ーーー征服歴1500年 王都カルネアス 繁華街裏路地ーーー
アレクは自身に投げつけられ、地面に落ちた白い手袋を何の感情も浮かばない虚ろな目で見つめる。
「で…? なんでわざわざ俺が、こんな茶番に付き合う必要があるんだ?」
かつてはたしかにあった親しみさえ無くなり、アレクは平坦な口調でエリカに問う。
「貴方を行かせないためよ」
「ハッ…言葉では説得できないから決闘か。安直だな」
エリカの縋るような視線に、アレクは傷だらけの顔に嘲弄を貼り付けて応える。
その目に何の感情も浮かんでいない事をエリカは察する。自身に向けられる呆れも嘲りも、表面だけ取り繕った虚ろな張りぼてだと。その事に悔しさと悲しみを感じて、自身の金色の瞳を曇らせる。
「時間の無駄だな…
「なっ…待ちなさい!」
アレクが踵を返す。
この会話すら、本来なら必要のなかったものだ。ごく僅かに、アレク本人ですら意識していなかった未練が一時だけ、
エリカは考える。
まともな説得では、自分はアレクを納得させる理屈は作れない。後ろで完全無視を決め込んている
それでも、このままアレクを行かせる訳にはいかない。このままアレクが歩み去れば、彼は血塗られた惨劇の果てにこの国から、故郷から去るだろう。二度と戻ることなどなく、ただ生きる屍として、
「私は…私はそんなこと望んでない!」
「……」
「私が貴方を助けたのは…貴方に死ぬなって約束したのは…こんな貴方を見るためじゃない!」
エリカは叫ぶ。
「止まりなさい、アレク! まだ…まだ貴方は、私に助けられた借りだって残ってるでしょ!」
「……俺がどれだけお前の書類仕事を肩代わりしたと思ってる?」
「そ…それは…それは別件よ!」
「大分間があったな…まあいい。確かに、お前への借りは返しきれてないな。だがいいのか? こんなことのために俺への貸しを使って?」
ため息交じりに振り向いたアレクに、エリカは胸を張って応える。
「問題ないわ! そもそも貴方はこの国からいなくなるんでしょ? だったら貸し借りくらい精算して行きなさいよ」
「なるほど…道理だな」
エリカの言葉を、アレクはため息交じりに肯定する。
そして手袋を拾い上げ、エリカに確認する。
「武器はこのままでいいな?」
「…あなたがそのボロボロの細剣で良いって言うのなら、いいわよ」
「何の問題もないな」
アレクは血に塗れ、ボロボロに刃こぼれした細剣をクルクルと回す。
「おい腹黒、いくらアンタがモヤシでも決闘の立会人くらいは出来るだろ?」
「構わんが…お前は俺に対する敬意が無いのか?」
「そこに転がってる死体みたいに首を斬り飛ばさない程度には尊重していますよ?」
「……わかった」
アレクどころかエリカや後ろでチラチラとこちらを気にしているバランタイン家の私兵達にまで咎めるような目線で見られたカレウスは、咳払いを一つして、立会人を引き受ける。
対峙するアレクとエリカの間に立ったカレウスが、二人に決闘の条件を確認する。
「勝利条件は相手の降伏か戦闘続行不能、これには相手の武器破壊も兼ねる。これでいいな?」
「構わない」
「それでいいわ」
カレウスの言葉を二人が肯定する。
「エリカ嬢が勝てば、ウォーカー大尉は武器を置いてエリカ嬢の指示に従う。ウォーカー大尉が勝てばこのままこの場を去る。これもいいな?」
「ああ」
「大丈夫よ」
勝利条件の確認も、特に問題なく終わる。
「それでは両者、構えろ」
カレウスの鋭い声に応えて、アレクとエリカはそれぞれの得物を構える。
アレクは右足を引き体を右斜めに向けて細剣を右脇に取り、剣先を後ろに下げる
東方の剣術では”金の構え“と呼ばれるこの構えは、前面に出した左半身が無防備になる代わりに、相手の意識から外れた下段や横から攻撃を仕掛けやすく、また得物を己の体で隠すことができる為、次に何を仕掛けるのか読めなくする事ができる。
カルネアス流剣術においては、攻防のバランスが良い万能の型”コンプエスト“で主に用いられる構えであり、アレクにとって
「やっぱり…貴方もその型を極めてたのね」
万能の型”コンプエスト“は、習得までの期間も修行の負担も少なく、主に文官志望の人間が片手間に修める型として認識され、万能であるが最弱の型であるとされている。
これは”習得“は容易いが、それを実戦に耐えうる程に”極める“には、才能のある人間でも10年はかかるとされているためだ。
