ーーー征服歴1500年 スペイサイド州グレングラント 連合王国軍駐屯地ーーー
駐屯地内に設けられたアレクの所属する931独立遊撃大隊の天幕に、エリカの叫び声が響く。
「どういうことよ!! なんで今になって大隊の再編なんておかしいじゃない!!」
遠くまでよく響く銀鈴の美声に怒りを乗せて、エリカは彼女の所属する大隊の大隊長ハワード少佐を詰問する。
彼の周囲の幕僚や、呼び集められた大隊に所属する士官達は、一部の例外を除いてその剣幕に後退る。
「どうしても何も、これは基地ちょ…じゃなかった連隊長のジルベルト大佐からの命令だぞ」
その名前を聞いて、エリカは肩までで切り揃えられた銀色の髪を逆立てる。
怒りをたたえた金色の瞳で睨まれながら、ハワードは助けを求めるように幕僚やアレクに視線を送るが、全員が目を逸らす。
“薄情者共め”と内心舌打ちしながら、ハワードはエリカを宥める。
「そ…それにお前がなんでそんなに怒るんだよ。お前は
「っ…ふっざけ」
不用意な言葉を発したハワードに殴りかかろうとするエリカの腕をアレクが掴む。
「離して!! なんであんたが止めるのよ!!」
「…少佐の発言は問題かもしれんが、殴るのはよせ」
自分を睨むエリカに、アレクは常と変わらない冷めた視線を向ける。
「アンタ分かってるの!! アンタとアンタの中隊だけ切り離してラバナキアに向かえって言われたのよ!!?」
「正確には俺の中隊と、クラディール中尉の麾下の一小隊だな」
「そういうことじゃないでしょ!!」
冷静に訂正するアレクの様子に怒りをさらに募らせたエリカが、掴まれた腕を振りほどきアレクと正対する。
最前線から撤退し、カルメリア基地で大隊に合流したアレク達は、休む間もなく基地からも撤収し、スペイサイド州における連合王国最後の拠点であるグレングラントまで辿り着いた。
ようやく一息ついた彼らに、カルメリア基地の元基地長であり、今はアレク達の所属する931大隊を含む遊撃大隊群を取り纏めるジルベルト大佐から命令書が届いた。
内容は要約すると“アレク率いる中隊と彼が前線で率いた砦の兵力、及びクラディール中尉の中隊のうち
「…大尉か。野戦任官だと給料は増えるのか?」
「どうなんでしょうね? 僕も中尉になるみたいですけど、給金の話は聞きそびれましたね」
大尉に昇進したアレクと、同じく中尉に昇進したリゼルがあえて呑気に会話する。
激昂するエリカを落ち着かせようとしたのだろうが、逆にエリカの怒りに油を注ぐ結果になる。
「何呑気にお金の話始めてるのよ!!」
「い…いやぁリガール中尉、お金は大事です…ひぇ」
エリカは怒りの視線だけでリゼルを怯ませ口を噤ませる。
「せっかく…せっかく生きて帰ってきたじゃない!! なんでまた最前線にあなた達が送られなきゃならないのよ!!」
「…何でも何も、戦うのが
「だったら…!!」
1+1は2だと答えるような口調で応えるアレクに、エリカは叫ぶ。
「だったらなんで貴方達だけなのよ!! 私も…私達も戦うべきでしょう!!?」
エリカが周囲の士官たちを見回す。だが、アレクとエスタ、そして臨時大隊の戦務参謀へ移動することになった狐顔の大尉以外は、彼女の視線から逃げるように目を逸らす。
「避難民の護衛も重要だろう?」
「…護衛名目で、私達は安全に後方へ下がれって言われてるのよ?」
「そうか?」
「そうよ!!」
あえてとぼけようとするアレクへ、エリカは周囲が薄々感じていながら口に出さなかった事実を突きつける。
「あー、オホン。エリカ中尉、もういいだろう。時間も無いし、さっさと引き継ぎに移らせてくれねえか」
「いいわけないでしょ!」
おずおずと二人の会話に割って入ったハワード少佐にエリカが怒鳴る。ハワード少佐は思わず首を竦めそうになるが、上司として、何より年上としての威厳を保つために何とか我慢しエリカに告げる。
「ごちゃごちゃ言ってねぇで納得しろ! 俺達は避難民を護衛してカユシコワ州へ撤退する。州境の砦に籠もれば援軍も来るだろうし、雪が降れば休戦になる。安全に故郷へ帰れるんだぞ!」
「そんなの…っ!! 仲間を見捨てろって言うことじゃない!!」
ハワード少佐達が口に出して言えなかった事を、エリカが悲痛な表情で叫ぶ。
「み…見捨てるわけじゃねえ。あー…ラバナキアに行く連中も、避難民が逃げる時間さえ稼げれば撤退出来るんだし、死ぬって決まったわけじゃ…」
「獣国は連合王国軍を全力で撃破して、逃げる難民を捕虜にするつもりなのよ! 時間を稼ぐにしても激戦になるし、逃がしてくれると本当に思ってるの!?」
しどろもどろになりながら答えるハワード少佐に、最早上官への敬意などかなぐり捨てたエリカは悲惨な未来を突きつける。
「いやほら、だからこそ
「だったら…! 私と私の中隊も連れていけばいいじゃない!
