ハロウィンにはちょっと遠いですが
ーーー征服歴
連合王国の最辺境、スペイサイド州の片田舎にその長閑な町はある。
人口は1000人と少し。主な産業は農業と林業。
最近代替わりした有能で温厚な領主の元、新たな特産品を求めて行商が訪れ、それに合わせて道の舗装なども新しく行い活気づく、連合王国人が心に抱く郷愁を体現したようなその田舎町の中央に、領主の住まう屋敷がある。
歴代の領主はあまり見栄を張ることなく、手元のお金は領地の発展と子息の教育に使ったので屋敷はあまり大きくはない。
だが、貴族としての体面を作ろうには十分に整えられた屋敷であり、領主が家臣たちや領民に慕われている証であった。
そんな屋敷の一角、領主一族の誰かの私室の扉を、屋敷付きの若いメイドが乱暴に叩く。
「
屋敷中、どころか小さな街中に響きそうなメイドの怒鳴り声に、扉の向こうから弱々しいく眠そうな声が応える。
「あー…まだ日が出てるな……寝よ」
「アレク様ーー!!!」
色白の、整っているがあまり特徴のない黒髪の少年、アレクサンダー・ウォーカーは日差しから逃げるように毛布を被ろうとするが、ヘレナに被っている毛布を引っ剥される。
朝日に照らされて、ツインテールに纏めた栗毛が輝き、ソバカスの浮かぶ活発そうな顔にはしてやったりという笑みが浮かぶ。
「うぇ、眩し……寝る」
「寝ーるーなー!!」
「ぐぇ」
乳姉弟として共に育っただけあって、ヘレナはアレクに対して容赦などしない。
アレクをベッドから叩き落とし、本が散乱する床へと無慈悲に放り出す。
三度の飯より二度寝と昼寝が好きなアレクと言えど、全身を本の角で痛めつけられれば流石に目を覚まさざるを得ない。
「痛ったいなヘレナ、怪我したらどうする」
「怪我をしたくないならちゃんと鍛えてください。お父さんが『アレク坊っちゃんは朝練に来ない』と怒ってましたよ?」
「俺は日が沈んでから鍛錬する派なんだよ」
「どんだけ日光嫌いなんです?」
夜行性で早起きが苦手なアレクに、メイドで幼馴染なヘレナは呆れた顔で首を振る。
「まったくもう…よくそれで『学園』生活が送れますね?」
「授業のある日はちゃんと起きてるっての」
「どうだか。というか、いくら夏休みで実家だからって寝すぎですよ! 朝ご飯冷めちゃいますよ!?」
「ラカタさんの料理は冷めても美味いから大丈夫だって…最悪朝昼まとめて食えばいいし」
「太りますよ?」
「ハッハッ、ヘレナじゃあるま痛ぁ!?」
不用意な発言をしたアレクの足に鋭い蹴りを入れて、ヘレナはアレクを急かす。
「ちゃっちゃと食べてくれないと私の仕事が終わらないんです!! 今日の食堂当番私なんですよ!?」
「わーかった、わかったよ…」
心底めんどくさそうに服を着替え、アレクは食堂でかなり遅めの昼食をとる。
パンと豆のスープ、それに屋敷で飼っているニワトリの卵で作ったオムレツとピクルス。シンプルで割と美味い朝食に何故だか不思議な
「ふぅ……さて、寝るか」
「アレク様、旦那様がお呼びですよ?」
「ぐぺっ!?」
さっさと部屋に戻って寝直そうとするアレクに対して、ヘレナはもはやメイドというよりも手のかかる弟に対する姉のような態度で、アレクの首根っこを掴み引きずってゆく。
自称頭脳労働担当の
因みにこの屋敷の旦那様、ウォーカー男爵家の若き当主にしてアレクの兄イースレイ・ウォーカーは、言い訳が上手く何かとサボって昼寝をしようとするアレクを言い負かして働かせる事の出来る唯一の人物である。
仕事をしている執務室へ、ヘレナに放り込まれた
「おはようアレク、
「おはようレイ兄さん…久しぶり?」
