ーーー征服歴1498年12月 スペイサイド州北部エーギルン郡 獣国軍本営ーーー
カデント要塞の周囲を固める砦を全て攻略したゴーロン将軍率いる獣国軍は、要塞への総攻撃を開始する為に本営をカデント要塞の正面まで移動させた。
ここまでの経緯から連合王国の熾烈な妨害を警戒していたゴーロン軍だが、カデント要塞に籠る連合王国は不気味なほど沈黙を保ち、牽制程度に繰り出されるゴーロン軍からの攻撃を迎撃する以外は、後方との輜重の遣り取りとその護衛に注力している様に見えていた。
この段階までに多大な時間と物資を消耗した獣国軍は、一刻も早くカデント要塞を攻略しこの要塞に蓄えられた連合王国軍の物資を手に入れ冬営の準備に入らねばならなかった。実際、本営の移動と並行して冬季で水量の減っているカデント河の渡河地点を探り、周囲の森林から木々を伐採して攻城兵器を組み立て余った木材で渡河用の筏を作ったりと、連合王国軍からの妨害が少ないのもあって夜を徹して総動員体制で攻城準備に励んでいた。
末端の兵士達が慌ただしく動き回る中で、軍団の中枢を担う参謀や上級指揮官達の集う大天幕では悲痛な怒号が響いていた。
「巫山戯た事を抜かすな貴様ぁぁ!!」
「それは私ではなく、征伐軍総司令官への罵倒と受け取るが?」
「なっ、ぐぅ…」
軍団の主要な指揮官達が揃う中前で、その指揮官の一人に怒鳴られた獣国
「私はガッフェル将軍閣下の意向をゴーロン将軍に伝えに来ただけだ。どうやら北方方面軍の無教養な連中には上手く聞き取れなかった様なので改めて伝えよう。傾聴するがいい」
嘲りと傲慢さを過剰な程に添えながら、使者は改めて携えた書状を読み上げる。
「"北方方面軍は友軍の窮状を無視して過剰に蓄えた物資を即座に供出せよ。貴軍がこれ以上全軍の事情を無視して兵糧と防寒具を独占するならば指揮官ゴーロン及び参謀団は更迭し、改めて総司令部より適任者を任命する"。以上だ。供出するべき具体的な量については別書に記載してある。1週間以内に総司令部の置かれたアベラワーへ送れ」
「馬鹿な事を言うな! 我らの備蓄は冬営に備えたギリギリの量なのだぞ! そこから5000人分の兵糧と防寒具を送るなど、貴様らは我々に飢えと寒さで死ねと言うのか!!」
余りにも理不尽かつ一方的な要求に激発した指揮官の一人が、剣の柄に手をかけながら叫ぶ。
だが使者は顔色一つ変えることなく、その指揮官に蔑みの目を向ける。
「ほう、つまり貴様は連合王国主力と死闘を繰り広げる我ら中央軍に飢え、そして凍えた中で死ねと言うのだな?」
「な!?」
「哀れだな。こんな僻地で弱兵相手に戦争ごっこをしている貴様達には分からんだろうが、我々は乏しい物資を数えながら強敵と戦っているのだぞ? そして我々が敗れれば貴様らは適中で孤立し飢える前に死ぬ。そんな単純な理屈すら分からんとは、この軍の質が知れるな」
「言わせておけば貴「待て」」
静かだが重厚な声が、激昂し剣を抜こうとする指揮官の言葉を遮る。
居並ぶ指揮官たちの中央、使者の正面に座った老将軍は老いてなお壮健な肉体に見合う威厳により怒りに燃える部下達を抑え込む。
「ガッフェル将軍の要望は軍の総司令官として当然のもの。恙無く我が軍の物資を融通する」
「流石は"百賢"ゴーロン将軍ですな。では、期限までに輸送をお願いします。ああ勿論、敵軍に物資を奪われるなど無様な言い訳はいたしませんな?」
「問題ない、"輝星隊"を護衛につけよう」
「ほう、それは安心ですな。無様に物資を奪われ続けた
