ーーー征服歴1498年12月 スペイサイド州北部エーギルン郡ーーー
大陸東方、中原と呼ばれる先進地域では様々な思想、学問、そして武術流派が古代から勃興し洗練され発展してきた。
数多の戦乱によりそれらは時に失われ、再発見され、そして大陸の交易路を通じて各地へと伝播した。
それらの中でも、無手による戦闘術は実用性や思想の面から戦乱の中で極限まで洗練された。その極地の一つこそが、発勁と呼ばれる筋力に頼らない衝撃伝播の技法である。
己の肉体を、大地を踏みしめる力の通る一本のレールに見立て敵手へと
この技法は、本来ならば地面を踏みしめる脚と力を徹す全身の肉体の連動を必要とする。だが、技を極めた達人であれば己の肉体の僅かな骨の軋み、筋肉の収縮をゼロ距離で敵手へと叩き込む事すら可能である。
中原より獣国に伝わりし6大武術が一つ、飛血拳術を極めたウージョであれば当然、四肢のうち半分が破壊された現状であっても人体を容易く破砕するほどの衝撃を、敵手たるアレクへ徹す事も。
「……化物め」
技の反動で血を吐きながら、ウージョは残った右目で己の奥義を叩き込んだアレクを睨む。
己へ突き刺したサーベルを迷わず手放し、技が発動する直前に後方へ飛んだアレクを。
「なるほど…そちらの言い方だと
食らった衝撃を逃がす為に泥濘に数メートルの轍を刻んだアレクは、ヒビの入った己の胸甲を軽く叩く。
「まともに食らえば防具を貫通して内臓を破壊すると聞いていたが?」
「だったらちゃんと食らっとけ……きっちり心臓を爆散させてやるっての」
己の頭に突き刺さったサーベルを無理やり引き抜き、投げ捨てながらウージョが忌々しげに吐き捨てる。
命を賭けた絶技は、
軍服へ飛んだ泥を払いながら、アレクは既に死に体のウージョに問う。
「今降伏すれば命だけは助けてやるぞ?」
「ハッ、舐めてんのかテメェ。それは──」
ウージョは獰猛に嗤い、骨の砕けた右足を無理やり筋肉で駆動し全力で踏み込む。
「こっちの台詞だあぁぁ!!!」
数瞬前までウージョが立っていた場所を、放たれた矢が虚しく通過する。
「テメェのセコい作戦なんざお見通しなんだよなぁ!!」
大量に分泌される脳内麻薬が、ウージョの全身を苛む激痛を一次的に無視させる。
元々折れていた足の骨は、無茶な駆動で完全に砕ける。最早適切な治療を施そうと、まともに歩くことは不可能だろう。
だとしてもウージョは止まらない。今止まれば何も成せずに死ぬ。ならば、例え己の未来を捨ててでも
「喰らえやぁぁぁ!!!」
狡猾に、ウージョが無理やり右脚を使って踏み込んでも届かないギリギリの場所まで間合いを離していたアレクの
(
己の未来すら焚べた至上の一撃。完全に虚をついた奇策に勝利を確信したウージョの思考が凍りつく。
ちらつく小雪が止まって見えるほど、極限の集中により遅く感じる時間の中で、ウージョは己の人生最後にして最悪の敵手の顔を見た。見てしまった。
その新月の夜よりなお昏き瞳が、嘲るでもなく、失望するでもなく、心底
僅かに後ろに逸らされたアレクの鼻先を、ウージョの右腕が通過する。音越の風圧がアレクの適当に切られた前髪を微かに揺らしたのが、彼の人生全てを賭した一撃のもたらした唯一の戦果だった。
「右目があれば、もう少しよく狙えたか?」
「あぁ…クソ、
最早防御も回避もままならないウージョの顔面に、アレクの
(悪ぃリオル…先に逝く)
ヒトの頭を容易く握り砕く握力で握り込まれた拳が、ウージョの頭蓋骨を卵の様に割り砕く。
(ごめんサーリャ…戦争が終わったら結婚するって約束、破っちまった)
たかだか頭蓋骨程度では殺しきれない運動エネルギーが、より柔らかいウージョの頭の中身を原型すらとどめず粉砕する。
(あa、母さ──」
顔面ごと頭部を殴り砕かれ、首も半ばから千切れたウージョだったものの口から漏れた末期の言葉は、誰の記憶にも残ることなく冬の森の泥の中へと消えた。
「ご苦労だった、バグラム軍曹」
「…言っちゃ何ですが、俺ら必要でしたか?」
「時間と労力の節約だ」
手にこびりついた白い何かを拭ったアレクは、狙撃位置だった木の上から降りてきた部下を労う。
「ヒャッハー!! ざまぁねぇぜこのゴミクズの獣野郎がよぉ!!」
「フェーデル兵長、それは
「……へーい」
ウージョの死体を蹴り飛ばしていたフェーデル兵長が、アレクに睨まれ憂さ晴らしを止める。
「ウォーカー中尉、
「…しまったな」
周囲に潜んでいたガラクタ中隊の人員を指揮していたエクトル少尉の指摘に、アレクが少しだけ困った顔で眉を潜める(包帯で顔は見えない)。
そして部下が回収したサーベルの刃毀れを見る。
「これでいいだろう」
「あー…じゃあ柄の所に
「なあフェーデル兵長、何で俺等の上司は皆人の心無いんだろうな…」
「ヒャッハー…あの人たち獣野郎共を人間として扱ってねぇからじゃないっすかね」
部下のドン引きなど露知らず、アレクはサーベルで心臓を貫いたウージョだったものの死体を大木の幹に磔る。まるで昆虫標本の如く。
「そういえば、この手甲回収するんですか? 顔面潰れてますし本人確認出来ないかもしれませんよ?」
「この手甲は
そして、アレクがウージョとの死闘を開始してからおよそ30分後───
「イヤアァァ!! ウージョ……何で…、何でこんな!!」
「あ、姐さん落ち着け!!」
「そうですサーリャ、罠があるかもしれないから迂闊に近づいては」
静寂な森に、女性の悲痛な嘆きが響く。
凛々しく精悍なその女戦士は、部下の制止を振りほどいてウージョの死体に取りすがり──
「ウージョ…こんな酷い、大丈夫だ…すぐにこんな剣抜いて…ぇ?」
サーベルの柄に仕込まれていた細い糸が外れ、仕掛け罠としてウージョの死体の真上に吊るされていた太い丸太に頭を潰された。
「姐さ」
「サーリ」
サーリャを止めようとしていた2人の部下、いずれも歴然と呼べる雰囲気を有する獣国兵もまた、潜伏していたガラクタ中隊の兵士達の狙撃で頭を撃ち抜かれる。
瞬く間に指揮官を討たれた獣国兵達は一目散に来た道を逃げ帰った。彼らの指揮官の死体すら放り出して。
「まずは4人、だな」
獣国兵の逃げ散った森の中で、アレクは残された死体から換金しやすい武具や宝飾品等を回収する。大半を報酬代わりに部下に持たせたアレクの手の中には、ウージョ達4人が共通して身につけていた指輪があった。
中原で用いられる象形文字で"星"と刻印された、それ単体では大した価値の無い、真鍮製の指輪が。
本当は前の話でここまで書くつもりだった……