どっこらせと身体を起こしたアレクは、尊敬する兄に挨拶すると首を傾げる。
とはいえ、この手の違和感はイースレイと話すと何時もの事かとアレクは考え直す。
アレクサンダー・ウォーカーの兄、イースレイは、アレクとは比べ物にならない俊英なのだから、アレクには分からない理屈で会話が噛み合わない事など割と良くある事なのである。
「…ああ、何でもないよ。それよりもアレク、ヘンシェルが怒ってたよ? せっかく帰ってきたのに一度も鍛錬に来ないって」
「あー…早起きは苦手なんで」
「ちゃんと日に当たらないと身体に悪いよ?」
『学園』の夏期休暇で実家に戻ってきてから、昼寝するか本を読み漁るかなアレクに、基本的に弟に甘いイースレイも苦言を呈す。
「まあお説教は後にするかな…
「げ、結局お説教か……時間?」
また、奇妙な違和感を感じたアレクだが、イースレイはいつもと同じように優しく穏やかな笑みを浮かべたままだった。
「ヘレナ、お茶を貰えないかな? ちょっと休憩にするよ」
「はい、旦那様」
執務机から立ち上がり、ソファに座ったイースレイがアレクに対面の席を勧める。
執務室には当主用の机に応接用の簡素なテーブルとソファが置かれている。アレクは他の貴族家の執務室は見たことは無いが、壁一面に収められた大量の書籍は明らかに読書好きな歴代ウォーカー家当主の趣味だろう。
アレクは兄の勧めに逆らわず、イースレイの息抜きに付き合う。
執務机には、領地経営だけでなく周辺の領地からの相談や共同での事業の計画書まで、多岐にわたる書類が山と積まれてはいたが。
「相変わらず、周りから頼られてるな兄さんは」
「あはは、アレクも沢山手伝ってくれていいんだよ?」
「しまった……お、俺は宿題があるので」
「お前、帰省する前に全部終わらせて来てるだろ?」
「……全力で手伝わせて頂きます」
弟のことなどお見通しな兄に、アレクは全面降伏する。
「しかし、領地が豊かになるほど仕事が増えてきてるような…?」
「だから頼りにしてるよ、弟よ」
イースレイがその持ち前の交渉力で王都や他の地域から連れてきた職人や、持ち込んだ作物のお陰でウォーカー領の特産品が増え、領地は豊かになったのだが、増えた仕事に対していきなり仕事の出来る家臣が増えるわけでは無いのでイースレイの負担は増すばかりである。
弟のアレクも、休みの間こそ息抜きと評してサボってはいるが、将来兄を支えられるよう、『学園』では優秀な成績を保っているのである。
少なくとも、実家と寮の自室以外では真面目な優等生を演じて実際に優良な成績を納められる程度には(実技を除く)。
「アレクももう卒業かぁ…兵役が終わったら大学かな?」
「まあ、できればソーヤ記念大学に行きたいかな。
「それは良いね、僕はアリ…友人達に言われて軍大学に行かないと行けなかったからねえ」
『学園』を首席で卒業したイースレイは、勉学だけでなく礼儀作法、更にはカルネアス流剣術の中でも特に第三の型の達人であり、兵役中の上司や同僚からの受けも良かった。
むしろ、良すぎた為に軍にとどめ置かれ、比較的早い昇進の代わりに軍大学の騎兵科に進学させられ、父が早世して領地を纏める為に故郷に戻るまで近衛第1師団で働く羽目になったのだが。
「兄さん、領地も大分落ち着いたし、軍に戻らないの? 兄さんなら”カナンの騎士“にも…」
「買いかぶりすぎだよ、それに僕はこうして自分の領地を発展させるのが好きなのさ」
「それよりもアレク、学園はどうだい? 彼女は出来たかな?」
「どうも何も、座学は兄さんの忠告通り3位前後をキープしてますよ。まあ実技が並なので総合だと10位以内には入れないけど」
