好きでもないアイドルに告白をしたらどうなるのか? 作:なおちー
それから三日が経ち、送別会の日となる。
もう分かりきっていることだが、
その日までプロデューサーの具合が良くなることはなかった。
車イス(レンタルした)に乗るプロデューサーが
自宅のマンションを後にする。
その車イスを押すのは将来を誓い合った夕美だ。
ちひろのマンションはここから山手線に乗って3駅ほど離れた場所にある。
夕方の通勤時間帯にぶつかってしまったので電車内では
場所を取る車イスが目立ってしまう。
「やっぱりこの時間の電車は混んでるね」
「世話をかけてすまんな夕美」
「ううん。いいのよ。優先席の方にいれば邪魔にならないよ」
夕美はあえて変装せず、しかも雑誌の表紙(経済紙)を飾った時の
服装そのままで電車に乗っていたのだから人目を引いた。
年齢問わず男性からの視線がすごい。彼らが小声で話し合う。
『やっぱ相葉夕美だよ。どう見ても本人だろ』
『あの男は誰だ? 親父にしては若いよな』
『夕美ちゃん、まじ可愛いーわ。実物はテレビで見るのと違うな』
堂々とフラッシュ付きのカメラで夕美を撮影する者もいたし、
動画で撮影してる者もいた。優先席に座っている幼児が
無邪気な顔で夕美に握手を求めてきたので笑顔で応じる。
「うちの子が、すみません」
「いいんですよ」
子供を膝の上に乗せた母親にも笑顔で応じる。
夕美の社交性の良さはまさに天性のもので
どんな人も瞬時に笑顔に変えてしまう力があった。
18時台のダイヤ。通常この時間では子供や老人はおらず
スーツを着たサラリーマンか学生さんが多いので幼児は珍しかった。
『ジネクストステイションイズ……』
アナウンスの英語が次の駅を知らせる。そこが目的駅だった。
「そろそろ出る準備するよ」
「ああ。よろしく頼む」
『ジドア オブジライトサイド ウィルオウプン』
右側のドアが開いたので夕美達は一番最後に出て、
ホームの目立たない場所で待機する。同じ電車で降りてきた
乗客が階段やエスカレーターへ一斉に向かうのを見送ってから歩き出す。
日本人はみんな一目散に目的地へ向かうから
足の不自由なプロデューサーのような人がその流れの中に入ると危険だ。
「くくっ。それにしてもあのアナウンスの英語、なまってるよな」
「あれって米国人の英語じゃないの?」
「ああ、たぶんそうなんだろうけど、俺にはおかしくてな。ふふっ」
「そんなにおかしいことなの?
プロデューサーさんは前のお仕事でずっと英語を使ってたから
普通の人とは感じ方が違うのかな」
英国英語に耳が鳴れてる人だと標準アメリカ英語は
山奥から来た田舎の人の英語に聞こえてしまうのだ。
プロデューサーは「まあ、昔の事さ」とさみしそうに言ってから、
「駅から歩いて8分くらいのとこにあるのがちひろさんのマンションだな。
今からなら十分に間に合うからゆっくり行こうか」
「はい。ちょっとしたデートみたいな気分で歩きましょう」
1月の寒風が吹き荒れる大都会の中を二人のカップルが進む。
今日もおしゃれしてスカート姿の夕美だが厚底のブーツを履いて
首には長いマフラーをしている。プロデューサーはフォーマルなスーツに身を包む。
担当アイドルの送別会のために変な格好で行くわけにはいかない。
「夕美、君は電車の中でじろじろ見られるのは嫌じゃなかったのか」
「そんなのプロだし慣れてるよ。私はアイドルになる前の方がむしろ
男の人にジロジロ見られてたよ。アイドルになってから移動中は
変装するようになったから逆にそうでもなくなったよ」
「夕美は美人だからデビューする前から男にモテたんだ?」
「モテても別に嬉しくはないけど、嫌われるよりはましかなって感じだよ」
なんとなく、プロデューサーはこう思った。
夕美はもうアイドルを辞める決心がついているから、電車内で
わざと注目を集める格好をして自分の人気ぶりを確認したかったのではないか。
相葉夕美はもうアイドルではなくなる。
それはプロデューサーとの恋愛の成り行きで決まったことだが、
本当にこれで良かったのかと思う。アナスタシアのこともそうだ。
夕美は少しも後悔してなさそうな顔だが、
年長者のプロデューサーからしたら若さゆえの過ちとしか思えない。
夕美は最低でも20代の前半までは今の仕事を続けるべきだと思った。
夕美がスマホの地図を見ながら交差点の前で立ち止まる。
「もしかして、あのマンションがそうなのかな……」
「あの女の収入でこのクラスのマンションだと……」
築5年くらいの物件で、三菱地所が建てた高層マンションである。
