ーーー征服歴1500年9月 ラバナキア平原北部ーーー
アレクとエリカは、“黒狗隊”の追撃を受けながらラバナキア平原の北にそびえる山を目指し騎馬を駆けさせる。
「思ったより追ってこないわね!」
「俺達が西側の味方に合流しないように、人手を分散させてるんだろうよ」
アレクの言葉は正しく、“黒狗隊”の名目上の指揮官であるスバルテインは、全部隊でアレクを追撃するように指示したが、直接“黒狗隊”を指揮している指揮官は、アレク達が北の山を目指す振りをして、途中で味方に合流する為に西に向かった場合に備えて隊員の一部を分散させた。
そもそも、アレクが単騎で縦横無尽に獣国軍本体内を逃げ回ったため、既に部隊が分散させられていた事もあり、アレク達を直接追ってきているのは50騎程度だった。
「あれくらいなら蹴散らせないかしら…?」
「やるなら一人でやれ。俺はさっさと逃げる」
「ちょっと!? アナタさっきまで一人で戦ってたのに見捨てるの!? ていうか自己犠牲で死のうとしてたのに何で一人で逃げるのよ!?」
「馬鹿な事を言い出すような馬鹿に巻き込まれたく無くてな」
「アナタさっきから私のこと馬鹿って言い過ぎじゃないかしら!?」
「俺がこんな目に遭っている元凶の一人に、率直な感想を言って何が悪い?」
「いや、まぁはい、ゴメンナサイ」
アレクの底冷えするような、普段よりもより一層冷たい視線から、“こんな目”が今の逃避行だけでなく、おそらくこのスペイサイド州での彼の戦い全般だと悟ったエリカは素直に謝る。
下らない言い争いをしながらも、二人は後方から散発的に放たれる矢を躱すかそれぞれの得物で叩き落とし、騎馬の速度は落としていない。
そしてアレクとエリカは、ラバナキア平原北部のユチノメ山、その麓の森林へ飛び込んだ。
「あら? 草も刈ってあるし、結構地面が踏み固められてるわね」
「ああ、会戦2日目に山から奇襲をかけたはずだからな。連中も馬鹿じゃないから、きちんと山狩りしたんだろうよ」
「ああ、そういう事ね。それは運が良かったわ」
「…その分、追手を撒くのは手間だがな」
乗馬に関しても達人の域にある二人は、獣国軍が奇襲を警戒して行った山狩りにより、比較的走行しやすくなった山林を危なげなく走破してゆく。
だが、彼らの追手もまた、騎馬の技術に関しては大陸でも屈指の猛者であり、山林であっても殆ど脱落者を出さずにアレク達を追い立てる。
「流石は
「だろうな。お前の部下もこの程度の山林なら余裕だろう?」
「それはそうね! でもどうする? そろそろ斬り込む?」
「するわけ無いだろうこの脳筋馬鹿女」
「なんでさっきより罵倒が酷くなってるのよ!?」
「当たり前だこの馬鹿。今斬り込んで勝っても後が続かないだろうが!! 最悪馬を潰されたら逃げ切れないぞ!?」
「ゔっ…そうね、確かに…。って、だったらどうするのよ? どんどん味方から遠ざかってるし、流石にこのままだと追いつかれるわよ?」
「問題ない。……あ」
「ねぇ、その”あ“は何!? 何に気付いたの!? ねぇ!!」
「…お前崖を騎馬で下れるか? いまこの速度で」
話の途中で、急になにかに気付いて、常人なら正気を疑うような事が出来るかと、アレクは己の隣を走る
彼にしては珍しく、若干申し訳無さそうな気配を僅かに漂わせながら。
だが、アレクの危惧は無為と化す。
「…? 何言ってるの? 出来ない訳無いじゃない。あ、流石に登るのは無理よ? いくら私とリーゼ(エリカの愛馬)でも空は飛べないもの」
「……そうか」
「そうよ?」
“何を言ってるんだこいつ”と言う顔で、本来なら神業と言えるはずの騎馬による崖下りを何でもないことのようにのたまうエリカに、アレクはただ頷くことしか出来なかった。
「なるほど、つまり崖を使って後ろの連中を撒くのね」
「ああ。この山の地形は事前に頭に入れてある。この先は切り立った崖だが、お前なら問題ないな?」
「誰に言ってるのかしら、アナタこそ、こんなところで崖から落ちて死なないでよ?」
「分かっているさ」
アレクとエリカは舗装などされていない山地を、まるで平野をかけるように危なげなく駆け抜けながら駆け抜けてゆく。
“黒狗隊”の追撃者達を引き連れながら、遂にアレク達は目的の崖に辿り着く。
「これは…ほぼ壁ね」
「なんだ、怖気付いたか?」
「まさか。ギールマ山脈の山岳地帯に比べたらなんてことないわ!」
「それもそうか。行くぞ!」
「ええ!!」
アレクとエリカが駆け抜けてきた道が遂に途絶える。だが二人は顔色一つ変えることなく、エリカに至ってはむしろ楽しげに、左手に聳える崖へ愛馬を跳躍させ、騎馬の力を信じて、足場とも言えない僅かな岩の出っ張りを伝って崖を駆け下りて行く。
「アハハハハ、凄いわねアナタ!
「似たようなことは…何度もやったからな!!」
エリカは楽しそうに、アレクは流石に余裕が無さそうに崖を駆け下りて行く。
そして彼らほどイカれた乗馬技術を持たない“黒狗隊“の隊員たちは慌てて馬を止め、苦し紛れに弓を放つ。
「いくらなんでもそんなの当たらないわよー!!」
「おい馬鹿、油断するな!」
「ちょっと! また馬鹿って…っ避けて!」
「なっ!?」
エリカに文句を言うために一瞬だけ振り向いたアレクに、エリカが叫ぶ。偶然、本当に偶然だが”黒狗隊“の一人の放った矢が、アレク達の頭上の岩に当り、脆くなっていたそれが砕け、アレクの頭上に落下してきたのだ。
「っ…しまっ」
「ウォーカー!!」
岩を切り払おうとしたアレクが薙剣を取り落とす。元々負傷していた上に、ただでさえ難易度の高い崖下りに神経を擦り減らしていたため、本来ならありえないミスをしてしまう。
アレクに岩が迫る中、エリカは一瞬で判断を下す。そもそも己は何のためにここに来たのか、それを瞬時に悟って。
「な…リガール中尉!!」
「言った…でしょ…“崖から落ちて死んじゃだめ”…って…」
アレクよりも乗馬の技能に優れるエリカは、瞬時にアレクを庇う位置まで騎馬を進め、それでも無理をしたせいで岩を切り払う事は出来ず、彼女の頭に、崩れた岩が直撃する。
兜をつけていた為、致命傷ではないが、意識を飛ばしたエリカが崖下の森へ落下してゆく。
「っ…この大馬鹿が!!」
その姿を眼で追ったアレクもまた瞬時に判断を下す。
アレクもまた愛馬の上から飛び降り、落下してゆくエリカの体を引き寄せ、抱きしめる。
「クソ…せめてこいつだけでも…」
崖の上から一部始終を監視していた“黒狗隊”の追撃者達が最後に見たのは、標的の“顔無し”が、リガール家の直系である銀髪の女士官を庇うように、夕闇に沈む崖下の森へと落下してゆく姿だった。
次回、主人公死す(大嘘)