好きでもないアイドルに告白をしたらどうなるのか? 作:なおちー
「夕美ちゃんの通ってる大学ってプロデューサーの出身校に比べたら
かなり偏差値低いですよね。それに年もちょっと離れすぎてませんか。
17歳差だと恋人っていうより親子って感じがしません?」
「はは……やだなぁ。ちひろさん。俺は今30だから
夕美とは13歳離れてるんですよ。ひと回りの年の差
夫婦なんて今時そんなに珍しくないでしょう」
「あなたって意外と強情な人なんですね~~。
最後まで~~私に嘘つくんですから~~」
「ちひろさん……。飲みすぎですよ。
お酒には強い方だと思ってましたけど、
もしかして俺らが来る前からたくさん飲んでたりします?」
プロデューサーは彼女が飲んでいたのがウォッカと知る。
度数40度超えのプラウダ・ウォッカだ。
お酒に弱いプロデューサーがあんなのを飲んだら5分で眠くなる自信がある。
現役時代はたばこは好むが禁酒を常とする商社マンだった。
職業柄、時差ボケとの戦いもあり、お酒を飲みすぎると
二日酔いが辛く、仕事に支障が出るので飲まなくなったのだ。
ちひろは立ってるのが辛くなったのかソファに乱暴に腰を下ろした。
ようやく彼から離れてくれたので夕美がそっと耳打ちする。
(今のうちに私がお薬の場所を探ろうか?)
(まだ待ったほうがいい。SPの連中が目を光らせてる。
あの女が安心して酔ってるのも俺らが逃げられないのを知ってるからだ)
(でもこいつの話、不愉快じゃない?
頭を引っぱたいてやりたいくらいムカつくんだけど)
(不愉快なのは俺も同じだ。酒臭いし近寄ってほしくないよ。
まだアナスタシアも来てないんだ。もう少し耐えてくれ)
「ちょっとぉ!! なにふたりでイチャイチャしてるんですかぁ!!」
「あ、これはちょっと、トイレがどこかなって話をですね」
「トイレれすかぁ……? トイレならあそこの扉を出てすぐ左にありますよ」
「ありがとう。ちひろさん」
「プロデューサーさ~ん。まさか逃げようとか考えてませんよね?」
「はは……逃げるにしても妻を置いてくわけにはいきませんからね」
「妻……?」
プロデューサーはおとなしくトイレに行った。
夕美の代わりに護衛の男性が車イスを押してくれる。
トイレ内はバリアフリーになっているので感動した。
用を足す。本当にこのまま帰りたくなってしまったが、
せめてアナスタシアに別れの挨拶をするのと薬を手に入れなくては。
おそらくちひろは泊まっていくよう勧めるだろうから、それだけは避ける方向で。
よし。方向性は決まった。
プロデューサーは昔の癖で胸ポケットを探るが、
そこには何も入ってないことに気づいた。
分厚い手帳と複数の携帯を使っていた時代を懐かしく思う。
今では余計なものだと考えてスマホすら携帯しなくなった。
その方が気が楽だからだ。人と関わる仕事はしばらくしたくない。
「き、君はアーニャじゃないか……」
「プロデューサぁ……?」
廊下でばったりと合った。
「しばらくだね。君は今来たとこなのか?」
「はい。私は寮で荷物を整理して宅配で送る準備をしてたので
ここに来るのが遅くなりました」
「荷物の整理……? そっか。大変だっただろう。
まだ仕事を完全に辞めてないのに少し早すぎる気がするが」
「荷物の整理は、新しい住居に引っ越すまで時間が
ありませんから私にとって最優先事項なのです」
「……気のせいか前より日本語がうまくなったか?」
「そうでしょうか? 自分ではわかりません」
アーニャは厚手のダウンジャケットを羽織り、
インナーはタートルネックのセーターにジーンズ姿だった。
着飾った様子はなく、見た目はいつも通りだが、
これからプロデューサーとお別れの儀式をするはずなのに
悲壮感がないのが不思議でならなかった。同時に嫌な予感がした。
「プロデューサー。立ち話もなんですから早く会場に
入りましょう。ちひろが待ってます」
「そうだな……」
「そこの人、私が代わりに車いすを押します」
護衛の人は軽く頭を下げて道を開け、会場へと続く扉を開けてくれる。
アーニャとプロデューサーがペアで登場したことに
夕美は不快感を隠そうともしなかった。
