ーーー征服歴1500年12月 青角城 執務室ーーー
連合王国の王都カルネアスにおいてアレクサンダー・ウォーカーが七代目”カナンの騎士“を襲名した
「殿下…?」
「……」
執務室に集められた文武官を代表して、白髭の老文官が凱馮に声をかけるが、凱馮は天井を厳しい顔で睨んだまま動かない。
この青角城に詰める主要な文武官が揃った場で、王都カルネアスに潜ませた密偵からの緊急報告を受けた藍凱馮は、もう30分以上、天井を睨み続けている。
凱馮のかつて守役も務めた老臣は、もう一度声をかけるべきか迷い始めたところで、凱馮がポツリと呟く。
「所詮は道化か」
その顔には普段の気さくで穏やかな凱馮の態度からは程遠い、酷薄な笑みが浮かび、直に消えた。
そしていつも通りの穏やかな笑みを浮かべ、固唾を呑んで己を見つめる臣下たちに顔を向ける。
「皆すまないね、少し考え込んでしまったようだ」
「致し方ありますまい…まさか殿下の仕掛けた策謀が完全に失敗するなど初めてでございましょ」
「あまりおだてないでくれ、僕も人間だ。失敗ぐらいいくらでもするさ」
老臣が務めて明るく振る舞い、凱馮もまたそれにのっかる。
重苦しい雰囲気だった執務室に、ようやく明るさが戻った。
「さて、今回の“カナンの騎士”擁立作戦は不首尾と終わった訳だけど、この戦争に負けたわけではないし勿論終わったわけでもない。兎にも角にも、
凱馮は普段通りの軽やかな態度で、これからの対応を指示し始める。
「林将軍、ブリュンヒルド要塞に送った軍をすぐに呼び戻してくれ。もう意味が無くなったし、下手をすると強襲されて叩き返される」
「ハッ!」
体格の良い髭面の将軍は、凱馮の言葉に疑念を返すことなく即座に執務室を飛び出す。
後の事ではあるが、連合王国のブリュンヒルド要塞を攻撃していた軍はこの会議の翌日にリガール家とバレンタイン家の騎兵隊の奇襲を受けて混乱状態に陥るが、辛うじて撤退準備が完了していた事で、敗走せず秩序だって撤退する事が出来た。
「次に榾文官長、青角城の防衛設備の進捗度は?」
「ハハ、現時点で七割が完成しております。内部の生産施設等の整備も含めますと、来年の夏には完成するかと」
「ここの軍は来年、連合王国へ攻め込まない。兵達も労働に使えばどれくらい早まる?」
「試算してみねば分かりませんが、2、3月は早まるかと」
「よし、無理をさせるが春までには完成させてくれ」
「御意」
榾と呼ばれた老臣が畏まり、部下達を引き連れ部屋を後にする。
「殿下、連合王国王都でのカイト・ジャッカードの支援については?」
「
興味無さそうに、凱馮は
他にも、細々と諜報や獣国への支援について指示を出した凱馮は、全ての臣下達を部屋から送り出し、すっかり冷たくなったお茶を啜る。
そしてまたぼんやりと、天井を眺めながら思索の海へと漕ぎ出す。
「凱馮様、お茶のお代わりと軽食です」
「ああメイヤか…そこに置いておいてくれ。後で食べるよ」
「僭越で御座いますが、もう夕暮れです。せめて何かお口に」
「…あれ!?」
報告を受けたのは昼前だったはずだが、いつの間にか日が暮れていた事に、凱馮自身が驚く。
「凱馮様、食欲が無いのでしたら…」
「大丈夫、ちゃんと食べるよ」
そう言えば空腹すら感じていなかった事に今更ながら気づき、凱馮はメイヤお手製の菓子をほうばる。
「うん美味しい、腕を上げたね」
「勿体無いお言葉です」
美味そうにお茶を飲む凱馮の姿にホッとしたメイヤは、僭越であると承知の上で、自身の主人へと質問をする。
「凱馮様、“カナンの騎士”とは貴方様がそれほど
「………
「はい…榾様も心配しておられました」
「アハハ…じいやには敵わないね…」
自分を幼い頃から支えてくれている老臣の顔を思い浮かべ、凱馮は苦笑する。
「メイヤ…君は“カナンの騎士”についてどれだけ知っているかな?」
「連合王国の英雄と…確か先代“カナンの騎士”は我が国に訪れ帝国を撃退したと…」
「うん、まあ青麟帝国と戦ったのは六代目だね」
凱馮は遠い目をしながら、幼い頃に祖父である初代皇帝に聞かされた昔話を思い出す。
「たった千騎の騎兵隊に20万の大軍が翻弄され、故郷に帰り着いた兵は万に満たなかった…万夫不当と呼ばれた猛将も、千里を見通し未来すらその掌の上と呼ばれた軍師も、皇帝の盾と呼ばれた最強の戦士すら、尽く敗北し砂漠の砂となった。あの男さえいなければ、帝国はこの大陸を征服し始源皇帝の悲願を成就できたと嘆いていたよ」
それは六代目“カナンの騎士”リオン・グラハムの偉業にして青麟帝国の黒歴史。
