好きでもないアイドルに告白をしたらどうなるのか? 作:なおちー
美波は彼の言うことはもっともだと思ったので手錠を外してあげようと思った。
しかし、夕美は見るからに不満そうな顔をしている。
「この人、ちひろと話し合いをしてる最中に逃げようとしてるのよ」
「そんなの、わかってるわよ」
「だったら美波ちゃんはどうして素直に言うことを聞いてるの!!」
「私の意志は別に……。だって彼が手錠を外してほしいと望んでるんだから。
ねえ旦那さま。そうですよね?」
彼は首を縦に振った。
「でしたら」
美波が衣装棚の奥に入っていた鍵を持ってきて手錠を外してあげた。
「私は決してあなたを疑ってるわけじゃないんですけど、
あなたには前科がありますからね。ですから念のために
ひとつだけお願いしたいんですけど、ここから勝手に逃げないでくださいね?」
「俺が逃げるだって? 馬鹿なことを言うな。俺は君たちと結婚したんだし、
ここは俺の契約したマンションだ。俺に逃げる場所なんてあるわけがない」
「……」
「美波?」
「はいはい、そうですか!! よかったです!! それなら安心ですね!!」
美波が、荒れた。
彼女は何を思ったのか、閉じていたリビングのカーテンを開き、
固く握った拳をもってガラスの窓を殴る。
割れた破片が床に散らばり、美波の拳にも小さな破片が刺さっている。
夕美は唖然とし、その様子をただ見守っていた。
それは「旦那様」も同じだ。
誰よりも冷静で取り乱すことのなかった美波が、本気で我を忘れている。
彼はもう美波と会話すらしたくないと思っていたが、話し合わないことには
この問題は解決しない。つばを飲み込んでから口を開く。
「美波。なにしてる?」
「はぁはぁ……もうね。私はあなたの口だけの約束なんて信じられないんですよ」
彼女は鬼の形相だ。
「奴らと会う前にアーニャが妊娠した件をどう思ってるのか教えてくださいよ。
あの子があなたの子を宿したことを認めるんですか?」
「……」
「そうやって黙るのやめてください!!」
「っ……すまん。ちょっと考えてたんだよ。事実は事実として認めるしかないだろう。
だが、慰謝料を払えばこの件は解決するってことなんだと判断し
裁判にはせずに示談にするつもりだ。金のことは、
そうだな。最悪俺の親兄弟や親せきに頼み込んで何とかしてもらうか」
「もしお金で解決するような簡単な問題なのなら、私の方でも
宛てがないわけでもないですよ。私の親もそれなりにお金に余裕がありますから」
問題はそこじゃありません。と美波が声を荒げて言う。
「結局、あなたが愛していたのはアーニャだけで、
私や夕美ちゃんのことなんてどうでもよくなっちゃうんでしょ!!」
「それは話がおかしいな。俺は示談するといってるだろ。
それは君たちの婚姻関係と共同生活を継続するためにだな」
「でも……子供が生まれてしまったらもう……」
この時、夕美は致命的なことに気づいた。
彼女らが旦那と呼ぶ男は、実は外国に本当の結婚相手がいて娘までいるのだ。
事実上離婚していてもう未練がないといった風な
言い方をしていたが、日本で働きながらも生活費の仕送りはしていた。
未練が全くないわけではないだろう。
本当の妻にあれだけ冷たい態度をとられても娘のことは大事なのだ。
やはり、彼は最後はアナスタシアと生まれてくる子供に
対して情が移ると考えた方がいい。
それにちひろが彼に投与したウイルスの効果も気になる。
今はまだ夕美たちの体に反応してくれてはいるが、その効果が
次第に変化してしまったら? 彼が、またアナスタシアに触れることでしか
病気を制御できないようになってしまったら?
電話が鳴る。夕美の携帯には「千川ちひろ」の文字が。
「ちひろさんですか?」
「こんばんわ~~~。さっきの夕美ちゃんのジョーク、
とっても面白かったわよ。死んでくださいとか……。あははっ。いやね。
夕美ちゃんったら。ここはイングランドじゃないんだから
ブラックジョークを言われても反応に困っちゃうわ」
「長話をするつもりはないので要件をどうぞ」
「あれれ? 夕美ちゃん、もしかして激おこさんですか?」
「要件を言ってください」
「はいはい。そんなに怒ってるなら話を進めてあげますよ。
ちょっと彼と変わってほしいんですけど」
「……」
「だめでしょうか?」
「わかりました。今代わりますね」
夕美はスピーカーホンにしてから携帯をテーブルの上に置いた。
旦那が、テレビ前のソファから移動してダイニングのテーブルの前に座る。
「久しぶりだな。ちひろ」
「はーい。お久しぶりですね~」
「けがは、大丈夫なのか?」
「あはっ、心配してくださるんですか? ありがとうございます★
実は体中がガタガタになっちゃって全身ミイラみたいな
格好で電話してるんです。こんな体なので愛するあなたの前に
姿をお見せできる状態じゃないですよ。残念ですけど電話で我慢してくださいね」
「話を進めていいか?