「で、彼女は?」
「グイグイくるな!? いやいませんって」
「へー…そっかぁ」
「なんですかその意味深な顔は!?」
「いいや…あ、そうそう。僕の友達の妹も今年入学したらしくてね。お転婆で目立つ子だそうだけど仲良くなった?」
「いやそんなの
親戚のおばちゃんのような態度で、イースレイはにやにやと笑ってアレクをからかう。
「まあそうだね。アレクにはレナちゃんがいるから気にしないか」
「いやレナは妹みたいなものでそういう対象じゃあ…」
「フッフッフ、赤くなって言い訳しても説得力が無いなあ」
「くそ、やっぱり口で敵わねえ…」
一方的に翻弄されたアレクは、悔しそうに頭を抱える。
幼い頃から兄に口で勝ったためしのないアレクは、何とか兄の追及から逃れようと話題を変える。
「というか兄さん、
「あっはっは、ごめんごめん…まあそうだね、そろそろ
そう言ってイースレイは名残惜しそうに、そして悲しそうに微笑む。
普段から笑顔を欠かせない兄から漂う
「そうだアレク、どうだいこの紅茶? 美味しいだろう?」
「ええまあ…というかこれ俺が王都のお土産に買ってきたやつでは? しかも兄さんが指定した裏町の店の」
「そうそう、久々に飲みたくてね。あの店、配送とかしてくれないから直接買いに行かないと行けなくてさ」
カップに残る紅茶を飲み干し、イースレイは嬉しそうに笑う。
「
「あの時…? なあ兄さん、さっきから一体なに…を…っ!?」
この部屋に来てから、イースレイと会話をしてから感じていた違和感が強まり、アレクは困惑と共に全身に激痛を感じて言葉を切る。
「な…っ、これ…は」
全身に隈なく奔る
己の手をみて、アレクは目を見開く。
その手は、自分のよく知るペンだこの浮いた白い手では無かった。
るで何十年も只管剣を振るったように分厚くなった掌。日に焼け、その上に数多の傷の重なり合う、武人の手。
「あ…、ああぁぁ…兄…、さん…っ」
涙が溢れ、伝う顔その顔は過去の面影などない。
兄とよく似た、目つきだけは悪いその顔は、刀傷と火傷で崩れ、無残に喪われた。
「ごめん…ごめんなさい……兄さん…っ、俺が…俺が弱かったせいで…っ、俺が…」
気がつけば、
石畳で舗装された街並みも、整備された豊かな農地も荒廃し雑草に覆われている。
住み慣れた屋敷は焼き崩れ、もはや往年の面影は焼け焦げた柱の跡位しか無い。
「ごめん、兄さん…ごめん、みんな…俺がもっと、あの時までにもっと、強くなっていれば……
かつて少年だった男の顔を隠すのは、禍々しい龍を模した仮面。
連合王国の全ての者達が憧れ、畏れを抱く
だが、仮面を外したその素顔は、嘆きと悔恨の涙で崩れ果てたその顔貌を汚している。
見渡す限りの荒れ果てた廃墟は、最強へと成り果てた男の罪過の象徴。
護るべきものを護れなかった、少年の
アレクは膝をつき、荒れ果てた故郷の土に手をつき涙でその地面を濡らす。
「ごめんなさい…ごめんなさい…みんな…っ…」
喪ったものは還りはしない。
例えどれほど強くなろうと、例え復讐を果たしたとしても。
それこそは、アレクサンダー・ウォーカーを蝕む最大にして最悪の呪縛。
例えこの先、どれほどの栄誉を賜わろうと消しされない、罪過の烙印。
「俺だけが生き残って…なんで…っ」
故に、アレクの意識は暗く、黒く、塗りつぶされてゆく。
一人だけ生き残り、数多の敵味方の命を屠り去り踏み躙り、罪を重ね過ぎた少年の成れの果ての魂は、その罪の重さに押しつぶされ────
『じゃあ、
『
『ええ。絶対に、命を粗末にしないで。諦めて、自分が死ねば丸く収まるなんて考えちゃ駄目よ。頼りにならないかもしれないけど、誰かを頼りなさい…もう、ステュクス川みたいなことを、しないで』
