ーーー征服歴1498年 王都カルネアスーーー
「…なるほど」
アレクは、情報部に連れ去られる前と同じ虚ろな瞳をしながら頷く。
情報部の“尋問室”から釈放されたアレクは、簡単な治療を受けると即座に近衛第2師団の駐屯地まで呼び出され、参謀長の執務室でカレウス・グランツ大佐とバーナード・ジルベルト大佐から、己の巻き込まれた陰謀について説明された。
「思った程ショックは受けていないみたいだな?」
「…所詮自分は地方領主の跡取りですら無い人間ですので。分不相応な功績を挙げれば遅かれ早かれこうなっていたでしょう」
反応の薄いアレクにカレウスが問うと、アレクは治療の施された自らの
服と包帯で隠されているが、今のアレクは全身を殴打され、骨こそ折れていないがまともな人間なら椅子に座るのも苦労する程度には痛めつけられていた。
「君を助け出すのが遅れたのは申し訳ないが、正直五体満足で釈放されただけマシだぞ?」
「自分もそう思います。後少し遅ければ少なくとも指の2、3本は無くなっていたでしょうね」
「そうならなくて良かったよ。君の
冷静に自らが置かれていた状況を分析するアレクと、その考察を朗らかに肯定するカレウスの様子に、バーナードは眉を顰めるが何も言わない。
「さて、分かっているとは思うがウォーカー少尉、君を情報部から助け出したのは当然善意からでも義憤からでもない」
「ええ、承知しています。参謀長閣下は自分に何をお望みで?」
「話が早くて助かるよ。正直、こんな状況でも無ければ君を直属の部下にして扱き使いたいところだけど、そうもいかなくてね」
虚ろな目で己を見つめるアレクに楽しそうな視線を返し、カレウスはこれからアレクが辿る結末について説明を始める。
「まあ、まずは君のこれからについて話そう。悪いがウォーカー少尉にはスペイサイド州の最前線に戻って貰う。君の身柄自体は情報部から奪い返せたが、君にかけられた嫌疑自体は据え置きだからね」
「…獣国の間諜ですか」
「ああ。情報部も面子があるから、一度嫌疑をかけておいて間違いでしただと、ようやく弱まった風当たりがまた強くなる」
カレウスが皮肉げに嗤う。
「名目としては、君はかけられた汚名を雪ぐ為に獣国との最前線で戦う訳だ。まあ、理由はそれだけじゃないがね」
「…師団長閣下ですか」
「ああ、どうやら俺とバーナードが君を情報部から助け出したのが気に入らないようでね。自分と奥方のコネを総動員して君を最前線に送るよう画策しているよ」
「…済まない」
ニヤニヤと面白そうに笑うカレウスと対称的に、バーナードは兄と義姉の所業がいくらなんでも理不尽なことを理解しているため、居心地が悪そうに目を逸らす。
「君も甥を殺されてるのに、人がいいねぇ」
「思うところが無いわけでは無いが、あの状況で一方的にウォーカー少尉を責めることは、立会人をした人間として出来んよ」
「……」
アレクは無言で、バーナードへ頭を下げる。
「話を戻そう。兎も角、この流れは連中にとって丁度いいのさ。情報部としても元々かなり無理にウォーカー少尉を捕縛してるからね。禊の為にウォーカー少尉が最前線に行って、何なら死んでくれるなら万々歳だろうさ。もちろん師団長もね」
「…ついでに自分に不満を持つ貴族士官たちも、では?」
「ああ、そして自分達の“推し”のライバルが消える革新派もね」
カレウスは、どうやらアレクがこの状況を深く理解できていることが嬉しいのか楽しそうに言葉を続ける。
「ウォーカー少尉、君は授与された勲章も近衛師団への転属も全て破棄され、半ば罪人扱いでスペイサイド州方面軍の懲罰部隊に送られる」
