ーーー征服歴1500年11月 王都カルネアス ミスト侯爵家別邸ーーー
ミスト侯爵家別邸の朝食室には、昨晩の騒動に関わった者達が勢揃いしていた。
この屋敷の主である現ミスト侯爵ミランダとその愛娘リーズ、彼女の婚約者フリッツ・アーフェン、フリッツの父である衆民院議長ヘリオス・アーフェン、陸軍大臣ヴォルス・バランタイン、内務省監察局特務大尉アトラム・グランツ、そしてリガール辺境伯家令嬢エリカがテーブルに着き、ミスト家の使用人達が彼女達に朝食を給仕する。
食欲を誘う焼たてのパンの香りが漂う部屋にはしかし、奇妙な緊張感もまた漂っていた。
それは主に、上座に座るミランダと、七大貴族の別宅に相応しい豪華な絨毯に
「アレクサンダー・ウォーカー陸軍大尉、申し開きはあるかしらぁ? 」
「いいえ、侯爵閣下」
背筋を伸ばし、絨毯の上に綺麗な姿勢で正座したアレクは、ミランダの若々しい美貌から発せられる威圧を冷や汗をかきながらも何とか受け止める。
そして柔らかな絨毯に手をつき、お手本のような整った姿勢で頭を下げる。
「この度、貴家の備品を破損させてしまって誠に申し訳ありませんでした」
レオポルドとの会談で机を叩き割ったアレクは、レオポルドに見せた鬼気迫る狂気とは打って変わって、心からの謝罪と誠意を身体を張って示した。
対してミランダは、床に額をつけるアレクに一瞬だけ優しい目を向けた後、その瞳に嗜虐に満ちた笑みを浮かべる。
「綺麗な土下座ねぇ。軍人にさせておくのが勿体ない位よぉ…貴方なら立派な商人になれそうねぇ」
ミランダの発言に、
「ねえリーズ、なんで綺麗な土下座できると商人になれるの?」
「さあ…? でもお母様は国内外の大店と付き合いがあるから何か知ってるのかも? フリッツはどう思う?」
「俺も分からん…親父は?」
「あー…どちらかと言うと連合王国よりも自由都市ザーンベルトの文化だな。あそこはいかに綺麗で誠実な土下座ができるかで商談が決まることもあるらしい」
「いやどんな文化だよそれ…」
ヘリオスの解説にヴォルスがドン引きした顔をする。王国北方を縄張りとする彼は、海の向こうに存在する商人の楽園については名前くらいしかまともに知らない。
ともあれ、無関係な外野の声を無視してミランダはアレクへ声をかける。
「もう頭を上げていいわよぉ」
「はい」
アレクは正座を崩さず、頭を上げて姿勢を正す。
「それでぇ…家の調度品を壊した責任はどうとってくれるのかしらぁ?」
「机は私の私費で弁済させて頂きます。お時間は頂きますが必ず同じ意匠の物を「いらないわぁ」」
「!?」
弁償を約束するアレクの言葉を、ミランダが楽しそうに遮る。
「
「……自分は己の命と多少の金程度しか持ち合わせておりません」
「フフ…そうかしらぁ?」
“ニタリ”と、まるでおとぎ話に登場する魔女のような、愉悦とおどろおどろしさの混ざった笑みを浮かべたミランダに、並大抵の事では心を乱さないアレクですら、緊張で僅かに背筋を震わせる。
「“無貌鬼”アレクサンダー・ウォーカー、なかなか勇ましい異名ねぇ?」
「敵味方が勝手につけた俗称です」
「あら、名誉なことよぉ? 特に敵からつけられる異名はそれだけ貴方を恐れ、そして評価しているからだものぉ」
口元を愛用の扇で隠し、目を愉悦に歪めながら、ミランダはアレクを、戦争で何もかもを失い、代わりに欲しくも無かった悪名と人を効率的に殺し尽くす手管だけを手に入れた哀れな男を称える。
「ねえウォーカー大尉、貴方
「……」
探るような目つきをするアレクに、ミランダは唇を釣り上げる。
「望むものは与えてあげる。お金も、名誉も、女も。だから代わりに
「そうすれば、今回の事は?」
「水に流してあげるわぁ」
獲物を嬲る猫のように、ミランダはアレクを試すように質問に答え餌を垂らす。
それに対して、アレクは首を横に振った。
「大変有り難い申し出ですが、お断りさせて頂きます」
「ふぅん…理由を聞いても?」
「閣下のお出しした条件は大変魅力的なですが、それでは私の唯一の望みが達成出来なくなります。私にとって最も重要なのは
