※この作品はR-18です。

お隣の天使様が寝取られる話   作:黒糖バス

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全5話予定


1

 罠に掛かった獲物を見下ろす醜悪な顔。

 覆い被さりビクともしない身体。

 頼もしく感じていたはずの大きな手が迫るにつれ膨れ上がる恐怖の感情。

 

 信頼を裏切られた悲しみと肉体に刻まれる痛みのせいで涙が溢れた。

 悲鳴同然の声で助けを呼ぼうとし、唯一味方だと思っていたのが目の前の男だったと思い出す。

 

 結局、身体を震わせて涙を流す事しか出来ない自分を、男は嘲笑した。

 

 

 ★

 

 

 ピピピッというアラームの音で目を覚ました真昼はゆっくりと身体を起こし、ほっとため息を吐く。違和感を感じて頬に手を当てれば、指先を水滴が濡らした。どうやら眠りながら涙を流していたらしい。

 

「またあの時の夢ですか……」

 

 発した声は思った以上に弱々しかった。もう二年も経つというのにこうして時々夢に見る忘れ去りたい記憶。この悪夢を見た日はいつも一日中気分が沈んでしまう。

 

 以前なら学校で優等生の仮面を着けるだけで良かった為、問題はなかった。しかし、隣に住む周──藤宮周と奇妙な共同生活をするようになり、恋人にまでなった現在ではそうもいかない。

 

 他ならぬ周の前だからこそ平静を保てる自信がなく、そして何だかんだで鋭いところのある彼なら真昼の異変に簡単に気付けてしまうだろう。

 

(今日はちょっと、周くんと顔を合わせるのが辛いですね)

 

 いつもなら共に過ごすだけで心が温かくなるのだが、今日ばかりは後ろめたい気持ちが勝った。

 

 洗面所に行き、顔を洗う。

 鏡に映ったのは周囲の人間が"天使"と呼ぶ整った顔だった。自分でも美しく、儚げで、そして無垢に見える。誰に聞いても恵まれた容姿だと言うだろう。

 

 だけど、今日ばかりは真昼は自分の顔を恨めしく感じた。

 

 もっと普通の顔ならあんな悪夢のような出来事は起こらなかったはずだからだ。そして周ならば、自分がどんな容姿であっても愛してくれただろう。

 

 

 

 ★

 

 

 

「なあ、真昼。なにかあったのか?」

 

 いつも通り二人で夕食を済ませた後、ソファに並んで座る真昼にそう訊ねた。今日、彼女の様子がおかしい事にはだいぶ前から気付いていた。しかし、それを隠そうとしている事も分かった為、切り出すタイミングを見計らっていたのだ。

 

 真昼は誤魔化そうとしたのか一瞬笑顔を作りかけたが、すぐに諦めたように目を伏せた。

 

「はぁ……。やっぱり周くんには気付かれてしまうのですね」

「流石に今日のお前を見て何にも思わなかったら彼氏失格だ」

「そうですか……。周くんのような素敵な彼氏を持てて私は幸せ者ですね」

「茶化すんじゃない」

 

 フフッと笑う真昼だが、その顔に覇気はなく、華奢な身体はいつも以上に小さく見えた。まるであの雨の日の公園の時のような──いや、それ以上に弱々しい。風が吹けば溶けて消えてしまいそうだった。

 

「なんですか?この手は」

 

 気付けば真昼の頭を撫でていた。

 恋人がこんな顔をしているのだ、別にこれくらい構わないだろう。

 手触りのいい亜麻色の髪の感触が伝わってくる。慰めるつもりだったが、役得というやつかもしれないな、と周は思った。

 

「捨てられた猫みたいな雰囲気出してたからつい……」

「むー。彼女を猫扱いですか」

「あ、いや、今のは言葉の綾だ。お前は猫よりも可愛いしな」

「それはどうもありがとうございます。別に猫に勝っても嬉しくありませんが」

 