故に、形だけ習得した”コンプエスト“で、他の型に決闘で敗れる剣士が多く、実戦を求める剣士たちの間で忌避されるようになった。
だが、それはこの型の本質ではない。
アレクのように、地獄の前線で常に剣を振るい続ければ、否が応でも技量は高まる。真面目なアレクは、例え最前線であっても基礎修行を欠かさず、もともとは嗜む程度だった剣技は、2年前には既に達人の領域にまで高められていた。
”コンプエスト“の隠れた利点として、元々が他の型の複合であるが故に、この型さえ極めれば他の型を模倣することも容易になる。その為、実戦でアレクは状況に合わせて様々な型を使用することが出来るようになった。
また、エリカの場合は剣だけでなく槍や淑女としての勉強もあった為、この型を習得したという事情がある。
才能のあった彼女は、剣の師であるバーナードの的確な指導もあり僅か5年でこの型を実戦に耐えられるレベルで”極める“に至った。
「お互い様だろう? それに、隠していた訳じゃないぞ?」
「使うまでもなかったって事でしょ? それにいいの? 使えるんでしょ? ”フエルテ“」
「あれは加減が効きにくいからな…使わせてみろ」
エリカの挑発を受け流し、アレクが重心を沈める。
お互いの準備が整ったと覚ったカレウスが右手を掲げる。
「仕合、はじめ!」
号令と共に、アレクが踏み込む。
「っ!?」
「遅い!」
カウンターで斬り上げたエリカのサーベルを急制動をかけて空振りさせ、エリカの右肩を狙って突きを放つ。
アレクとしては、利き腕を斬られればまともに剣も振るえず、無駄に怪我をさせず降伏を促す事ができると意図した狙いだった。
目で追えない速度で放たれた神速の突きを、エリカは勘で避ける。それでも完全には躱しきれず、服が切り裂かれてその白い肌を外気に晒す。
「容赦ない、わね!」
「なんだ、手加減してほしかったのか?」
「こんのぉ!」
反撃でアレクの胴を薙ぐが、間合いを完全に見切られ半歩下がっただけで再び空振りさせられ、踏み込んで追撃した脚を狙われ後退を余儀なくされる。
「武器破壊を狙うのは良いが、少し大振りが過ぎるな」
「くっ…」
既にボロボロで今にも折れそうな細剣で防御
そして敢えて、剣に負担をかける様に上段から斬り下ろす。
避けきれず、正面からサーベルで斬撃を受け止めたエリカは、細剣とは思えないその斬撃の重みにうめき声を上げる。
戦場で質の悪い刀剣を使い続けたアレクは、折れかけた剣をギリギリまで使い潰せるよう、可能な限り刀身に負担の掛からない振るい方を身に着けている。
多少刃毀れこそするが、本来は斬り合いに向かない細剣は折れることなく、サーベルで受け止めたエリカを押し潰すように圧力をかける。
「とっとと降伏しろ。お前も、俺に本気で勝てるとは思ってないだろ」
「っ…!」
圧力が強まり、耐えきれずエリカは膝をつく。
それでもエリカは屈することなく、黄金の瞳でアレクを睨み据える。
「まだ…まだ、よ」
「諦めが悪いな、俺がお前を殺さないと思っているのか?」
アレクの刀身が、ジリジリとエリカの額に迫る。
渾身の力で押し返すエリカの抵抗を意に介さず、そのままエリカの頭を両断するかのように力を込めてゆく。
「っ〜!」
「無駄だ、お前では俺には勝てないよ」
必死に抵抗するエリカを、アレクは無気力で虚ろな瞳で見下ろす。
その瞳を見たエリカは、額に汗を浮かべながら憤怒の表情で叫ぶ。
「私は負けないわ! 貴方に勝って、貴方のそのむかつく目を覚まさせてやる!」
「…?」
エリカの怒りを理解できないアレクは首を傾げる。
「そんな目で、屍人の目で、私を見るな!」
「なっ!?」
激情を纏い、エリカがアレクの細剣を跳ね上げる。
「くっ!」
「避けるなぁ!」
怒りのまま振るわれるエリカの連撃を、アレクは呻きながらも余裕をもって躱してゆく。
それでも、エリカの勢いに押され、間合いを取るために飛び退く。
「…思ったよりやるな」
「舐めてんじゃ無いわよ!」
淑女としては咎められそうな荒い口調で、エリカはアレクを追撃する。
だが、元の技量で圧倒的に負けているエリカのサーベルは、アレクに届かない。
斬り下ろし、薙ぎ、突き込もうと、全て服すら捉えることなく空振る。間合いを詰めようと踏み込めば、牽制で放たれた突きで動きを封じられる。
