慧音の子が産まれて五年が経った。
子供はすくすくと育ち、朗らかで活発な少年になっていた。母である慧音と翁に愛され、真っ当に成長していった。
慧音は息子の成長を心の底から喜んだ、今までの苦難が報われたと思えた。ただ……。
(あの子には父親がいない、もうこの世にはいない。その父親を私は…。)
慧音と息子は、草原で遊んでいた。かつて寺子屋でやっていた、ボール遊びだった。
「ほーら○○!ママにボールを投げて!」
「いくよ!ママ!」
親子の楽しい時間が流れていた、そんな時間がずっと続いて欲しいと慧音は思えた。
「ねえ、ママ」
「どうしたの?○○?」
「僕のパパはどうしちゃったの?なんでパパはいないの?ママとお爺ちゃんはいるのに?」
「……それはね。」
言えなかった、母親が父親を殺害したことを。
それも、私怨を晴らす復讐のために。
この子の母が、殺人鬼だということも。
「パパはね、もうこの世にいないの。」
「……僕のパパ、死んじゃったの?」
「うん、だけどね……パパは最期まで家族の幸せを願っていたの。」
「それって、僕やママやお爺ちゃんのこと。」
「そう、だからママは、○○にパパがいなくても幸せになって欲しいの。それが願いよ。」
「……そうなんだ、だけど僕はママやお爺ちゃんも幸せになって欲しいな。
僕だけ幸せなんてやだ。」
「○○……ありがとう、ママは幸せよ。今でも、これからも。」
我が子の優しさが愛おしく堪らなかった。
慧音にとって父親がどうとか…流れる血がどうとか馬鹿馬鹿しくなった。
夜、息子は寝静まっていた。近くで慧音と翁は囲炉裏を囲んでいた。
囲炉裏は、穏やかに薪を燃やしていた。部屋を優しく照らし、バチバチと燃える音が心地良かった。
「翁さん、一つ聞きたいことがあります。」
「なんでしょう?慧音さん。」
「私はかれこれ六年ほど、人里から離れています。もちろん人里に戻ろうとは思いません。ですが、寺子屋の子たちやこの子の父親の遺族は何を思うのか、それが知りたいのです。」
慧音が人里から離れて六年、里の現状は一切不明だった。
「人里のその後ですか……寺子屋の子は、心底残念がっておりました。慧音先生が結局戻ってこなかったことを、卒業式は先生と一緒が良かったと。」
「あの子たちは、そう思ってくれてたのですね。」
里人のほとんどが掌を返した、だが寺子屋の子たちは違った。最後まで自分を好きでいてくれた、それだけでも心が救われる。
「それと父親二人のことですが、あくまで表向きは行方不明とされています。そのため遺族は、いつか帰ってくるとずっと待っていたそうです。
まあ、それも最近諦めたようですが。」
「遺族にはなんの罪もありません、私が遺族に苦しみを背負わせてしまったのでしょうか……。復讐なんかをしてしまったばかりに。」
「息子二人が道を踏み外したことに最後まで気付けなかったのです、苦しみはそれに対する罰でありましょう。
あなたの復讐を責める資格のある者など、誰一人としておりませぬ。」
「…翁さん。」
慧音には引っ掛かるものがあった、だがそうでも思わなければ前には進めない。翁は、そう信じるしかなかった。
母親が罪を償うため裁かれるか、息子のために生き残るか、後者を選んで欲しかったのだ。
「それよりも儂にとって今憂鬱なことは、慧音殿の御身体のことです。」
「私の身体のことですか?」
「左様、二度目の出産以降少しずつ生命力が衰えております。衰弱が始まっているのです。」
「……そうですか、まあ無理もありません。今までの無茶のツケが廻ってきた、それでガタが来たのでしょう。」
「冷静で御座いますなッ…、死を恐れないのですか?死に神の迎えが近付いているのですぞ?」
「今まで生きていたのが不思議なぐらいです。それに半妖になったあの時から、碌な未来が待っていないことは覚悟していました。
半妖に堕ちて、迫害され裏切られたあの時から……。」
何故白澤に選ばれたのか、それは今でも分からない。ただ、決して選ばれることを望んではいなかった。
白澤を偉大な神獣だとも思えない、呪いたくなる始末だった。
「それでも儂は、あなたにそんな人生を強いられるのは間違いだと思っとります。」
「そう思ってくださる仙人様に出会えただけでも……幸せですわ。翁さんには、一つ託したいことがあるのです。聞いて頂けますか?」
「何で御座いましょう?」
「私が亡くなった後、我が子を導いて欲しいのです。せめて、私のような辛い人生を歩まないように。」
「……約束しましょう。」
慧音はどこか、安心と寂しさが入り混じる表情をしていた。