 ツンとそっぽを向く真昼の様子に「ほんとに猫みたいだな」と思ったが、それを口に出すような愚は冒さない。

 拗ねたフリをしつつも頭を撫でる手から逃れようとしない可愛い彼女の姿についつい笑みが溢れる。

 

 

 

「それで、何があったんだ?」

 

 しばらくして周はもう一度真昼に訊ねた。

 真昼の頭を撫でていた手は彼女の手と繋がれている。先程までの弱々しい姿は今は少しマシになっているように見えた。

 

 真昼は周の手をぎゅっと握り、その温かさを確かめるように身体を近付けた。甘い匂いが周の鼻腔をくすぐる。いつになく甘えた真昼の姿を可愛らしいと思うと同時に少し気恥ずかしくなってくる。

 

 それから更に数分、無言の時間が続いた後、真昼はひとつ息を吐いてから口を開いた。

 

「別に、今日なにかがあった訳ではないのです……」

 

 繋いだ手に視線を落としながら真昼は話す。

 

「昔から時々見る悪夢があって、それを今朝見てしまったと言うだけなんです。何度見ても慣れなくて、大抵今日みたいになってしまうのです」

「悪夢……。どんな内容か聞いてもいいか?」

「……よくあるトラウマの再現ですよ」

 

 真昼はぽつりぽつりと話し始めた。

 中学時代、両親と上手くいかず友人もいなかった為孤独感を抱いていた事。そんな自分に唯一優しくしてくれる人物が現れた事。──そして、その人物から手酷い裏切りにあった事。

 

「その時の出来事を悪夢として時々見てしまうのです」と真昼は悲しげな表情で話す。

 時折言葉に詰まりながら、時間を掛けて自らの過去を明かした真昼は、顔を上げて周と目を合わせた。

 

「心配をお掛けしました。長々と話しましたが、結局のところ怖い夢を見たと言うだけの話なんです。別に困り事があるだとか、そういった事はないので安心して下さい。もう、済んだ話ですから」

 

 努めて明るく振る舞う真昼の姿が、周には少し痛々しく見えた。

 思ったほど深刻な問題ではないと感じたのは事実だ。今日の平静を装おうとして空回る真昼の姿を見て、もっと重大な危機に陥っている可能性も考えていた。それこそストーカーなり両親との軋轢だったりだ。

 

 それと比べれば悪夢を見るくらいマシに思える。実害もないし、本人が言う通り全て済んだ話だからだ。だからこそ真昼も周に心配を掛けまいといつも通り振る舞おうとしたのだろう。

 

 だが──

 

「──それでも、悪夢を見て苦しんでいるのは今のお前だろ」

「え?」

 

 周には自分の前でさえ優等生であろうとする真昼の姿に思うところがあった。

 想像したよりはマシ。でもそれで真昼が辛そうな顔をしているのは紛れもない事実だ。なら心の中に溜め込まず、自分を頼って欲しかった。

 

「そりゃ過去のお前を助けに行くなんて事、俺には出来ないさ。だけどな、今目の前にいるお前に寄り添うくらいの事はさせてくれ。こうやって隣に座って話を聞いたり、手を握ってやる事くらいは出来るつもりだ」

「周くん……」

「……まあ、だからあれだ。次その悪夢を見たら変に取り繕ったりするなって事だ。……無理をするお前を見るのは俺も辛いしな」

「……そう、ですね。わかりました。その時はまた手を握って貰ってもいいですか?」

「ああ、勿論だ」

 

 不器用なりに自分を励まそうとする周を見て、真昼は胸が温かくなるのを感じた。

 

 過去のトラウマについて全てを話した訳ではない。恋人である周にだからこそ知られたくない内容もあったからだ。だから、周は真昼の苦しみを正しく理解出来てはいないだろう。

 

 それでも、彼のかけてくれる言葉がとても嬉しかった。

 

 真昼は周の肩に頭を預けると「ありがとうございます」と呟く。それに周が気恥ずかしそうに「ああ……」とだけ返すのを聞き、くすりと笑みをこぼすのだった。

 