地上40階建て。ちっひの年収が仮に1,000万あるのなら適切なレベルだ。
いくら大手芸能事務所の所属でも一介の事務員にそんな年収があるわけないが。
「やはり怪しいな」
「知り合いの部屋を借りたとか?」
「俺もそう思った。なんか大手製薬会社に知り合いがいるとか言ってたな」
「でもその会社の人って横浜に住んでるんじゃなかった?」
「そうだったかもしれないな」
夕美の携帯が鳴る。
ちひろが、家の近くまで来てるならエントランスから
エレベーターに乗ってくれとのこと。
エントランスの自動ドアのロックは解除してあるそうだ。
「なんか急に行きたくなくなってきたな」
「そんなこと言わないの。今日は私もいるでしょ」
床だけでなく壁まで大理石で作られたエントランスに入る。
エレベーターまでの道には豪華な赤じゅうたんが敷いてあった。
ガラス張りのエレベーターから新宿区一等地の夜景が見下ろせる。
高所からの壮観な景色。こうして見下ろすと
まるで自分が日本の支配者になったような気分になれる。
ただ同僚の家に行くだけなのに世界が違い過ぎて
確かにこれならデートしてる気分になる。
ちひろの住居らしい場所は22階だった。そこで降りる。
「こんにちわ。おふたりとも。よく来てくれましたね」
なんとちひろは玄関前の内廊下の通路で待っていてくれた。
胸元がはっきり見えるパーティ用のドレス姿だ。
とても同僚の送別会に着るような服ではないが招待された手前指摘できない。
「お疲れ様です。ちひろさん」
「はい。お疲れ様です。夕美ちゃん」
夕美とちひろが交互に頭を下げる。
「ちひろさん。今日はお世話になりますよ」
「はい。プロデューサーさん。
中で美味しい料理もたくさん用意してあるので
遅くまでゆっくりしていってくださいね」
やはり笑顔の裏が読めない。
プロデューサーは嫌な予感がしたが、夕美もそれは感じている。
こういう時は同性同士の方がカンが働くものだ。夕美が笑顔で話す。
「実はプロデューサーさんが早く例のお薬を試してみたいそうなんです。
できればお食事の前にお薬を見させてもらいないかなーっと」
「お薬ね。分かったわ。今見せてあげるからまずは中に入って頂戴。
廊下も暖房は効いているけど中はもっと温かいわよ」
「お手数なのですが、お薬をできればここに持ってきてくれませんか」
「……どうしてかな?」
「色々と事情がありまして」
ちひろから笑顔が消える。明らかに部屋の空気が変わった。
プロデューサーは彼女の仕草を注意深く見守る。
「お薬だけもらって帰っちゃうだなんて、そんなさみしいこと言わないでよ。
それじゃまるで夕美ちゃんがお薬が目当てで送別会に来たみたいじゃない?」
「はい。その通りですけど」
「……」
「……」
ちひろが無表情になる。プロデューサーにも始めて見せる顔だ。
本気で怒っているのだろう。これ以上怒らせたら本当に何をするか
分からない。一方で夕美も信じられないくらい強気だ。
夕美がプロデューサーを守ると誓ったのは嘘ではなく。
実はハンドバックの中にスタンガンと毒針(コンビニで売ってる)
も用意していた。ちひろが仮におかしな動きを見せたとしても、
おそらく現役アイドルの夕美の方が素早く動ける。
「私の彼は今夜自分からそうべ…」「待て夕美」
プロデューサーが厳しい口調で止める。
「ちひろさん。今日の食事、ちゃんとお腹いっぱいに
なるくらい用意してあるんですよね?」
「え? あ、はい。それはもう食べきれないくらいありますよ」
「俺お腹ペコペコなんです。早く中に入らせてくれませんか?」
ちひろは笑顔のプロデューサーと驚愕してる夕美を
交互に見比べてから頷いた。玄関を開ける。その中は異空間だった。
「なんだこれ……」
帝国ホテルのパーティ会場に来たのかと思ったほどだ。
美しい夜景が見下ろせる、巨大なガラス張りのリビングが広がっていた。
そこにはバーのように背の高いテーブル、イス、ソファが無造作かつ
無数に並べられ、立食パーティの会場となっていた。
「すごーい。ちひろさんって高給取りの方だったんですね」
「私なんて全然ですよ。無理してこのマンションで暮らしてるだけですから」
夕美の皮肉にそう返す。ちひろはすでに夕美と目も合わせなくなった。
来客の二人はいかにも高そうな肉料理や
高級グラスのシャンパンに目を奪われそうになる。
しかし、プロデューサーは当然薬はどこですかとは聞かない。
夕美もそれは心得ている。まずは様子見だ。
(おい夕美。あの男たちが目に入ってるか?)
