ーーー征服歴1500年12月 王都カルネアス バスカード闘技場ーーー
機嫌よく笑うエリカに、後ろから声がかかる。
「随分と機嫌が良さそうだな、エリカ」
「あら、ルリシア様と…え!?」
笑いを収めて振り向いたエリカの眼の前にいたのは、カイトの第一夫人であるルリシアと、もう一人。ひょろりとした長身と品よく整えられた白い髭の老紳士だった。
「久しぶりですね、エリカ嬢。どうやら以前会った時よりも、随分と腕を上げたようだ」
「錬武館の
エリカは驚きの表情を即座に仕舞い込み、貴族令嬢のお手本のような笑顔でカーテシーを返す。
エリカ達の前に現れた老人こそは、カルネアス流剣術総本山”錬武館“の
孫弟子にあたるエリカとも幾度か交流があり、そのエリカの記憶の通り、かつて先代”カナンの騎士“リオン・グラハムと”カナンの騎士“の座を争った剣豪とは思えない、理知的で穏やかな雰囲気で笑っている。
「いやぁこの齢になると朝の寒さが辛くてね、暖かくなってから家を出たせいで、良い席が全部取られてしまっていたのだよ。すまないがエリカ嬢、隣に失礼させて貰ってよろしいかな?」
「ヴェレン閣下を拒む席はありませんわ。どうぞ、お座り下さい」
「有難うエリカ嬢、では失礼するよ」
剣士よりも学者や、それこそ物語に登場する老賢者の魔法使いのような見た目の老人は、スルリと滑らかな動きで席に座る。
どう考えても本心ではない理由でここに来た老人はともかく、より
「それで、ルリシア様は何故ここに?」
「あー…ヴェレン閣下に捕まってな。一人だと寂しいから案内してくれと…」
「ホッホッホ、彼女のように綺麗な女性と歩くのは楽しいですからね」
「えぇ…」
自由すぎるし、なんで伯爵なのに付き人一人いないのかとか色々とツッコミどころがあり過ぎるが、エリカは自分の祖父と同年代のこの老人が、割とそういう事をする人間だと知っているので、そういうものかと納得することにした。
ちなみに、ルリシアはカイトの鍛錬に付き合って錬武館にも出入りしているので、ヴェレン伯爵とは顔見知りである。
「ではルリシア様、お帰りはあちらですよ」
「まあ、そうなのだがな…」
エリカが人でごった返す南側の観客席を指差すが、ルリシアはどこか辛そうな顔で、その整った顔を曇らせる。
訝しむエリカに、隣の席に座る
「どうやら
「か、閣下!?」
「あぁ、そういうことね」
エリカはつまらなそうに、南側の観客席に目線を向ける。
騎馬民族の末裔たるエリカの視力ならは、闘技場の対則の貴賓席で女王のごとく君臨する
中心にいるのが
「ご愁傷さま、モテる旦那を持つと大変ね。それとも恋多きかしら?」
「…お前もこれから、その中に入る事になるんだぞ?」
「
苦々しく言い返すルリシアに、エリカは勝ち誇るように嗤う。
二人の美女が静かに火花を散らす中、蚊帳の外となった野郎共は、ただでさえ寒い冬の気温が更に下がったように感じられた。
「なあフィデック准尉、おれもっとあっち行っていい?」
「ウェインズ中尉、見捨てないで下さい…」
「ホッホッホ、見応えがありますねえ」
一人だけ平然としている変人がいるが、残りは寿命の縮む想いをしていた。
「笑ってないで助けていただけませんか、兄弟子殿」
「全く、情けないものだ。そんなことだから君は女性にモテないのだよ、エバンス」
「私は妻一筋ですので」
かつて同じ師に剣を学んだ兄弟子に助けを求めたエバンスは、いい歳をして未だに恋多きイケオジを気取るスケベジジイに嫌味で返され憮然とした表情をつくる。
「やれやれ、とはいえ弟弟子の頼みだ。私に任せなさい」
そう言うと、ヴェレン伯爵は穏やかな笑顔のまま、だが目だけは歴戦の武人に相応しい怜悧な光を宿し、笑顔でルリシアと火花を散らすエリカに、
「エリカ嬢、君の応援しているウォーカー大尉だが、
「…さあ? 何のことかわかりませんわ、伯爵閣下」
一瞬だけ表情を凍らせたエリカは、艶然と微笑みヴェレン伯爵の質問の意味が分からないと返した。
「ああ、とぼける必要はありませんよ。
「バーナード
”弟子“の部分に明確な殺意を込めたヴェレン伯爵の台詞に、エリカは最近やらかしの多過ぎる自分の剣の師が、追加でやらかした事を悟る。
「
「ええ、ここで死んで晴れの舞台を台無しにするか、五体不満足で晴れの舞台を台無しにするか、大人しく喋って晴れの舞台を無傷で乗り切るか、好きなものを選べと言ったら迷いなく3番目を選びました」
笑顔で殺意の高すぎる発言をするヴェレン伯爵に、ウーサーやルリシアは引き気味に距離をとり、エリカはバーナードに同情しつつも迷惑な事をしてくれたと内心舌打ちする。
「はぁ…
エリカは尊敬する、だが同時に己の想い人に不利益しか与えない師に複雑な思いを抱きながらも、それはそれとしてアレクが錬武館の定めた掟に違反した訳では無いと弁明する。
「確かに、錬武館において罰則規定があるのは、
エリカの言葉に、ヴェレン伯爵は鷹揚に頷く。
因みに、スペイサイド州において、アレクを絶死の戦場へと追いやったバーナードは、その手向けとしてカレウスの伝で手に入れた最高級の葉巻の他に、本来ならアレクに習得資格の無いカルネアス流剣術第七の型”フエルテ“を伝授していた。
とはいえ、一度だけアレクに型を見せただけで、特に細かい指導をした訳ではなく、”使えるなら使ってみろ、そして使って死ね“という、彼のアレクに対する複雑な思いが取らせた一時の気の迷いのような行動ではあったが。
「しかし、人間と言うものは追い詰められたら、例え後で咎を受けるとしても禁じられた力を使ってしまうものです」
「…アレクもそうなると?」
「かもしれませんね」
ヴェレン伯爵は穏やかに、そして突き放すように答える。
「”フエルテ“は危険な型です。その本質は力を、人を害する暴力を愉しみ、己が敵への強い憎しみを叩きつける事にある。それ故に、未熟な剣士や力への渇望が強すぎる者が習得すれば身を滅ぼす。君の兄や、カイト君のように自身の圧倒的な才覚でそのリスクをねじ伏せる物もいるにはいるけどね」
探るようなヴェレン伯爵の言葉に、エリカは考え込むように俯く。
エリカが思い出したのは、数日前、バーナードがアレクへ伝えた警告だった。
次回で長い前置きは終わりの予定です。
次々回から、ようやく本当の”英雄激突”が始まります。
ちなみに、ヴェレン伯爵のモデルはデュークー伯爵(スター・ウォーズ)です。