かつて砂漠に点在する都市国家を征服し、その更に西方の連合王国すら支配せんと目論んだ初代皇帝は、その第一歩で“カナンの騎士”に敗北し、共に中原を統一した名将達を喪い屈辱的な講和を結んだ。
二代皇帝が弱体化した軍事力を建て直し、頻発する内乱を鎮め国内を安定化させるのに30年の月日を要したが、それすらリオン・グラハムが病によって早逝していなければ困難だったと言われている。
「だから僕は調べた。尊敬する先帝陛下の野望を打ち砕いた存在を、そしてそんな
凱馮は机の引出から、かつて連合王国に留学していた際に購入した竜の置物を取り出す。
「建国以来、彼の国は戦争と平和を繰り返している。まあこれ自体はどこの国も似たような物だけど、大陸の中央に存在するという立地は、どうしても東西南北から攻撃を受けやすい」
「確かに、周りは敵だらけですね」
「にも関わらず、連合王国の領土は建国から50年後辺りの拡張期を除いてほとんど削られていない。そして五代目“カナンの騎士”の時代に大陸南方の海賊諸島を支配下に置き、東部の森林地帯を獣国から割譲された以外は拡大もしていない」
「それは、敵国を侵攻する余力が無かったらということですか?」
「いいや。あの国は自国が支配できる範囲を見極め、その外に出ることを止めた。多分だけど二代目“カナンの騎士”の時代にこの大戦略は定められた。そして自国を脅かす周辺国をバラバラに切り刻み互いに相争わせ、自分達は国土の開発と発展を謳歌した…正直、二代目“カナンの騎士”は本物の怪物だよ。今でも連合王国はこの基本戦略に従い繁栄し、逆に周辺国は彼がばら撒いた謀略の猛毒に苦しんでいる」
かつて千年王国と呼ばれた大陸西側の超大国ガルアーク聖王国は、二代目“カナンの騎士”に唆された名将ピスキスの乱により四分五裂となりその支配地域は全盛期の四分の一となり、数多の独立国が生まれ、かの国の国教であった十字教の権威は崩壊した。
「だがその戦略も完璧では無い。時に周辺国が糾合し連合王国を脅かす勢力が生まれた」
エボバム教の勃興と浸透、そしてそれに対抗した十字教の聖戦軍団は、いずれも連合王国を滅ぼす脅威となった。
また連合王国最大の内乱である『僭王ヴィサリオの乱』や自由都市ザーンベルトの支援を受けた南溟海における海賊の跳梁、そして神聖ミトラリア帝国の建国は、連合王国に大きな被害を齎した。
「どんな国、いかなる時代でもそうだけど、戦乱は
「…そんな都合の良い存在が、何度も見出されるものなのでしょうか?」
「あの国は、僕達の帝国と同じように戸籍を作り、僕達の帝国と違って平民にすら教育を施す。そしてそんな彼らを徴兵し、戦場へと送り込む。そうして戦乱の中で生み出すのさ、数多の犠牲の果てに、本物の
凱馮は掌で竜の置物を弄ぶ。
「“カナンの騎士”襲名に身分は考慮されない。ただ強いことのみを証明し、彼らは至高の栄誉を戴冠する…何千何万の“英雄のなり損ない”の屍の上に彼らは立っている」
かつて連合王国に留学し、その歴史を徹底的に調べ上げた凱馮は結論を下した。
もしも帝国が連合王国を滅ぼそうとするのなら、“カナンの騎士”とは絶対に戦ってはならない。だが、戦争を引き起こせば、有象無象の兵士達の中からいつか、最悪の怪物が生まれてしまう。
「だから僕は、僕の御しやすい“カナンの騎士”を生み出すことに決めたんだ」
「それが
「そうだよ。そして僕の戦略は上手くいっていたんだ…つい昨日までは」
連合王国とその周辺国を巻き込んだ大戦すら、実のところは自分にとって都合の悪い”カナンの騎士“を生み出さない、という一点のみを目的に仕組まれていた。だが、その戦略は最後の最後で覆った。
「この戦争は
「凱馮様!?」
メイヤは驚愕で目を見開く。凱馮の口から出た言葉は、彼女の理解を越えていた。
「彼らは戦略を戦術で打ち砕く理外の怪物だ。十重二十重に罠を仕掛けようと全て食い破る…事実、僕がアレクサンダー・ウォーカーを消すために仕掛けた謀略は全て凌がれたからね」
凱馮は笑顔で、だが目だけば屈辱と激情を宿して溜息をつく。
「…戦争を終わらせよう。出来る事なら僕達の戦力を可能な限り温存し、連合王国の国力を削って」
凱馮は頭の中で、この先の大戦略を、連合王国の解体から自分達の勢力の温存へとシフトさせる。
「その為にも、
凱馮は竜の置物を引出へと仕舞い込む。
まるで恐怖の象徴を封印するかのように丁重に、そして恐る恐る。
多分敵味方で一番アレクの事を評価して恐れているのは凱馮殿下です