随分背が高くて重そうに見えるドアは、少しの力で開いた。
「カチリ」
小気味の良い音が鳴る。
値段の高い部屋ってドアの音も違うんだと、どうでも良い事を考えていた。
美咲は、冷静な自分に心の中で苦笑した。
真っ白な壁と廊下に、黒い絨毯だけが敷いてある。
その絨毯を歩きながら、処刑台への一本道みたいだと思った。
そして、来るとき一緒にこの絨毯を一緒に歩いた愛ちゃんの顔を思い出す。
高校からの友人の愛ちゃんは、真っ青な顔に笑顔を張り付けていた。
付いてきちゃ行けなかったんじゃないかって、なんとなく思った。
震えた指でインターホンを押してるのを眺めながら、確信したのだ。
逃げ出そうとすると、愛ちゃんは「お願い」と涙をポロポロ流しながら私の腕を掴んだ。
その後の記憶は、今はあまり思い出せなかった。というか、思い出そうと思えなかった。
気持ちは凪いでいた。真っ青な友達の顔を思い出して、これは終わらせなきゃいけない事だと、その決心だけがふわっと浮かんでいた。
私にはヤンチャな感じのお兄ちゃんが居る。
何をやって生活をしているのかは知らない、とにかく体が大きくてゴツイ。そして、お金を沢山持っている。
高校生の時、友達がナンパされた男の人の車に一緒に乗り、大事故を起こした時、私の話を聞いたお兄ちゃんは2,3本電話をかけてからどこかに出かけて、数時間して何故かお金を沢山持って来た。慰謝料らしい。
良く分からないけど、何か危ない橋をずっと渡っている人なんだと思う。
考えるよりも先に、お兄ちゃんに電話していた。
「お兄ちゃん。聞いて欲しい事があるの。」
私は、他人事のように今日あった事を説明していた。
今はすんなり思い出せた。でも、浮かぶ映像はどれもモノクロで、感触も、匂いも無い。
自分の感情はグツグツと煮えたぎっているのに、対岸で燃え盛っている火事を見ているように冷静だった。
絶対に目を凝らして見てはいけない。その警告だけが頭の中で鳴り響いていた。
「分かった」
それだけ言って電話が切れた。
「そんな言葉が欲しいんじゃない!!!!!!」
どこかで誰かが叫んでいるような声が、頭の中で鳴り響いた。
「うるさいなあ・・・・」
呟いてトボトボと家路についた。
色々とあって、お兄ちゃんが借りてる部屋に私は住んでる。
女の子らしさのない、殺風景な部屋。
リビングに入った瞬間、足腰の力が抜けて、スローモーション見てるみたいに自分が床に落ちる。
落ちたと同時に胃の中が空になるまで全部吐き出した。
平衡感覚がおかしい。体が鉛のように重い。
とてもじゃないけど、動けない。
ぐるぐると回る視界が落ち着いた頃、せっかく最近慣れ始めた仕事だけど、しばらく休みもらわなきゃと、なんとか体を動かしてスマホを手に取る。
「ありがとうございます。スマイリー 向陽店です。」
ユキオ君が電話に出た。
私は彼を知っている。それも、かなり前からだ。
コウジと付き合っている時に、ユキオ君と会った事がある。
背が高くてかっこいい人だと思った。
しばらくして、いつも遊んでる女の子達の中の一人がユキオ君とセックスをした
と言っていた。
誰かが、
「どうだった?」
なんて聞いた。
思わず気になって聞き耳を立てる。
そこのコが頬を緩め、何かを思い出すかのように一言。
「あれはヤバイ。」
5人の女の子達は息を飲む。それだけで十分伝わったからだ。
「え?じゃあ付き合ったの?」
誰かが聞いた。
「あの人はそういうのじゃないっていうか。なんか、全然掴みどころがないんだよね・・・・」
話しを聞いてみると、セックスをしてる時は信じられない位優しいらしい。痛い事なんて一つもなかったし、して欲しい事を何も言わずに叶えてくれるような。生まれて初めて、何も考えずに相手に自分を預けられた。そんなセックスだったと言った。
ただ、終わった後もすごく優しいのに、全く執着が無く、何なら連絡先も聞かれなかったらしい。
事故の時、コウジは助けてくれた。ヒーローみたいだった。
でも、1年も経てばワガママな大きな子供みたいだった。
これから出かけるって時に、「出したい」と言ってフェラをさせられたり。セックスを断れば子供みたいに拗ねられた。
ユキオ君がしたようなセックスは、私は知らない。
ただ、そのコが言った事はなんとなく分かった。ユキオ君は他人に興味が無いのだ。
モノクロの世界で、たまに目の前に居る女の子がカラーになって、勝手に底を見透かして、底が見えたら振り向きもせずに前に進む。そんな人生を生きている人なんだろう。
美咲にはなんとなくその気持ちが分かってしまった。
美咲は知っている。今だけなら、一度だけなら、ユキオが優しくしてくれるという事が。
そして、自分も同じなのだ、他人に興味が持てない。
だから今だけ、今だけでいいから、全部を預けられるなら、誰でもいいから優しくされたい。ただ、それだけだった。
「もしもし?」
「あっ、ごめんなさい・・・・タナカです。」
「あ、タナカさん?大丈夫?」
「すみません。体調崩してしまって・・・」
「あっ、そうなんだ。大丈夫? スギヤマさんにでも頼んで何か持っていってもらおうか?」
ほら、優しい。
「あの・・・・ユキオ君にお願いがあるんですけど・・・」
「え?・・・俺で良ければ・・・」
「ユキオ君がいいんです・・・・・助けて・・・・・助けてください。今だけでいいんです・・・・・お願いします。」
しばらく間があいた。
「・・・・・・・うん。」
ユキオ君は来るんだろう。今だけは彼の前で私はカラーになっている。そう、確信出来た。