ーーー征服歴1501年4月 スペイサイド州北西部 イメーム丘陵ーーー
獣国軍の襲撃が目前まで迫ったイメーム丘陵の龍驤大隊野営地は、遅滞戦闘の為に出撃した騎兵を除く約700人に加えて、ハワード大佐率いる臨時編制の連隊(後備役をかき集めた実質2個大隊)約1500と後方から慌てて派遣された2個中隊(こちらは新兵中心の非充足部隊)約300、そして龍哮大隊の敗残兵や難民が合わせて1000程度のおよそ3500人足らずが昼夜を徹して陣地設営作業を行っている。
「作業の進捗は8割ですか」
龍驤大隊の首席幕僚であるアルバート・ケルビム大尉は、大隊本営の天幕に置かれた己の実務机で、それぞれ役割を振った指揮官達から持ち寄られた報告書から作業の進捗を分析する。
天幕の外からは現場を監督する下士官達の怒声が響き、時々”ドォォン“という腹に響く爆発音が響く。
「接収した大砲の試射も順調そうですねえ」
本来ならカイト率いる龍哮大隊に送られる予定だった大砲とマスケット銃はアレクの一存で全て接収され、その運用はもともと索敵騎兵小隊が使用する予定だった騎兵砲(分解運搬可能な小型の大砲)と共にアルバートとTBM技研から出向している技術士官達に一任された。
なのでアルバートは遠慮なくそれらの砲を陣地防衛に活用するため、一部陣地の設営範囲を拡大し本営の置かれた丘に加え、街道を挟んだ南側に砲兵陣地を作らせた。
遅滞戦闘を行っているアレクからの連絡で当初の予定より時間に余裕を持って陣地設営を行える事から、アルバートの顔に険しさは見えない。
「それどころか遅滞戦闘で敵軍の2割を削るとは…流石は
従卒の淹れた紅茶を飲みつつ、アルバートは大隊長代理として積み上がる雑務をテキパキと処理してゆく。
「さてダニエル、暇なら手伝って下さい」
「僕が今仕事できる状態に見えるなら眼科受診を勧めるよ…」
「普段から鍛えていないからそうなるんですよ?」
目の前に転がる
「そもそも何で僕が土木作業しなきゃならないの!? 僕中佐だよね!? 結構偉いよねえ!?」
「これは受け売りですが、最前線で地位と家柄をひけらかす人間は長生き出来ませんよ?」
「ぐっ…」
呆れ顔のアルバートが投げた鋭い指摘にダニエルの言葉が詰まる。
「や、でも書類仕事とか…」
「あのタイミングだと部隊の事情に精通する人間以外は足手纏になるので…」
急いでいたとはいえ宙ぶらりんな立場で来てしまい、ついでに帰れなくなったダニエルに振れる仕事など肉体労働しか無かったのである。
「そろそろ書類仕事も単純な作業になってきたので任せられそうですが、やります?」
「休ませろよ!?」
疲労困憊で動けなくなり扱いに困った大隊最先任下士官に、処置なしとこの天幕へ放り込まれたダニエルは何とか動く口だけで旧友へ抗議する。
とはいえ働かざる者食うべからず。従卒から白湯を貰い、ようやく立ち上がれるようになったダニエルは、全身筋肉痛で痛む身体を引き摺り何とか書類の積み上げられた机につき渋々書類を処理し始める。
そんな旧友の姿に苦笑しながら、アルバートは余計なお節介と思いつつも苦言を口にする。
「ダニエル、言っておきますが前線が
「……分っているさ」
ウォーカー男爵領は七代目”カナンの騎士“アレクサンダー・ウォーカーの故郷であり、5年前の獣国軍の侵攻に際して最も早くに攻撃を受けたスペイサイド州でも東側の街だった。
そして当時のウォーカー男爵イースレイはアレクの兄であり、連合王国の現王太子アリウス、そしてダニエルやアルバートの
「アルバート、君が
「私がこの大隊で仕事をしているのは成り行きですよ。そもそもこの大隊の練成を任されたのはカイトの為でしたし」
「でも君はカイトが負けて、ウォーカー少佐が”カナンの騎士“を襲名した時、カイトに殉じること無く僕達側に着いた。”革新派“の情報を手土産にして」
アルバートはダニエルと同じ七大貴族の係累だが、ケルビム公爵家自体がジャッカード家と姻戚関係にありリガール家やバランタイン家等の”王党派“の主流派とは距離がありむしろ”革新派“とも繋がりが強かった。
だがケルビム公爵家は、アレクとカイトの決闘が終わると直ちに”革新派“との繋がりを切り捨てた。ジャッカード公爵家がカイトを切り捨てたのも、ケルビム公爵が裏で現ジャッカード公爵に圧力をかけた部分も大きい。
常にその時勢における最も強い存在につく、それこそが七大貴族で最大の財力と最弱の軍事力を有するケルビム公爵家の生存戦略だった。
「我が家は常に勝つ方につくだけですので」
「でも君は、カイトが負ける前から準備をしていた。カイトの協力者として火砲を用いた戦術を確立しながら、裏で”革新派“と帝国の繋がりを調べ上げていた」