(うん。あのガタイの良さそうなおじさん達、明らかにガードマンだよね)
この広大な部屋の壁際には目立たないように黒服の人たちが並んでいる。
その数は10はいるだろう。
「あの人たちが気になりますか?」
ちひろがお客二人分の料理をお皿に盛りながら言う。
「彼らは私が臨時に雇ったSPの人たちなんです。
今日は大人気アイドルのアナスタシアちゃんの送別会ですよ!!
万が一このマンションに変な人たちが入ってきたら困ると思いまして」
(くだらん嘘だな)プロデューサーは心の中で失笑した。
もちろん指摘はしないが。おとなしく料理を頂く。
高級料理はもう数年も食べてないので無性に緊張してきた。
別に誰に食べ方を見られてるわけでもないのだが。
「フォークを持つ手が震えちゃってますよ。
ほーら私が食べさせてあげますから。はい。あーんして」
「あ、あーん」
プロデューサーは夕美の優しさに甘えることにした。
厚切りのローストビーフは噛めば噛むほど味が広がる。
たれの味も絶妙だった。
パリーン
「あ、ごめんなさい。私ったらグラスを落としちゃいました」
厨房の奥の方からなんとエプロン姿のメイドさんが出て来て
ちひろが台無しにしたシャンパンを処理していく。
気になったので夕美が奥を覗くとなんと本物のシェフがいた。
大柄で口ひげを生やした褐色のアラビア系の男性だ。
ちひろは今日のためにシェフまで雇って料理を用意してくれたのだ。
となると並べられた料理は作りたて。
確かに料理の質を考えるならお薬だけをもらって帰るのは失礼だ。
3人は世間話をしながらアナスタシアが来るのを待った。
プロデューサーが気になったのは他の担当アイドルの十時愛梨と
鷺沢文香がいないことだが、ちひろが言うにはあのふたりは
予定が合わなかったので残念ながら来れないとのこと。
主賓のはずのアナスタシアは仕事の後始末があるので
来るのが遅くなるようだ。すでに19時を回っているのだが。
ちひろの発言は全てが嘘くさいのでつい勘繰りたくなる。
そろそろ赤の他人になりたいとPは本気でそう思った。
「ねえねえプロデューサーさ~ん」
少し酔って来たのか、ちひろはプロデューサーに軽く寄りかかりながら
話しかけてくるようになった。ふたりの顔が近いので夕美が不快そうな顔をする
「プロデューサーさんはお若い時から高いお料理を食べてたんですから、
こんな料理なんて見慣れると思うんですよね」
「……最近は中学校の教員も低賃金になってきましてね。休みの日は
部活動の指導とかで無償労働させられてたまったもんじゃありませんでしたよ」
「実は私、株とか不動産の運用に興味があるんですよ」
「ああ株ね。ああいうのは頭の良い人がやるもんです。
すみません。俺は馬鹿なんで株とかはよく分からないな」
「私思うんですけど、プロデューサーさんって社会科の
先生だった割には英語がペラペラだったのに驚きました」
「いわゆる見よう見まねってやつですかね。俺って昔から
外人の物まねが得意だったので適当にしゃべってるだけです」
「まだご自分の経歴を隠すつもりなんですか」
「なんのことですかね?
そんなことより早く料理を食べないと冷めちゃいますよ。
このロブスター、上等そうだ。夕美、悪いけど俺のお皿に取ってくれないか」
「はい。ちょっと待っててくださいね」
これでプロデューサーは話をそらしたつもりだったが、
「私前から思ってたんですけど、
夕美ちゃんとプロデューサーさんじゃ、
ちょっとレベルが合わないですよね」
プロデューサーは、軽く目の前の女を睨んだ。
ちひろは今日まで一度もプロデューサーに対して
直接的な好意を示したはなかったが今日は積極的だ。