夜、慧音は翁の家で寝ていた。布団の中でお腹の子と共に横たわる。
(いつから、私は道を間違えてしまったのだろう。)
自分の理想とは全く違った現在…、その原因はなにか。
夢の中で、慧音の自分自身の追憶が始まった…。その原点から。
慧音は、幻想郷の人里で誕生した。両親は二人とも人間で、彼女も元々はただの人間だった。
三人の家族は、幸せに暮らしていた。慧音は里の平凡な少女として一生を終えると誰もが信じていた。
……はずだった。
慧音はある夜、眠っている途中でふと目を覚ました。奇妙な気配を感じた。
そして、枕元に何者かが近付いていた。慧音は振り向くと、白い獣が佇んでいた。
慧音は驚愕し叫ぼうとするも声が出ない、不思議な力で少しも動くことさえできない。
白い獣が彼女に囁いた…。
「お前は、選ばれた。」
そう言い残し獣は、光と共に消えていった。彼女は眠りについてしまった。
この時慧音は知らなかった、白い獣の正体が神獣・白澤だということを。この瞬間から彼女は、半人半獣の半妖になったことを。
それから三か月後
人里では夏祭りが開催された。彼女とその家族も祭りを楽しんでいた。この幸せがすっと続く、そう無邪気に信じていた。
祭りが終わり、慧音と両親は一緒に帰っていた。家まであと少しという所で……。
夜空の暗雲が去り、満月が天上に姿を現した。不気味なほどに、黄金に輝いていた。地上を月の光で照らしていく。
「と……父さん、…母さんッ…。」
「っどうしたの?慧音…。」
彼女の身体が震えだす、月光を浴びたと同時に。
「身体がッ……あ………熱いッ!」
「具合でも悪いのかッ?医者に診てもらって方がッ」
「う……オ……ァ……ガッ……ッ!!」
「!!!?ッ」
突然、慧音の頭から二本の角が生えた。まるで、天を貫くかのような長く巨大な角だった。
髪色も青のかかった白色から緑に変色し荒ぶる波のように逆立っていく。
口から牙が生え変わり、顔が獰猛な肉食獣のように豹変していく。
両親の頭は真っ白になった、仰天して意識が遠のいた。自身の娘の変わりように。
「ォ…オ!……オォッ!!……。」
「こ、これは一体ッ!!?」
「ウオオオオオオオオオオオオオオオォォォォオオオオオオッッッッ!!!!」
「!!!ッッ」
慧音は咆哮を轟かせた、地面に亀裂を走らせ砕くほどの衝撃波が里を震わせた。彼女は正気を失い本能だけのケダモノに堕ちていた。
不完全だった神獣の因子が満月の光によって覚醒し、彼女を白澤の化身へと獣変化させた。
だが、初めての覚醒によって因子を制御できず暴走状態に陥っていた。まだ年端もいかない少女には無理もなかった。
ただ力の奔流を……不条理への怒りを、大地に刻んだ。大勢の人々を恐怖させて。
慧音は正気に戻った、そして周囲を見渡した。
地砕きによって、小規模の地殻変動でも起きたかのようだった。周りの建物は損壊していた。
巻き添えをくらった人々は恐怖し、騒然としていた、両親も含めて。まるで、狂乱する怪物に遭遇したかのように。
彼女は理解できなかった、今の状況が。ただこの異変は、自分が元凶だということは分かってしまった。
彼女は、ただ震えて泣き崩れた。悪夢でしかなかった、本当に悪夢だったらどれだけ良かったことか。
慧音はその後、里人に連行され座敷牢に幽閉された。
そして朝になり、外に出され博麗神社へと護送された。半妖と化した少女の処遇、その最終判決は博麗の巫女に委ねられた。
当時、巫女は霊夢が当代になる前にいた先代の巫女だった。巫女と慧音は対峙する、誰もが判決は処刑だと予想していた。
だが、先代巫女の下した判決は無罪だった、慧音は許されたのだった。
里の永住を許可し、一人の人間として尊重することを約束したのだった、何の罪もないと。
慧音は感激し号泣した、巫女はそんな少女を優しく抱き抱えた。周囲の里人は、沈黙を貫いた。
慧音は許された、だが両親に一方的な絶縁を突き付けられた。父も母も娘を忌々しい妖怪と蔑み恐怖した、彼女は深く傷ついた。
