ーーー征服歴1498年12月31日 スペイサイド州北部エーギルン郡 カデント要塞正門ーーー
橋と一体化した城門が開き、要塞と対岸が繋がる。
粉雪がちらつき、雲の間から覗く下弦の月に淡く照らされた要塞は、ありうべからざる開門にも不自然なほどの沈黙を保っていた。
「本当に開いた…」
「はは、流石は"白鴉隊"だぜ」
「よし、各班要塞内の地図は頭に入ってるな。手筈通り罠を排除して兵糧庫を抑えろ。僕は司令室へ向かう」
カデント要塞の制圧に向けて選抜された"灯星隊"の精鋭300人は、リオルの指示のもと分散して要塞の要所へと散ってゆく。
捕虜から元々得ていた情報と"白鴉隊"からの情報で要塞内の詳細な図面は既に手に入っているため、何処に火をつければ危険かを把握しているリオルは、万が一"白鴉隊"が裏切っている可能性も考慮してそれらの場所を即座に制圧せんと要塞内を駆ける。
「兄さん、確か"白鴉隊"は連合王国軍の作戦発動と同時に司令部を制圧するとの事でしたが」
「それが本当に成功するかは分からない。こちらの兵糧を狙うのは"亡霊"の可能性が高いと書かれていたが、例えば"亡霊"だけ要塞司令官の護衛にいる、なんて可能性は捨てきれない」
「そん時は俺様が"亡霊"を叩きのめしてやるよ」
護衛隊長を引き継いだバズルと副官のレンシャを率いて、リオルは司令室の扉を蹴破った。
「開門から司令室到着まで12分か、なかなか健脚だな」
まるで引越し直前の部屋のような、必要最低限の調度品以外は何もない部屋で、そこだけは司令室らしいデスクに座った痩身の男は、机に載せた蒸留酒のボトルとグラスに特に手を付ける様子も見せず、
「……"白鴉隊"、ではないな?」
「いかにも。私の名はエトス・アーメル陸軍中佐、臨時編成第92連隊連隊長兼カデント要塞司令官だ」
ボトルの栓を空けながら、アーメル中佐は特に気負う事なくリオル達に名乗った。
そして2つ用意されていたグラスに琥珀色の蒸留酒を注ぎ、入り口で警戒しながら自分を睨むリオルへ片方のグラスを勧める。
「飲むかね? ケルビム公爵家領産の蒸留酒だ、まだ少し若いがその分慣れていない者でも飲みやすい」
まるで毒味でもする様に、自身のグラスから蒸留酒を一口飲んだアーメル中佐は、今度は懐から葉巻を取り出し火をつける。
「ああ、普段はこの司令室は禁煙なのだが今日は気にしなくていい。肺の弱い副官はもういないし、燃えて困る書類も無い」
紫煙を燻らせ、アーメル中佐は重圧から解放された清々しい顔でグラスの蒸留酒で唇を湿らせる。
敵司令官のあまりにも状況にそぐわない態度に面食らっていたリオルは、ようやく思考を再稼働し剣を突きつけてアーメル中佐を問い詰める。
「"白鴉隊"は返り討ちに遭ったのか?」
「返り討ち…まあ、そうなるな」
「基地には連合王国兵はどれだけ残っている、それに火計の罠の場所は!?」
「罠の位置は君達に送られた密書の通りだよ、それに要塞の人員は物資の搬送に合わせて少しずつ減らしていたから、今はほぼ無人だよ。ああ、申し訳ないが捕虜の移送も完了しているから、捕虜の奪還も目的に入っていたなら無駄足だから諦めたまえ」
突きつけられた剣を鬱陶しそうに眺めながら、アーメル中佐は淡々と質問に応えてゆく。その口調にはリオル達を罠に嵌めた達成感も、命の危機に晒されている恐怖も無い。
「レンシャ、すぐに伝令を出せ! 罠の解除が間に合わないようなら直ぐに要塞から撤収させろ!」
