好きでもないアイドルに告白をしたらどうなるのか? 作:なおちー
「神崎さん、それは君の勘違いだよ。
俺は新田さんと婚約したつもりはないんだ」
「え、でも本人が婚約したと言ってますけど」
「新田さんと同じ職場の神崎さんなら知ってるかもしれないけど、
俺と新田さんは深い事情があってマンションで同居していてね。
夕美とアーニャと四人で家族みたいに楽しく生活してるんだ」
「家族ですか」
プロデューサーはまだ息が苦しいが笑みを浮かべて話を続ける。
「そう。家族だ。俺達は仲良しだけど男女の関係じゃない。
俺達は家族以上の関係にはなれないんだよ。
みんなでそう決めてしまったからね」
(家族以上の関係とは……)
蘭子は思春期なので彼の言葉の裏を読み取ろうとしてしまう。
しかし現実は残酷だ。美波は特徴的な三日月目で笑いながら
「また私のことを新田さんと呼びましたね……」と耳元で恨み言を言う。
すごい迫力だ。
暴力こそふるってないが精神的なプレッシャーはもはや殺人的だ。
プロデューサーは重病人であり、その活動時間は短く
あと10分もすれば電池切れになる。
美波がその気になれば片手でプロデューサーの息の根を止めることも可能。
(美波さんがすごく怖い顔をしてる……)
実は美波のプレッシャーに最も脅えていたのは蘭子の方だった。
美波のこんな顔を見てしまったら明日から職場でどう接したらいいのか
分からなくなってしまう。大人の恋愛とは
蘭子が考えている以上に複雑で奥深いものだと悟った。
「三人とも、そこで何をしているのですか」
ここで来てはいけない人物が来てしまう。
しばらくこの作品で出番がなかった長野県出身の
文学少女であり大学生の鷺沢文香嬢である。
プロデューサーは一度振ったこの相手に対して
「助けてくれ」
と言った。この一言が美波に与えた衝撃は言葉では表現しきれない。
「嫌です」
と文香は答えた。プロデューサーの顔が絶望に染まる。
文香は何となく今の状況を察してはいるし今でも大好きな彼に
頼られるのはうれしいことだが、美波の内に秘めた凶暴さが半端ではない。
蘭子だけでなく文香から見ても美波を敵に回すのは
得策ではないと考えられた。文香は言葉もなく立ち去るが、
去り際に何度も彼の方を振り返っていた。なんとも未練がましい。
「邪魔な人も帰ったみたいですね。さあ私達の家に帰りましょうか」
プロデューサーは震えながらマンションに戻ることにした。
美波は底抜けに明るい笑顔で腕組みする。
Pは万力で締められてるくらいの圧迫感を感じているのだが。
(あれが大人の人の恋愛なのだろうか……。
あのプロデューサーさん、今にも死にそうな顔をしてた。
まさに混沌にとらわれた囚人の魂そのもの……)
蘭子は寮に帰ってから誰にも相談せずに今日のことを考えることにした。
彼女が哲学的に考察したいのは、あの誰よりも優しくて頼りになる
はずだった美波が、あんなに凶暴になってしまった理由だ。
そのあと夕美が家に帰って来てからが大変だった。
英国東洋艦隊の潰滅を超える規模の修羅場。
ミッドウェイ海域で赤城、加賀、蒼龍、飛龍の大型空母四隻が
一度に撃破されたのと同等の大惨事となってしまう。
「美波ちゃん。それって本当なの!!」
夕美が床に叩きつけた花瓶が割れて砕ける。
大切に育てていたお花の花瓶なのだが。
「ねえあなた。答えてよ。
どうしてこのマンションから逃げようとしたのっ……!!」
「……ほ、ほんの出来心だったんだ。
胸が苦しいから胸ぐらをつかまないでくれよ」
「私が学校に行って不在の時に……逃げようとしたんだ……。
私を裏切ろうとしたんだよね!!」
「違うんだよ夕美」
「何が違うのよ!! 答えて見なさいよ!! ほらっ!!」
夕美が怒りに任せて机をバンバン叩く。
プロデューサーはすっかり委縮して涙さえ流した。
(美波さんめ、俺と婚約できなかったからって簡単にばらしやがって)
プロデューサーは美波を見たくもなかったので心の中で愚痴る。
「お、俺だってここで囚人みたいな生活が続いてストレスが溜まっていたんだ。
だからたまには外に出て見たいと思っただけだよ。
逃げようとしたわけじゃない」
美波は自分のスマホを夕美に手渡した。
美波は証拠として彼が脱走するシーンを動画撮影していたのだ。
ちょうど玄関を開けて逃げる場面だったので言い訳しようがない。
「ふ~~~~~ん。そう。
これだけの証拠がありながらあなたは
自分が逃げるつもりがなかったって言い張るんだ?」
「あの……これはなんていうか……」
「もう絶対にあなたのこと信用しないから!!
