ーーー征服歴1500年9月 スペイサイド州西部 ラバナキア平原ーーー
ラバナキア平原の東側、獣国軍の野営地では、翌日の戦いへ向けた話し合いが行われて…いなかった。
獣国軍の豪華な天幕に獣国軍総大将ゾード・ガッフェル将軍の怒声が響き、立派な装飾の鎧と軍服に身を包んだ男の顔面にワインの入った酒盃が叩きつけられる。額から血を流し、軍服と鎧をワインで汚した男、獣国の第二軍の指揮官は、ガッフェル将軍の怒りに慄きながらも、必死に戦況報告を行う。
「し、しかし大将軍閣下…連合王国の陣地は想定以上に頑強な上に、あの“顔無し”が後陣に控えていて…」
「言い訳をするな!! この臆病者め!!」
ゾードが第二軍の指揮官の顔面を殴りつけ、罵声を浴びせかける。
「し…しかし、奴は危険です!! 現に第一軍のバラム将軍も…」
「黙れ臆病者が!! たかだか多少腕が立つだけの木っ端に怖気づくとは、貴様それでもユスティア獣王国の将か!!」
ゾードは怒りのまま第二軍の指揮官を締め上げ、彼を地面に叩きつけると、ゾードは罵倒された第二軍の指揮官の隣で直立不動を保つ第三軍の指揮官に目を向ける。
「アカム、明日は貴様の軍が先鋒だ。無様な姿を私に見せるなよ?」
「ハ!!」
同僚が罵倒され殴られる場面をまざまざと見せつけられた彼は、ゾードの怒りに触れぬよう余計な事は語らず、敬礼のみを返した。
ゾードの罵倒は理不尽であるとはいえ、早期に連合王国の陣を突破し、せめて難民を捕虜として占領地の労働力に充てるか、連合王国の中心地帯への橋頭堡を築けなければ、ゾード以下この軍の将官達が本国から無能扱いで粛清されてしまう危険がある為、彼らも強くは言い返せない。
「もういい、自陣へ帰れ。明日こそ忌々しい連合王国の陣を突破する。もしも命を惜しんで下がるようなら…分かっているな?」
「「ハ!!」」
ゾードは二人の指揮官を睨みつけると、彼らは再び敬礼を返し、逃げるように天幕から出ていった。
二人の将が退席した天幕で、怒りの収まらないゾードは新たな酒杯にワインを注がせ、その温いワインを呷る。
「忌々しい…たった一人の雑兵にここまでかき回されるとは…」
ワインを飲み干すと、ゾードは天幕の中で唯一彼に怯えること無く不敵に笑っている男を睨みつける。
「監察官殿、本当に貴様に任せておいて良いのだな?」
「ええ、お任せ下さい。第一軍のバラム将軍は残念でしたが、“顔無し”と奴の率いる
「フン…口だけで無いことを祈るとするか」
連合王国人にして現在は帝国軍の監察官として、帝国の第七皇子藍劉貭から精鋭騎兵隊“黒狗隊”を任された男、スバルテイル・バルバロスは不敵に笑うと、ゾードの皮肉にも慇懃に頭を下げる。
「チッ…まあいい。聞いたなお前たち、忌々しい“顔無し”は帝国兵が対処する。お前たちは明日、必ず連合王国の陣を突破できるよう最善を尽くせ!」
「「「ハハッ!!」」」
天幕で怯えるようにゾードの様子を伺っていた参謀達は姿勢を正し、一斉に敬礼すると、慌ただしく仕事を開始した。
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ラバナキア平原西側、連合王国の陣地では、翌日の戦いに向けて様々な準備が行われていた。
破損した武具や防具の整備、負傷者の手当や死者の埋葬、そして彼らの命を守る防護柵の補修や罠の再整備等、末端から指揮官まで仕事はいくらでもある。
末端の兵達が夜更けまで作業を続ける中、彼らの指揮官達もまた、翌日の戦いを生き延びる策を練る。
「本日までの損害は約1万、これは戦闘可能な軽傷者を省いた数字です」
「獣国軍の損害は概算で約12000程度と推測されています」
「中将閣下、難民の避難ですが予定通り明日には完了予定です」
「北部のユチノメ山及び南部森林地帯に事前に配置していた伏兵は全て撤退しました。奴等、一昨日の奇襲が余程応えたようで徹底的に山狩りと森狩りを行ったようです」
軍団長であるアーカイム・オンタリオ中将の元へ、彼の部下の参謀達が報告を挙げてゆく。
「ウォーカー大尉の隊はどうなっているかね?」
「ハ、滞り無く準備は完了しております」
「そうですか…彼の隊には、また苦労をかけてしまいますね」
アーカイムは穏やかな顔に憂いを滲ませ溜息をつく。
「今この場に残っている者に苦労していない者はいませんよ、中将殿」
「…ええ、そうですね」
そんなアーカイムを、厳しい表情をした参謀長が嗜める。
「我々はウォーカー大尉の実力も、そして彼が陥れられた境遇も全て余すところ無く活用します。それが例え人として唾棄される行為だったとしても、我々は守るべき民と、そして仲間の為に」
「ええ、分かってますよ。我々は自分達が生き残るために、かつて我らの命を救ってくれた英雄を使い潰す。それをウォーカー大尉や彼の部下が納得していたとしても…」
「せめてもの手向けは、彼の功績が王都の参謀本部に届く前に握り潰していた愚か者共を、先に前線で使い潰せた事でしょう」
「…それすらも、彼が釣り餌になってくれたからですがね」
アーカイムが苦笑する。自分の息子より更に若い士官を、ただ強いから、そして彼が死んでも悼むものが殆どいないからと使い潰す。自分のやったことはその罪悪感を和らげる自己満足でしか無いことを自覚して。
「皆さん、恐らく明日が、この地での最後の戦いになるでしょう。明日までこの地を我々が護りきれば我々の勝利です。どうか皆に、カナンの騎士の加護があらん事を」
「「「カナンの騎士の加護があらんことを」」」
アーカイムの言葉を彼の幕僚達が、そしてその場に集っていた各部隊の指揮官達が唱和する。
そして彼らは再び仕事に戻る。明日の戦いに負けない為に、そして、生き残る為に。