好きでもないアイドルに告白をしたらどうなるのか? 作:なおちー
あれから数日が経過。特におかしなことも起きないので
新田美波は846プロダクションで働いていた。
事務所内でちひろとすれ違った際は軽く挨拶をしてすれ違う程度。
美波はできるだけちひろを視界に入れないようにしていたが、
どうやら向こう側も美波に対して明確に敵意を向けているようで、
挨拶と事務連絡以外はしてこない。
「美波さんって、背が高くて、いつも堂々としていて素敵ですよね」
緒方智絵里だ。
かな子の作った手作りクッキーを小さな口で食べながらそう言った。
今美波たちは事務所内の休憩スペースでお茶を飲んでいるところだった。
「美波さんってすごいですよね。
私にはないものを何でも持ってて、本当にうらやましいです」
「いきなりどうしたの智絵里ちゃん?
そんなに褒められるほど私はすごくないと思うけどな」
「美波さんは優しくて美人さんだし、おまけに女子大生だから頭も良くて
スタイルも抜群。お金もたーくさん持ってるんですよね」
「えっと・・・・・・」
美波は嫌な予感がした。智絵里の様子がどうにもおかしい。
「よしなよ、智絵里ちゃん」
かな子が目をバッテンにしながら智恵理の肩をつかむ。
「でも、かな子ちゃんだって本当はそう思ってるんでしょ?」
「美波ちゃんのプライベートなことを話すのは失礼だよ」
「プライベートなことって何? お金のこと?」
「それはちょっと・・・・・・ここでは言えないよぉ」
いつも仲良しなはずの智絵里とかな子が喧嘩でもしたのかと思った。
智絵里の態度が美波に対してこんなにもトゲトゲしいのは初めてだ。
智絵里はそもそもオドオドしたタイプの子で、
人を攻撃するなんてあり得ないタイプの少女だ。
おとなしいのタイプなのは、三村かな子も同じである。
結局、会話らしい会話もできず、ギスギスしたまま三人での茶タイムは終了した。
このあと、智絵里とかな子は夕方の街角インタビューの収録があるため
ビルの外で待機しているワゴンに乗り込むのだが、その前に美波が
かな子だけを捕まえて、こっそりと智絵里の機嫌が悪い訳を聞き出した。
「えっと、そのぉ、美波さんが実はすごいお金持ちのお嬢様だってこと
が事務所内で噂になってるみたいなんです」
「私、全然お金持ちじゃないよ」
「え~~、そんなことないじゃないですかぁ。
19歳の人で1,200万も持ってる人なんてまずいないですよ」
かな子は、しまった、と言いたげな感じで口をふさぐ。
「もしかして、ちひろさんが私の個人情報を言いふらしてるの?」
「それは……ですねぇ……」
「どうなの?」
「ふぇぇ。言えないんです。ごめんなさーい」
「もういいわ。そこまで聞ければ犯人が分かったも同然だから」
美波はある程度状況に納得した。ちひろは、美波に関することで
あることないことを周りのみんなに吹き込んで人間関係を壊すつもりなのだ。
緒方智絵里のあの態度、おそらくお金のことだけでなく、全然関係ないことまで
広められたに違いない。おそらく、背の低いアイドルは存在価値がないとか、
子供っぽくてダンスも得意じゃない子はダメだとか、そんなところだろう。
(まるで小学生の女の子がやることみたい。
でも女が多い職場ってどこもこうだって母が言っていた)
さっさと転職しようと思った。
転居自体には夫も納得してるのだが、そんなに遠くには引っ越せない。
美波と夕美は、都内の大学に通っているから、都心から離れて他県に
住むにしても神奈川、千葉、埼玉あたりに住むことになる。
いっそ灯台下暗しということで、今住んでるマンションから
半径100メートル圏内に移動するも手だ。これなら引っ越しの手間が格段に捗る。
美波はアイドルを辞めた後は地道にアルバイトをしようと思っていた。
それについては夕美も同意している。
美波はテレビ局でラジオの収録を終えた。彼女の持ち番組ではなく
高森藍子がレギュラーを務めるトーク番組のゲストに呼ばれたのだ。
番組終了後、ネットでは好評だったと番組ディレクターに教えられてうれしくなる。
だが、新田美波が世間で人気でいられる時間はもうすぐ終わる。
「みーなみ。久しぶりデスね」
「アーニャちゃん……?」
その日、美波は収録現場のテレビ局から直帰だったので手荷物を