「私は狡兎三窟という言葉の通りに行動しただけですよ」
アルバートはいつも通り穏やかな、感情の読めない笑みのままダニエルの問を受け流す。
ダニエルもアルバートも、そして彼らの友であり主君であるアリウスも、必要ならば他者に献身を求める
ダニエルの妹であるエリカのようにそちらに適正の無い者と異なり、彼らはその教育に適合した真の貴族であり王族だ。
故に真の意味で本心を語る事はあり得ない。
平時であれば。
そして今は友であるお互いと、アルバートの忠実な臣下である従卒しかいない。故に────
「そうだね…で、アルバート。
ダニエルは普段の人当たりの良い笑みの下に、怜悧でありながらマグマの様な激情を込めて数少ない本音を語り合える友に問う。
それに対して、アルバートもまた穏やかな笑顔の裏にあらゆる生命を焼き尽くす程の憎悪を以て応える。
「絶対に許さない」
その整った顔立に万感の殺意と憤怒で染め上げ、アルバートは天幕の入り口にかけられた布を、否、その先でこれから侵攻してくるであろう
「許すものか…我が友を殺し、その故郷を焼き、彼が大切にしていた物全てを踏み躙った者達を」
それは本来なら咎められるべき、理性などかなぐり捨てた感情の発露。
「報いは既に果たされたよ? レイの弟が、敵を討った」
「ああ…私達がもたついている間に、全て終わってしまっていた」
連合王国を裏切り、ウォーカー領を侵攻した獣国軍を招き入れたソレム伯爵はベルと名乗り一兵卒として戦場を生き延びたアレクサンダー・ウォーカーに討たれた。
そして帝国の支援を受け、連合王国侵攻を主導した獣国八代将軍第2席ゾード・ガッフェルもまた、
「でも…」
「ああ…だが、まだ終わってなどいない」
アレクの憎悪は既に枯れ果てた。己の名も過去も捨て去り、そして僅かに残っていた尊厳さえも砕かれた中で、それでも戦い続けたその最果てに、アレクサンダー・ウォーカーは救いを得た。
では、
その憎悪は何処へ行く?
「この戦争を始めた、そしてこの戦争によって…我が友の死によって不当な利益を得たクズ共はまだ生きている」
アルバートの目には、どす黒く昏い憎悪の炎が燃え続けている。
「帝国、獣国、そして”革新派“…奴らを纏めて地獄に叩き込む為なら、どれほど屈辱に塗れようと機会を待つ。そう考えて、つい先日まで耐えていたんです」
そしてその激情を全て、いつもの通り穏やかな笑顔の裏にしまい込んだアルバートは、既に冷めた紅茶で喉を潤す。
「ご安心を、ダニエル。カイトに恨みはありませんが、あの道化を盛り立てる為に払われた犠牲を、私
「そうだね。君が敵にならず安心したよ」
ダニエルもまた、冷めた白湯を飲んで喉を潤す。
「もう少ししたら僕は王都に帰る…レイのお墓には、僕とアリウス殿下の分まで花と、レイが飲みたがっていた蒸留酒を供えておいてくれ」
「ええ、必ず」
そう言って席を立とうとしたダニエルは、肩をアルバートの従卒に掴まれた座らされる。
「………あれ?」
「その為にも、今は働いて下さいね?」
「クソ!? いい感じに纏めたのに!!」
「そういう所が、女性と長続きしないとレイやアリウス殿下に何度も言われたでしょうに…」
友人達の中で最も人の心を失っているダニエルに、アルバートが呆れ果てた溜息をつき、ついでにキメ顔で語ったダニエルの間違いを指摘する。
「あと、ウォーカー少佐が言っていましたがレイに墓はまだありませんよ」
「…え?」
「当時はウォーカー少佐も余裕が無かったそうでして、遺体を放置したまま半生半死でウォーカー領から脱出したそうです。その後は獣国もソレム伯爵もあの地は放置しているそうなので、遺骨は野ざらしですね」
「……そうなのか」
知らなかったとはいえ、本気でバツが悪そうにダニエルが目をそらす。
「ご要望通り、既に私の伝で最高級の蒸留酒が届く手筈ですので墓をきちんと立てたら供えておきます」
「あ、うん」
色々な意味で負けた気分になったダニエルは、逃げる気力を失い何故か自分側に偏って積み上げるた書類の処理を再開した。
その日の夜、彼の下に長兄であるゴードンからの手紙が届くのは、また別のお話。
何故かケルビム大尉がメインの話になってしまった…解せぬ
因みに、アレクの兄イースレイと連合王国第一王子アリウス、エリカの次兄ダニエル、そしてアーノルドことケルビム大尉は学園時代に成績を競い合ったライバルであり親友です。学園にはびこる裏賭博と、そこから利益を得ていた裏社会と繋がる悪徳教官を一掃したり、下町に秘密基地を作ったりとなかなか楽しい青春を謳歌していたとかいないとか。
そしてこの中に留学してきた藍剴馮殿下が加わる事で、乙女ゲーを一本を作れそうなチームが出来上がります。