 

 

 

 翌日には真昼はいつもの調子を取り戻し、表情も明るいものとなっていた。元々、一日時間を掛ければ自分で立ち直る強さを持っているのが椎名真昼という少女なのだ。そこに周の存在も加われば鬼に金棒である。

 

 周は前日の姿が嘘のように自然な様子で料理をする真昼を見て感心する思いだった。様々な問題を抱えながらも、それを一切悟らせる事なく完璧な天使様として周囲に認識される彼女の凄さを改めて理解した。

 

 つい「もう大丈夫なのか」と聞きそうになるのを何とか抑える。わざわざ嫌な事を思い出させる必要もないだろう。

 

 周は運ばれて来た朝食に舌鼓を打ち、真昼はその様子を微笑みながら見つめていた。そこに前日のようなぎこちなさは皆無で、一日ぶりの心地良い時間となった。

 

 

 

 ★

 

 

 その日は朝から言葉に出来ない嫌な気配を感じていた。虫の知らせというやつだろうか。天気もすぐれずジメジメしており、学校で授業を受けている間ずっと気分が重たかった。

 

 それは真昼と過ごしていても同じで、寧ろ彼女といるほどに嫌な気配が強くなる気さえしていた。

 

 そしてそれは、マンションのエントランスで一人の男と遭遇した瞬間、最高潮に達する。

 

 見た感じ20歳を少し過ぎたくらいの若い男性だった。しっかりとセットされた髪には清潔感があり、お洒落な服を自然に着こなす姿から"格好良い大人の男性"といった印象を受ける。雰囲気も柔らかく、少なくとも第一印象で人から嫌われる事はないであろう人物だった。

 

 ──そんな彼を見て周は警戒感を強く抱き、真昼は顔を青ざめさせる。

 

 理由はわからない。だが、周には目の前の男が自分達にとって良くない存在だという予感がした。

 

 この場所にいるという事はマンションの住人だろうか。同じ階でもなければそう会う事もない為、見覚えのない住人がいてもおかしくない。

 

 男性は一瞬驚いた表情をした後、笑顔を作って近付いて来る。そして真昼へと声を掛けた。

 

「やっぱり真昼ちゃんじゃないか。大人っぽくなっていたから一瞬分からなかったよ。もしかしてこのマンションに住んでいるの?」

「八木、さん……?」

「二年振りだね。元気にしてたかい?」

「どうしてここに……っ」

 

 親しげに訊ねる男──八木に対し、真昼の方は嫌悪感を隠さず睨み返す。敵意を一切隠さないその表情は、周が一度も見たことのない真昼の顔だった。

 

 整った容姿の彼女が感情を剥き出しにすれば、ある種の迫力を持つ。少なくとも周が向けられれば怯んでしまったに違いない。

 

 しかし、それを受ける八木の方は気にした様子もなくにこやかに笑っていた。

 

「どうしてって、先週から俺もここに住んでるからだよ。3階の6号室。よかったら今から遊びにくるかい?」

「……行くわけないじゃないですか……っ」

「そっか。成長したね。前はそんな警戒心なんてなかったのに」

「貴方が、それを言うのですか……っ」

「ははっ、それもそうか」

 

 責めるような真昼の言葉に軽く笑って返す八木。二人の様子はあまりに対照的過ぎた。友人と会話するかのように親しげな八木と、親の仇でも見るような真昼。事情を知らない周にもどちらが異常であるか理解出来た。

 

 これほどの敵意を向けられて少しも気にした様子のない男が見た目通りの好青年である筈がない。

 

 周は顔色の悪い真昼を庇うように二人の会話に割って入った。

 

「──あの」

「ん? ああ、無視してるみたいになって悪かったね。えっと、君は真昼ちゃんの彼氏かな?」

「……ええ、まあ一応。そういう貴方は?」

「俺は真昼ちゃんの知人ってとこかな。名前は八木涼平。よろしくね彼氏くん」

「あ、どうも。藤宮周です」

 

