好きでもないアイドルに告白をしたらどうなるのか? 作:なおちー
「尋問の最中に抵抗されると困るので最初にこれを」
「おい。なにをするつもりだ!!」
ちひろが怪しげな注射器を取り出した。
「暴れないでくださいね~。少しチクッとしますよ」
プロデューサーはまずいと思って腕を引くが、アナスタシアが
後ろからプロデューサーを押さえつけ、
大騒ぎしてる間にちひろがさっさと注射器を刺してしまう。
「ぐっ」
――それ以上暴れたら針が中で折れてしまいますよ?
と愛しいアーニャに耳打ちされて血の気が引く。
無色透明の液体がプロデューサーの中へ注入されていく。
「ちぃっ……!! 中身は……? 何の薬が入っている 言え!!」
「神経系に関するお薬です。一般的には筋弛緩剤と呼ばれる麻酔の一種です。
この程度の量でしたら後遺症はないと思いますから大丈夫。
およそ3時間くらいは思ったように力が入らなくなると」
その効果はすぐに表れた。
プロデューサーは急に手足の感覚が薄れてきたと思ったら
もう座っていることさえ困難になり、枕に対して顔を埋める形で
倒れこんでしまう。だが眠くはない。意識はあるのにこんなにも
体が動かないのは生まれて初めてだった。
(この感覚は……全身麻酔だろうか。少し違う気もするが)
※最近の筋弛緩剤は経口薬が多く注射は一般的ではありません。
またちひろの薬に関する説明はウソで、当作品のプロデューサーの
状態は、より正確には痙縮麻痺(けいしゅくまひ)です。
痙縮 けいしゅく
脳・脊髄の障害のために手足が突っ張るようになり、
手足を曲げられない、関節が屈曲・伸展してしまい思うように動かせない、
などの運動障害のもとになる症状。
脊髄損傷やALS(筋委縮性側索硬化症)のような脊髄や神経の病気。
プロデューサーは今自分が置かれた状態が相当にまずいのは分かる。
詳しい症状は不明だが、今自分は手足の自由を完全に封じられている。
笑顔の裏に鬼の形相のをひそめるちひろ。自分に対し殺意に近い敵意を持っている。
天使だったはずのアナスタシアの瞳から光が失われた。
プロデューサーが誰よりも愛したこの娘でさえも
ヤンデレになってしまったのだ。
プロデューサーは思わず遺書を残したくなる。
だというのに、夕美はこの状況でもまだ寝ている。
のんきなものだ。アナスタシアがそんな夕美の髪の毛をつかみ始めた。
何をするつもりなのかと思ったら、ブチブチと音がするほどの
勢いで夕美の美しい髪の毛を引っ張ったではないか。
「いたぁ!! 痛い、痛いっ、痛いよぉぅ!!」
「目が覚めましたカ? 泥棒猫さん」
「はっ!? ここはどこ? プロデューサーさんのおうちだよね?」
「そうですよ」
「アナスタシアちゃん!?」
「あなたに名前で呼ばれると私は嫌な気持ちになりまーす」
「えっ? 待ってくれる。待って。これってどういう状況なの?」
ちひろがいつもの冷静な口調で説明を始めた。
まとめると下記になる。
・アーニャがひとりでプロデューサーの家に遊びに行くことを知った。
・理由を聞いても教えてくれなかったので怪しいと思い、
今日プロデューサーが休みなこともあり同行することに。
・なぜかマンションは出入り自由となっていたので普通に入れた。
・そしたら夕美とプロデューサーが裸で寝ていた。
プロデューサーからしたら三番目の内容が納得できないが、
ちひろにとって四番目が大問題だった。
担当アイドルと身体の関係を持つなど言語道断だが、
しかも仕事を休んでまで行為に及んでいたとなれば十分な解雇事由になる。
それにアナスタシアを惑わしておきながら、実は由美が本命だったとは
どういうことなのか。またこの件を愛梨や文香にどう説明するのか。
以上の理由を笑顔(般若)で問い詰められるプロデューサー。
プロデューサーが唯一自由に動かせるのは口だけである。
ある意味営業職を極めていた彼にできるのは、言い訳をすることだった。
「今から俺が全部説明しますよ。だけどその前にお願いがあるんだ。
うつぶせの状態だと息をするのも苦しいから
せめて仰向けの状態に寝させてくれませんか?」
「いいですよ」
ちひろはそう言いながらプロデューサーを優しい手つきで介助した。
(ん?)