まとめて帰ろうかとエレベーターに乗ったのだ。そしたら
エレベーター内にいた先客が、かつてコンビユニットを組んだ相方の
アナスタシアだった。ちなみに彼女の苗字は原作でも不明とされている。
「アーニャちゃんはアイドルを辞めたはずなのにどうしてここにいるの?」
「アイドルは辞めたあとはアーティストを目指すことに決めました。
私の歌を、もっと多くの人たちに聞いてもらいです」
「アーティストですって……? それって三城常務の推薦よね?」
「そうでーす。346プロからの力強い推薦がありまーしたので、
ソニーミュージックのほうで契約が決まりましたー」
「ソニーって……超大手じゃない。まだ15歳なのにすごいね。
さすがアーニャちゃん」
「えへへ。ありがとうございまーす」
「最近うちの旦那さまのマンションに来なくなったわね。
どこか別の場所で暮らしてるの?」
「はい。新しいマンションに住むことになったのです。
会社の偉い人が用意してくれた、とっても素敵な部屋です」
「・・・・・・ひとりで暮らすの?」
「いいえ。これから二人で暮らすことになります」
「一応聞いておくね。誰と?」
「それは、美波は知らない方がいいと思います」
「どうしてよ!?」
ぴーん、と音がしてエレベーターが1階ににたどり着く。
ここで降りないと地下2階まで降りることになってしまう。
美波はアーニャを引っ張るようにして外に連れ出した。
季節は真夏。9月上旬。残暑ではなく酷暑が継続している。
夕方から夜に変わる時間帯。路上は車で渋滞し歩道は学生や
仕事帰りの社会人が行き交う。
その雑踏の中、嫌な予感がした美波はアーニャの胸ぐらを
つかんでしまっていた。
「誰と暮らすのよ!! 誰と!!」
「みなみ、顔が怖いでーす」
「いいから早く言いなさいよ!!」
「さっきも言いました。秘密です」
「言いなさいよ!!」
「嫌でーす」
「言え!!」
「今言わなくても、いずれ美波も知ることになるでしょう」
「ふざけないで!!」
美波は、ローヒールでアーニャの足を踏みつけた。
「いたっ!! 痛いです、やめてください」
「あなた、抜け駆けして私たちの旦那さまを奪うつもりなのね?
絶対に許さないわよ。どうせあなたの後ろにちひろがいるんでしょう。
あなたたち、やっぱりグルなのね。彼の口座からお金を奪ったのも
あなたたちの仕業ってことなんでしょ!?」
「美波がどうして怒ってるのか、私にはわかりませーん」
「そうやってトボけてないで、ちゃんと答えなさいって言ってんのよ!!」
ぱしーん
美波の怒りのビンタが炸裂。ラクロスで鍛えられた彼女の腕力。
普通の人なら7メートルほど吹き飛ぶほどの威力だったが、
アーニャはその場に立っていられるだけの耐久力があった。
「やってくれましたね。私も少しだけ本気でやりますよ」
どこっ
今度は、アナスタシア怒りのキックが炸裂。
新田美波さんはその蹴りをお腹にまともに食らってしまい、
背後の街路樹をなぎ倒しながら反対側の車線まで吹き飛び、途中で車道を走る
タクシーにひかれそうになりながら、もなんとか起き上がり、
アナスタシアのいる歩道まで歩いて戻ってきた。
「あまりの痛さに死ぬかと思ったわ」
「その割には元気そうです」
「アーニャちゃん、いつの間にあんなに力が強くなったの」
「ソニーでやってるボイトレの成果でしょうか」
「それって全然関係なくない? 今適当に言ったでしょ」
「あっ、もうこんな時間ですか。
家で夕飯を作らないといけないのでそろそろ失礼しマースね」
「待ちなさい!!」
しかし全力で駆けるアナスタシアの背中はすぐに小さくなっていった。
先ほどの茶番で体を痛めてしまった美波には追いかける余裕もなく。
今日あったことをすぐに愛する旦那さまに伝えないといけないと思い、
美波は急いで帰ることにした。帰りの電車の中でもアナスタシアへの
怒りで気持ちが落ち着かなかった。あの子のあの言い回しは、
明らかに旦那さまを独り占めすると宣言したようなもの。
おそらく彼の資金は、ちひろとアナスタシアが共同で管理してる可能性が高い。
金が奪われたのはもういい。その金を取り戻そうと奴らと
関ってしまうことがまずいのだ。そうなれば相手の思うつぼになる。
