好きでもないアイドルに告白をしたらどうなるのか? 作:なおちー
(おかしい)
彼はそう思い汗ばんだ拳を握る。
(なんで夕美は資産を取り返すなんてことを口にしたんだ?)
この状況で強く出ることができるのか。
不幸の手紙には返信の期日があり、それが残念なことに今夜までとなっていた。
つまりプロデューサーがアナスタシアに対して婚姻を結んで
子を宿してしまった責任を果たすか、あるいは現在の損害請求額の
目安となっている5,000万の支払いをかけて裁判で争うか。
選択肢などないはずだ。
なのに、なぜ。
「もう殺しちゃいましょうよ」
楽しげな声で新田美波がそう言った。
「だ、誰を? 殺すって言うんだ?」
「アーニャちゃんに決まってるじゃないですか♪」
彼女特有の三日月目には凶暴な獣のような迫力があった。
「待ってくれ……ちょっと待ってくれよ。俺にも考える時間をくれ」
「今日日付の21時までに電話かメールで返信をしないと裁判の手続きを
始めるって書いてありますよね。ほら・・・・・・ここに。ね?」
「裁判の準備ってのがブラフの可能性は?」
「千川ちひろの性格からしてブラフではないと思います」
「だったら夜こっそりとこのマンションから脱走すれば・・・・・・」
「それがですね。最近マンションの出入り口周辺を黒服の男たちが
歩き回ってるんですね。どうみてもちひろさんの送ってきた視覚にしか
思えないんですよ。ねえ夕美ちゃん?」
「うん。あいつらって見たことある。私と旦那さまが
千川のマンションに招待されたときに見た背の大きな外人」
それは美波の知らない彼との思い出だったので、
にわかに美波の目つきが険しくなる。
「旦那様、今から私の話を聞いてください」
と夕美が彼の目を真剣に見つめながら自らの両手を胸の前で重ねた。
19歳の大学生で現役アイドルである。
「話を始める前に、これだけは約束してほしいんです。
あなたが結婚したのは私相葉夕美と新田美波だけです。
アーニャとは絶対に結婚なんてしないし、あいつの子供なんて
認知する必要すらありません。そうですよね?」
「……もちろんそうだが、しかし今後の状況次第では」
「そうですよね?」
「……」
「そうですよね?」
「俺にも考える時間を少しだけでいいから」
「そうですよね?」
「……」
「……そうです、よねぇ?」
プロデューサーは確かな生命の危機を感じていた。
もし、もし仮に夕美の言葉をわずかにでも否定してしまったら、
また手足の自由を封じられて洗脳するまで監禁されかねない。
「逃げないでちゃんと答えてくださいよ!!」
その言葉は背中からかけられたのでプロデューサーの心臓が凍る。
怒鳴った主は新田美波だったのだ。
夕美に比べたら100倍は冷静だったはずの彼女が・・・・・・。
「妊娠したからって何ですか?
そんなのプロデューサーさんはアナスタシア・ウイルスのせいで
一時的に洗脳されてしまって、自分の意思とは関係なくあの子を
犯しちゃったからこうなってしまったんですから
責任なんてとる必要ありません。それとも何ですか?
あなたは好きでもない人と結婚して一緒に暮らしたいと?」
「……」
「そもそもですね。アーニャちゃんをあなたが選んだとしても
どうやって生活するんですか。できるんですか?
あんな子供と一緒に生活が」
「なあ、美波」
「なんです? ようやく話す気になりましたか」
「……」
「・・・・・・?」
「・・・・・・」
「ちょっと、どうしてそこで黙るんですか」
「怒らないで聞いてほしい。俺はまず妊娠の事実を確かめてから
冷静に事を運ぶべきだと思う」
「すみませんが、それは許可できませんねぇ」
「なぜだ」
「あなたがアーニャちゃんと話しちゃうじゃないですか」
「話すことが何か問題なのか?」
「あなたは、あのやっかいなウイルスに感染してるんですから、
あの子と話すことで情が移ってしまうかもしれない」
「……その可能性は否定しない」
「やっぱり……」
「美波?」
美波は、夕美とアイコンタクトをした。
無言で頷きあう妻たちをみてPは全身に鳥肌が立ってしまう。
「今あなたは、その可能性は否定しないって言いましたね?」
「・・・・・・」
「それはもう浮気をしたのと同じですよ。浮気をした人には
罰を与えるのが私たちで勝手に決めたルールになってるんです」
美波は、感情のこもらぬ声でこう言った。
【今からあなたの両目をつぶしちゃいますね。
二度とアーニャちゃんのことが見れなくなるように】
……逃げないと
殺される。
彼がそう思うのとほぼ同時に、彼の腕に手錠がかけられた。
やったのは夕美だ。
「本当に、残念だよ」
少しもそう思ってなさそうな声で、夕美はささやいた。
「あなた、さっきから震えてる。今すっごく怖いんだよね?