闇に鎖された思考の奥底で、浮かぶのはかつてアレクが、
「『
そして、アレクの視界が拓ける。
ぼんやりと立ちすくんでいるその場所は、故郷を見下ろせる小高い丘。幼い頃に兄と共に剣の稽古をした、懐かしい場所。
「良かった、気がついたようだね」
「兄さん…」
声に振り向くと、そこには穏やかな顔で往年の故郷を眺める兄の姿があった。
丘から眺める故郷は、まだ兄が領地を発展させる前の、少し寂れているが、おおらかで長閑な田舎街だった。
「兄さん…俺は…っ」
「アレク…もう
「っ…でも!」
言い募るアレクに、イースレイは懐かしそうな、そして困ったような苦笑を浮かべる。
「アレク、我が弟よ。このウォーカー領は…僕達の故郷は、
優しく、聞き分けのない子供を諭すように。
イースレイはその黒い瞳に、領主貴族としての責任と誇りを込めて、アレクに伝える。彼の背負う、その罪過を。
「アレク、このウォーカー領が真っ先に狙われ、そして滅ぼされたのは僕の責任だ。領地を富ませ、街道と繋がる道を整備し、そうでありながら防衛に費やす労力を怠った僕の…ね」
「そんな…違う、兄さんはちゃんと!」
「いいや…僕は、僕の領地の中しか見ることが出来ていなかった。ソレム伯爵の嫉妬も、そして野心も…薄々気づいていながら、敵国すら利用するとまで見抜けなかった。そしてそれは、この国そのものの中に潜む、内乱の予兆そのものも。僕は目を向けようとしなかったんだ。どこかで、
アレクとイースレイの視線の先で、懐かしい故郷は発展し、そして無残に炎上し廃墟へと姿を変えた。
残るのは僅かな建物の残骸と、それを覆う雑草達だけ。
「だからねアレク、生き残った君が、全ての罪を背負わなくていいんだよ…ここの、ウォーカー領の人達の嘆きは、怨嗟は、僕が連れてゆく」
アレクの視線の先で、イースレイの背後にドロドロとした影の塊が蠢く。それは血に塗れ、炎に焼かれた、かつて家族のように接した故郷の仲間達。
誰も生き残りはしなかった。
男達は勇敢に戦い抜き、女子供達は敵国に蹂躙され凌辱と隷属の鎖に繋がれる事を拒絶し炎の中に消えた。
それをさせたのは彼らの領主、この地に君臨したウォーカー家の当主。
「アレク、我が愛しき弟よ」
イースレイは、自分が死んだ後に自分より大きくなった弟の頭を撫でる。
かつて幼い弟が、亡くした母を求めて泣きじゃくっていた時に慰めた夜のように。
「よく頑張ったね」
「兄さん…っ、兄さん!」
アレクの涙に濡れた視界の中で、イースレイの姿が崩れてゆく。
茜色に染まる景色が崩れてゆく。
アレクの思い出の中にある故郷が、もはや帰ること叶わぬ故郷が崩れてゆく。
夢が終わる。
悪夢に囚われた少年は、曙の微睡みに浮かびゆく。
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
◆◆◆◆◆◆◆
◆◆◆
「……ク、アレク?」
まだ夜が開けきらぬ早朝、耳元で囁かれる呼び声にアレクの意識が覚醒する。
「エリ…カ?」
「ええそうよ……大丈夫? うなされてたわよ?」
同じベットの中で共に寝ていたエリカが、うなされていたアレクを揺り起こしたのだった。
「悪い夢でも見たの…?」
「………いいや。もうよく覚えていないが、あれはきっと、いい夢だ」
アレクはそう言うとエリカを抱き寄せる。
「エリカ…ありがとう、愛してる」
「…ええ、私もよ。アレク」
二人は互いの温もりを感じながら、再び眠りにつく。
この甘く、安らぎに満ちた時間を惜しみながら。