好きでもないアイドルに告白をしたらどうなるのか? 作:なおちー
異変が起きたのは彼の証券口座だった。
遅かれ早かれ千川に先日の件で何らかの報復を受けるのは確実。
早めに転居の手続きをするため、まずはまとまったお金を引き出そうと思い、
久しぶりに証券口座をパソコンで口座画面を開いたところだった。
SBI証券、プロデューサー様、お預かり残高、0円
と表示されており、保有証券の数もゼロとなっている。
円建ての口座とは別に管理してある米国株式や外
貨建てのMMF(マネー・マーケット・ファンド)、
外貨両替してあるNZドルやカナダドルの残高もゼロとなっている。
予備口座のSMBC日興証券や松井証券の口座を調べても残高はゼロとなっている。
戦略的予備資産として日興證券には日本のグロース株で構成されるETFを
400万ほど買い集めたおいたはずだが、
こちらの資産まで何者かによって奪われていることが判明。
コロナ暴落直後に買い集めた資産なのでトータルで評価額が5割も増えていたのに。
「まさかこんなことが・・・・・・おい・・・・・・・うそだろ」
ただちにコールセンターに電話をかけるが、混んでいるのかずいぶんと待たされる。
というか、何かがおかしかった。音声ガイダンスにそってトラブル受付の
番号をプッシュしているのだが、30分ほど待っても人間の担当者にたどり着かない。
ニュースサイトをチェックする。
大手証券会社から顧客資産が流出したと報じてる様子はない。
テレビでNHKを映してもその手の報道はない。
彼の口座から時価3,400万を超える資産が一瞬で消えてしまったのだ。
仮にこれが大規模なハッキングだとしたら自分以外にも被害者が大勢いると思うのが
当然だが、昨日の今日だ。犯人は千川とみて間違いないだろう。
なにせ三つの証券口座から同時にお金が盗まれているのだ。
これはどう見ても普通じゃない。
念のため予備のさらに予備として持っている大和証券の口座も開いてみる。
彼が21歳の時に戯れで買ったIPOのゴミのような株が放置されているはずだったが、
なんとこちらは普通に存在する。本当にどうでもいいような不動産仲介会社の株。
いつ倒産してもおかしくないゴミ株。
思えば、こんな適当な株を買っていた時代もあったのだと
懐かしく思うが、今はそれどころではない。
「あの~~旦那さま?」
後ろから声をかけられたはっとした。愛する美波がそこにたっていた。
エプロン姿で焼いたばかりのクッキーを盆にのせている。
「なにか・・・・・・用なのか?」
「クッキーができたので一緒にお茶でもどうかなと」
「そうか。クッキーおいしそうだな。だがな、今はそれどころじゃねえんだよ!!」
「ごめんなさいっ、ごめんなさいっ!! 私また何かしてしましたか!?
勝手に部屋に入ったわけじゃありませんよ? 何度もノックしたんですけど、
旦那さまがお仕事に夢中で気づいてらっしゃらなかったものですから!!」
「んなことはどうでもいい。この画面を見ろ。俺の金が盗まれたんだ」
「残高が、0円・・・・・・?_ これってメインでお取引されてるSBI証券の口座ですよね?」
「そうだ」
「ぬ、盗まれたんですか?」
「そうだよ」
「……」
「……そんなことって、あるんですか?」
「現にそうなってるだろう」
証券会社の管理下にあるセキュリティを一夜にして突破したしたとしたら、
千川ちひろとその裏にいる集団は、直ちに北朝鮮軍のサイバーセキュリティ部から
オファーを受けてもおかしくないほどの集団ということになる。
美波もまた、犯人が千尋であることは察していたが口にはしない。
「あっ、プロデューサーさまの髪が・・・・・・」
プロデューサーはそう言われて自分の髪を鏡越しに見た。
そこには、総白髪になってしまった老人が映し出されていた。
大量の金を何者かの悪意によって一瞬にして奪われる。
それも彼が現役の商社マンだった頃からコツコツと積み立てて
成長させていった株式を中心とする資産だ。
つーんと、目の奥に痛みを感じた。
ストレスの限界を超えて持病の偏頭痛が発生したのだ。
頭の痛みの後に、吐き気が襲ってくる。
文字通り血の気が引いているので指先がかすかに震え出す。
「すまん。ちょっとトイレに」
「待ってください。私が肩をお貸します」
プロデューサーは立ち上がると同時にめまいがし、倒れ込んでしまう。
右肩を前に出す形で倒れたのですごい音がした。
心配して様子を見に来た夕美がパニックを起こしてしまい、騒然となった。
プロデューサーが目を覚ましたのは夕方になってからだった。
彼は寝室のベッドで死んだように寝ていたのだが、すぐ近くで
夕美と美波が言い争いをしているのが、なんともやかましい。
「アーニャもちひろの仲間なのは確定でしょ。
あの子ったら、ここ何日もこの家に帰ってきてないじゃない」
「そうとも言い切れないでしょ。
アーニャちゃんはまだ15歳の女の子だし根は悪い子じゃない。
人様の財産を奪うようなことに協力するなんてあり得ないと思う」
「だったら、どうして彼の資産がなくなってるの!?
