「やあ、いらっしゃい。とりあえず入りなよ」
「お邪魔します」
笑顔で出迎えた八木は室内へと周を招き入れた。少し前に入居したばかりだと話していたが、意外にインテリアが多く、下手をすれば周の部屋よりも設備が充実しているように見える。
「それで? 話ってなにかな?」
リビングの椅子に向かい合って座った八木は愉しげに笑みを浮かべながら聞いてくる。
学校終わりに電話で約束を取り付けた周は、こうして彼の部屋を訪れていた。目的は当然、真昼の不調の原因である彼と話をする事である。もし本当に八木が真昼を傷付けた人物であるならば、今の周の状況は敵の拠点に乗り込んだようなものだろう。相手の人となりが分からない為、この訪問はかなりの勇気を要した。
周は八木の問いに何と応えるか少し考え、あえて問い返す事にした。
「俺が何で来たのか、分かってるんじゃないですか?」
ある種のカマ掛け。いきなりやって来てこんな事を言われても普通は意味が分からないだろう。だが、電話で「会って話したいことがある」とだけ告げた周に何も聞かず、こうして話の席を設けてくれたのは、彼に心当たりがあるからだと予想した。
そしてそれは正しかったようで八木は惚ける事なく「真昼ちゃんの事だろ?」と答える。
「あの子から俺の事を何か聞いたのかい?」
「いえ、何も聞いていません。ただ、過去に何かあったのだと確信はしています。貴方に会ってからずっと様子がおかしいですからね、あいつ」
「ふーん。なるほどねぇ」
「──何か心当たりはありますか?」
「さあ、どうだろうね」
周を焦らすように曖昧な返答をする八木。
それを見て「心当たりがない筈ないだろう」と周は非難の眼を向けた。先日会った時、八木は真昼の敵意を当然のものとして受け流していた。もし心当たりがなければ、真昼の態度を不思議に思い、事情を訊ねるくらいはした筈だ。
自分が詳しい事情を知らないと明かした事について悪手だったかと後悔する。
今更ながら、八木がすんなりと自分の訪問を受け入れたのは、真昼から話を聞いていると勘違いしたからだと察した。そうでないと知られてしまった以上、シラを切られて終わる可能性すらある。
──周は少し悩んだ末、仕方なく一歩踏み込んだ発言をする事に決めた。
「違っていたらすみません。八木さんは過去にあいつに何か酷い裏切りを行ったんじゃないですか? ──それこそトラウマになるようなレベルの」
ほとんど初対面と変わらない歳上の相手に対して失礼極まりない発言。その正誤に関わらず激怒されてもおかしくない内容。それを周は口にした。
もし間違っていても、八木から"失礼なガキ"と思われる程度だ。その程度のリスクで真相を知れるのなら大した問題ではない。真昼の為なら自分の評価など二の次で良いのだ。
睨み付けるようにして八木の反応を待つ。
彼は周の発言を受けて少し沈黙した後、観念した様子で苦笑いした。
「はぁ〜、なんだ。そこら辺の話は聞いてるのか。意外と信頼されてるみたいだね。オッケー認めよう。その通りだ。俺は二年前に真昼ちゃんに酷い事をした」
「っ! ……何をしたか聞いても? もし事情があるならそれも聞きますけど」
「いいのかい? 真昼ちゃんはそれを君に知られたくないんじゃないかな。彼女の隠したい過去を暴くのは彼氏といえども褒められた行為じゃないと思うけど」
「それを貴方が言うんですか……。褒められた行為じゃなくたって構わない。俺は苦しむ真昼の為に何かしてやりたいんですよ。────話して下さい。貴方が真昼に何をしたのかを……っ」
語気を強めて八木を睨む。
八木の言うように真昼はこんな事望んでいないかもしれない。余計な首を突っ込んで更に真昼を苦しめる可能性すらある。だからって、事情も知らず、ただ見ているだけなのは嫌だった。
悪夢を見て苦しんでいた時とは違う。今、真昼は目の前の男の存在によって心をすり減らしている。なら、手を握り、胸を貸す以外にも出来ることはある筈だ。
「──うん。分かった」
今度の沈黙は数秒で終わった。
八木は何かを決心したように頷くと、周の目を正面から見つめ返す。
「今日は真昼ちゃんもいないし、男同士本音で話そうか」
そう言って爽やかに笑う八木の顔は、何故かとても醜悪なものに見えた。
「ところで君達はもう済ませたのかい?」
「済ませるって何をですか?」
「当然、セックスをだ。真昼ちゃんとそういうことはしてるのかな?」
「…………貴方に教える義理はないですよね」
「ははっ、その感じじゃまだみたいだな」
真昼をネタに下種な話を振ってくる八木に苛つきながら返答する。頭の中でも真昼のそういった姿を想像されるのは不快だった。
「本音で話す」と言った直後から八木の雰囲気は少し変化している。先程までは好青年といった感じだったが、今はまるで猥談を楽しむ男子高校生のような下種っぽさを含んでいた。