せせら笑う使者を同席していたリオルが睨みつけるが、コレリアに袖を引かれ顔を逸らした。
慇懃な態度で天幕から使者が去ると、参謀や指揮官達がゴーロンに詰め寄る。
「何故ですかゴーロン将軍!! 何故あんなガッフェルの腰巾着等の言葉に唯々諾々と従うのです!!」
「今からでも拒否すればよいのです。これでは敵と戦う前に我々が飢え死にます!!」
激昂する部下達を前に泰然と座るゴーロンは手振りで部下達に着席を促す。
「そなた達の怒りはよくわかる。だが、我が軍には他の軍と比較すれば余裕があるのも事実じゃ。というよりも、他の軍に余裕が無いのじゃよ」
穏やかだが疲れた声で溜息をつくゴーロンの言葉に、先程まで怒りで身を震わせていた指揮官達も冷静さを取り戻す。
「……6月に行われたアベラワー攻略。あのとき、本陣を攻撃され、このスペイサイド州の地理を識るソレム伯爵を討たれ、帝国の第七皇子も負傷したのは痛恨だった。我が軍の混乱に乗じて連合王国軍の主力は撤退するだけでなく、アベラワーに備蓄された物資を焼却した」
当時その戦場にいなかったゴーロン将軍は、そうであるが故にかつて己を失脚させた政敵の軍略の拙さを冷静に評価する。
「そして収奪を繰り返した中央軍の占領地に残る民に、冬を越えるだけの蓄えなど無い。無いならば、あるところから融通するしかあるまい?」
好々爺然とした顔に皮肉げな笑みを浮かべた老将軍は、話の間に副官が机の上に広げたエーギルン群の地図を指し示す。その指は、これから彼らの攻める要塞を指し示している。
「幸い、我らには
そしてゴーロン将軍に促された彼の副官が、連合王国軍の捕虜から得た情報を改めて説明する。
「カデント要塞の指揮官、アーメル中佐…我が軍ですとニ千人将相当ですかな。この男は連合王国軍のスペイサイド方面軍本営からの撤退指示に反抗して我が軍との徹底抗戦を主張し、あらゆる手段を用いて要塞内に物資を貯蔵しています」
「副官殿、それは我らからの略奪など、ということでしょうか?」
「アオリア千人将か。そうだな、それもあるが…他にも私財や略奪品の売却によって得た資金により商人から物資を買い上げたり、補給書類を偽造して過剰な物資を蓄えたようだ」
「…はあ、書類で、ですか」
連合王国に留学経験のあるゴーロン将軍や若い頃から彼の薫陶を受けた副官等は、アーメル中佐(と彼に巻き込まれた
「まあ集め方は兎も角、あの要塞には我らの軍を3ヶ月は養える食料と防寒具が備蓄されている。向こうの軍からすればむこう一年は戦える量だ。それが理解できればよい」
「は、はい」
有能な副官は手早く前提条件を纏め、本題を提示する。
「ここまでは昨日までに捕虜への尋問などから得られた情報だ。そして先程、使者殿が来る前にカデント要塞に潜入している間者より届いた内部情報によると、現在要塞内で
「なっ!?」
「それは真実なのですか、ゴーロン将軍!?」
副官の発言を、ゴーロンは頷くことで肯定する。
「元々、要塞長であるアーメル中佐の方針に反対し早期に撤退を主張していた一部の将校と、玉砕を恐れる兵士達が結託したようだ。彼らは我が方の間者と結託し、自分達の安全な撤退と引き換えにアーメル中佐と彼の方針に賛同する将校の拘束及び要塞内の備蓄の無傷での引き渡しを提案してきた」
要塞に出入りする商人を経由してゴーロン将軍に届けられた書簡をテーブルへ広げながら、副官はその内容を解説する。
歓喜に湧く天幕内で、リオルやコレリアなど一部の指揮官が抱いた疑念を尋ねる。