 友好的な雰囲気で名乗った八木は周に握手を求めてくる。差し出された手を握り返した周は、男の距離の詰め方の巧みさに内心驚いていた。警戒心を持っていた筈が、気付けば自分も名前を教え、親しげに握手まで交わしている。その事実が何か良くないもののように思えて仕方ない。

 

「藤宮くんね。君もこのマンションに住んでるのかい? それとも真昼ちゃんの付き添いとかかな」

「俺もここの住人ですけど」

「そうか。ならこれから会う事もあるかもしれないね。──と言うか、何かの縁だし連絡先交換しないかい? 俺この辺り詳しくないから色々聞きたい事もあるしさ」

「いや、それは──」

 

 ぐいぐいと距離を詰めてくる八木に、押され気味になる。引越して来たばかりなら確かに分からない事も多いだろうが、彼とこれ以上関わっていいのだろうかという不安もあるのだ。しかし、にこやかに接してくる相手を拒絶するのはそれなりに勇気がいる。

 

 結局、周は断り切れずに八木の連絡先の書かれたメモを受け取ってしまった。

 

 と、その時。

 

「周くん!」

 

 八木と会話を始めたすぐ後くらいから、背中に隠れて気配を消していた真昼が大きな声で名前を呼んできた。振り返ると不安げな顔で服の裾を引っ張ってくる。

 

「……もう行きましょう」

 

 一言そう告げる彼女の声はとても弱々しいものだった。それだけで「もうここにいたくない」という思いははっきりと伝わってくる。それを無視するなんて選択肢は当然なかった。

 

「ああ、そうだな。──すみません。俺達はこれで失礼します」

「ははっ、もしかして邪魔しちゃったかな。また時間のある時に話そうか。藤宮くん、真昼ちゃん」

「ええ、機会があれば」

 

 八木は意外にも引き留める事なく周達を見送った。それに失礼にならない程度に挨拶し、足早にその場を去る。その最中、真昼はずっと周の身体の影に隠れて八木の視線から逃れようとしていた。

 

 

 ★

 

 

 学校の自分の席で、周は難しい顔をしていた。考えるのは大切な彼女のことだ。

 

 八木と会った日からずっと真昼は暗い表情を浮かべている。その変化は誰の目から見ても明らかで、学校で友人達に心配されている姿も何度か見かけた。いつもなら上手に誤魔化せていた筈だが、その余裕さえないようだった。

 

 一部の女子は彼氏である周との間に何かあったのではないかと予想し、話を聞きに来るのだが事情が分からないのは周も同じだった。

 

 あれから二人の時に何度か訊ねてみたのだが八木との間に何があったのか話してくれる事はなかった。何か自分に出来る事があればと思うのだが、泣きそうな顔で「すみません。話したくないです」と言われては、それ以上深掘りする事は躊躇われた。

 

 ただ、それでも以前話してくれた悪夢と関係がある事はなんとなく予想がつく。かつて真昼を裏切り、トラウマを植え付けた存在。それが八木だとすれば、あの時の敵意を剥き出しにした顔にも納得がいくのだ。

 

 だが、もしそれが正しいとしたら真昼の精神面が心配だった。同じマンションにトラウマの相手がいるというのはどれほどのストレスだろうか。最悪、八木がどこかに引越しでもしない限り真昼の不調が続く可能性すらある。

 

「…………」

 

 周は教室の端で女子と話をしている真昼に目を向けた。相変わらず美しい彼女は、今も何人かの男子の視線を集めている。しかし、憂いを帯びた顔は、遠目からでも無理をしている事が分かった。もしかしたら限界は近いのかもしれない、と危機感を抱く。

 

(これは覚悟を決める必要があるかもな)

 

 周はメモ帳を取り出し、挟んであった紙を手に取る。

 

 そこには八木の連絡先が書いてあった。

 

 

 

 

 

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