濡れ場が描きたくなった…
ーーー征服歴1501年1月 ミアータ温泉郷ーーー
冬の澄んだ星空の下、乳白色のお湯に浸かりながらアレクはゆっくりと息を吐く。
「なるほど、いい湯だ」
「でしょ〜…」
隣でお湯に浸かっているエリカが、のほほんと蕩けた顔で同意する。
互いに一糸まとわぬ姿で、アレクは傷だらけの顔を隠す仮面も外した姿で露天風呂に浸かっている。
「古傷(そこまで古くない)に沁みる…」
「私も肩こりが楽になるわ〜」
「…浮いてるな」
「最近浮くようになったのよね〜」
鍛え上げられた肉体で無事な部分の方が少ないアレクは、古傷の痛みにも良く効くという温泉の効能に満足気な溜息をつき、胸元に二つの重りを揺らし最近肩こりが辛くなってきたエリカはその負担から束の間だが解放されて安堵の溜息をつく。
「流石はリガール辺境伯、この温泉郷に専用の別荘まで持っているとは」
「元々は三代目“カナンの騎士”様が掘り出した源泉らしいわよ〜、んでリガール家とかマーグレム家みたいな御世話になった家に譲ったんだって〜」
山岳地帯であるマーグレム侯爵家領に拓かれたこのミアータ温泉郷を初めて発見した…というより勘で掘り当てたのは三代目“カナンの騎士”グラッパ・ザーレだと伝わっている。
その後、王都とマーグレム侯爵家領を繋ぐマーグレム街道から道が整備され現在では王都から(急げば)1日で辿り着ける国内有数の保養地として発展した。
「今更だけど、半ば仕事を放り出す形で来て大丈夫だったの?」
「訓練の過程は事前に指示してあるし引き継ぎもしておいた…5日程は休んでも問題ない」
「ならよかったわ〜…」
そもそも、新編成の大隊を練成するのに忙しいはずのアレクとエリカが王都を離れ、何故こうして温泉でのんびりしているのか。それは二日前、龍驤大隊の駐屯地へ奇妙な来客が訪れた事が原因だった。
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ヴィーテ=ガスク連合王国は大陸有数の大国である。
人口や経済力で他の大国に遅れをとる分野があるのは確かだが、建国から300年かけて作り上げられた国力を効率よく活用するための官僚機構と軍事組織、そしてそれを支える教育制度や各種インフラはこの時代では他国と比較しても一世代以上の格差を有している。
そうでなければ4年間以上も戦争を続けた上でなお失地挽回に大軍を編成する余裕を持つ事など出来はしない。
そんな連合王国だからこそ、
そして連勤や徹夜よりも
たが、迫る納期、上司からの評価、立身出世、様々な理由が人々を残業代すら出ない非人道的な過重労働へと駆り立てる。そして人の心を失った外道共は巧みに部下をそんな地獄へと送り込む。
そう、例えば──
「この
「…むごい」
「自業自得…かしら?」
王都郊外の龍驤大隊駐屯地にて、大隊長のアレクと副長のエリカは目の前に置かれた
「あー…ラーゴン
「無論、罰である」
アレクが恐る恐る、カレウスをここまで引き摺ってきた男、内務省労働監督局第二課課長オーレン・ラーゴンへ尋ねると、ラーゴン課長は女性のウエスト程もある鍛え上げられた腕を組み厳かに答える。
「成る程………晒しますか?」
「騎士の情けである。
「なにサラッと順応してるのアレク!?」
「よく分からんがそこの土下座が酷い目に合うならそれでいいかなと」
「良くねぇよ!!」
土下座がキレ気味に反論するがアレクもラーゴン課長も無視する。
なんなら長身のアレクより更に頭一つ背が高く、
「しかしどの様な…ではなくどの罪状で謝罪を? そもそも俺に本気で謝意があるならそのドス黒い腹を斬る位ではすみませんが?」
「ねえアレク、もしかしてカレウスおじ様のやったこと根に持ってる!?」
