍に居るラフムはそんな気持ちを嘲笑うかのようにし、メルトリリスの首元へと自身の脚を突き付けた。
「g@7ffffff!!2@x@j!2@x@j!」
近付けるものなら、近付いてみろ。
そう言わんばかりに醜い笑いを響かせるラフムに対し、マシュは歯軋りをしつつも、その場から一歩たりとも動くことができなかった。
「(早く助け出さないと……もう少しで、ケイオスタイドが……!)」
人間をラフムへと変え、サーヴァントを黒化させてしまう”泥”がジグラットを刻一刻と浸食している今、急がないといけないのはマシュも百も承知していた。
だが、このまま無理にメルトリリスを助け出そうとすれば、あのラフムによってメルトリリスの首が飛ぶだけ……もはや、状況は完全に詰んでいる。
そして、絶望に浸るマシュの心を更なる絶望へと突き落としたのは、大通りの奥から押し寄せる黒い泥であった。
「くっ……ッ!こんなにも早く押し寄せてくるなんて……っ!!」
マシュが立香によって半ば強引にギルガメッシュの元へと避難させられていた際、上からジグラットの様子を見ていたが、その時にはまだ門に泥が到達したぐらいだった。
だというのに、数分程でジグラットの中心にまで浸食しているところを見ると、いかにケイオスタイドが恐ろしいものかが分かる。
「メルトリリス……ッ!絶対に助けるから!見捨てたりなんかしない……ッ!!」
死に体となったメルトリリスに必死に声を掛け、その場から離れようとしない立香だが、泥の勢いから考えれば、負傷したメルトリリスを担いで逃げることは不可能であることは明らかだ。
なら、メルトリリスを切り捨――
「(……ッ!!嫌です……絶対に、それだけは……ッ!)」
出来る訳が無い。
例えこのまま泥に飲み込まれてしまったとしても、倒れた仲間を置いて逃げる訳にはいかない。
何よりマスターである立香が戦う姿勢を見せているのだから、自分はそれに従うのみだ。
「待っていてください、メルトリリスさん……ッ!!」
立香と同じようにメルトリリスに向けて声を掛けると、覚悟を決めて臨戦態勢になるマシュ。
盾を構え、ラフムを睨み付けた刹那――視界の端で、何かを呟くメルトリリスの姿が目に映った。
「……って、――やく……行って」
か細く、力の無い声で呟いている為か、言葉が途切れ途切れになっているものの、何かを伝えようとしていることは分かる。
ラフムから目線を外さずにマシュが耳を澄ますと、メルトリリスの言葉がはっきりと聞こえてきた。
「はや……く、行って……っ!ます、たーだけは……まも、って……!」
「え……?」
消滅寸前のサーヴァントとは思えない程に力強く、意志を宿した瞳から伝わる思い。
その鬼気迫るメルトリリスに気圧され、呆気に取られるマシュであったが、次にメルトリリスの言葉を聞いた瞬間、気付けば立香を肩へと担ぎ上げていた。
「マスターを、よろしくね……」
いつもは凛とした表情を崩さない彼女が見せた、穏やかで優しい笑み。
それは美しくも、悲壮感満ち溢れた悲しき笑みであった。
「マシュ、私が指示を出すからそれに従――きゃッ!?」
「……」
「――っ、マシュ!いきなり何するの!!ふざけてる場合じゃないんだよ……!?早く、メルトリリスを助けないと……っ!!」
「……」
マシュの肩で激しく暴れ、意地でもメルトリリスの元へと行こうとする立香であったが、マシュは無表情でメルトリリスとは反対側……ギルガメッシュの居るジグラットへと向きを変え、そのまま振り返ることなく走り出した。
「ねぇ!下ろしてよ……ッ!!まだ、メルトリリスがあそこで倒れてるんだよ!?」
「……すいません、マスター。今だけは、あなたの言葉に従うことはできません」
「何でなの……ッ!?お願いだから、戻ってッ!!」
いつもの冷静な”マスター”の姿ではなく、一人の少女として涙ながらに喚く立香。
本当であれば、マシュも一緒になって泣き叫びたいはずだが、マシュはひたすらに立香の言葉を感情を押し殺した表情で聞き続け、とにかく前へ向かって走り続けた。
幸運なことに、ラフム達はジグラットへ続く道を塞いでおらず、むしろ泥が押し寄せていることを合図にしたかのように撤退を始めている。
「(もう少し、早く来ていれば……もしかしたら……)」
心に残る後悔を振り払い、真っすぐ道を突き進むマシュ。
その瞳からは、堪え切れなかった涙が溢れ出していた。
**
「(行ったわね……)」
朦朧とする意識の中、自分の言葉通りにマスターを連れて逃げたマシュを見届けると、メルトリリスは思わず安堵の笑みを溢してしまう。
「(やっぱりアナタは、マスターの傍に居るのに相応しいわ)」
助けられたとしても、助かるかどうか分からない程の致命傷を負った自分を助けるより、マスターである立香を生き残らせた方が良いに決まっている。
きっと、マシュも辛かっただろうが、瞬時に決断を下してマスターを守る選択をしてくれた。
メルトリリスにとって、そんな決断をしたマシュが眩しく見える。
「(……私は、ここで消滅するだけでいい。でも、マスターにはまだ戦いが残ってる、辛い……戦いが)」
カルデアで過ごした時は短かったが、立香にはそれなりに楽しい時間を過ごさせてもらえた。
召喚されて間もない時から、この特異点に至るまでの間ずっと自分のことを気遣い、優しく接してくれた愛しい”アルブレヒト”。
その旅路に、幸運がありますように――
「ああ……もっと、一緒に居たかった……な……ぁ……」
頬へ涙を伝わせ、気力を振り絞って言葉を吐き出したメルトリリス。
立香と過ごした日々が頭の中で走馬灯のように流れたのを最後に、その意識は闇へと沈んでいった。
全身を浸食する、生暖かい感触と共に。