「助けてください。」
無意識の内に美咲ちゃんの言葉を、頭の中で何度も反芻する。
店を出る前に、状況が確認出来なかったが、勝手に美咲ちゃんがしばらく休むという連絡が入ったと店長をに伝え、自分も親が大けがをして病院に運ばれたと言い強引に店を出てきた。
まず、なんで自分に助けを求めたのか、よく分からない。
美咲ちゃんの事をよく知らないけど、なんとなく見透かされていて、助けを求めれば応えてくれるという確信を持たれていたように感じた。
ただ、かなり切迫していたという印象は強い。この状況なのだから、何かよっぽどの事があったのだろう事は、想像に易しかった。
体調が悪そうという事で、必要そうなものをコンビニでいくらか調達し、店で調べた美咲ちゃんの住所へと向かう。
ついたマンションは小ぎれいな3回建てのマンションだ。
なんとなく、美咲ちゃんは学生ではなさそうだし、最近アルバイトを始めたような女の子が一人で住めるような所なのだろうかと不思議に思った。一人暮らしじゃなければ、多分、自分は呼ばれないだろうから。
美咲ちゃんの部屋番号を確認しインターホンを押したが反応は無い。恐る恐る玄関ドアの取っ手を引く。
「ガチャ」と音が鳴り、ドアが開いた。鍵が閉まっていない。
「美咲ちゃん」
返事は無い。だが、電話の切迫した雰囲気を思い出し。ドアを開く。
「入るよー」
白い壁に木目の床の玄関に足を踏み入れる。
おそらく美咲ちゃんのものと思われる靴が数足置いてある。やはり一人暮らしに思えた。
そうなると、余計に状況は切迫する。
「美咲ちゃん。入るねー」
言いながら靴を脱ぎ、歩を進める。
奥の部屋の窓から、街灯の明かりが室内をなんとなく照らしていた。
目を凝らし、眉間に力が入る。
近づくと吐しゃ物の匂いがツンと鼻を付く。
リビングに向かう引き戸は開けっ放しで、誰かが倒れているのが見えた。
涙と鼻水にまみれ、吐しゃ物に濡れた美咲ちゃんが倒れている。
咄嗟に美咲ちゃんの口元に手を添え、呼吸しているか確認する。
大丈夫そうだ。安心して一つ、息を吐く。
とりあえず、救急車を呼んだ方がいいのだろうか。
そう思った時、後ろで「ガチャ」と玄関のドアが開いた。
振り返ると、フードを被り上下黒のスウェットを着た男がいる。190cmはあるだろうか。かなりガタイが良い。
暗くて良く分からないが、眼光がやけに鋭く、纏う空気が堅気のそれではないと思った。
そして、血の匂いが鼻を突いた。
低くて、ガラガラした声がリビングに響く
「誰だお前。」
どういう振る舞いが正解なのか、分からない。呆気にとられたまま、素直に答えた。
「美咲ちゃんと同じ所でバイトしてる者です。」
「あの・・・店に電話が来て。助けて欲しいと言われて・・・」
その男は、返事をせず、美咲ちゃんの呼吸を確認し、心なしか悲し気な視線を美咲ちゃんに向ける。
「救急車呼ぼうかと思っていたんですが。」
「病院はやめとけ。」
一体誰なんだろう。
「は、はい・・・・」
「お前、美咲に助けて欲しいって言われたんだろ?」
「・・・はい」
美咲ちゃんを一瞥し、せわしなくその人は玄関から出ていった。
「どういう状況なんだろう。」率直な感想を、独り言ちる。
まず、美咲ちゃんをこのままにはしておけない。が、どうするのが正解なんだろうと考える。
そもそも、助けを求めてきたのは美咲ちゃんだ。そう思い直し、出来る事をする。そう決めた。
明かりをつけると、目に映る部屋のぴったりな感想は殺風景だ。1人暮らしには大きすぎる2LDKのマンションには、必要最小限の家具しか無かった。そして、女の子の部屋という感じがしない。