「ウム、個人的な怨恨は兎も角として我輩の業務に関することである」
真顔(仮面で表情は分からない)でカレウスに腰の剣を渡そうとするアレクをエリカが止め、ラーゴン課長は気にせず懐から分厚い書類の束を取り出す。
「知っての通り、内務省労働監督局は官民問わず不当かつ過剰な労働が行われていないかを監視し必要とあらば介入する部署である」
「確か第二課は軍組織が対象との事ですが…」
「いかにも」
ラーゴン課長は並の、どころか上澄み中の上澄みの軍人であるアレク顔負けの鍛え上げられた肉体を誇示するようにポージングしながら鷹揚に頷く。
そして書類の束をパラパラめくりながらアレクへ己の仕事を説明する。
「戦時下ではどうしても士官、兵卒問わず超過労働が頻発する。嘆かわしい事だが、爵位や階級を盾に下のものに無理なノルマや業務量を課す者も少なくない」
「まあ、そうですね」
「これが凡庸な相手であれば、書類の不備などを突いて邪悪な上司を排除し搾取される労働者達を救う事も容易いが、近年は手口が周到化し尻尾を掴ませない悪辣な者が増えている」
「なるほど」
アレクとエリカの冷たい視線が
「本来なら身体を休め英気を養うべき安息日に職場へ呼び出し、理不尽なノルマを課しながら残業代も代休も与えない。そんな上司やそれを許す職場は滅ぼすべきだ。そうは思わないかね?」
「…そうですね」
「なんで貴方まで目を逸らすのよ」
鍛え上げられた肉体から放たれる壮絶な殺気に、若干疚しい心当りのあるアレクがこっそり顔をそらす。
「今回、この馬鹿者は傷病休暇中の貴殿を呼び出し本来は無関係な業務に巻き込んだ」
「おい待てそれはこいつも納得して…あだぁ!?」
「貴様は陸軍病院で発行された診断書を不正に入手し、ウォーカー少佐の傷病休暇を未消化の有給休暇へと改竄、そして軍務として有給休暇消化義務の延長を申請させたな」
「王都に戻った後に参謀本部から有給休暇を消化しろと命令があったのはまさか…」
「この痴れ者の陰謀である」
「よし斬ろう」
「アレク待って! 言い訳は聞いてあげてー!」
鬼の形相(仮面で見えない)で剣を抜こうとするアレクをエリカが必死に抑え、逃亡を図ろうとする
「他にも部下達の休暇申請を握り潰し、戦時特例を悪用し強制労働させておるな」
「カレウスおじ様…そしてなんで逃げようとしてるのアレク?」
「あ、ばか、」
「そしてそれらの書類偽装にはウォーカー少佐もかかわっておる!!」
「な、離せ!!?」
気配を消して窓から逃げようとしたアレクはエリカに見咎められ、窓から突入してきた
「まて俺は無実だ!! そこの腹黒に脅されただけだ!!」
「こうすれば効率良く働かせられると提案してきたのはテメェたろうがぁ!!」
「黙ってろ腹黒!!」
「うるせぇぞ陰険仮面!!」
「醜い争いね…」
流石のアレクも10人近い
「貴殿達の事情は理解している。また、貴殿達の仕事により国が危機から救われたともまあ…言えるであろう」
「そこ言い切ってくれよラーゴン先輩!!」
「我輩、たとえ友人であろうと仕事では公正に対処するのが誇りである」
「ラーゴン課長…逃げないから拘束解いて下さい……重い…」
「貴殿はそのままでもやろうと思えば逃げられるであろう?」
「「チッ」」
「息ピッタリね…」
呆れ顔で腹黒二人を見下ろすエリカに、ラーゴン課長が1枚の書類を渡す。
「エリカ嬢、確か先日ウォーカー少佐と婚約したのであったな」
「え、はい」
「おめでとう!! ではウォーカー少佐の
書類には、アレクを5日間の
「ウォーカー少佐には一応、この痴れ者に巻き込まれたという情状酌量の余地がある。故に残っていた傷病休暇分と罰則期間を相殺し、移動制限の無い謹慎処分とした。折角なので近場の保養地にでも放り込んでおくのである」
