時間は少しだけ遡る。
ーーー征服歴1500年 スペイサイド州西部 ユチノメ山沿い 旧街道ーーー
アレクに気絶させられたエリカが、愛馬の背に揺られながら旧街道を西へと進んでゆく。
脳を揺らされ、深い眠りについていたエリカだが、長時間馬上で揺らされた事で次第に意識が覚醒してゆく。
「うぅ…アレ…ク……っ!?」
目を開けたエリカは自身の現状に気づく。馬から落ちないように縄で体を固定され、その愛馬は街道をひたすら西へ、一人残ったアレクから遠ざかる方向へと向かっている。
「っ…戻って! 戻りなさい、リーゼ!」
未だ意識が朦朧とし、自由の効かない体で、エリカは自身の愛馬であるリーゼに必死に呼びかける。
だが、普段であれば、それこそ手綱を使わずとも自分の意思を反映して動いてくれる、最も信頼できる相棒は、エリカの言葉に耳を貸さず、ひたすらアレクのいる方角とは逆へ、味方がいるであろう街道の西側へと走り続ける。
「お願い…お願いよ、リーゼ…。わたし…ここでアイツを助けられなかったら…なんで…」
エリカは涙を流し、必死にリーゼへと呼びかける。
リーゼは悲しそうに嘶き、しかしその走りが止まることは無い。並の馬よりも遥かに賢い彼女は、自分が任された任務を良く理解していたからだ。
自身に主を連れて逃げるように命令した“ニンゲン”、自身の主の命を救い、そして今も命懸けで護ろうとしているだろうその男の願いは、たとえ主であっても覆させる訳にはいかないと、賢く誇り高い彼女は、悲しそうに嘶きながらも主の懇願を無視して走り続ける。
エリカは自分の手に絡められたペンダントを握りしめ、涙で頬を濡らしながら嗚咽する。
「馬鹿よ…馬鹿…、なんでここまで来て、自分だけ格好つけて…なんで……一緒に戦ってくれって…言ってくれないのよ…」
自分が助けたかった男が、自分を英雄と呼んでくれた男が、結局は自分を護って一人で殿に残ってしまった。
悔しさと惨めさと、そして強い喪失感がエリカを苛む。
頭の冷静な部分が、今の状況が一番合理的だと、判断できてしまっていることが心の底から腹立たしい。そしてアレクが、迷わずその判断を下したことが、そしてそんな判断を下させてしまったそして自身の力不足が狂おしいほどに悔しい。
そうして唇を噛み締め、自身の無力さに涙を流す彼女の耳が、風切音以外の音を拾う。
「お嬢様ー!!!」
それはまだ距離があるが、確かに自分を幼少期から見守ってくれた忠実な守役の声だった。
「エバ…ンス…」
エリカの守役であり、現在は副官としてエリカに仕えているエバンス・フィデック准尉が、彼女の騎兵中隊と、案内役であろうバグラム曹長を伴って駆けつけた。
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「リガール中尉、それじゃあ大尉殿は…」
「そう。だから早く馬を貸しなさい。すぐに助けに行かないと…」
「お嬢様!!」
縄を解かれ、ここ迄の経緯をバグラム達に説明したエリカは、疲れ切ったリーゼから降りて彼女の首を優しく撫でると、即座にアレクの下へ向かおうと換え馬を要求するが、エバンスの叱りつけるような声を上げる。
「エバンス、お願いだから行かせて」
「なりませぬ。お嬢様…いえ、リガール中尉殿の行動は人としては正しいでしょう。ですが指揮官としては落第です」
「貴族としても…でしょう?」
「っ…! 分かっておられるのなら!」
皮肉げに笑うエリカに気圧されたエバンスだが、直ぐに厳しい表情に戻りエリカを止めようとする。
「お嬢様の言葉が正しければ、追手は“黒狗隊”が約200騎、ウォーカー大尉であれば多少数は減らせるかもしれませんが、今の我々の倍はいるのですよ!?」
エバンスとバグラムがこの場に連れて来ることが出来た兵は、案内役であるバグラム達を含めても僅か80騎程度でしか無い。ガラクタ中隊は壊滅状態で、アレクが率いた騎兵隊も大半が死傷し、エリカの率いた騎兵中隊も、獣国軍の本陣から脱出する際に損害を受けていた為だ。
この人数では、敵の追撃があれば救出対象であるエリカを護って撤退は出来ても、帝国軍の精鋭である“黒狗隊”の撃退は困難だと、エバンスは彼の主人であり、上官でもあるエリカに訴えかける。
「分かってる…分かってるわよ!」
「ならば!!」
「だったらわたし一人でも行くわ!!」
「何故そうなるのです!? 我々は貴方を助けに来たのですよ!?」
「っ…だったら、だったらなんでアイツを…アレクを助けに行かないのよ!!」
エリカは周囲を睨みつける。