アーニャの妊娠の件で君たちが納得できるだけの
慰謝料を払って終わりにしようと思ってるんだが」
「慰謝料を払っていただけるんですか」
「いくら欲しい?」
「その前に私から質問していいですか?
もしかしてプロデューサーさんは夕美ちゃんと美波ちゃんとの
同居生活を続けたいってことなんですかね?」
「そうだが何か問題でもあるのか?
俺は二人のことを愛してるから離れて暮らす必要はない」
「ふふっ……くくっ……ぷっ……ふふふふっ」
「なぜ笑う?」
「い、いえっ。これはですねっ。なんでも……ぷぷっ……」
「貴様。ふざけてるなら電話を切るぞ」
「待ってください!! 本当に失礼なことをしてすみません。
そうですねぇ。もし美波ちゃんたちとの恋愛ごっこを続けたいと
おっしゃるのでしたら、慰謝料の額を引き上げないと
アーニャちゃんは納得しないと思いますよ」
「いくらだ?」
「2兆円」
プロデューサーは聞き間違えだと思い、美波や夕美と顔を見合わせた。
妻たちも同じように思ったらしく困惑している。
夕美は頭痛がするのか頭を押さえている。
「ちひろ。お前は今なんて言った?」
「ですから、2兆円ですよ」
「お前は今日本語を話してるんだよな?」
「はい」
「2兆円だと? ふざけるな。
2兆円の価値をお前は理解しているのか?」
「1億円の2万倍で2兆円ですね。
むしろあなたの方こそちゃんと理解してるんですかね」
「俺が疑いたいのは貴様の正気だが」
「私はいつだって正気ですよ。
それで払っていただけるんですか??」
「払える額だと思っているのか? おまえな、2兆円って額は、
我が国の大企業……そうだな。京セラやニデック(旧日本電産)の利益剰余金の
額と同等だ。それを一個人が賠償金として払えるわけないし、
そもそそも一般的に裁判で請求できるわけねえだろ」
「裁判はしませんよ。めんどくさいし。だからここで個人間の
トラブルの解決策として示談金を2兆円要求しようかなと」
「狂ってるな」
「あなたに言われたくありませんね」
「2兆円はさすがに額がでかい。なんとかして額を減らしてはくれないか?」
「なんと私と結婚してくださると示談金が割安になるんですよね」
「……アーニャがそれで納得するのか?」
「もちろんアーニャちゃんとも結婚してもらいますけどね。
いわゆる重婚ってやつですよ!!」
夕美が小声で「死ね」と言っている。
美波もまだ出血してる拳を握り、歯を食いしばりながら聞いていた。
「そこでお得なお話があります」
千川事務員が続ける。
「あなたがどうしようもないくらいに頑固な人間だとします。
どうしても夕美ちゃんたちとの恋愛ごっこがしたいとします。
そして美波ちゃんと夕美ちゃんもあなたに執着するとします。
その場合は私から慰謝料のお支払いプランの提案があります」
「そうか。聞きたくもないが一応聞こうじゃないか」
「分割払いでいいですよ。2兆円って、ちょっと一度に払える金額
じゃないと思いますので、利息込みで毎月200万ずつでいかがでしょうか?」
「それは返済にどのくらいの年月が必要なのか計算はしてるのか?」
「たぶんあと3千年くらいかかるかも知れませんね」
「ふざけるな」
「ふざけてませんって。私はいつも本気ですよ」
「アーニャと代われ」
「あいにくですが、アーニャちゃんはもう寝てます」
「その言い方をするってことは、変わりたくない事情でもあるのか?」
「すみません。間違えました。今日は夜遅くまで収録をしてますね」
「レコーディングか?」
「そうです。ただし、歌じゃなくてラジオですけどね」
「そのラジオ番組を確認させてもらってもいいか?」
「はい。今から文化放送を聞いてみてください」
美波がスマホでラジオアプリを開くと、本当に夜の歌番組に
アナスタシアがゲスト出演していた。元有名プロダクションの
アイドルで現在はアーティストをやってることを楽しげに語っている。
「参考までに賠償額の根拠ですが」
ちひろが語る。
「今はソロで活躍してるアーニャちゃんが出演しているテレビやラジオ番組の