「アナスタシアちゃん。来てたんだ」
「こんばんわ。夕美。ひさーしぶりでーす」
「うん久しぶり……。
私の旦那のお世話をしてくれるのは助かるけど、
それは私の仕事だからあなたはやらなくていいからね」
そう言ってアナスタシアから車いすを奪い取る。
「夕美、冷たいでーす」
アナスタシアがわざとらしく泣きそうな顔を作る。
「すまないな夕美。今日はアナスタシアの送別会だから少し抑えてくれ」
「はいはい。ごめんなさい」
夕美はそっぽを向き、頬をぷくーっと膨らせている。
小学生の女の子のような反応にPが苦笑しそうになる。
「さぁて!! これで全員揃いましたね!!」
ちひろが両手をそっと合わせる。職場でよくする仕草だ。
「さあみなさん。今日は我らがアイドル、アナスタシアちゃんが
アイドルを卒業して新しい人生を歩むことを決めた記念日としますよ!!」
ちひろが得意げに長い挨拶を始めるが、他の三人はまるで聞いてなかった。
アナスタシアは子猫のような純粋な瞳でじーとプロデューサーを見つめ、
それを夕美が視線で威嚇していた。
(やっぱりこの子、全然諦めてないじゃん。
も~。私の旦那さん職場の女の子にモテ過ぎだよ~)
プロデューサーは気まずくて仕方ない。アーニャはあれから心の整理が
済んだのかもう夕美に牙をむくこともないし、本当に昔のままだ。
(こんなこと夕美に言ったら殺されるだろうが、アーニャはまた綺麗になった。
15でこれだ。この子が夕美くらいの年になったら間違いなく
トップアイドルが狙える逸材になれたろうに。惜しいことをしたな)
「プロデューサー」
とアーニャ。何に期待しているのか瞳がキラキラしている。
「今まで私のお世話してくれてありがとうございました。
最後に私と握手してください」
「握手でいいのかい。分かったよ。ほら」
その次の瞬間、プロデューサーに衝撃走る。
(急に体が軽くなったような気がするぞ)
プロデューサーは妙に立ち上がりたくなったので
車イスから立ち上がり、姿勢を正してアーニャと握手を続けた。
「なんだこれ?」「え……?」
プロデューサーが硬直し、夕美が目を見開く。
五体不満足となってからの彼が背筋を伸ばして立てることなど
今まで一度もなかったのに。
「ちひろの言ったとおりでーす……」「実験は成功ですか」
笑いをこらえているのは、こちらのふたりだ。
純粋な笑みのアーニャと対照的にちひろの笑みは本性を出してきてる。
「いいですか。アーニャちゃん、今から彼から手を離してください」
「でも、もっと手を繋いでいたいです」
「これは実験だから言うとおりにしてください。
成功が確認できたらあとで好きなだけ彼に触れさせてあげるから」
「分かりました」
アーニャが彼とつないだ手を離す。するとプロデューサーは
力が入らなくなり、その場に倒れこんでしまう。急のことだったので
車イスに座ることもできず、前のめりに倒れてしまった。
「いってえ。唇を少し切っちまった」
「大丈夫ですかっ!!」
夕美がすぐに彼を起こしてあげた。
プロデューサーの体は相変わらず鉛のように重いし辛いのか汗もかいている。
「プロデューサー?」
アーニャが近寄ろうとするので夕美がかばう。
「それ以上私の夫に近寄らないでくれるかな!!」
「違うでーす。私はプロデューサーを楽にしてあげようと思ってます。
夕美が考えてる事は違います。私は悪いことしません」
「遠回しな言い方はしないではっきり言って。何を企んでるの?」
「なにも」
「じゃあさっきは彼に何をしたのか説明して!!」
「プロデューサーの病気を治すための治療をやってました」
「治療? あの握手が治療だって言いたいわけ?」
「そうでーす。握手したらプロデューサー、元気になりました」
「……」
「ヤーの言うこと、嘘じゃないですよ。夕美も見てましたよね」
顎に手を当て、長考する夕美の肩を後ろからポンポンと叩いたのはちひろだ。
「夕美ちゃん。今から私が説明することをよく聞いてちょうだい」
これははまだ学会で発表されてない病名だが、ここでは仮にその病気を
「アナスタシア依存症ウイルス」と名付けることにしよう。
