ーーー征服歴1500年9月 スペイサイド州西部 ユチノメ山ーーー
空が明るくなり始めた早朝、装備を整えたアレクとエリカがそれぞれの愛馬にまたがる。
「アレク、何その荷物?」
「あぁ、お守りみたいなものだ」
拠点にあった一抱えほどの包の入った背嚢を背負ったアレクが、エリカの言葉におざなりに答える。
「さっさと行くぞ。獣国軍はともかく、帝国の“黒狗隊”が俺達が生きていると疑っていたら、容赦なく追いかけてくるぞ」
「わかってるわよ、貴方こそ怪我人なんだから無理しないでね」
「そうさせてもらうさ、
不意打ちで名前を呼ばれて赤くなるエリカに背を向けて、アレクはさっさと山道を進んでゆく。
「ま…待ちなさいよ!」
「遅れるなよー」
敵地で孤立しているとは思えないほど気の抜けた様子で、二人は山道を北へ向けて進んで行った。
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日が昇りきり、太陽が中点に差し掛かる頃、アレク達は山道から忘れられた古い街道を抜け、ユチノメ山の北側を迂回するルートで西側に針路をとる。
「結構流れが速いわね」
「ここからだと騎馬でも渡るのは難しいからな。付近だとこの石橋だけが唯一、渡河出来る地点だな」
騎乗したままのアレク達の目の前には深い谷と、そこにかかる古ぼけた石橋がある。そして二人が振り向いた先には…
「案の定追ってきたわね。つくづく、貴方どれだけ連中の恨みを買ってるの?」
「今更だが、あの皇子の首をきちんと刎ねなかった事は少し後悔している」
「まあ、首刎ねたら刎ねたで、余計恨みを買いそうね…」
軽口を叩く二人の目線の先、地平線の先に見える土煙が、徐々に近づいてくる。帝国軍の追手、彼の国の最精鋭“黒狗隊”が、このままだと味方に合流する前に追いつかれるだろう位置まで迫っていた。
エリカが呆れたように溜息をつき、崖から落ちたときも手放さなかった槍を手に、後ろを向き直る。
「アレク、貴方は先に行きなさい。この橋に陣取ってれば後ろは取られないだろうし、貴方が逃げる時間位は稼いであげるわ!」
エリカは爽やかな笑顔をアレクへ向ける。
そんなエリカに、アレクは冷めた目を向けて尋ねる。
「…お前を見捨てろと?」
「貴方まで残って、二人とも死んじゃったら、何のために私が部下を犠牲にしてまで、貴方を助けに来たのか分からなくなっちゃうじゃない。アレク、この私が助けてあげたんだから、ちゃんと生き延びなさいね?」
ヒラヒラと手を振りながら、エリカはアレクにさっさと行くように促す。
アレクは眉をしかめ、エリカに近づこうとすると、エリカは槍をアレクに向ける。
「駄目よ、さっさと行きなさい。じゃないと“黒狗隊”が来ちゃうわ」
「……つくづく馬鹿だなお前は」
「っ…離しなさい!」
牽制の為に突き出された槍を平然と掴み取ったアレクは、振りほどこうとするエリカを逆に引き寄せる。
顔と顔が触れ合いそうな程に近くまでエリカを引き寄せたアレクは、彼女の宝石の様な、透き通った金色の瞳を見据える。普段の冷めた視線ではなく、エリカへの確かな信頼と、敬意を込めて。
「ここで生き残るべきはお前に決まっているだろう、エリカ」
「なっ…あ…っ…」
槍から手を離し、反動で後ろにつんのめったエリカの顎を、アレクの拳が撫でるように掠める。
脳を揺らされたエリカは、力なく愛馬に倒れ込む。
アレクは背嚢から細い縄を取り出すと、手際よくエリカを彼女の愛馬に落馬しないように固定する。
「アレ…ク……」
「エリカ…ありがとう、俺を助けに来てくれて。だが、ここまででいい…ここまでで良いんだ」