「…承知しました」
「元々スペイサイド方面軍へ転属予定だったバーナードは君の監視役にもなる訳だ」
「ああ。ウォーカー少尉が所属する事になる部隊を私が転属する基地の所属になるよう調整させた」
カレウスの言葉に、アレクとバーナードが頷く。
「ウォーカー少尉、これが今君が背負わされる事となった負債だ。悪いが、私とバーナードの力では君が
本心からかどうかは兎も角、カレウスはアレクに真摯に謝罪する。
「だからこそ君にはこの状況から是非とも生き残って欲しい」
「……」
ニヤリと笑うカレウスに、アレクは常と変わらない虚ろな目を向ける。
数瞬考えたアレクは、理由を察し頷く。
「自分が生きていることそのものが、彼らにとって疵になると?」
「そういう事さ。君が生き延び、あまつさえ武功を挙げれば挙げるほど、君を捕縛し貶めた情報部は有能な士官を潰しかけたと立場が悪くなっていく」
「そして彼らを唆した革新派も、それは同じ…と」
「ああ。下手をすれば彼らの“推し”であるジャッカード大尉の立場にも影響する」
カレウスはアレクとのやり取りが楽しいのかニヤニヤと笑う。
「だから生き延びてくれ給えウォーカー少尉」
「……微力を尽くします」
対称的にアレクは、虚ろな瞳のままカレウスの言葉に首肯する。
そんなアレクの様子を無視して、カレウスは笑顔で手を打ち合わせる。
「とまあここまでが裏側の事情だ。流石にこれをあからさまに実行すると情報部どころか近衛師団にまで非難が浴びせかけられる」
「情報部が言いがかり同然に士官を拘束した上に、ほぼ間違いなく死ぬ最前線に、師団長クラスの高官が私情でその士官を送り込む…民間の新聞社が喜々として記事を刷りまくるでしょうね」
「ま、下手に軍内に噂が回ると、平民や下級貴族出身の意欲を削ぐどころか下手すると反乱に繋がりかねない訳だ」
カレウスの言葉を、アレクは頷いて補足する。
「それはそうだが…表沙汰にしなければいいだけではないか?」
「おいおいバーナード、考えても見ろ。隠し事は疚しいと考えるから隠すんだ。下手に情報が一部でも表沙汰になればあれこれ探られて徹底的に叩かれるぞ。こういう時は噂好きが満足するようなカバーストーリーを流して本質から目を背けさせる必要があるんだよ」
「そ、そうか。だがどうするんだ? ウォーカー少尉がいきなり最前線に送られるのは隠せないだろう?」
カレウスの言葉に気圧されたバーナードだが、カレウスがやろうとしている情報操作の手段がどのようなものになるのか分からず、彼に尋ねる。
「そうだなぁ。丁度師団長からウォーカー少尉を助け出す代わりに頼み事をされたから、それを上手く活用しようと思ってる」
「兄上がお前に? 一体何を?」
「いや何、君の甥の不祥事を無かったことにしてくれだとさ」
「何だと!?」
バーナードは目を剥く。甥の不祥事、即ちショーンがアレクに敗北した上に、後ろから斬りかかり返り討ちで殺された…その事実を隠して欲しいと兄が友人に頼んだ事に驚愕した。
「まあ元々あの場にいた者達には箝口令は敷いていたしな。ジルベルト中尉の死は訓練中の
「…今の自分の立場では何も言うことは出来ません」
「ハハハ、宜しい。お前も良いか? バーナード?」
「……決闘相手であるウォーカー少尉に文句が無いのなら、いい」
バーナードは苦虫を噛み潰したような顔で、カレウスの提案を受け入れる。
「では話を纏めよう。ウォーカー少尉が冤罪で捕まり、しかも近衛第2師団師団長の息子を殺めた事で恨みを買い、階級以外の全てを剥奪され最前線の懲罰部隊へ送られる。