八木は周と真昼の交際事情を察すると、ケラケラと笑う。それが馬鹿にされているように感じられて良い気分はしなかった。
「真昼ちゃんと付き合ってるなら、いずれはそういう事もしたいって思ってるだろ?」
「……あの、そんな話じゃなくて過去に真昼にしたことを話して欲しいんですけど」
「いいから聞けよ。あんだけ美人で清純な子だしさ、チャンスがあればヤりたいって考えてしまうのは男なら仕方ない事だと思うんだよな」
「はぁ……そうですか」
気のない返事をする周は「もしかして結局うやむやにするつもりなのでは?」と疑い始めた。しかし、これが前振りである事を八木の次の言葉で理解する。
「────二年前の俺がそうだった」
突然の告白。その意味を周が理解する前に八木は言葉を続ける。
「当時、中学二年生だった真昼ちゃんは可愛さと美しさを両方兼ね備えたような女の子だったんだよ。家庭の事情もあってか年の割に大人びていたし、大学生だった俺の目にも魅力的に写った」
「…………っ」
「同じ年頃の子たちはガキにしか見えなかったから余計に印象的でね。大学の女子にも飽きてたし、ちょっと味見してみようかなって思った訳だ」
「……あんたっ、まさか……」
八木が真昼に何をしたのか理解した周は、顔を青ざめさせる。心臓はバクバクと鳴っており、真昼の為にもその先を聞いてはいけない気がした。
八木はもはや表情を取り繕う事をせず、口角を上げてニヤニヤと周を眺めていた。二人の立場は逆転し、八木は周に聞かせるべく続きを口にする。
「彼女の信用を得るのは簡単だったよ。元々家の繋がりがあったし、分かりやすく拗らせてたからね。笑顔で話を聞いてやって、欲しがってる言葉を適当に言ってやったらコロッと懐いてさ。何の警戒もせずに男の部屋にあがってきたよ。──ははっ、そんなの、襲うしかないでしょ」
「────テメェ…………っ」
それ以上は言うなと、もう聞きたくないと目で訴える。しかし、八木は笑ったまま、ついに真昼のトラウトとなった出来事を話し始めた。
「服を脱がして身体を触った時は絶望したような顔をしていたね。犯してやったら痛い痛いって泣き叫んでたっけなあ……。──だけど楽しかったのはそこら辺までだったよ。いざ腰振ってみたら穴が小さすぎて全然気持ち良くないし、いつまでもピーピー泣き続けるしさ。所詮この子もガキだなって思ったら急激に萎えてきて、途中で止めて帰らせたんだ」
「────ッッ!!」
それ以上は我慢出来なかった。周は怒りのままに八木に飛び掛かった。椅子やテーブルを巻き込んで二人共床に倒れ込む。周は背中を強打した八木の上に馬乗りになると胸ぐらを掴んだ。
それでも八木は笑みを消す事なく、周に顔を近付けて言い放った。
「はははっ! 知ってたかい!? お前の彼女、処女じゃないんだぜ? ────あんな天使みたいな顔しといて"経験済み"なのさ!」
──許してはいけないと思った。
この男はそれだけの事をしておきながら、あの日、まるで友人のように真昼に話しかけたのだ。それはなぜか。あれは真昼を嘲笑っていたのだと今なら分かる。「この笑顔に騙されたんだろ?」と彼女を馬鹿にしていたのだろう。
周が八木と話す様子を真昼はどんな気持ちで見ていたのか。そんな男が同じマンションに住んでいると知った彼女は、どれほど恐怖を感じたのだろうか。
それを想像するだけでも苦しくて仕方がなかった。
「……もう黙れよ、お前」
周は我慢出来ず、握りしめた拳を八木の顔に振り下ろした。
★
真昼は自分の部屋のベッドに横になっていた。学校から帰ってそのままの制服姿。灯りもついていない薄暗い室内でぼうっと天井を見つめている。
時刻は午後の7時過ぎ。以前なら周の部屋で夕食を食べ、二人でゆっくりとテレビなどを見て過ごしていた時間だ。それは真昼にとって至福とさえ呼べる時間だった。
──しかし、今日はどうしても彼と会いたくなかった。
昨日、いつもより少し遅い時間に帰宅した周は真昼をギュッと抱きしめてきた。決して何かを言う事はなく、戸惑う真昼を数秒間腕の中に閉じ込めた彼は、その日、何かと真昼の様子を気遣ってくれた。
彼が真昼に優しいのはいつもの事だが、それが過剰になれば嬉しさよりも困惑が勝ってしまう。そして、前日までと違い、真昼の不調の原因を訊ねる事をせず、時折、憐れむような目を向ける周の姿を見て真昼は色々と察してしまった。
──自分の過去を知られてしまったのだろう。よりによって最も知られたくなかった彼に。
八木は同じマンションに住んでいるのだ。会って話をする機会はいくらでもある。
ショックは思った以上に大きかった。彼とは対等な恋人でいたかったのにそれももう望めないだろう。どうしても後ろめたさを感じてしまうし、これからどんな顔で会えばいいのかも分からなかった。