プロデューサーが妙だと思ったのは、彼の体に触れる時のちひろの様子だ。
なぜか息が荒かった。職場での彼女と雰囲気が少し違うと思った。
ちなみにプロデューサーは全裸である。夕美も同じだ。
夕美は恥ずかしいので薄手の毛布を体にまいて隠している。
「では説明をどうぞ」
「はい。今から言うことをよく聞いてください。
ちひろさん……胸ポケットの中のICレコーダーは隠さなくていいですよ。
堂々と録音してください。その方が会社のためにもなるでしょう」
「気づいてましたか。さすがですね」
ちひろはスティック型のステレオICレコーダーを彼の枕元に置いた。
ソニー製であり世界のビジネスシーンで愛用される製品だ。
「まず、これだけは誤解のないように言っておきたい。
夕美は悪くないんです。夕美は何も悪いことはしてません」
(え?……プロデューサーさん?)
夕美は驚き、アナスタシアが目つきを細める。ちひろは笑顔だ。
「俺と夕美は見ての通りこんな関係になってしまいました。
でもそれは俺が夕美を自宅に誘ったからであって彼女の意志じゃない。
夕美と会ったのだって、たまたま昨日の昼過ぎに近所のスーパーで…」
「はいちょっと待ってもらってもいいですか?」
ちひろが手を上げる。
「その嘘っぽい説明にも腹が立ちますけど、問題はそれ以前のことです。
プロデューサーさん。ズバリ聞きます。
あなたはアナスタシアちゃんを捨てて夕美ちゃんを選んだとみていいんですか?
もしそうなら文香ちゃん達にもそう伝えますけど」
「……」
「ここは裁判所じゃありませんから黙秘権はありませんよ。
私とアナスタシアちゃんをこれ以上怒らせるつもりなら
夕美ちゃんにもあなたと同じようなお注射を…」
「どちらかを選んだってわけじゃありません!!
夕美は俺にとって大切な女の子だから守ろうとしただけです!!
俺が首になるは結構。それは会社が総合的に判断するだろうから俺の所存ではない。
好きにしてくれ。ただし夕美はまだアイドルを続けたいだろうし、
こんなスキャンダルが公になったら彼女の今後の人生が台無しになるでしょう?」
「ふーん。やっぱりプロデューサーさんは夕美ちゃんが本命だったんですね」
「ちがっ…」
――ブリャーチ(блядь)!!
吠えた。あのアナスタシアが、吠えたのだ。
「будь там обманутый женщиной!!」
「успокоиться это не」
「シト!?」
「アーニャ……。どうか最後まで話を聞いてくれないか」
「а ты говоришь по русски?」
「ダー。少しだけ、だけどな」
彼のロシア語に一番驚いたのはアナスタシアだった。
彼は今まで皆の前でロシア語を披露したことはないし、
その発音も日本人にしてはアクセント部分の長母音がしっかりと
強調されていて、イントネーションにもそれほど違和感を感じなかった。
「はいはーい。待ってくださいねー。
ちょっと何言ってるか分からなかったので今の会話を日本語に直してください」
「分かりましたよちひろさん。すみませんでしたね。
アナスタシアは、夕美が俺を惑わしたんだって言いたかったみたいです。
ロシア語が話せるのかと聞かれたので少しだけなって答えました。
あと俺は少し話を聞いてくれって頼んだんです」
「最後は日本語の部分でそう言ってましたね」
「はい。別に難しいことは話してませんよ」
「プロデューサーさんって、ロシア語の勉強もされてたんですか」
「まあアーニャのサポート役ですから、それなりにはね」
ちひろがプロデューサーを冷静に値踏みする。
今のロシア語の会話の仕方はなんとなく独学ではない気がした。
まるで以前に外国にいた経験があるような。
自分からロシア語を話すのは苦手そうだが、
アナスタシアがネイティブの速度で話すのを難なく聞き取ってるのだ。
アーニャは親の仇を見るような目で夕美をにらみつけている。
今にも襲い掛かりそうな雰囲気だ。
夕美は今まで黙っていたが、どうやらプロデューサーが自分を
かばってくれてるようなので言うなら今しかないと思った。
それはすなわち、ちひろの襲来、アナスタシアの嫉妬、
都合の良いことにICレコーダー(証拠)が残されるのを逆手に取る発想だった。
「ちひろさんとアナスタシアちゃん。今まで黙っててごめんなさい。
実は私相葉夕美とプロデューサーさんは結婚する予定だったんです」
アナスタシアは絶句し怒りに燃える。ちひろは目を見開くがまだ冷静。