これを、訓練中に誤ってジルベルト中尉を殺したウォーカー少尉が、師団長の怒りを買って最前線送りにされた、という形に変えて噂を流そう。大大的にやらずにコソコソ隠すようにね」
「…カバーストーリーの噂自体を隠すように流せば、それを知った者達はカバーストーリーを信じると?」
「勘のいい人間なら気付くだろうけど、大半の人間は騙せるさ。情報部もその辺りは上手くやるよ」
カレウスは皮肉げに唇を歪める。彼は情報操作そのものを情報部に丸投げする気だった。
「ま、少なくともジルベルト中尉が事故死したことの真相は何処かでバレるだろうさ」
「おい、それじゃあ意味が無いだろう」
「流石に隠しきれないからね。ただ、事件を調べた人間達の大半は師団長が息子の不祥事を隠して、しかも息子を殺した相手に対する八つ当たりで最前線に送ったと勝手に納得するだろう?」
「
「安心し給えバーナード、君の甥が稚拙な陰謀で立場が遥か下の相手を陥れようとしたという本物の恥は隠せる」
「……」
カレウスの言葉に、バーナードは苦虫を追加で噛み潰したような渋い顔で黙る。
その様子を虚ろな目で眺めていたアレクに、カレウスが声をかける。
「さてウォーカー少尉。次は君への報酬の話をしよう」
「報酬?」
アレクは意外そうな声音でカレウスへ聞き返す。階級も身分も遥か上の相手から、わざわざ報酬の話を切り出されるなど想像すらしていなかったのだろう。
「ああそうだとも。さっきも言っただろう? 君を助けたのは善意でも義憤からでもない。 だからこそ君に仕事を頼むからには適切な報酬を支払わなければ、俺個人だけでなくグランツ伯爵家の沽券にも関わる」
「…そうですか」
朗らかに説明するカレウスに、アレクは納得したように頷く。
その様子に笑顔を深めたカレウスはアレクに報酬を提示する。
「十中八九これから死ぬであろう君に金や地位を提示してもあまり意味は無いだろう? だからまあ俺が君に支払える報酬は、
「……!」
この部屋に入ってから、否、カレウスとバーナードかアレクと出会ってから始めて、アレクの表情が変化する。包帯で隠されていない虚ろな目が僅かに見開かれ、ここまで何事にも無反応だったアレクは初めて人間らしい仕草を示す。
そしてアレクは、先程までと変わらない平坦な、感情の籠らない声音で、だが長年謀略を駆使し他者の心を操ってきたカレウスや剣の達人として多くの人間と対峙してきたバーナードであれば僅極かに震えていると分かる声でカレウスに問う。
「……何のことでしょう?」
「おや? お気に召さなかったかな?」
「……ボウモア子爵家とは遠い縁戚ですが、私個人は殆ど関わりがありません。何故かの家の借金の無理な取り立てを防ぐ事が自分への報酬に?」
「声が震えているぞ、ウォーカー少尉?」
カレウスがニヤニヤと、輝く金色の瞳を細める。
「ボウモア子爵家。元は南部の領主貴族だったが、領地自体は100年以上前に国へ返上し現在は王都で貴族年金と役職手当で生計を立てている典型的な宮廷貴族。ま、これといった利権や権力も持たない弱小貴族だな」
「……」
カレウスの語る説明に、アレクは何も言わずただカレウスを鋭い視線で見つめ続ける。
「ウォーカー少尉。君の実家であるウォーカー男爵家は元々ボウモア家に仕える騎士の家系だったが、従軍し手柄を立てた君の祖先は、その報酬として士爵の身分を与えられ、更に初期のスペイサイド州開拓団に志願し領地と男爵位を得た」
「…ええ」
「そして君の祖父、先々代ウォーカー男爵の細君はボウモア家の出身だった」
「…はい」
スラスラとウォーカー家とボウモア家の関わりを解説するカレウスに、アレクはただ頷きを返す他無い。