うん、わかるよ。これからの生活のことは心配しないで。
目が見えなくなった後のあなたのことを
私たちが精一杯お世話してあげるからね」
「眼球がつぶれちゃった後は、サングラスでもしてあげますね。
あなたの似合うサングラス、私たちが選んであげますから★」
「それ、いいねぇ★ 旦那さまの顔立ちならどんなサングラスでも
似合いそう。いっそ眼帯をしても似合うかな?」
「も~何言ってるのよ。夕美ちゃん。
片目ならともかく、両目が見えなくなった人に眼帯は似合わないでしょ?」
「それもっか。あははは!!」
「うふふふっ。あはははははははははっ!!」
二人の妻は何がそんなにおかしいのか、お腹を抱えて笑ってる。
美波に至っては床を転げまわっていた。
プロデューサーは、逃げるなら今しかないと思った。
この二人に対する愛情は嘘ではない。事実上の結婚までした。
しかし、アーニャに対してはどうしても情がある。
現役だった頃は仕事上の関係だけでなく女性としても愛していた(性的に)
その女の子が本当に妊娠したというのなら、その事実だけでも
せめて確認し、必要ならば賠償金も払おうと本気で思っていた。
(そんな金はないが)
つまり、彼が望んでいたのはアーニャに対する賠償責任を最大限に
果たすことであり、夕美や美波との婚姻関係を破棄するなど考えてないし、
そのことを誠実に伝えようとしたが、その機会さえ与えてくれなかった。
怖いのは、夕美たちも同じだった。
彼女たちも馬鹿ではないから、ウイルスと関係なしに彼がアーニャを
愛していることを知っている。本当は嫉妬で狂いそうだった。
自分たちよりも先にアーニャが彼の子を宿したことなど認められるわけがない。
彼女たちが彼に臨んでいることはただ一つ、自分たちへの愛を
まず口で誓うこと。そして、アーニャの子はおろすようにすること。
妊娠中絶でもなんでもい。アーニャが彼の子を産むのを阻止するのだ。
もし彼がアーニャに奪われるとしたら、自分たちを含めて
関係者をP皆殺しにしてすべてを終わりにするつもりだった。
(だったら俺じゃなくて、他の相手を見つければいいだけの話だろうが!!)
それはプロデューサーが監禁生活の中で寝る前に毎日思っていたことだった。
若く美しい女子大生アイドルの二人が、なぜ元Pで金もない
彼にこうまで執着してくるのか。いまだに理解ができないでいる。
「やっぱり別れようぜ」
その一言。今更嘘でしたなどと通用するほどの軽い言葉ではない。
「いま、なんておっしゃいましたか」
美波の目が、怒りのあまり限界まで見開かれている。
「……」
「プロデューサーさ~ん?」
「・・・・・・」
「が、眼球を潰すとか、そんなこと言われて俺だってショックだよ。
お前たちへの愛だって冷めちゃうだろうが」
「でしたら、やめてあげますよ」
「なんだそれ。本当にやめてくれるのかよ」
「ええ。やめますよ。だってあなたに嫌われちゃいますから」
沈黙がしばらく続いた。
美波は黙って彼の目を見つめて次の言葉を待っているが、
プロデューサーは完全にパニックになっており何を話せばいいのか
わからない。きっと何を言っても美波を怒らせてしまう。
考えが堂々巡りになってしまい、また余計なことを言ってしまう。
「美波。お前ほどの美人が何で俺になんて……」
遠回しに別れ話をしていることは明らかだった。
年上の男性を敬う美波は最初こそ黙って聞いていたが、
次第に我慢ができなくなり、低い声で彼を威圧する。
「うるさいですよ」
「俺じゃなくてもっと若くてかっこいい男を見つければ幸せに」
「うるさいです」
「今からでも遅くない。大学とかで同年代の男と知り合えないのか」
「だから、うるさいって言ってるのが聞こえませんか!!」
平手を打つ乾いた音。横向きに倒された彼は、
手錠されているので自力で起き上がることさえできない。
そんな彼を、夕美が冷たい瞳で見下ろしていた。
「私たちだって鬼じゃないんだから、
あなたの眼球をつぶすって言ったのは嘘だよ」
「どこまで信じていいんだがな……」
「早く訂正してよ」
「なにを?」
「あなたがさっき言った、不愉快なこと」
「不愉快なことって?」
「私に言わせる気?」
夕美とプロデューサーがにらみ合い、
およそ3分間の沈黙が続いた。
その間に美波が洗面所へ行って顔を洗っている。
まだ入浴前なのにメイク落としをしてすっぴんになった。
彼女は巣が綺麗なのとまだ若いのですっぴんでも十分に美しい。
美波は髪留めを外し、またまとめなおした。
いつものように背中に髪を流してひとつにまとめた。
「旦那さまは、どうしたいんですか?」
美波はそう問いかけた。
「私たちと一緒に生きたいんですか?
