念のために書いておくと、この世界では魔法や魔術はオカルト扱いです。
ユーシア大陸中央部に位置するヴィーテ=ガスク連合王国。
その立地から大陸東西の貿易を中継することで莫大な利益を挙げ、その利益を用いて国土を開発することで大陸有数の大国へと発展した。
北部は精強な騎馬民族たちの支配する草原地帯を挟んで北方の軍事大国神聖ミトラリア帝国と境界を接し、西方にはいくつかの中小国を挟んで大陸最古の老大国ガルアーク聖王国が存在する。南部はユーシア大陸と他の大陸に囲まれた大南冥洋を臨み、東方は大陸を二分するギールマ山脈を境界として大陸東方の諸勢力と対峙している。
100年程前まで、王国南東部のギールマ山脈の麓に広がる大森林地帯は連合王国とユスティニア獣王国の国境線として互いに不可侵の取り決めのもと、細い街道が通っている以外は未開発だった。
大陸東方との交易は主に北方の大草原地帯かギールマ山脈のウィリムス盆地を通る回廊が用いられていた為、“闇の森”と呼ばれたこの森林地帯は長年放置され続けてきた。
情勢が変化したのは征服歴1390年代、当時大陸東方を支配していた大帝国、紅嶷帝国で大規模な内乱が勃発したことにある。大陸東方を統べる大帝国の混乱は、その従属国であった獣国にも大きな影響を与えた。
国内が政治的にも経済的にも混乱した獣国は連合王国に援助を求め、その条件の一つとして“闇の森”の領有権を明確化し、国境を“闇の森”の東側で確定する事だった。
当時、造船技術を発達させ海上貿易を推進していた連合王国にとって良質な木材の供給源として“闇の森”は魅力的であり、その他幾らかの条件を加味した上で獣国への支援を行った。
その後、連合王国は王国側の“闇の森”を“スペイサイド州”と改め、開拓団を組織しこの地を開拓してゆくこととなる。100年かけて開発されたスペイサイド地方は、林業だけでなく温暖湿潤な気候から麦の他に米等も多く栽培され、穀倉地帯としても発展してゆくこととなった。
だが、建国300年の記念すべき時期を前にしてスペイサイド州が、そして連合王国自体が悲劇に襲われることとなる。
征服歴1456年、スペイサイド地方をユスティニア獣王国が奇襲的に侵攻。その侵攻と連動して紅嶷帝国を滅ぼし新たに東方の盟主として君臨することとなった超大国青麟帝国が連合王国の東の玄関口であるウィリムス盆地へ攻め寄せた。更に連合王国南西部では王弟ガリエムを擁立したトランバレム公爵が王国に叛旗を翻し、更に隣国の援軍すら引き入れて王都へと攻め上る気配を見せると、3方向からの同時多発的な侵攻に王国首脳部および王国陸軍参謀本部は半ば脳死状態となってしまった。
王国の危機を救ったのは、王国が建国から300年かけて築き上げてきた高度に組織化された軍組織とそれを支える優れたインフラ網だった。
国境線を守る領主が裏切ったことで獣王国の迅速な侵攻を許したスペイサイド州だったが、各地に配置された領地貴族の多くは国土と自らの領民を守る為に強固に抵抗し、スペイサイド州を管轄する連合王国第11師団が戦時体制に移行するまでの貴重な時間を稼ぎ出した。
ウィルムス盆地の東側の入口に築かれた大要塞ブリュンヒルドは要塞防衛を担う王国第5師団に加えて、300年間この地を守り続けたリガール辺境伯家の援軍が青麟帝国の侵攻後即座に到着し、帝国軍10万の猛攻を跳ね返した。
連合王国西部の隣国ファガリア王国の援助を受けたトランバレム公爵軍は王都を直撃するべく精兵を率いて進撃したが、街道各地に設けられた砦の制圧に手こずり、王都直衛を担う王国第1師団と援軍に駆けつけた王国北部草原地帯を縄張りとする連合王国最強と名高い第7師団を中核とする王都防衛軍の迎撃によりその目的は阻止された。