エバンス達も、そしてアレクの部下であるバグラム達ですら、エリカの無事を喜び、アレクの選択に沈痛な面持ちをすることはあっても、急いでアレクのもとへ向かおうとはしない。
「……」
「答えなさい、エバンス・フィデック准尉!!」
黙り込むエバンスをエリカが怒鳴りつける。
そのやり取りに、困った顔のバグラムが割り込む。
「あー、ちょっといいですかい、リガール中尉殿…?」
「…何かしら」
「あー…准尉を責めないでくだせぇ。こいつぁいわば、
「ハァ…!?」
エリカが目を見開き、驚きの声を上げる。
「……俺達が獣国軍の野営地を焼く前の、最後の打ち合わせのときでさぁ。大尉殿が仰ったんです、“万が一、リガール中尉が助けに来たら、お前達はそれに着いていけ。間違いなく追いかけて来る追手は…俺が適当に相手しておいてやる。そして俺の事は絶対に助けに来るな。間違いなく、助けに来た奴に被害が広がるだけだ”と」
「あいつまさか…この状況まで予測して…?」
「さぁて、どうですかなぁ。ただ一つ言えるとすれば…」
バグラムは言葉を切る。
「あの人は“恩人”である貴方に、死んで欲しくなかったんでしょう。あの砦で、俺達の中隊は貴方に救われやした。それに中尉殿は、捨駒だった俺達を、獣国軍の本陣に斬り込んできてまで助けてくださった」
「でも…それは…」
「我々は貴方に感謝しています、中尉。それにきっと大尉も」
「確かにあいつも感謝してた…でもなんでこんな…“助けに来るな“なんて…」
エリカは瞳に涙を浮かべながら、バグラムに問いかける。
「まぁ、うちのボスはあれで義理堅いですからなぁ…あの人は“恩人”の為なら、迷わず命を賭けますよ。それも、絶対に“恩人”に被害が及ばないようにしまさぁ」
「…馬鹿よ、あいつ」
「…でしょうなぁ。とんでもなく強いのに、てんで自分の命を大切にしやせんからね」
「ええ…」
エリカが悲しそうに頷き、拳を握りしめる。
「だから中尉、頼むからもう帰ってくだせえ。あの人は、アレクサンダー・ウォーカーは貴方を守るために命を捨てて戦ってるんでさぁ。どうかその意図を、あの人の決意を、無駄にしないでくだせえ」
バグラムが頭を下げる。かつて復讐鬼となったアレクを兵士として鍛え、そして部下としてアレクを支え続けた男は、ようやく死に場所を得たアレクの意思を尊重する為に、彼が守ろうとした女性を止めようとする。
エリカはそんなバグラムの、そして申し訳無さそうにするエバンスの顔を見て溜息をつく。
「貴方達の意見も…あいつの、アレクの意思も理解したわ」
「それでは…!」
喜色を浮かべるエバンス達に、今度はエリカが頭を下げる。
「お願い、フィデック准尉、バグラム軍曹。これは命令じゃない。ただの頼み事よ」
「お、お嬢様!?」
「中尉殿!?」
エバンス達が狼狽する。エリカは軍人としては単なる中尉であるが、同時に七大貴族の直系、この国でもトップクラスの貴種なのだ。そんな彼女が、爵位も持たない家臣や下士官に頭を下げるなど、本来ならばあってはならない。
「危険なのは分かってる。もしかしたらこの部隊が全滅するかもしれないのも分かってる! でも…お願いだからアイツを…アレクを…助けてあげて」
「中尉殿…そりゃ俺達だって助けられるんなら助けたいでさぁ。ですが…」
「危険すぎます、お嬢様」
エバンス達はエリカの願いに困惑しながらも、エリカの頼みを肯定することは出来ない。
「そもそもお嬢様、何故そこまでウォーカー大尉に執着なさるのです。確かに大尉は強いでしょう、お嬢様の
「…エバンス、貴方の考えてる事は間違いじゃないけど、それが全部じゃ無いわ。わたしが命をかけるのも、こうやって頭を下げるのも、
エリカは真剣な目で、彼女の守役を見据える。自身の、輝く銀髪を指で玩びながら。
「エバンス、あいつは…アレクは…私を
「お嬢様…それは」
生まれた時から、
「だから私はアイツを、私を
それは、
エリカは自覚している。彼女がここまでアレクに拘るのが、その誓いの為だけでは無いと。だが同時に、この誓約があるからこそ、
エリカは自身の豊かな胸に手を当て目を閉じる。ほんの短い期間だけ共に過ごした男の姿が思い浮かぶ。傷だらけで、恐らく元は整っていたであろう容姿の面影程度しか認識出来ないボロボロの貌。そして誰よりもひたむきに努力して、誰よりも真剣に、運命に立ち向かってきた
ここで逃げれば、アレクを見捨てれば、きっと自分は
「フィデック准尉、バグラム曹長、改めてお願いするわ。一緒に助けに行きましょう、アイツを。私達の
儚げに微笑むエリカに、エバンスも、バグラムも、そして彼らと共にエリカ達を助けに駆けつけた騎兵達も、最敬礼を返し、
長くなったので分割します。
次回は(多分)明日には…