折れかけた細剣を狙おうにも、先程の上段斬り以降は即座に体の後ろに剣を引かれ、カウンターを狙おうにも疾すぎて避けるのが精一杯という有り様だった。
「そろそろだな」
「なっ、くぅ!?」
業を煮やし、大ぶりでサーベルを斬り下ろしたエリカの斬撃を避けず、細剣で受け流したアレクは、体勢を崩したエリカの踏み込んだ右足を払う。
バランスを崩したエリカは無理に踏みとどまらず、敢えて地面に転がりアレクの脇を抜ける。
即座に起き上がろうとしたエリカの鼻先に、アレクは細剣を突きつける。
「もう一度言うぞ、諦めろ。もう立つのも辛いだろ?」
「そんな…ことっ!」
反論しようとするエリカだが、息を荒げ膝が震えた姿では、それが虚勢でしかないことはアレクどころか立会人のカレウスにも丸わかりだった。
こちらを睨みながらも動けないエリカに、アレクは少しだけ苛立った声で再び降伏を勧告する。
「とっとと負けを認めろ。別にいいだろう…俺が居なくなろうとどうなろうと」
「嫌よ。私は絶対に貴方に降伏なんてしない」
「まともに剣も振るえない分際で…!」
アレクがエリカを蹴り飛ばす。
かなり手加減はしているが、それでも疲弊したエリカは耐えられず地面を転がる。
それでもエリカはサーベルを手放さず、ふらつきながらも立ち上がり、剣を構える。
「っ…何なんだお前は! いい加減諦めろ!」
「絶対に、嫌よ!」
先程までの勢いが嘘のような、弱々しい斬撃を受け流した、アレクは再びエリカを蹴り飛ばす。
地面を転がり、泥塗れになりながらも、エリカの黄金の瞳だけは戦意を失わず輝き続ける。
「っ、おい立会人! もう勝負はついただろ! 決闘を終わらせろ!」
「あー…俺はお前らと違ってモヤシだからな〜。どっちが勝ってるかわかんねぇや」
カレウスはニヤつきながら、焦るアレクの要望を却下する。
「よそ見してんじゃ無いわよ!」
「チッ、見るまでも無いだけだ!」
「つぅ!?」
斬りかかって来たエリカの斬撃を僅かに身を捻るだけで躱し、アレクはサーベルを持った右腕を掴み捻り上げる。
流石に握りつぶすつもりも折るつもりもないが、関節が軋みを上げる激痛にエリカは悲鳴を上げる。たがそれでも、握ったサーベルだけは手放さない。
「とっとと武器を放せ!」
「い や よ!」
「ぐぅ!?」
地面を転がりながら左手に隠し持っていた小石をアレクの顔面に投げつけ、額の傷に命中させられ怯んだアレクの腕から逃れたエリカは、左手にサーベルを持ち替えアレクを睨む。
心折れずに己を睨むエリカの黄金の瞳に、アレクは苛立ち顔を顰める叫ぶ。
「その目をやめろ!」
「なあんだ、貴方まだそんな顔できるじゃない」
貼り付けた仮面ではない本物の苛立ちをその異相に浮かべたアレクに、エリカは不敵な笑みを返す。
「巫山戯た事を!」
「くぅ!?」
力任せに斬りかかるアレクの斬撃を受け止めきれず、エリカは後方へと押し飛ばされる。
「何で降伏しない! もう満足しただろう!」
「ハァ…ハァ…貴方こそ、随分余裕が…なさそうよ?」
息を切らし、額に汗を浮かべながらもエリカはアレクを挑発する。
額の傷が開き、再び顔の左半分を血で染めながら、アレクは奥歯を噛みしめる。
四年間戦場で命を擦り減らし、怒りも嘆きも、余分な感傷など切り捨てて、家族を護るために味方すら手に掛けた。
敵を屠る為に余分な物を削ぎ落とし、その果に戦う以外の全てを失って、そうして手に入れた修羅の剣を振るっているのに、眼の前の
捨てたはずなのに、もう手を伸ばすことを諦めたはずなのに、何もかも手遅れになった今になって、自分の行く手を阻むエリカに、アレクはとっくに捨てたはずだった激情をぶつける。
「もういいだろう…もう…なんでだ! なんで今更俺の行く手を邪魔する!!」
「まだ、間に合うと思っているからよ」
「もう遅いよ…遅かったんだよ…俺は……俺はもう、ここにいることは…出来ない」
寂しそうな、帰り道の分からなくなった子供のような顔で、アレクは呟くように語る。
「兄さんもお祖父様も…家臣たちも…領民も…誰も…俺は守れなかった。レナを護るために生き延びて…その先で…今度はレナを傷つけて…」
「それは…貴方のせいじゃ…」
「俺のせいなんだよ…俺がちゃんと…もっと早く助けを呼びに行けてれば…ウォーカー領は…兄さん達は助かったはずなんだよ!」