辛うじて初戦の危機を回避した連合王国だが、3正面作戦を強いられたことで戦力が不足し決定的な勝利は得られず、逆に連合王国に攻め込んだ各国は王国が態勢を立て直す間に支配地域を確実に増やすことで長期戦に耐えられるだけの準備を整えることに成功した。
開戦から4年を経た現在、スペイサイド州はその約8割が獣国の支配下に落ちていた。
ーーースペイサイド州領西部 カルメリア基地ーーー
スペイサイド州の防衛戦線の後方に位置する連合王国側の拠点の一つ、カルメリア基地。
最前線への補給や消耗した部隊の休息及び再編目的に整備された基地の士官食堂の隅で、醜い顔の傷跡を包帯で覆い隠している男、アレクサンダー・ウォーカー中尉は一人、遅めの昼食を摂っていた。
「おい…あいつ」
「ああ、伯爵殺しの“顔無し”だ…」
「生きてたのか」
「この間、戦線北部の獣国拠点攻略作戦にいたらしいぞ」
「あの戦い、確か獣国の奴らが酷い殺され方してたらしいな…」
「どうやら“顔無し”の仕業らしいぞ。あいつに殺された獣国兵、全員首を切り落とされてたらしいぜ」
「いつの時代の蛮族だよ。わざわざ殺してから首切り落としてたってのか?」
「それに
「仲間や部下を盾にして生き残ったんだろうよ、酷ぇことしやがる…」
食堂内の他の士官たち、主に彼と同年代の少尉や中尉達は彼をチラチラ見ながら声を潜めて噂話をしている。
アレクはそんな視線や噂話を気にする様子もなく、黙々と昼食を摂る。顔の傷以外にもいくつかの理由で周囲から距離を置かれている彼にとって、このようなことはいつものことで、特段気にすることでもないからだ。
「よおアレク、まだ生きてたみたいだな!」
「…ウーサーか。軍団本営にいるはずのお前が何をしている?」
そんな彼に、まるで長年の友人かのように気安く声をかける男が一人。
アレクの素っ気ない返事に、恰幅の良い体をなんとか軍服に押し込んでいる男、ウーサー・ウェインズは気にした様子もなく彼の向かい側の席に座る。
彼とアレクは学生時代、寮のルームメートだった時代からこのようなやり取りを続けてきたのだ。今更この程度で互いに不快に思ったりはしない。
ウーサーの階級はアレクと同じ中尉だが、長い前線勤務で擦切れたアレクの軍服と異なり、彼の軍服はほつれや補修の跡は殆ど無い。
「なに、ちょっとしたおつかいだよ。前線に補充される部隊の装備だったり寝床だったりの調整でここも含めていくつかの基地を回らされてるのさ」
「…なるほど、下っ端は辛いな」
「ホントだよな…あちこちに行かないといけないせいで飯もろくに食えねえぜ。見ろよ、前より痩せちまったぜ。」
「…そうか」
アレクがウーサーの顎や腹回りにチラリと目を向けるが、そもそも学生時代の厳しい訓練ですら彼の体格をスリムにすることは出来なかった事を思い出し、すぐに目線を食事に戻す。
昼食のメニューは焼き立ての白パンに豆と燻製肉のスープ。副菜に塩漬けキャベツにソーセージもある。このメニューは士官だけでなく一兵卒も共通だ。理由としては調達や調理コストの削減が主だが、指揮官だからと豪勢な食事をしてわざわざ部下に恨まれるのも馬鹿馬鹿しいという理由も意外と大きい。最前線に近いこの基地で、三食とも温食が提供されるのはこの目の前の友人も含めた、軍団本営の兵站幕僚達の努力の賜物なのだから、多少なりとも気を遣う。
食事を再開したアレクを見ながら、自分も(アレクのものよりかなり大盛りの)食事を摂り始めたウーサーが会話を再開する。
「そういやアレク、また随分無茶したみたいだな。軍団本営にも噂が流れてくるぞ。なんでも獣国の補給部隊を一人で奇襲して護衛の300人を全員殺したんだって?」