「あら。新田さん、こんばんは。お邪魔してますね」
何かが、おかしかった。
ダイニングには当たり前のようにスーツ姿のちひろがいた。
いつもの四人掛けのテーブルには、旦那さまも座っている。
彼は千川の対面側に座っており、
テーブルに置かれた1枚の書類とにらめっこしている。
まるで保険の外交官による勧誘ではないか。
そうしたら美波の愛しの彼は、将来子供が生まれた時の万が一に備えて
終身保険か養老保険に入ろうか悩んでいる新婚の男性となるのだろうか。
「こちらの書類は大切なお知らせになります。
新田さんがもし彼の奥さんを名乗りたいのなら、
ぜひご覧になってください」
「そうですか。では遠慮なく拝見させていただきますね。千川さん」
向こうが名字で呼んでくるならこちらも同じように返すのみだ。
テーブルに置かれた書類は、株式の移管手続き所だった。
移管とは、所定の口座から別の口座へと、
保有している有価証券を移動させることだ。
移管時に発生する手数料は償還会社側が負担するので実質無料で実施できる。
「こちらの移管予定の株式の証券コード、銘柄名、枚数を記入していただきまして・・・・・・」
「なるほど」
「加入者コードは証券会社のホームページからご覧になれます。
10桁以上の長い番号なので書き間違えのないようお気をつけください」
「はい・・・・・・。なるほど。わかりやすくて助かります」
奥さんの美波がすぐそばにいるのにプロデューサーは気づいた様子もなく
ちひろに言われるがままに書類に必要事項を記載していく。
美波がいることをちひろもまた気にしていない。
美波は書類に顔を近づける。思わず声が出そうになる。
なんと、この書類は、野村証券のネット口座への株式の移管手続き所だった。
実は彼の保有する有価証券(金融資産)は全額失われたのではなく、
彼の保有する各口座から一時的に消えていただけで、それを新たな口座へ移管するための
手続きをしないと永遠に資産が戻ることはないと説明された。
これは、もちろん半分はデタラメである。
ちひろは、彼の前ではっきりと「あなたの資産に対してイタズラをしちゃいました」と言った。
つまり彼に内緒で口座をハッキングし、有価証券および保有する現金を戯れに
引き出してしまったが、さすがに盗むつもりはないので資産をもとに戻してあげたい。
しかしSBIや松井の口座へ同じ銘柄を戻すことがシステム上の不具合などで
不可能となったため、野村の新口座へと引き継ぐことになった。
「・・・・・・そういうわけなのよ」
美波は、改めてその説明をちひろにされたので怒りで握った拳が震える。
「うふふ。そんなに怖い顔しないで。美波ちゃん」
般若の形相となっている美波に微笑むちひろ。
「私だって本当に悪いことをしたと思ってるから、こうして謝罪の意味を込めて
彼に対して慰謝料と謝礼金を支払うことにしたんだから」
ちひろが、アイパッドを起動させ、美波の夫名義の野村証券の口座を開いて見せる。
そこには、まだ移管手続きが済んでもいないのに、1億3千万円の資産が入っていた。
米国債の10年物が200百万、20年物が400万、ドイツとフランス10年国債が
100万ずつ、金地金が100万、残りは現金で総額が現金だけで1億2000万以上ある。
外国債券と金は東証ETFで保持していた。
最近の複雑怪奇な為替相場の中で、ちひろはETFに為替ヘッジをつけずに短期の円安を
的確に予想したために債権が含み損になっておらず、安定した運用をしていた。
これはヘッジファンドに近い運用であり、株式自体を保持せず現金が多いため、
資産増加を見込むことを初めから放棄している資産配分となっている。
必要事項を書き終えたプロデューサーが、ようやくテーブルから顔を上げた。
「美波。今から大切なことを話すから、ちょっと聞いてくれないか」
「旦那さま……。まさかとは思いますが、
この女狐から1億もの資産をもらうつもりなのですか?」
「そのまさかだよ。せっかくタダで1億3千万もくれるっていうんだ。
俺は病人だからもらえるものは何でももらおうと思ってな。そうだよな、ちひろ?」
「はーい♪ 私は自分で決めた約束は守りますからご安心を」
満面の笑みのちひろ。なんとも嘘くさい笑み。美波は怒りで震えるばかりだ。