ちひろが知り合いの研究員(中外製薬の研究開発施設に勤務)
から受け取った薬を元に改良を重ねたものだ。
以前から薬学に興味を持っていたちひろは、表向きは大手芸能事務所の
事務員としては働きながらも依存性のある薬の開発を密かに続けていた。
彼女がよく身近な従業員らに販売してる「スタドリ」は、
カフェインの大量摂取による依存症を引き起こす副作用を持つ。
いわゆる栄養ドリンクの一種だが、医学的には危険なレベルまで
覚せい剤(広義の意味で)としての効果を高めているので依存性が高い。
疲れや寝不足を感じたら活性作用(スタドリ)を求めるのが中毒者の典型。
ちひろはその中毒性を応用し、男性の根本的な性欲を
依存性の起爆剤として利用するまったく新しい薬の開発に成功した。
それは人を治療するための薬ではなく、人の体をダメにするための薬である。
一切の人間らしい感情を捨てさり、邪悪なる心がなくては完成しないものだった。
ちなみに、ちひろがプロデューサーの自宅で彼の腕に注射した例の薬だが、
あの薬は健康な人や免疫のある人でも関係なく
視神経性脊髄炎を強制的に発症させてしまう薬だった。
(もちろん小説の設定なので現実にそのような恐ろしい薬は存在しない)
そろそろ説明に疲れてきたので今回のプロデューサーの病気についてまとめる。
・プロデューサーはアーニャと定期的に会話したり
体に触れたりしないと症状が悪化する。
主に手足のしびれや疼痛(全身の痛み)を伴う。
・アーニャと触れ合う時間が極端に減ってしまうと
歩行不全状態や失明(網膜の炎症の悪化)のリスクも発生する。
患者(P)は手足の自由がないに等しく要介護状態であり、
すでに歩行不能状態に近いが、最も恐ろしいのは失明することである。
仮に視力を絶たれた場合はPが将来を悲観して自殺する可能性がある。
ちひろが説明を続ける。
「本当はプロデューサーさんの逃亡を防ぐために
手足をしびれさせるのが目的だったんですけど、
薬の効果が色々と変化してこんな形になりました。
たぶんプロデューサーさんの遺伝子が本能的に
アーニャちゃんを求めた結果の変異だと思います」
「なるほどな……最近俺の視力が落ちてきたと思ってたが、
まず視神経に作用し、そこから脊髄炎を発症する薬を
投与されてたってわけか。しかし俺がアーニャを求めてるだと……」
「はい。ご自分の欲求に関ることですから、
それはプロデューサーさんご自身が一番に感じてることでしょう?」
プロデューサーは、怒りで震えた。
確かにアーニャのことを性的にも愛しているが、
なぜちひろに夕美との結婚を邪魔されなくてはならないのか。
この件に関してプロデューサー以上に激怒してる人物がいる。
誰であろう夕美自身である。
「なんなのそれ!? ふざけるのもいい加減にしてよっ!!」
夕美はワイングラスを乱暴に投げ捨てた。
「そのわけわかんないウイルスのワクチンはないの!?
早く薬を出してよ!! 私は薬をくれるって約束でここに来たんだけど!!」
「夕美ちゃん。落ち着いて話を聞いてほしいの」
「これ以上何を訊けって言うの!? 私の夫がわけわかんない依存症の
末期患者みたいにされたのに黙ってられないよ!!
薬を出すつもりがないなら、あんたを殺してでも奪っていくよ!!」
「分かったわ。今すぐワクチン、というより薬ね。薬を見せてあげるわ」
そう言いながら、ちひろはその薬のある場所を指さした。
その先には「アナスタシア」がいる。
これはどういうことなのか? ワクチン(薬)はどこか?
そう問われ、アーニャを指す。夕美が理解に苦しむのは必至。
もはやトンチである。
ちひろは、いつもの笑顔でこう言う。
「残念ながらワクチンはありません。今開発中です。
それまでお薬代わりとしてアーニャちゃんに
触れて病症の悪化を抑えてください」
夕美は怒り狂い、小さな一人用のソファを持ち上げてガラス張りの壁に叩きつけた。
超強化ガラスのためにソファが跳ね返されて床に落ちる。
完全に割るつもりでやったのだが。
「はぁはぁ……くそ……」
おそらく火事場のバカ力とはいえ、
細身の夕美にこれだけの力があることを知り周囲は恐怖した。