アレクは穏やかに、エリカへ再び感謝の言葉を送る。
「そもそも俺は、もっと前に…
「ちが…う……アナタ…は」
「違わないさ。俺自身が、もう生きるのも、死ぬのも
家族も故郷も亡くし、誓った復讐を果たして、そして帰るべき場所に拒絶された。虚無の中でただ“生き延びろ”という枷を嵌められながら、ひたすら敵味方の血に塗れて生きてきた。そんな四年間を思い出し、アレクは自嘲する。
「だからな…お前が助けに来た時は、“余計なことをしてくれた”としか思えなかった」
ようやく楽になれる。未練も後悔も無く、仲間を守るために胸を張って死ねる。それが、戦争に全てを奪われたアレクに、最後に残った自由のはずだった。
「お前達を逃がそうと一人で斬り込んだのに追いかけて来るし、挙げ句の果てに俺なんかを庇って岩に当たって…」
アレクが諦めかけたタイミングで、エリカはいつも、彼を救ってきた。
「だからもう良いんだ、エリカ。“英雄”のお前が、俺みたいな紛い物の亡霊の為に、これ以上命を賭けないでくれ」
懇願する様に、アレクはエリカへ語りかける。
「ありがとう、白銀の戦姫。初代カナンの騎士の末裔に相応しい、輝ける英雄殿」
「だ…め……貴方…も、一緒…に……」
「ありがとう、エリカ…なぁ、俺は嬉しかったんだ。烏滸がましいかもしれないが、何もない俺を、誰もが畏れる“化物”を、助けに来てくれる人が…“仲間”だと認めてくれる人が…いてくれた」
涙などとうに枯れ果て、凍りついた様に冷めていたアレクの瞳に、薄っすらと涙が浮かぶ。
「貴方がくれた恩に報いられるモノを、俺は何も持っていない。だからせめて、最後くらい貴方を護らせて欲しい」
恭しく、まるで王に頭を垂れる古の騎士の様に、アレクはエリカへ一礼する。
「バ…カ……」
「ああ、そうだな、馬鹿は俺の方だった」
意識を失いかけ、朦朧とするエリカの紡いだ言葉に、アレクはぎこちなく
そしてふと、何かに気付いたアレクは自身の首から、木彫りのペンダントを外してエリカの手に絡める。
「済まない、面倒ついでに頼まれてくれ」
「…?」
「王都にいるボウモア子爵家令嬢のレナ・ボウモアに伝えて欲しい。“アレクサンダー・ウォーカーは君を恨んでいない。俺は俺として、納得して戦い、誇り高く生き抜いた。だからどうか、君も君の人生を、幸せに生きてくれ”と」
それはアレクにとっての唯一の心残り。大切だった少女を意図せずして傷つけ、そして二度と会うことも謝ることも出来なかった後悔。かつて共に生きようと誓った少女への、別れの言葉。
「っ…あ…」
「…眠ったか」
涙を流しながら、アレクに何かを言おうとしたエリカは力尽き意識を手放す。
その姿を優しく見つめたアレクは、彼女の愛馬の首を撫で、彼女の最も忠実な相棒に指示を下す。
「いいなリーゼ、この道を真っ直ぐ進め。きっと味方が向かってくるはずだ。お前が責任をもって、主人を送り届けろ」
アレクの言葉に、“ブルルン!”と力強く嘶いたリーゼは、アレクに背を向けて、意識を失った主人を落とさないように気遣いながら、早足で橋を渡り、西へと、味方のいる方向へと去っていった。
その姿を少しだけ、名残惜しそうに見送ったアレクは東へと目を向ける。
「さて、せめてあいつが味方と合流するまでの時間は稼ぐとするか」
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ここに、後にスペイサイド州の、否、連合王国の歴史に刻まれる防衛戦、“ステュクス川の戦い”の準備が整った。
主人公が死亡フラグを積み重ねてる…