それとも、死にたいんですか?」
新田美波が、悪の女王にすら思えるほどの迫力だった。
「みんなでいっしょに暮らすのはダメなのか」
「アーニャちゃんとの同棲は以前もしましたけど、
すっごくストレスがたまるので私は遠慮したいですね」
「だよな」
「はい。そんな無駄なことをどうして聞いたんですか」
「俺は」
「?」
「美波のことを愛してる。もちろん夕美のことも愛してる。
だけど……ごめん。アナスタシアのことも愛してしまったんだ」
その瞬間、美波と夕美は同時にこう思った。
やはりこの人を監禁して洗脳してしまおうと。
二人の妻から人間らしい感情が失われていくのを
察してしまったプロデューサーは声を張り上げる。
「もうすぐ21時になるぞ!!」
美波が壁掛けの時計を見た。確かに、あと8分で21時になる。
もし返事をしなければ本当に裁判沙汰になるのだろう。
「わかったよ。私がちゃんと返事を送っておくからね」
夕美は、LINEメールで千川事務員宛てにこう送信した。
【お願いですから死んでください】
既読マークが、ついた。ついてしまった。
こうなってしまえば、あとは戦争になるしかない。
「うおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおっ」
プロデューサー・コバーンは、ありったけの咆哮を上げた。
重度の脊髄炎で苦しんでいるとは思えぬほどのその咆哮。
「くっ・・・・・・」
美波が、わずかにひるんだ。
この声量はどこから出ているのか?
マイクを使ってるわけでもないのに部屋中に音が響いている。
美波の長い髪の毛先がチリチリと反応し逆立つ。
腕全体に鳥肌が立つ。
「ぐおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおっ」
彼は一呼吸置く間もなく、また吠えた。
「ひっ・・・・・・」
夕美も、思わず後ずさる。
彼の叫び声は、断末魔のようでいて何かが違う。
夕美の生命の危険を感じさせるような、本能的な恐怖を感じさせる。
悲壮感。絶望。渇望。憤怒。あらゆる感情がその叫びに含まれている。
夕美はアイドルだから職業としてアーティストの一員なのだが、
人の声一つでここまで感情を揺さぶられるの生まれて初めてだった。
「おわああああああああああああああああああああああっ!!
ああああああああああああああああああっ!!」
リビングの照明が、消えた。
しかし暗闇になったのは一瞬だけだった。
高性能で長持ちするはずのLEDライトがついたり消えたりを繰り返す。
「ふぅ」
ようやく満足したのか、プロデューサーは叫ぶのをやめた。
36テイク目の録音で合格を出したカート・コバーンのような雰囲気だ。
(彼は作曲や録音に満足しないと、その曲はゴミ箱行きだとよく言っていた)
思わずタバコを吸いそうな顔をしているが、彼は病気なので禁煙は絶対だ。
「だ、旦那様、いきなり怒鳴ったりしたらお体に触りますよ……・」
美波が遠慮がちにそう言わざるを得なかった。
本当は彼の顔を正面から見るのさえ怖かった。
夕美は黙ってる。
「ああ、急に叫んだりして悪かったな美波。
ニルヴァーナの影響かな。あの曲を聞いてると俺まで叫んでしまいたくなるんだ」
「音楽家の……憑依(ひょうい)ですか」
「憑依だと? なんだそれは」
「たまにあるそうです。毎日好きなアーティストの曲ばっかり聞いていると、
その人の霊が体に宿ることがあると」
「オカルトか」
「オカルトですよ」
「ふふっ。そっか。あいにく俺は自殺したカートと違って27歳じゃないんだけどな。
ところで美波。俺のこの手錠、外してくれないか」
「でもそれは……」
「もうすぐちひろがここに来るんだろうが。手錠したままじゃ話しにくいし
いかにも君たちが俺を監禁してるってことで相手に付け込ませるスキを与えるぞ」