何も探らずにそっとしておいて欲しかったと言う思いはある。何の解決にもならないが昨日みたいに周に気を遣わせる事はなかった筈だ。
(……いいえ、周くんは何も悪くありません。悪いのは八木さんと、私──)
無警戒で八木に近付いたかつての自分。
男性の部屋に誘われるまま入ってしまった愚かさはどう考えても擁護出来ない。
周の前で平静を装えなかったのも自分だ。彼の目の前で沈んだ表情を見せておいて気にするなと言っても無理に決まっている。
全て自分の弱さが招いた結果だ。
真昼が八木と初めて会ったのは上流階級の者が集まるパーティーだった。時々、両親に連れられてそういった場に出席する事があったが、一通り挨拶を済ませてしまうと真昼はお役御免となる。両親が他の参加者と話し込んでいる間、目立たない壁際に佇んで時間が経つのを待つのがいつものパターンだった。
そんな真昼に声を掛けて来たのが八木だった。彼の家は椎名家よりも由緒正しい家だったが、彼自身はとても気さくな人物で、緊張する真昼に優しく笑い掛けてくれた。その日からパーティーで会う度に八木と話すのが真昼の習慣となった。
最初は八木の世間話に相槌を打つだけだった真昼も、しばらくすると自分の事をポツポツと話すようになり、秘めていた悩みや苦しみを打ち明けていた。八木は、せっかくのパーティーでそんな話をする真昼に嫌な顔せず、時に共感し、時にアドバイスをくれたりした。
苦痛だったパーティーを楽しみに思うようになるのに時間は掛からず、いつしか真昼は八木の事を本当の兄のよう慕うようになっていた。
──それが全て幻想だと知ったのは八木と初めて会ってから半年が経った頃だった。
下校中、偶然八木と会った真昼は、彼の「渡したい物がある」と言う言葉に疑いも持たず、当時彼が住んでいたマンションへと着いて行った。
男性の部屋に入るのは危険だという認識はあったが、勝手に兄のように思っていた八木のことは大丈夫だと思い込んでいたのだ。
その後の事は思い出したくもない。
突然豹変して真昼をベッドに押し倒した八木は、どれだけ懇願しても聞いてはくれず、真昼のスカートに手を入れて来た。
気が付けば、真昼は女として大切なモノを奪われており、煩わしそうに顔をしかめる八木によって部屋の外へと追い出されてしまった。
『所詮ガキだな。半年も相手して損した』
最後にそう吐き捨てた八木の姿は今でも忘れる事はできない。
──ピンポーン。
昔の事を思い出していた真昼は来客を知らせる電子音を聞き、身体を起こした。慌てて乱れた髪を整え、制服の皺を伸ばす。こんな時間に訪ねてくる相手の心当たりは一人しかいない。
今日は部屋に行かないと伝えていたのだが、優しい彼のことだ。心配して様子を見にきたのだろう。
真昼は必死に表情を取り繕おうとする。
出来るだけいつも通りに見えるように。
これ以上心配させないように。
──だから。
来客が誰かを確認するのを怠り、チェーンを外してしまった。
「何のようですか? あまねく────ッ!?」
「ごめんね。藤宮くんじゃないんだ。お邪魔するよ、真昼ちゃん」
そこに居たのは八木涼平だった。
真昼は咄嗟にドアを閉めようとする。しかし、一歩早く八木はドアの隙間に足を差し込み、それを妨げた。
「足を、退けてくださいっ、人を呼びますよ……っ」
「いいけど、後悔するのは真昼ちゃんの方だよ? 俺の顔を見てよ」
そう言って顔を近付ける八木。その頬には痛々しい痣が出来ていた。
「……そのアザがどうかしたのですか」
「これ君の彼氏に殴られたんだよ。その瞬間を撮った動画もある」
「なっ────」
「知ってるだろ? ウチの親が超過保護なの。俺が殴られたって連絡したら藤宮くんどうなるだろうね」
真昼は顔を青ざめさせる。八木の家はこの辺りでは圧倒的な影響力を持っている。そして、その現当主が息子を溺愛している事もそれなりに知られていた。
息子に怪我をさせた同級生の親の会社に圧力を掛けて倒産に追い込んだという噂も聞いた事がある。二年前の出来事で真昼が泣き寝入りするしかなかったのも、それがあったからだ。
もし八木が殴られたと知れば、彼の親は周を絶対に許しはしないだろう。良くて退学、悪ければそれこそ、まともな生活すら送れなくなる。
真昼は諦めたようにドアノブを握る手の力を緩めた。
「…………何が目的なのですか?」
「とりあえず部屋に入れてくれるかい? 藤宮くんが気付いて出てきたら面倒だしさ」
「────わかり、ました」
何をされるのか想像は付いた。しかし、八木の要求を拒否する事は出来なかった。
真昼は震える手でドアを開ける。
それを八木は愉しげに眺めていた。
「それじゃ、お前ら入るぞ」
「──え?」
真昼の位置からではドアに隠れて見えなかった場所。そこへ八木が声を掛けると新たに三人の男達が現れた。