「しかしゴーロン将軍…これは余りにも我々に都合が良すぎませんか? 万が一ですが罠の可能性も…」
「ああ。
「「……え!?」」
事もなげに、質問したリオルすら一瞬固まるほどあっさりと罠であると肯定したゴーロン将軍に副官以外の全員が目を剥く。
そして彼らの視線を受けて、副官が
「こちらは、要塞内に潜入している
青麟帝国の誇る諜報機関"白鴉隊"の名は、帝国に反感を持つゴーロン軍にすら畏怖と共に鳴り響いている。彼らの諜報力と、"白鴉隊"を統率する帝国第四皇子の策謀こそが、この戦争において連合王国を追い詰めているのだと。
故に、白鴉隊の符丁と共に暗号で記された連合王国軍の作戦詳細、そして連合王国の作戦を逆手に取る作戦を、ゴーロン軍の幕僚達は疑いなく信用した。
「これより3日後、即ち大晦日の夜に連合王国軍の作戦は実行されます。奴等は我々に内通していると装う兵が正門を明け放ち、十分に我が方の兵士を引き込んだところで要塞各所に仕込まれた油に着火し要塞ごと我々と物資を焼却しようとします。白鴉隊は事前に避難および我々への奇襲のため要塞から兵士がいなくなった隙に、連合王国軍の罠を発動させる人員を排除するとのことです」
「なるほど、これで我々は労せず連合王国が集積した物資を手に入れられる訳ですな」
「使者殿の理不尽な要求を受け入れたのも、こうして敵軍の物資を無傷で手に入れる手段が既に整っていたからとは!」
指揮官達が口々にゴーロンを褒めそやす。
そしてゴーロンは、一人だけ未だ疑り深く"白鴉隊"からの密書を睨むリオルへ指示を下す。
「アオリア千人将よ、貴殿は"灯星隊"の精鋭を率いてカデント要塞の城門が開いた際に"白鴉隊"と協力して物資の保全及び、仕組まれている
「…! 承知しました!」
危険ではあるが、信頼されていなければ任されることのない重要な任務を受けたリオルは、
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─同刻 カデント要塞 秘匿
「うぇ、ひっでえなこれ。もう頭と内臓しかまともな部分残ってねえぞ?」
「何を言ってるんですかハワード少佐、もうまともな言葉も話せないから頭の中身もダメですよ」
「尚更怖いわ! むしろなんで生きてんだよ!?」
「見る影もないですが一応"白鴉隊"の号持ちですから…確か
「…なあウォーカー中尉、俺も今しがた聞いたんだが、お前こいつと獣国軍の間諜の筆跡模倣して密書偽造したんだよな?」
「ええまあ。困った事に指示を受けた時にはもう使い物にならなくなってたので、別に捕まえた"白鴉隊"にこれを見せて」
「いや尋問の詳細はいいわ、煙草が不味くなる。取り敢えず、お手紙作戦は成功って事で良いんだな?」
「さあ?」
「えぇ…」
「手は尽くしましたが、失敗する時は失敗しますよ」
「おいおい、昨日までの俺等の苦労は徒労か?」
「まさか。今回の策はこの要塞に籠もっていた部隊が追撃を受けることなく安全に逃げる為の派手な陽動です。あっちが策を見破ろうが見破るまいが、連中が
「さよかい」
腐敗した血肉と糞尿の悪臭に満ちた地下室で、ハワード大尉は短くなった煙草を踏み消す。
「じゃあまあ、俺はとっとと逃げるから、お前さんも死ぬなよ」
「ええ。精々景気よく、忌々しい書類ごと要塞を焼き払ってやりますよ」
「それ単に不正の証拠隠滅なんじゃねえかなぁ」
最期だけわざとらしいほど感情の籠もったアレクの言葉に裏の意図を察したハワード少佐は、ボヤきながらも3日後に背負う新たな苦労に溜息をついた。