「兄さん、ですが兵糧は」
「ここまでくると兵糧が本当にあるか怪しい、それよりも部隊の安全を優先する」
剣を鞘に納め踵を返したリオルの背に、アーメル中佐の忠告が刺さる。
「いい割り切りだが、やはり最近の若者だな。敵同士とはいえ、年長者を敬って一杯くらいは付き合ってくれてもいいのではないかな?」
「命を取られなかっただけ感謝しろ。末期の水だ、それを味わって己の策が無駄に終わるのを眺めているとい─!?」
「ふむ」
部屋を、否、要塞を震わせる
「これは、罠がもう発動したのか!」
「リオル、急ぐぞ!」
「兄さん!」
リオル達は最早用の済んだ司令室から慌ただしく駆け出し、爆発音と共に漂い出した煙から逃れる様に要塞の外を目指し始めた。
─同刻 要塞内某所─
突然の爆発音に、火計の為の燃料が集積されている倉庫を目指していた"灯星隊"の分隊長は足を止め、部下達に周囲を警戒させる。
「今の音は地下からか…?」
「音からすると兵糧庫がある辺りッスね」
「あそこに向かったのはエンベル達だったな、あいつならヘマはしないと思うが…嫌な予感がする、急ぐぞ!」
「わか…り」
「おい、どうし」
部下と短く現状を確認し、目的地へ足を踏み出そうとしたところで分隊長は違和感に気付く。足が動かず、それどころか視界が次第に落ち──
「37」
部下達の首無し死体の血で濡れた床に落ちた分隊長の首が最期に聞いたのは、いつの間にか自分達の後にいた男の呟いた数字だった。
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「くそ、もう火が回ってやがる!?」
「さっきの爆発で罠が勝手に発動したのか!?」
別の場所では、爆発の影響で割れた油壺から漏れた油に火がつき、既に消火不能な状態へと至っていた。
「急げ! 千人将からの伝令だ、急いで要塞から逃げろ!!」
「っ、わかった。おい急」
「何をしてる早く逃」
そこへ現れた伝令からの指令に、ベテランの分隊長は即座に反応して部下に指示を告げようとするが、言葉を終える前にその首は落ち、事態を把握しようとした伝令もまた、煙の中から振るわれた刃に首を落とされた。
「42」
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「エンベル、無事だったか!」
「リオル…すまねぇ油断した」
要塞の正門で、地下に向かった部下と合流したリオルは地下で部下の見た異変を確認する。
「俺達が図面に示されていた倉庫に着いた時、そこには誰もいなかった。怪しいとは思ったから、倉庫の扉や周りに何か仕掛けがないか確認して慎重に扉を開いたんだが、扉が開いたら突然"ドカン!"だ…俺はある程度離れた場所にいたから良かったが扉を開いた奴等は…」
「そうだったか…少なくとも扉には何も仕掛けは無かったんだな?」
「確認したのはゾンナとその部下だ、元盗賊のあいつらが間違えるとは思えねえ」
「そうだな…わかった。エンベルは負傷した兵士を先に連れて行ってくれ。僕は要塞内から戻ってくる者達を回収する」
「ああ、気をつけろよ」
報告を終えたエンベルは、生き残った部下に指示を出して負傷した仲間と共に一足早く橋を渡り始め、そしてふと気付く。
(妙だな、俺が地下から戻るまでに時間はそれなりにかかった。なのになんで、地上階にいた連中は半分も戻ってねえんだ?)