その方が確実に…!」
ハワード少佐の苦し紛れの言い訳をエリカは否定する。
彼女の率いている騎兵中隊は、通常の徴兵で集められた騎兵ではなく、彼女の実家であるリガール家が彼女へ与えたリガール家の私兵だ。かつては貴族が自らの領地から兵を集め従軍していた時代の名残で、一部の貴族士官は麾下の部隊を自前で揃えることを許されている。その権利に従って彼女が指揮する騎兵は、スペイサイド州方面軍全体でも最精鋭と言っても過言ではない戦力なのだ。
僅かでも勝ち目を探す為と言うのなら、アレクよりもエリカと彼女の騎兵中隊こそ、ラバナキア平原での決戦に呼び集めるべきのはずだと、エリカは訴える。
「それは…あー…」
ハワード少佐は目を泳がせ、アレクへ“なんとかしろ”と目線でSOSを送る。アレクはいつも通りの冷めた視線でその救援要請を拒否しようとしたが、目線を追ったエリカから睨まれ、ため息を漏らす。
「リガール中尉、分かっているはずだ。お前がいくら叫ぼうと命令は変更されないし、お前が後方に下げられるのも決定事項だ」
「っ…それは…」
アレクの、凍てつくような冷え切った視線がエリカを射竦める。先程まで僅かではあったがあったエリカへの親しみの感情は、最早欠片も感じられない。
「俺達は別に気にはしていない。元々、スペイサイド州が放棄される場合の
「それって…!」
「大尉になるのは予想外だったが、元々俺は最期までスペイサイド州に残るつもりだった。だから、命令書になんの不平不満も無い」
アレクの平坦な、感情の籠もっていない言葉を聞いたエリカが、リゼルや戦務参謀へ目を向けると、彼らも頷く。
「なん…で…?」
「まあ、故郷ですから」
「とはいえ、生まれ育った街はもう焼け野原ですがね」
リゼルも戦務参謀も苦笑しながら答える。
「…」
エリカが絶句する。普段、怠け者の大隊長の代わりに事務仕事をこなす苦労人の戦務参謀と、気弱だが真面目なアレクの部下がこの地方出身なのは知っていた。だが、故郷を失った事に最早悲しみも郷愁も抱かず、乾いた態度で苦笑する彼らの常と異なる姿に、言葉を失った。
「リガール中尉」
「な…何よ?」
アレクの呼びかけにビクりと、一瞬だけ怯えた様子を見せたエリカが、挑むようにアレクを睨む。
「
「なっ…!!?」
あまりの言い草に、エリカの白く整った顔が怒りで赤く染まる。
「この先は
「…私は貴方達を助けたわよ?」
殺意すら混ざった目で、エリカがアレクを睨む。
「ああ、感謝している。だがもう十分に戦功は挙げたんだ、ここで満足しておけ」
突き放すようなアレクの言動に、エリカは拳を握りしめる。
「仲間じゃ…ないの?」
掠れるようなエリカの問に、アレクはいつも通りの冷めた視線を返す。
「仲間? お守り役の間違えだろう?」
「っ…アンタは!!」
思わずアレクに詰め寄ろうとするエリカだったが、彼女がアレクに殴りかかる前に、彼女たちの諍いは強制的に中断される。
「何を騒いでいる?」
天幕の中に入ってきたのは、アレク達931独立遊撃大隊の上官であり、アレクと彼の部下を再び最前線へ送る命令を出した張本人“ジルベルト大佐”だった。
「「「!!!」」」
激昂していたエリカも含めて、全員が上官であるジルベルトへ敬礼する。
手振りで彼らに手を降ろさせたジルベルトは、ハワードへジロリと目線を向ける?