「どこの化け物だそれは? あいつらの隊列を奇襲したのは確かだが、部下は率いていたし、そもそも皆殺しにはしてないぞ」
「ハッハッハ、だろうな」
ウーサーは敢えて周りに聞こえるようにアレクに話しかけ、アレクも意図を察して会話を繋ぐ。
この恰幅の良い元ルームメイトは友人が尾鰭の付きすぎた噂で周囲から孤立しないよう、気を遣ってくれているのだろう。
そんな友人の意図に感謝しつつ、アレクは友人であり優秀な兵站幕僚でもあるウーサーに問いかける。
「で、お前がそうやって走り回ってるってことは、ようやくまともな増援が来るのか?」
アレクの問に、周囲で昼食を摂っていた他の士官たちも耳をそばだてる。
開戦序盤の危機を脱した連合王国首脳部は、軍事的な定石として戦略上の優先順位を明確化しそれに沿って戦力を配分することを決定した。
最優先となるのは王都を攻撃でき、また王国の継戦能力に直結する穀倉地帯や工廠都市も攻撃範囲に収めていたトランバレム公爵軍への対策だった。公爵軍の侵攻を抑え込むために王国軍主力は西部方面に釘付けとなった。
また王国の東側の玄関口であり、王都へ繋がる街道も整備されているウィルムス盆地にも、元々の防衛戦力である第5師団とリガール辺境伯軍に加えて王国北部のバランタイン公爵家を中心とする援軍が派遣された。
一方で、王国では比較的新しい領地であり開発も他地方より遅れ、王都までの街道も整備が遅れていたスペイサイド地方への増援は最低限のものとなった。
代わりにスペイサイド地方を防衛する第11師団には現地での徴兵や士官登用の権限付与等が行われ、人員以外の物資であれば必要十分に供給されたが、四年間に渡る戦乱は人材の、特に前線で戦う尉官や下士官の払底を招くこととなった。
スペイサイド方面軍首脳部は何度も王都の参謀本部へ増員を要請しているが、その請願はほとんどの場合叶わなかった。
それがようやく叶ったのかもしれないとアレクは淡い期待を込めて尋ねたが、旧友の渋面を見てどうやら無理だったようだと察した。
「物資に関しては規定量以上に補給されてる。だがまあ人員についちゃあ
ウーサーが肩をすくめる。
いつも通り、つまり最低限の、しかも二線級の予備役やあまり優秀でない士官が主と言うことだろう。
「やる気のあるやつもいないことは無いが…」
「…まだ戦場を経験してない英雄気取りの新米ばかり、か?」
ウーサーが濁した言葉をアレクが引き継ぐ。
「あー、あんまり腐すもんじゃないぜ? 志願してこんな泥沼の戦線に来てるんだ、やる気はあるだろ?」
「やる気はな。せめて勝手に突撃してこっちの作戦を邪魔するのだけはやめて欲しいんだが…」
「実感籠もってるな…」
「元部下や同じ大隊の同僚が何人かな…正直あれなら案山子の方がまだマシだぞ? 少なくとも無駄な口答えはしないし、死んで俺の書類仕事を増やすこともない」
アレクは厭なものを思い出したのか、包帯で覆った顔でも分かるくらいに顔を顰める。
「しかもそういう奴に限ってこっちの忠告を無視するからな…そいつらの尻拭いで俺の部下まで何人も無駄死にしたぞ」
「お前も苦労してんだな…」
「それでいて本人たちは、自分は勇敢に戦って死んだと悦に浸りながら死んでいくんだぞ? 救いのない馬鹿共だ」
「あーうん…思った以上に腹に据えかねてるのな…」
ウーサーが、友人であり有能な野戦指揮官でもあるアレクに同情する。この戦乱で学園で共に学んだ頃から変わり果て、滅多に感情を表に出さなくなった彼がここまで言うのだから相当だったのだろう、と。
せめて次に彼の部下や同僚になる士官たちが彼の負担を軽くして、できれば彼の
「聞き捨てならないな!!」
自分達に向けて放たれた怒声に振り向いたアレク達の目の前に、ピカピカの軍服を着た若い中尉が、仁王立ちで立っていた。