真っ直ぐな目で己に再度頭を下げるアレクを、ミランダは満足げな目で見下ろす。
「良かったわねぇエリカ、貴方の騎士様は思った以上に貴方に惚れてるみたいよぉ?」
「そんなこと当たり前よ、ミランダおば様」
エリカは嬉しそうに頬を染めながら、尊敬する先達に胸を張る。
「頭を上げなさいウォーカー大尉、エリカに免じてあの机の値段の
「承知しました」
当たり前のように値段を釣り上げるミランダと、平然と頷くアレクに、外野は引き気味に視線を交わし合う。
「ねえエリカ、大丈夫なの貴方の彼氏? 確か実家が全滅して親族のボウモア子爵家も借金があったんでしょ?」
「アレクが大丈夫って言ってるなら大丈夫なんじゃないの?」
「甘いぜエリカ嬢、あのミランダだぞ? 平気で10倍以上の上の金額を請求するぜぇ?」
「あぁ…ミランダ総隊長ならやるでしょうね…」
ミランダの後ろに控えていた執事から、請求書を渡された(当たり前のように事前に準備してある)アレクは、僅かに眉を顰める。
「ほらやっぱり」
「嬉しそうに言わないでよヴォルスおじ様」
だが、アレクが眉を顰めたのは、外野の予想とはやや異なっていた。
「…謀りましたね、侯爵閣下」
「あらぁ? 男なら自分の言葉に責任を持つものよぉ?」
「委細承知させて頂きました。金については数日中には用意して送金させて頂きます。代わりの机については、来年以降ということでも?」
「構わないわぁ。貴方の努力に期待するわよぉ?」
「微力を尽くします」
外野が困惑する中、請求書を受け取ったアレクはミランダから正座を辞めてよいとの許可を貰い、用意されていた自分の席に着席した。
対面に座るエリカが興味深げに、アレクの受け取った請求書の中身を覗き込もうとする。アレクは無言でそれを渡してやる。
「うわ、とんでもない値段ね…」
「金に関しては問題ない。厄介なのは素材だ」
「えーっと…あー、そういうことね」
エリカもまた、請求書に記載されたアレクの壊した机の素材を確認し眉を顰める。
請求書には、机の素材及び制作元がスペイサイド州の工房であると記されていた。
「スペイサイド州は捨ててこの戦争を手打ちにする手筈だったのでは?」
「あら、戦争をさっさと終わらせるのは賛成だけど、スペイサイド州の奪還については私は肯定派よぉ?」
連合王国海軍の実質的な長であり、同時に連合王国南部の海運の元締めである彼女にとって、造船のための良質な木材の一大産地であるスペイサイド州は、他の七大貴族よりも重要な地域であった。流石に主戦派が主張する獣国本土への侵攻作戦等という妄想に付き合う気は無いが、スペイサイド州の奪還自体には賛同していた。
そもそも前日に行われていた会談が、そんな彼女と講和派のヴォルスやレオポルドとの意見のすり合わせだったのだ。だからこそ、ミランダのアレクへの要求自体は、ヴォルス達も納得した。
「というかこの金額、本当に大丈夫?」
「端金だろ?」
「いや貴方私財なんてほとんど…」
言い辛そうにエリカがアレクに視線を向ける。だがアレクは涼しい顔で返す。
「ボウモア家の借金を返したのは俺だぞ? この程度の金なら幾らでも出せる」
「…ウォーカー大尉、どこにそんな財源が?」
観察局のエージェントとして、アレクの動向を監視していたアトラムが尋ねる。
「お前達も把握してなかったのか、どうりでリガール家との交渉で足元を見れたはずだ」
「え、本当にどういうこと?」
「どうも何も、万が一の為に資産を隠しておくのは貴族の嗜みだろ?」
「いやそうだけど…というかそもそもその資産どこにあったのよ!?」
「どこも何も、2年も戦場にいたんだからそれなりに稼げるだろ?」
「え?」
「うん?」
首を傾げるエリカの様子に、アレクも困惑して同じく首を傾げる。
部屋にいる面子で、ニヤニヤ楽しそうに笑っているミランダを除いて一番初めに二人が首を傾げる理由に気がついたのは、元軍人であり貴族ではないヘリオスだった。
「ウォーカー大尉、私は元々は海の人間なので陸の事情には詳しくないのですが、敵軍の指揮官…そうですね大隊長辺りを仕留めると幾らくらい稼げましたか?」