最近はおとなしくなってきたから手錠するのをやめて
あげようかと思ってたのに残念だよ!!」
夕美は、とんでもないものを物置部屋(空き部屋)から持ってきた。
https://sumally.com/p/1327753
ハンニバル・レクターの拘束具(名作映画:「羊たちの沈黙」より)
複雑すぎて描写しようがないので上にURLを貼った。
これは米国史上最恐の猟奇殺人犯を警察が拘束するための道具である。
夕美はこの拘束具をアマゾンで買ったらしいが、
普通に考えて売ってるわけがない。本当はどこで手に入れたのだろうか。
「そんな道具に頼るより彼を充電不足にした方が効率的だよ」
と美波が的確なアドバイスをする。
夕美もそれを了解し、
アーニャを殺すくらいの目で睨みながらこう告げた。
「私と美波ちゃんが許可するまであんたは今後充電禁止ね。
異論反論があるなら今すぐあんたをあの拘束具の実験台にしてあげる。
冗談だと思う? 私は本気だよ」
15歳の幼いアーニャは、ただ震えた。
夕美も美波も大学生。
自分より年が上であり力づくでは勝てないのだ。
何よりも辛いのが、彼がこれから完全に自由を奪われることが
決定してしまったことだ。心優しいアーニャなら彼が充電切れで
苦しんでいるのを見るのが耐えられなくなる。
しかしもう完全に怒りの限界を超えてしまった夕美に逆らうのは
本当の意味で自殺行為になる。アーニャだって自分の身は可愛い。
そのロシアハーフの少女が出した結論とは
「今までお世話になりました。さようならっ!!」
まさかの脱走である。
アナスタシア15歳(名字不明)
ついに自分からこのマンションを出てしまった。
これは脊髄炎のプロデューサーに対し死を宣告したに等しい暴挙であり、
プロデューサーの人生最大の転換期を意味していた。
夕美と美波が満面の笑みでそれを見守る中、
この地獄の修羅場でただ一人残されたプロデューサーは、
最後に残った力を振り絞り、死期を悟った獣のように吠えた。
「うぉおおっぉっぉぉぉぉぉぉおおぉぉぉぉぉぉぉおおおおおっ!!」
去ってしまったのだ。あのアナスタシアが。
彼が現役時代から唯一結婚したいとまで思っていたあのアナスタシアが。
途中で美波に浮ついた気持ちを抱くこともあった。しかし
色々あってやはりアナスタシアだけが彼のパートナーだと気づかせてくれた。
彼にとってアナスタシアに捨てられることは考えられなかった。
大切に育てていた子猫に逃げられるなどというレベルではない。
ただ絶望しかない。
彼はもう2分もの間、叫び続けていた。
酸欠になり目の前がかすむ。
いっそ吠え続けることで死ねないだろうかと願う。
しかし叫んだところで事態が改善するわけもなく、妻の夕美に
「そろそろ静かにしなさい」
と注意されてしまい、彼は吠えるのをやめた。
その日、彼はもう人間ではなくなった。