「っ…」
「レナもそうだ。俺があの戦場で死んでれば、こんな所で傷つく事はなかった! なのに…なのに…何でだよ…何で今更俺を留めようとする! 何で俺に、お前を傷つけさせようとするんだ!! 答えろ、エリカ・リガール!!」
再び大上段でエリカを斬りつけたアレクは、怒りにその顔を歪め、サーベルで己の剣を受け止めたエリカに叫ぶ。
エリカは痛みの残る右腕をサーベルの腹に添えて、膝をついて必死にアレクの剣を押し返す。
「俺より弱いくせに!」
「っ〜その割には、そんな私を倒せてない…わよ?」
「負け惜しみを!」
アレクが更に力を込める。力負けしたエリカの首筋に、少しずつ細剣の刃が迫る。
「何でそこまで必死になる! 俺がいなくなったところで、もうお前には関係ないだろう!」
「くぅ…そんなこと、無いわよ」
「なんだ? 同情か? 自分が必死で助けた奴が情なく国から逃げるのが可哀想だからか!?」
「違う!」
「だったらなんだ!? それとも今度はお前が俺を
「違う、違うわよ! 私は、私は!!」
血を吐くようなアレクの叫びに、エリカは瞳を歪める。
今にも泣き出しそうな、諦念と嘆きを浮かべるアレクの瞳を己の金色の瞳に真っ直ぐ受け止めて、エリカは、己の想いの丈をアレクにぶつけるために、膝に力を込める。
「私が戦うのはっ…私が貴方を止めるのはっ!!」
少しずつ、エリカのサーベルがアレクの細剣を押し返してゆく。
「私がっ!! 貴方をっ!!」
完全に立ち上がったエリカが、アレクの細剣を弾いて叫ぶ。
「なっ!?」
自身が力負けしたことに、そしてエリカの魂の叫びにアレクはほんの一瞬、だが致命的な隙を晒す。
エリカがアレクの間合いに踏み込む。
「私はただ、貴方と一緒にいたいのよ!」
「くっ」
斬撃を避けきれず、細剣で受け止めたアレクが呻く。
「だからっ! 私は絶対にっ!」
全ての力を力を振り絞ったエリカのサーベルにより、既に限界まで酷使されたアレクのサーベルにヒビが入り━━
「負けてっ! たまるかぁー!!!」
「馬鹿な…」
自らの得物をへし折られたアレクは呆然と、右手に持った折れた細剣を見つめる。
そんなアレクに、エリカはサーベルを突きつける。
「ハァ…ハァ…私の…勝ちよ!」
「…ああ、俺の負けだ」
勝者とは思えないほどボロボロなエリカに、憑き物が落ちたように穏やかな顔でアレクが微笑む。
その顔を見て満足したエリカの体から力が抜け崩れ落ちそうになるが、アレクが優しく抱きとめる。
「どうよ、これで…もう勝手に…いなくならない、わよね?」
「ああ。勿論だ。なあ、エリカ」
「なぁに?」
腕の中で疲れ切った顔で笑うエリカに、アレクは顔を近づける。
「俺も、お前が好きだ」
「え? あっ」
エリカの顔が茹だったように赤くなる。
アレクの腕の中で必死に悶えるが、疲れ切ったエリカと息も切れていないアレクでは勝負にならない。
逃げないよう腰を抑えたアレクが、真っ赤に染まったエリカの頬に手を当てて逸らそうとした顔を前に向ける。
「あわわわっ〜〜!!?」
そしてエリカの、瑞々しい唇に己の唇を重ねる。
もうこれ以上赤くならないだろうと言うほど真っ赤に染まった顔で、唇を奪われたエリカは目を見開く。
そして唇に感じる温もりと、血の鉄臭い味に目を細める。
体の力を抜き、躊躇いがちに腕をアレクの背中に回したエリカは、名残惜しそうに離れてゆく顔に微笑む。
「二度目ね、貴方とキスするの」
「そうか?」
「そうよ。あのときも血の味がしたわ」
「あぁ…ステュクス川の時か」
ペロリと、赤い舌で唇に残った血を舐め取ったエリカが悪戯っぽく笑い、アレクも苦笑する。
「じゃ、私もう疲れて立てないからちゃんと支えてね?」
「承知しました、お姫様」
「ええお願いね、私の
征服歴1500年11月某日
王都カルネアス某所
エリカ・リガールvsアレクサンダー・ウォーカー
勝者 エリカ・リガール
実は外伝を含めてこの回で本作は100話を達成しました。
記念すべき回でこうしてタイトル回収と主人公とヒロインの告白を書けたのは、作者の拙い物語を読んでくださりご評価してくださった皆様のお陰です。
物語はここで漸く折り返しのつもりで、完結まで書ききれるか分かりませんが、今後も暖かい応援をどうかよろしくお願いします。