「その縁もあったのかボウモア家とウォーカー家はかなり親密だったようだね。王都にあったウォーカー家の屋敷がある場所も元々はボウモア家の所有していた土地の一部を買い上げたものだったのだろう?」
「…はい、そう聞いています」
アレクは警戒するように言葉を選びながら肯定する。
「此度の大戦でウォーカー家が滅びた際、当代のボウモア子爵は私財を投げ売ってウォーカー領の生き残りを支援しようとした。まあ、生き残りは殆ど居なかったようだかね。他にも、戦乱のドサクサで勝手に奪われそうになった王都のウォーカー家の屋敷を借金をしてでも守ったのもボウモア子爵だった」
「……」
アレクは何も言わず、沈黙を貫く。そんなアレクにカレウスはニヤニヤ笑いながら言葉を続ける。
「ウォーカー少尉、君が今回のスペイサイド州での武功で受け取った報奨金、全てボウモア家の借金返済に使ったようだね」
「……はい」
「だが、高利貸しから借りていたボウモア家の借金はそれだけでは返済できなかった。だから君は、ジルベルト中尉の決闘を敢えて受け、彼を無様に敗北させることで不興を買い、スペイサイド州の最前線へ戻ろうとした」
「なっ…!?」
「…はい」
バーナードは驚愕の声を上げ、アレクは静かにカレウスの言葉を肯定する。
「君は最前線で戦死して、その遺族年金でボウモア家の残りの借金を返済するつもりだったのだろう? そうしなければ、最悪の場合ボウモア家の一人娘が身売り同然に嫁がされることになるから」
「……そうです」
絞り出すように返事をするアレクへ、カレウスは笑いかける。
「安心し給え。借金の肩代わりまでは無理だが、不当な高利貸しについては当局に通報するし、無理な取り立てが行われないよう、俺の伝で圧力もかけておこう」
「…ありがとうございます」
「ああ、だから君は安心して最前線で
カレウスは笑みを消し、冷徹な瞳でアレクを射竦める。
「私とジルベルト大佐は君を助けた。そして君の親族も出来得る限り支援しよう。だから君にも、誠意を見せて欲しい」
「……勝手に死ぬことは許さないと?」
「そうとも。例え地獄のような負け戦だろうとも、無様に敗死することは許さない。君には我々が用意した“英雄”として、華々しくなくとも生き抜いてもらうよ? 少なくとも、
「っ…!」
アレクは殺気のこもった視線でカレウスを睨む。
バーナードは咄嗟に腰のサーベルに手をかけるが、カレウスは涼しい顔でその視線を受け止める。
「さあ、答えてもらおうかウォーカー少尉? 俺の用意した報酬を、受け取ってくれるかな?」
アレクはカレウスを睨んだまま拳を握りしめる。治療され包帯に覆われた指先から血が滲み、包帯を赤く染める。
そして一度、瞳を閉じて呼吸を整えたアレクは、テーブルに手を付きカレウスとバーナードへ頭を下げる。
「グランツ大佐殿、ジルベルト大佐殿、数々の非礼をお許し下さい。これより先、私は貴方がたの指示に全て従います」
例え周囲の貴族士官から罵倒されようとも、情報部に拷問されようとも屈しなかったアレクは、
「ですからどうか…どうかボウモア家には…かの家にだけはどうか厄災が降りかからないよう、お力添え下さい…。お願い…します」
全てを失い、復讐心すら燃え尽きた空虚な男は、唯一残った縁を守るために、誇りを捨ててただひたすら上位者に懇願する。
その姿を満足気に眺めたカレウスが頷く。
「いいだろう。君が我々との契約を守る限り、俺も君の
「ありがとう…ございます」
カレウスの宣言に、アレクは改めて頭を下げ感謝を述べる。
こうしてアレクサンダー・ウォーカーは、後に