家族を失い、居場所を失ってしまった。他の里人も冷たく当たった、それだけ半妖は風当たりが強かったのだ。
そんな半妖の少女に助け船を出したのが、稗田家と霧雨家という名家だった。
名家たちが彼女を生きていくために支援し、後ろ盾となったのだった。
先代巫女や同じ半妖の霖之助の協力のおかげで実現したのも大きかった。
慧音は支援してくれた人々に深く感謝した、世の中捨てたものではないと思えるようになれた。
そして時が流れ、半妖の少女であった慧音は一人の大人の女性へと成長した。
少女の頃から将来の夢は、寺子屋の先生だった。その夢を見事叶えてみせたのだった。
最初のうちは、難色を示す者が多かったものの地道な活動が実を結び信頼される先生となった。生徒からも保護者からも
寺子屋の同僚からも。自分が幸せを取り戻せたと実感できた、立ち直ることができたと信じられた。
信じていたかった……。
あの二人の男子生徒によって、再び手にした幸せを、今までを全て破壊されてしまった……。
(今にして思えば、教師の道を目指したことが間違いだったのか……。)
(いや、私がどれだけ尽くしても……結局人里は私を裏切った、私が半妖というだけで。)
(好きで半妖になった訳ではない…神獣に選ばれた、たったそれだけの理由で迫害されるなんて間違っている。)
(掌返しされて悲しくない訳がない。もう、私は人里に戻らない。決して。)
(どう取り繕ったって私は殺人鬼でもあるのだから。)
だが、そんな彼女にも心残りがあった。
(寺子屋の生徒たちは、どう思うのだろうか……一年以上戻らない先生である私を。)
(もし、私の事で悲しんでいたとしたら…罪な女だな、私も。)
(私を監禁して穢し続けたあいつら二人も、私の生徒だった…。)
(道を誤った二人を正し導くのは、先生である私の役目だった。…だが、最後までその役目を果たせなかった。それどころか身勝手な私情で、二人を殺してしまった。……先生失格だな。)
(最も、あの二人を許すことなど死ぬまでないが。)
少年達を殺したことに後悔は無い、ただ残された遺族が今も帰りを待っていると考えると思うところがあった。
最も、遺族に償うことなど出来はしなかった。仮に全てを打ち明けようにも、人里に姿を現せばどうなるか分かったものではない。
処刑される可能性は、限りなく高い。
慧音は、子が宿る自身の腹をさする。
(私が命を失えば、この子の命も失われる……それだけは、絶対に避けなければ……。)
それから、六か月後。…翁の家の中で。
「あと少しじゃッ! 頑張りなされッ!!」
「!!ッ~~ッッ!!!ッ」
今まさに、二人目の子が出産されようとしていた。新たな命の誕生だった。
慧音は破水していた、陣痛が激しく苦悶の声が響いた。痛みとの闘いだった。
だが彼女は、それでも幸せだった。安心して分娩できるということが。初めての出産が、劣悪な環境が原因で赤子が死亡したことを思うと…。
翁の部屋は温室、あの時の低温に晒される小屋ではない。緊縛されてもいない。ここには翁がいる、一人じゃない。
もう、あんな悲劇を味わなくて済む。希望がある。
(お願いッ!!もうあんなことにはならないッ!!無事に生まれてッ!!!)
オギャアッ!! オギャアッ!!
オギャアッ!! オギャアッ!!
赤ん坊が産まれた、元気に泣いていた。
慧音は赤ん坊を抱く、あの時叶わなかった願いが実現した。やっと……。
そして、赤ん坊に母乳を吸わせる。授乳に親子二人が安心する。
(やった……やっと私の子を抱けた。)
「慧音殿ッ……泣いておられるのですかッ…何故?」
「だってッ……初めての子にも…こうしてあげられたらあんなことにはッ!!」
「慧音殿……。」
後悔を抱えていた、ずっと。我が子を助けられなかったあの日を。翁は気付いていた。
「慧音殿、今はこの子の無事を喜びましょう。そして笑いましょう、赤子が泣いているのです。
母親まで泣いていてどうするというのです、笑顔の方がその子も救われます。」
「翁ッ……。」
この時、慧音は笑顔を見せた。長らく置き去りにしていた物を取り戻せた。