「これただの休暇…」
「罰と言うことにしておかないと各方面が煩いのである」
「あ、はい」
「エリカ嬢は監視役なので有給は消費しなくて良いのである」
「えーっと…ありがとうございます?」
ラーゴン課長は一通りの説明を終えるとカレウスを小脇に抱えて部下と共に撤収準備を始めた。
「俺、拘束され損では…?」
「一時的に拘束されるまでが罰である」
「なるほど…?」
野郎共に押し潰されたアレクが恨みのこもった視線を向けるが、ラーゴン課長は一切悪びれずのたまう。
「多少は痛い目を見ておかねば悪事は繰り返すのである。それはそれとしてウォーカー少佐には休暇が必要なのでとっとと休むのである」
「いや仕事の引き継ぎ…」
「では明日から5日間、休暇を厳命する!!」
「話を聞いて欲しい……」
一方的に言うだけ言うと、ラーゴン課長は部下達と共に撤収して行った。
「嵐が去ったわね…」
「だな……」
こうして、エリカがリガール家保有の保養地の使用許可を貰ってくる間にアレクは仕事の引き継ぎを終えて強制的な休暇に突入した。
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アレクは湯に浮いたお盆からお猪口と呼ばれる一口サイズのカップを手に取り、中に注がれた
「不思議な飲み心地だな」
「これ宰相閣下のコレクション?」
「ああ、
「よっぽど気に入られたのね…」
徳利と呼ばれる円筒形の陶器からアレクのお猪口に清酒を注ぎながらエリカが呆れと感心の混じった嘆息を漏らす。
ちなみに基本的に酒をアルコール度数でしか判別しないアレクにとっては薄味なのだが、独特な香りと味が不思議と口に合い飲みやすいのでするすると飲めてしまう。
「酔えない以外は良い酒だ」
「いやそれはおかしい」
アレクほどザルではないエリカがジト目で睨むが、アレクが飲むペースは変わらない。
そして徳利1本分を飲み切ったところで、アレクはぼんやりと半ばまで欠けた月を見上げ溜息をつく。
「しかし…休みか……」
「温泉浸かってお酒まで飲んでるのになんでちょっと憂鬱そうなのよ」
「いや、長い休暇貰うと大抵碌でもない目に遭ってきたからな…」
「貴方が言うと本気で笑えないわね…」
夏季休暇の帰省中に故郷が滅んだ人間の言葉はちょっとではなく重い。
「戦地で休み取ると何故か暗殺者の襲撃が増えたし」
「洒落になってないわね…」
「気になって調べたら上司が情報を横流ししてたから消す羽目になるし」
「…もっと飲んで嫌なこと忘れなさい」
アレクの目から最近は戻っていた生気が喪われていくのを見かねたエリカがアレクのお猪口に酒を注ぎ直す。
「安心なさいな。今の貴方にはこの私がついてるのよ? 存分に頼りなさいな」
「…それはそれで自分が駄目人間になったみたいで嫌だ」
「変なところでプライド高いわねー…」
照れ隠しで顔を背けるアレクの姿に、エリカはやれやれと肩を竦める。
そしてぴたりとアレクの傷だらけので身体に身を寄せたエリカは、アレクの肩に頭を乗せる。
「今回は良いじゃない、何も考えず休んじゃって。美味しいもの食べて、温泉に入って、ゆっくり寝る。仕事の事を忘れて楽しむ事も必要よ?」
「……そうか」
「そうよ」
自分を励ましてくれる婚約者の気遣いにアレクは穏やかに笑う。
「…で、アレク。私の胸を揉んでるこの手はなあに?」
「愉しめと言われたからそうしようかと」
「そうだけど! もうちょっとこう雰囲気とっ!?」
エリカの抗議はアレクの唇によって強制的に塞がれ、温泉に荒々しい波が立ちはじめた。
濡れ場に辿り着けなかった…だと!?