「ハワード少佐、どういうことだ?」
「あー…いや、そのぉ…」
ジルベルトに睨まれたハワードは、冷や汗を垂らし目を泳がせる。
「せんせ…大佐、命令書を撤回してください!!」
「あ、おいリガール中尉、やめろ!」
役に立ちそうもないハワードを無視して、エリカがジルベルトに食ってかかる。
「先日まで最前線で戦い抜いたウォーカー大尉をすぐ前線に送るなんて不当です!! せめて私達の部隊も一緒に…」
「命令の撤回は無い。そしてお前の部隊は避難民の護衛だ。他の士官は兎も角、お前だけは絶対にラバナキアへは送らん」
「大佐!」
エリカの懇願を無視してジルベルトはハワードに告げる。
「時間がない。とっとと引き継ぎを終わらせろ。不平を言うようなら力尽くで黙らせていい」
「え…いや、大佐殿、そいつは…」
ハワードがエリカに目線を向ける。既に臨戦態勢になったエリカが、ジルベルトを睨んでいる。
「
「リガール中尉、確かに私はお前の頼みを聞いてこの州でお前が戦えるよう手配した」
「だったらなんで今更、私を後方に下げるんですか!」
「お前が“リガール”の娘だからだ」
「っ…!」
エリカが再び絶句する。薄々理解はしていて、それでも聞きたくなかった言葉を、剣の師として尊敬し信頼していたジルベルトからかけられたことで、二の句が継げなくなったのだ。
「前線に出るのは構わん。お前の才とリガール家の騎兵達なら余程のことがない限り遅れはとらんからな。だが次の戦場は別だ」
「私が死ぬと?」
「いいや。お前を守り逃がそうとするために大勢死ぬ。お前の
「…」
「お前が前線にいるだけで、お前を守るために味方は気を張らねばならん。だからお前は邪魔だ」
エリカは苦しそうに奥歯を噛み締める。
少なくとも今日この日まで自分が軍人として積み上げてきた物、それを真っ向から否定された事の悔しさで、身を震わせる。
ハワードもアレクも、ジルベルトと同じように思っていたのだろう。彼らもジルベルトの言葉を否定せず、エリカを庇わない。
それでもエリカは、矜持を捨てないためにジルベルトに食ってかかる。
「大佐…何と言われようと、私は前線で仲間と共に戦います。戦わせてください」
「…言っただろう、納得しないようなら力尽くで黙らせると」
「出来るものな…かふっ!?」
身構え、ジルベルトに対峙しようとしたエリカが目を見開く。
アレクが一瞬で間合いを詰め、エリカが反応する隙も与えず彼女の鳩尾に拳を叩き込んでいた。
「ウォー…カー…っアン…タ…」
「…」
意識を失いかけているエリカは、怒りで凄みを増した顔でアレクを睨み、彼の軍服の肩を強く掴む。
そんなエリカに、アレクが何事か口にしたが、周囲には聞こえていなかった。
「許さ…な……い」
「……そうか」
崩れ落ちるエリカを優しく抱きとめ、アレクは彼女の身体を彼女の副官であるフィデック准尉に預ける。
「ご苦労だった、ウォーカー大尉」
「……」
無言で敬礼を返したアレクが後ろへ下がる。
「ハワード少佐、さっさと引き継ぎを終わらせろ」
「はっ、了解であります!!」
「フィデック准尉、護送用の馬車を準備してある。そこの馬鹿娘を放り込んでおけ」
「…承知しました」
ハワードが敬礼し、エリカを抱きかかえたハワードもまた、器用にお辞儀をする。
「時間はないぞ。一両日中に準備を調え出立しろ」
「「「了解」」」
大隊の士官たちの敬礼を背に、ジルベルトは天幕から去っていった。
自分で書いてて思いましたが、何でこう主人公とヒロインが共闘するフラグが尽く折られていくんでしょう?