一番衝撃を受けたのは誰であろうプロデューサー自身だ。
もちろんそんな約束などしてないが、
そんな彼の気持ちも知らずに夕美が続ける。
「きょ、今日のお昼前もね、我慢できなくなってふたりで愛し合っちゃったんだ。
その時に、プロデューサーさんがね? やっぱり俺は夕美のことを
誰よりも愛してるし大切な存在だと思ってるから
二人で仕事を辞めてから一緒に暮らそうって言ってくれたんです」
アナスタシアが奇声を発して夕美に襲い掛かったので
ちひろが羽交い絞めにして止める。
夕美の首を絞めてしまいそうなほどの迫力だった。
「ちひろ。なぜ止めるですか!!」
「アナスタシアちゃん、今からプロデューサーさんの意見も聞くから。
もう少しだけ待ってあげて」
「ふー!!ふー!!」
「気持ちを落ち着けなさい。人の話は最後まで聞かないといけないわ。
それが社会のルールなの。それに無駄な争いをするよりは
話し合いで決着をつけた方が賢明でしょ?」
「はい……。分かりました」
「良い子ね(;´∀`)」
ちひろは試しに彼に英語で問いかけてみた。
「ヘイミスターピー,アイドントノウ,ワットシーセイドイズ
とるぅー,ギブミィモアディテイルズ,プリィズ?」
「ジャストアミニッツプリィズ」
「カモンミスターピー。ヨウマストアンサア ライトナウ オア
シュドアイテルユーセイムシング モワザン ハンドレットタイムス?」
「アイノウイット!! アイ……アイハドアプラン ユウノウ?
アイワズトライグトゥビーマリッド ウィズマイラブリィアナスタシア
アフタア ファイヤマイジョブ オブ三城プロダクション
バットナウ、イットワズジャストアプラン!! ぶろうくドまいプラン!!」
「ウェイトユーファッカー。へい、あーゆー、リリー?」
「イエス。アイアムスピーキングトルー。シーマイアイズ」
「じゃあプロデューサーさんは本当はアナスタシアちゃんを
愛してたのは間違いないんですよね」
「はい。今でもアナスタシアのことは好きですが、
成り行きで夕美のことを愛するしかなくなりました。
もちろん最初はそんなつもりはありませんでしたけど、
もう夕美を一人にするわけにはいかないでしょう」
「だそうですよ? アナスタシアちゃん。要約すると
彼はあなたを捨てて夕美ちゃんの乗り換えるわけだけど」
アナスタシアは、もはや怒りの感情さえ超えた。
「そんなの……私は、絶対に認めません」
「アナスタシア……」
そう。夕美を選ぶとしたら、また新たなヤンデレを作り出すことになる。
プロデューサーは、今まで一番に可愛がっていた
アナスタシアのこんな顔を見たくなかった。
だったら、夕美を捨てればいいのか? 彼には負い目があった。
昨日秘密を知られた時にあれだけ乱暴したのに、
夕美は朝早く起きて朝ご飯を作ってれた。
それに今日のお昼だってまた抱き合ってしまった。
これはもう運命なのではないか。
「ごめんね。アナスタシアちゃん。彼はもう私のものだから」
夕美はそう言い、静かに笑う。
その愉悦に満ちた顔は、アナスタシアを狂わせるのに十分だった。
「この、女狐が!!」
「いたっ。ちょ、やめてよ。腕に噛みつかないで」
「なぜですか!! なぜあなたが私の彼を奪うですか!!」
「だ、だってプロデューサーさんがそう言ってるんだよ?
アナスタシアちゃんが悔しいのは分かるよ。
でもこれは仕方ないことじゃない!!」
「プロデューサーは悪くない!! 夕美が彼を惑わした!!
かれをろーらくした!!」
「だから痛いってば!! 腕から血が出てきたからもうやめてよ!!」
飢えた猟犬のように噛みつくアーニャをちひろが押さえつけるが
すごい力だった。小柄なちひろでは吹き飛ばされそうになる。
なおも暴れるアーニャと、ベッドの隅で脅える夕美。
完全なる修羅場だ。ここでプロデューサーが低い声で命じた。
「アーニャ。もうやめろ」
「プロデューサー……」
「それ以上夕美を傷つけたら、俺はお前を許さないぞ」
体が薬で痙攣してる割に彼の眼力は衰えてない。
「なぜこんな女をかばうのですか。ぜんぜん、わかりません。
この女は、私をいじめてたの、忘れましたか?
私の足を踏んだりしてました。プロデューサーも怒ってました」
「……」
「プロデューサー、どうしてですか。私のこと飽きちゃったのですか」
「そういうわけじゃ、ないんだけどな……」
プロデューサーはさみしそうに言って目を閉じる。
涙で売るんだアナスタシアの目を見つめることができなかったのだ。