タンスを探し、中からスウェットの上下を探し出した。服も、年頃の女の子の割に少ない気がする。
最近越して来たばかりなのかもしれない。
タオルを濡らし、美咲ちゃんを着替えさせる準備をする。
上に着ていた長いカーディガンと、ボーダー柄のロングTシャツを脱がせた。腕や手首に何かのあとがくっきりと残っているのが目に付く。
「なんだろう?」
あんまり深く考えないようにして、美咲ちゃんに付着している汚れを綺麗に拭きとる。
下着までは替えなくても良さそうだ。下に履いているジーンズも脱がせる。
また何かの跡が足首に残っている。思案したくなるのを堪え、スウェットの上下を着せる。
美咲ちゃんを抱えベットへと運ぶ。
とりあえずこれで一安心。汚れた服を洗濯機へ入れようとした時に、ロングティーシャツが破れているのが目にとまった。
もやもやと嫌な考えが胸に広がる。手足の赤い跡、破れたロングティーシャツ、堅気じゃない男、血の匂い。
美咲ちゃんの「助けてください」という声がまた頭の中に鳴り響いた。
汚れてしまったからという事にして、さっきまで着ていた服は燃えるゴミの袋の中に入れた。
コンビニで買ってきたものを冷蔵庫に入れる。
冷蔵庫はほとんど空だった。
缶コーヒーを取り出し、黒いビニールの2人掛けのソファに腰を落として缶コーヒーを呷る。
深く息を吐き出し、リビングから見える寝室を見詰めた。どうしたものか考えているうちに思いの外疲れているのかじわじわ意識が遠のく。そして、意識は落ちて行った。
遠くの方でシャワーの音が聞こえる。少し肌寒くてかかっている毛布を手繰り寄せる。
また意識が落ちかけた時に、シャワーが止まって浴室のドアが開く音が聞こえた。
美咲ちゃんの家に居る事をそこで思い出し、ソファで寝て、凝り固まった体を起こした。
ぼーっとした頭で起きていると、ジャージを着てバスタオルで髪を拭きながら美咲ちゃんが現れた。
「ユキオ君。おはようございます。コーヒー飲みます?」
「えっ。 おはよう。 ありがと」
少しして、コーヒーの香りがリビングに漂ってくる。
美咲ちゃんが、カップを二つ持ってきてテーブルに置く。
「すみません、少し寄ってくれます?」
「あ、ごめん」
昨日のは夢だったんだろうかと、ぼーっと美咲ちゃんを見詰めていた。
「コーヒー飲まないんですか?」
「あっ、ごめん。いただきます。」
と言いながらカップを口に運ぶ。インスタントコーヒーの味が口に広がる。
体が温まって少しだけ目が覚めた。
「私は、今の所大丈夫じゃないけど大丈夫です。」
「う、うん。」
「でも、大丈夫なうちに病院に行きたいのですが。一人で行ける気がしません。」
「わ、分かった。車出すよ。」
「準備するので、待ってて下さいね?」
「俺も、一回帰って着替えてくるよ・・・ちゃんと戻ってくるから。大丈夫だから。」
「戻ってくるの待ってます。」
そう言って、美咲ちゃんは少し申し訳なさそうにはにかんだ。
玄関を出るタイミングで、「とにかく遠くの街の病院に行きたい」と、美咲ちゃんは言った。
何も言わずに頷いた。
店に電話を入れると、パチンコ狂いのイワタさんが出た。数日休まなくては行けない旨を伝えるとイワタさんに、なるべく早く戻ってきてくれと懇願された。
お詫びの品を持って行こうと思った。
急いで帰り、シャワーを浴びてボストンバックに荷物を詰め、急いで美咲ちゃんの家に戻る。
マンションの外にはキャリーケースを引いた美咲ちゃんが待っていた。
キャリーケースを車に積むため運転席を降り、美咲ちゃんに近寄る。
「さあ、行きましょう!」
今まで見た事もない程に明るい笑顔で、美咲ちゃんは言った。