彼の心の中で燻る疑念の答えが、不自然なほど早く炎が回る要塞内から現れるのはその数分後だった。
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焦げ臭い煙と、葉巻の甘い紫煙が混じり合う司令室で、戦争が始まってから丸2年の激務から解放されたアーメル中佐は優雅にグラスを傾ける。
「正門が開いてから30分か。それで、戦果は上々かね?」
「58、向こうの撤退判断が思いのほか早かったので期待ほど積み増し出来ませんでした」
音もなく、蹴破られた扉から現れた男が少しだけ残念そうにアーメル中佐に答えた。
密閉された空間において不完全燃焼した大量の燃料が、密閉が解除される事で一気に起爆するという
「ご命令通り罠の起動は終えました」
「ご苦労だった。折角だ、一杯どうかね?」
「…頂きましょう」
要塞の各所で炎が上がり、火の粉の混じった煙が入り込む司令室で、要塞長と数いる中隊長の一人でしかない中尉がグラスを打ち鳴らす。
「良い酒ですね」
「妻の故郷の酒だ。毎年、この時期に二人で飲むのが楽しみだった」
グラスに半分ほど残っていた蒸留酒を一気に飲み干し、アーメル中佐は懐かしそうに笑う。
同じく、喉を焼く強い酒精を気にせずグラスの蒸留酒を飲み干したアレクは丁寧にグラスを机に戻し、葉巻に火をつけたアーメル中佐に問いかけた。
「中佐殿、今ならまだ外に逃れることは可能ですよ?」
「大分飲んだ。この歳で冬の川を、しかもほろ酔いで泳ぐのは堪える」
「…そうですか」
「久々に酒を飲んで思ったよ。休みもなく仕事を続けるのは身体に良くない。嫌な上司の命令や生意気で書類仕事の抜け穴ばかり探す部下の後始末など、こんな年の瀬にまで考えたくもない」
「その節はご迷惑をおかけしました。ですがまさかバレるとは」
「若造め。
「肝に銘じます」
「まあいい。教えられる事は教えた。まあ、並の相手なら貴様の偽造はバレまいよ」
クックッと喉を鳴らし、普段の無表情からは想像できないほど楽しそうにアーメル中佐は嗤う。
「それに、貴様の筆跡模倣の腕は確かだ。今思い出しても笑えるよ、あの
「そうですか」
酒が回ったのか、愉快そうに笑うアーメル中佐にアレクは普段と変わらない淡々とした声音で頷く。
「それでは私は任務に戻ります」
「ああ。ご苦労だった、ウォーカー中尉。君にカナンの騎士の加護が……いや、違うか」
「…?」
先程まで愉快そうに笑っていたアーメル中佐は立ち上がり、真剣な顔で
「すまない、ウォーカー中尉…
「………」
「私はもう疲れた。故郷は焼け、妻も、息子も死んだ。奴らが、
「…この要塞が今日まで保ったのは中佐殿の手腕でしょう。少なくとも、私も私の部下達も、中佐のお陰で飢えずに済みました」
アーメル中佐の慟哭を否定するアレクの声には、常の彼を知るものならば驚き耳を疑う程の、深い感謝と敬意に満ちていた。
「…光栄だ。だが、だからこそ私は、もう諦めていたんだ。
私ではもう、
加齢で皺の目立つ、ペンだこで形が歪になったアーメル中佐の腕がアレクの肩に食い込む。
「だから頼む。これを君に、
憎悪と狂気、そして深い悔恨で血走った目が、何もかも諦め泥のように濁ったアレクの目を真っ直ぐに見つめる。
「どうか私の、私達の復讐
言い切ったアーメル中佐の手が力なくアレクの肩から離れ、アーメル中佐は床に頭を擦りつける。
「頼む。もう貴方に縋るしか、もう私には無いんだ。犯され殺された妻の、切り刻まれた弄ばれた息子の、仲間を護る為に死んでいった戦友達の、逃れる民を助ける為に犠牲になった部下達の復讐を…奴等に、我らの故郷を奪い、当たり前の平穏を壊したクズ共に報いを与えてくれ!!」
煤で汚れた床に這いつくばり、爪が割れ血が滴るほど床を掻き毟る男が語ったのは、この地で当たり前に繰り返されたありふれた悲劇と、生き残ってしまった者達の消えることなき怨嗟の叫び。
そして願うは、力なき者が無責任に願う叶わざる応報。
本来なら、
この世界に神はなく、悪魔も存在しない。かつてこの大陸で誰よりも強かった剣士が、己の生涯を以て神罰も呪詛も存在しないと証明したが故に。
「アーメル中佐殿、ご命令、承りました」
願いを叶えるのは神でも悪魔でもない。
ただ今を生きる、
それは、最早己の人生など無価値と識るただの屍人。
ただ与えられた目的を果たすために、無益な殺戮を続ける空虚な亡霊。
故に力なき者達はその男に
力なき自分達の代わりに、復讐を果たせと。
「あぁ、ありがとう。我らの英雄」
型通りの、一分の乱れもない敬礼と共に
また一つ、新しい