関係者、雑誌や新聞関係、ソニーミュージック、あとスポンサーですね。
スポンサーが何気に大企業ばかりそろってますので、例えば資生堂とか
花王から5,000万くらいの損害賠償額がソニーに請求されちゃうんです」
「人気アーティストが中学生で妊娠してた事実が発覚したら
確かに訴えれてもおかしくはないが、問題は額の大きさだ。
兆ってなんだよ。せめて1億程度ならわかるが、
なんで俺に対して2兆円も請求するんだ。
日本政府が毎年支払う日本国債の利払い費に匹敵するんだが?」
「財務省の債務総額を考えると、たぶん7兆円くらい払ってるんじゃないですか?」
「今のはたとえだ。そんなことはどうでもいい」
「そうですね」
「私の本音はですね。あたなが夕美ちゃんたちと恋愛ごっこをするのが
許せないというか。そんな感じです」
「お前の私情のせいで2兆円になったのか。ふざけんじゃねえと言ってるだろが」
「私はふざけてませんって」
「さすがに電話口だけでこんなことを決めるのは無理がある」
「でしたら後日そちらのお宅に伺ってもよろしいですか?」
「かまわん」
プロデューサーは確かに自分の骨がきしむ音がした。
隣で話を聞いてる美波が、
ラクロスで十分に鍛え上げられた握力で彼の腕を握っているのだ。
「み、美波・・・・・・」
「ど~~して奴がこの家に来る話になってるんですかぁ?」
「わかったよ。今からことわ・・・・・・」
彼が何か言う前に、夕美がスマホの電源を切ってしまう。
「話はこれで終わりね。あんな女と会う必要はないよ」
「夕美……。今奴相手にそっけない態度をとるのはまずい。
恨みを持たれたら、あとでどんな仕返しをされるか想像もつかないぞ」
「かと言って話で解決するような問題にも思えないけど。
それともあなたは200万円を分割で毎月支払いたいの?」
「総額2兆ってのは、さすがに冗談だろうよ。
あいつだってまだ25の女だから相当気が立ってるんだろうよ」
「だとしても、私はちひろと関わるとと全員が不幸になると
思ってるからもうかかわらないでよね」
「夕美は奴の副業が闇金だということを忘れたのか?」
「それは……でもそうだとしても、逃げれば」
「逃げるのは不可能だろう。奴のバックにいるのはヤクザだぞ。
たとえ外国に逃げたとしても追ってくることだろう」
その話を聞いて美波が真っ青な顔をしているのでプロデューサーが
訳を話してあげた。頭を抱えて考え込んでしまっている夕美と対照的に
美波は現実的なことを考えた。
広島出身の美女は、自信に満ちた顔でこう言った。
「私の意見を言います。
相手の背後にヤクザとかテレビ局がいるのなら、下手に動き回るよりは
堂々とこの件を世間に公表してしまえばいい。裁判、受けましょうよ。
今プロデューサーさんはお仕事をされてないのでいつでも出廷できる。
民事裁判の結果での妥当な損害賠償額なら、私たちなら払えないことも
無いと思います」
「確かにな・・・・・・」
プロデューサーが顎に手を当てる。
彼の切れ長の瞳には現役時代の知性が宿っていた。
「問題は支払う額だが、ずばり俺の予想を言うと3,000万以上は覚悟した方がいい。
未成年相手を妊娠させたってのが痛いな。原告はアーニャの所属してる音楽会社に
なるとして、奴らが納得するだけの額と、未成年への性的暴行で刑事罰の対象にも
なるので懲役刑を回避するための裏金も必要になる。だいたい500万は必要だ」
「その刑事罰に執行猶予はつかないんですか?」
「原則としてつかない。日本の司法は性的暴行事件に関して特に厳しい」
「ひどいですね・・・・・・一体どれだけのお金が必要になることやら。
こちら側の弁護士を雇う費用も考えると、
都内の一等地に家が買えてしまうかもしれませんね」
「アーニャを説得するべきか」
「確かに、アーニャちゃんに土下座をしてでも許してもらった方が
安く済みそうですが、それではあなたが・・・・・・」
「美波。ここはアーニャに謝って許してもらうしかないだろ」
「そうですね。でも今回の件で本当に謝るべきなのは・・・・・・」
「ちひろの方かもしれないな。すさまじく理不尽だが」