これって外部からの犯行とは思えないんだよ。アナスタシアは彼にお気に入りだった
時期があったから、彼の証券口座のパスワードとか詳しいことを知ってても
おかしくないでしょ。一時はあの二人で共同でマーケットの分析までしていたんだから」
「そこまで疑うのはちょっとな・・・・・・。それに彼だってまだ
子供のアーニャちゃんには自分の大切な情報までは教えてないと思う」
「何言ってるの。疑って当然でしょうが。むしろ疑うべきじゃないの?
今朝からアーニャに何度電話してもつながらない。
これについては美波ちゃんはどう思ってるの?」
「それは確かに怪しいけど」
「でしょう?」
プロデューサーは、二人の妻のやりとりが気になるので
寝たふりをすることにした。最近は自分の前で猫をかぶるようになった
この乙女二人の本音を聞く絶好の機会だと思ったからだ。
「夕美ちゃん。証券会社にはね、顧客から預けられた資産を分別管理する
義務があるの。証券会社が顧客の資産を自分たちのお小遣いにしないように
するための義務なんだけど、万が一証券会社が破綻した場合にも、
せどりと呼ばれる機関が最大で1,000万まで保証してくれるの」
「それって証券会社が経営破綻した場合の話でしょ。
しかも大勢のお客さんを巻き込んだ大事件の。今回は全然違うじゃない。
コールセンターに電話しても全然つながらないし、どうなってるの?」
ログインしたままの彼パソコンで、証券の知識が多少はある美波が調べてみた。
確かに資産の出金指示の履歴があった。
保有証券は成行注文にて決済され、現金化した資金が出金されていた。
この時点で美波や夕美は知らないが、証券を現金化して所定の銀行口座へ
出金するのには決済と事務処理に数日を要する。所定の口座からも
現金は引き抜かれており、ゼロとなったいた。端数すら残してない。
すなわち、昨日の千川ちひろとの一件から直ちにお金を奪うことは不可能だ。
ならば犯行は計画的に最低でも数日前から行われたとみるべきだ。
美波が下唇を噛む。
「こんなこと言いたくないけど、彼は全財産を失ってしまったことになるのかしら」
「……旦那さまは銀行預金の口座にお金持ってないのかな?」
「あの人のことだから、銀行にもそれなりの金額があると思う。
でもショックでしょうね。お若い時から貯めこんでいた大切な
株の資産が、たった一日で奪われてしまうなんて」
「うん。しばらく立ち直れないと思う」
「これからどうしようか……私大学生だしそんなに貯金持ってないよ」
「夕美ちゃん、いくら持ってるの?」
「お給料の口座に76万円……。
あっ、小さい頃から貯めていたお年玉が18万くらいあったかな。
あとでママに頼めばおろしてくれるかも」
「けっこう持ってるじゃない。18歳でそれだけ持ってれば十分よ」
「美波ちゃんはいくら持ってるの?」
「私はね、1200万円かな……」
「へ?」
「驚いた?」
「驚くよ!! せんにひゃくまん!?
私たちって同じ事務所で働いてるはずだよね?
それに女子大生でまだ学生なのに1200万円?
な、なんでそんなに持ってるの?」
「小学3年生の時から、お父さんからもらったお小遣いをコツコツ貯めていたの」
「いやいや、何言ってんの?
コツコツ貯めたとしても学生の持ってるお金が1,000万を
超えてるって普通じゃないよ!!
