ーーー征服歴1500年9月 青麟帝国 青角城ーーー
スペイサイド州の命運を左右する決戦が終わった頃、この地では連合王国の牽制に軍団が出撃した以外、特に代わり映えの無い日常が続いていた。
とはいえ、新たな連合王国の国境であり帝国の西の抑えの都市として皇帝の勅命で築城されたこの城とその城下町は、城壁や防衛施設はともかく都市機能は未完成のため、現在でも多くの人足達が日夜作業に励み、活気に満ち溢れていた。
当然ながらこの都市の支配者には、その皺寄せとして大量の書類仕事が科せられる。
執務室で書類の山に囲まれながら、現実逃避のためにお茶を飲んでいたこの城の主であり、帝国軍の西方征伐軍総司令官でもある帝国の第四皇子藍剴馮は、慌てて駆け込んできた伝令が持ち込んだ手紙に記された情報に目を細め、どこか楽しそうな様子で呟く。
「これはなんとも…思いの外愉快な展開になったものだね」
「殿下、手紙には一体どのような内容が?」
剴馮の後ろに控える気の利いた文官が尋ねる。
「大したことじゃないさ。ちょっと獣国軍の総司令官が戦死しただけだよ」
「…それは十分に大した事では?」
笑いながら爆弾発言を投下した剴馮に、有能な文官であり内政において彼のブレーンも務める壮年の文官は頭痛を堪えるように目元を揉み、部屋に控えていた剴馮の秘書官メイヤに、主だった文官や武官を招集するよう指示を出す。
「おいおい…大袈裟じゃないか?」
「属国とはいえ、今は我が国と轡を並べる国の将軍が殺されたのですよ。最悪我々が想定したこの大戦の帰趨に支障が出かねません」
「まあ…大勢は変わらないはずだけどねぇ」
この大戦を画策し、そして帝国に関しては既に、戦略的に
「一応決戦には勝ったし、獣国軍は劉貭が掌握するから問題ないさ」
「…つまり連合王国の主力を取り逃がしてしまったと?」
「そうなるね。まあ彼らも無理せずスペイサイド州からは撤退したみたいだし、むしろ主戦派として余計な事を言う邪魔者がいなくなったのは良いことだよ?」
「確かに、獣国の立場が弱まるのは悪いことではありませんが…連合王国が調子づくのでは?」
「まあ多少は溜飲が下がるかもだけど、連合王国はもう戦略的には負けてるからねえ」
軍略も担当するその文官は剴馮の言葉に頷く。
事実、もしもここで連合王国軍がスペイサイド州で獣国軍を打ち破ったとしても、限界に近い連合王国の戦力ではスペイサイド州の奪還など出来ない。せめて一矢報いたと溜飲を下げるのがせいぜいだろう。むしろスペイサイド方面軍の主力を無事に撤退させることが出来たのが僥倖だろう。
そして、連合王国にとって大陸の東側への玄関口であるウィルムス盆地の入口に蓋をするように青角城を帝国に築城され、それを奪い取る事も破壊する余力も最早無い。
剴馮も部下の様子に満足し、部屋に戻ってきたメイヤにお茶のお代わりと追加の茶菓子を頼もうとした時、部屋に先程の伝令よりさらにボロボロの伝令が駆け込んできた。
「何事だ!?」
「ご…ご報告致します」
伝令から伝えられた情報に、つい先程まで事態を愉しみながら、どこか楽観していた剴馮の目に鋭い光が宿る。
「成る程…これは、由々しき事態だね」
「殿下…」
「ちょうど皆も集まる。そこで改めて話し合おう」
同じく目を鋭く細めた文官に、剴馮が頷く。
そして現在青角城に詰める主要な文官及び武官が執務室へ集まり、会議が始まった。
そして改めて、伝令の伝えたスペイサイド州の最新の情報が共有される
「馬鹿な…黒狗隊が返り討ちに会って半数が殺されたと!?」
「一体何処の部隊です? 連合王国の第七師団かバランタイン家の騎兵隊ですか?」
「確かスペイサイド州にリガール家の直系が着任していたはずです。その部隊の仕業では?」