「そうですね、獣国だと千人将でしょうか、その辺りですと指揮官を殺して装備品をはぎ取るだけでこの請求書の金額を3度は支払ってもお釣りが来ますよ。その場合は大抵、率いていた部隊の遺棄された装備も回収できますから儲けは更に多いですね」
「ああ、陸ではそうなりますか。海だと敵国や海賊船を拿捕するともっと稼げますよ? まあ、欲をかいて返り討ちに遭うことも多いですが」
「陸も変わりませんよ、自分と同じことをしようとして逆に命も装備品も何もかも奪われた連中がいくらでもいましたよ」
穏やかに物騒な事を語る二人に、エリカはようやく得心した顔で溜息をつく。
「つまり、戦場で敵相手に略奪しまくって儲けてたのね…」
「連合王国軍は敵国であろうと
「そんな事までしてたのね…というかわたしそこまで積極的に略奪したこと無いから分からないわよ」
エリカががっくりと項垂れる。妙に金回りが良いとは思っていたが、想像以上にアレクが戦場で逞しく生きていたのが分かり、自分の心配は何だったのだろうかとか、今考えると色々空回りしてたのではないかとかモヤモヤとした感情で恥ずかしくなってきたからだ。
「そういえばぁ、貴方の異名に“首刈り”があったわねぇ。もしかして
「そんなところです。都市だろうと田舎だろうと、それかそ戦場でも、金があって困ることは無いですので」
「本当に惜しいわねぇ…いっそエリカと一緒に
「魅力的なお話ですが、流石に船に乗ったことが無いので…」
「ミランダおば様、わたし船より馬に乗って戦う方が得意なんだけど」
「残念ねぇ…まあこれ以上はご隠居様が怒るからやめておくわぁ」
そう言ってミランダは、アレクと共に正座させられていた残りの二人、レオポルドとカレウスを流し見る。
水を向けられたレオポルドは、禿頭に脂汗を浮かべながら、怒るどころか辛そうにミランダに懇願する。
「の、のうミランダや。とりあえずそろそろ正座を解かせてほしいのじゃが…儂も歳じゃから膝が…」
「あらあらぁ、いつもは若いものには負けんと息巻いてる割に情けないわよぉご隠居様?」
「鬼だ、鬼がいるぜ」
「シ、バランタイン公爵お静かに。狙いがこっちに移ったら危険ですよ!」
「いや二人共失礼過ぎるでしょ」
割とミランダに失礼な事を言っているヴォルスとヘリオスに、ヘリオスの息子であるフリッツが呆れ顔でツッコミを入れる。
「そういえばあの腹黒はいつから正座してるんだ? 俺達が部屋に入った時にはもう正座させられてたよな?」
「そういえばそうね。リーズ分かる?」
「カレウスおじ様なら朝早くにこの屋敷に来てからずっとあそこで正座させられてるわよ? 多分もう一時間位」
「どうりで兄上の顔色が青を通り越して白くなってる訳ですね…」
長時間の正座で脚が痺れ、最早意識が空の彼方へ飛び去りそうなカレウス(徹夜明け)は得意の弁舌を振るう余裕も無くし、死んだ目で虚空を見つめていた。
「そもそもご隠居様がウォーカー大尉を挑発するから我が家の備品が壊れたのよぉ?」
「いや儂は孫の為に…」
「ついでに自分のやらかしをごまかすためでしょぉ?」
「むぅ…」
息子と同年代のミランダに冷たく睨まれ、レオポルドは情けなく項垂れる。
「わたし言ったはずよぉ? 何はともあれ、朝食まではウォーカー大尉に関する事は棚上げにするって。何を先走っていたのかしらぁ?」
「それは…その、のぅ」
「ご隠居様、言っておくけどエリカがいなかったら一番恨まれるのはリガール家なのよぉ?」
「…そうじゃのう」
流石に反省したのか、レオポルドは済まなそうに首をふる。
「まあウォーカー大尉があんまり怒ってないみたいだからそろそろいいですわよぉ」
「うぅむ、脚が痺れる…」
涙目になり、見かねたアレクとフリッツに支えられながらレオポルドが席につく。
そして全員(カレウスのみ床)が座ったところでミランダが音頭をとる。
「では改めて、話し合いを始めましょう。その前に、皆さんコーヒーはいかがかしらぁ?」
カレウスを除く全員に、ミスト家の直営農園で収穫されたコーヒー豆で淹れられたコーヒーが配られた。