いったい、どうやったらそんな大金を持てるようになるの!!」
「全部がお小遣いってわけじゃないのよ。
コロナのインフレが来た時にブランド物のバッグやネックレス、
腕時計を良い値で売却して現金にしたりしてたから」
詳しく話を聞くうちに、夕美は衝撃で転げそうになる。
美波は新田家の長女として生を受け、父親にそれはもう愛されて育ったようだ。
父親は大手製薬会社に勤務する取締役員であり高給取りである。
大学進学と同時に上京した娘を心配し、仕送りと称して寮の家賃半年分を
前払いしてあげたり、それ以外にも何かと現金や金券を送ってくれたのだが
やがて娘が「もうすぐ20歳になるし、いつまでも親に甘えるわけにはいかないから」
それを嫌がるようになると、今度は四半期ごとに高級ブランドのバッグなどを
送るようになった。
美波はフランス製の高級バッグを眺めながらこう思った。
「んー、私の好きなデザインじゃないし、派手な格好で着飾るのは
お仕事の時だけって決めてるから売っちゃおうかしら」
21年の秋以降に世界のインフレが爆発し、日本においても物価高が発生した。
インフレ率の上昇、すなわち現金の価値が目減りし、現物資産である貴金属や
ブランド品などの価値が相対的に上昇する。
(余談になるが、その当時、海運企業(日本郵船や商船三井)をコロナ以前の
安値の時から保持していた幸運は投資家は、その後、膨大な配当と含み益により
莫大な資産を手に入れている。資産家なら1億程度の利益が出た者も少なくないだろう)
美波は機を逃さず、一つでも多くの不要な高級品を整理することにした。
すると、結構なお金になった。バッグだけでなくエルメスの高級な
ティーカップなども含め、売却代金だけでも400万にはなったという。
「とにかく、これだけお金があるから逃亡するのには十分でしょ。
旦那さまが起きたら早く説得してこのマンションから出ましょう」
「う、うん。そうだね。脱走することに関しては私も納得してる。
ちひろは、私たちのお金がなくなったのを見越して
プロデューサーさんにちょっかいをかけてくるのは確実だもんね」
プロデューサーは寝たふりをやめて、大きなあくびをしながら半身を起こした。
美波がすぐに駆け寄る。
「旦那さま!! 具合は大丈夫ですか? 気分は悪くないですか?」
「心配かけてすまんな。たっぷり寝たから頭がすっきりしたよ」
プロデューサーは努めて明るく言うが、総白髪のために覇気がない。
水でも飲もうと廊下に出た時点で前のめりに倒れてしまう。
文字通り目の前が真っ暗になったのだ。これはRPGでよく使われる表現だが、
実際に大金を失う経験をしてみると本当にこうなってしまう。
「お金のことなら心配なさらないでください!!」
「美波は1,200万円も持ってるそうだな?」
「・・・・・・さっきの話、聞いてたんですか?」
「君たちの話し声が大きかったので嫌でも聞こえてきたんだよ」
「すみませ・・・・・・」
「怒ってないから謝らないでくれ。むしろ感謝してるんだよ」
自力で起き上がることのできないプロデューサー。美波にひざまくらを
してくれてと頼む。美波は言われたとおりにしてくれた。
白くてつやがあり、適度に引き締まった太ももがまぶしい。
夕美がスリッパをパタパタ言わせながら冷蔵庫へ向けて走る。
「あなた、喉が渇いたでしょうからお水を飲んでください」
「ありがとな夕美」
大塚製薬が販売しているポカリスエットのペットボトルを飲ませてもらう。
夕美が旦那様のすぐそばに座り、彼の頭部を少し持ち上げて飲みやすいようにしてくれた。
具合が悪い時にポカリは最適だが、彼がかつて出資していた企業の製品なことに
皮肉さえ感じられた。もちろん夕美に悪気などないことは彼にもわかるが、
どうしても資産を奪われた怒りに支配されてしまい冷静でいられなくなる。
プロデューサーの顔が、山王戦の大一番で背中を痛めてしまった桜木花道のような
顔をしていることを察したふたりの妻(彼女らはスラムダンク読者だった)は、
なんとかして彼の怒りを静めてあげようと必死になる。
「それより引っ越しのことを考えませんか!!」
新田美波嬢である。正式な婚姻は結んでないのでお嬢さんの定義に入る。
「私も夕美ちゃんもいちおう収入がありますし、
お金もそれなりの金額がありますから
どこかのマンションを借りるのは簡単だと思うんです。
問題はどこに住むか、ですよね。旦那さまはどこかご希望の場所はありますか?」
「その前にやりたいことがある」
「や、やりたいことですか」
「ああ。ある」
「・・・・・・」
「・・・・・・」
愛しの彼が怖い顔で黙り込むものだから、美波も会話が続けにくい。
なんとなく、今の彼には何を話したとしても怒られそうな気がした。
嫌われるのは怖い。でも話さないことには何も始まらない。
「それは今ここで聞いても大丈夫な内容なのでしょうか?」
「もちろんだ。何そんな難しい話じゃない。だがよく聞けよ」
「はい」
「ちひろをな」
「はい」
「ちひろをぶっ殺す」
その発言を聞いて一番の衝撃を受けたのは、相葉夕美ちゃんだった。