「いいや、どうやら“黒狗隊”を返り討ちにしたのは、たった一人の士官だそうだ」
「馬鹿な…ありえん」
皇族将軍藍劉貭の直属として与えられていた帝国軍の精鋭騎兵部隊“黒狗隊”。獣国軍総司令官ゾード・ガッフェル将軍の護衛として、劉貭の任命した特務監察官であるスバルテイン・バルバロスに率いられていた三百騎が、将軍護衛の任務に失敗した。しかも、獣国軍本陣に斬り込みガッフェル将軍を討ち取った連合王国軍の指揮官アレクサンダー・ウォーカー大尉を、味方の援軍を得たとはいえ包囲しながら取り逃がした。そして翌日、リガール辺境伯家の次女エリカと共に戦場の北側へ迂回しながら、味方へ合流しようとしていたアレクを、スバルテイン率いる約200騎の“黒狗隊”が捕捉したが、アレク一人に指揮官のスバルテインと隊長のゴルスレン以下100名以上を殺害され、不様に撤退した。
「殿下、伝令の報告に嘘や誤認が含まれている可能性もあります。詳細な調査が必要です」
「そうです、有り得ません。“黒狗隊”は対連合王国騎兵の切り札です。それがたった一人の士官に返り討ちに合うなど…」
剴馮が帝国の各部門から引き抜いた優秀な官僚と軍人である彼らは、伝令の伝えた情報があまりにも荒唐無稽だったため、まずはその詳細を確認しようとする。
それ自体は常識的な判断であり、その判断自体は剴馮も否定しない。だが、この戦争を画策し、大国である連合王国にほぼ完勝しつつある、当代最高峰の策謀家である剴馮は、
「偽情報や誤認である可能性は考慮しよう。だが万が一、この情報が
「しかし、そんな事があり得るはずが…っ!」
「そうです。たった一人が”黒狗隊“の騎兵200名を半壊させるなど…っ!」
剴馮の言葉を否定する文官と武官達は、凱馮のひと睨みで口を噤む。剴馮は何かと仕事をサボろうとしたり、咎める部下にもきさくに対応する温和な人物だが、同時にその気になればいくらでも冷酷な判断を下す人物であると、彼らは理解しているからだ。
「あり得ないと言うのは簡単だ。だが楽観で事態を甘く見て、後で痛い目を見るのは愚か者のする事だ。違うか?」
「ハハっ、申し訳ありません」
「まあ僕もさっきまで、ガッフェル将軍が殺されたことは楽観してたからね。あまり偉そうには言えないけど、流石に今回は別だ」
「しかし殿下、確かに”黒狗隊“な敗走は由々しき事態ですが、この戦争全体の趨勢にはあまり関わり合いが無いのでは?」
剴馮の側近である文官が意見を出す。
確かに、帝国の最精鋭が破れたのは痛手であり、帝国の威信を傷つけることではあるが、所詮は一士官の武功であり、戦略的な敗北を覆すことなど出来はしない。
先程まで属国の将軍が殺されたことですら些細な問題だと雑に扱っていた剴馮が、ここまで深刻に事態を捉えていることが、その文官には疑問に思えた。
「そうだね。精鋭で固められた本陣に守られた将軍が殺されることも、鍛え上げられた精鋭がたった一人に蹂躙されることも、一つ一つはならあり得ないことでは無いかもしれない。だが、それが全て
厳かに、剴馮は自身の懸念を部下達と共有する。
「アレクサンダー・ウォーカー、この男は2年前にも獣国軍の本陣を強襲し、獣国に降った連合王国の貴族ソレム伯爵を殺し、我が弟劉貭をも負傷させた」
「っ…まさか」
「ああ、当時はベルと名乗っていたそうだけどね。そして今回、再び本陣への強襲を成功させた。一度目は獣国の油断と幸運に助けられたのかもしれない。だけど二度目は、味方の助けもあったかもしれないけど、警戒されている状況でガッフェル将軍の討伐を成功させた」
淡々と、剴馮はアレクの成し遂げた有り得べからざる戦果を分析する。
「それだけでも、このアレクサンダーと言う男が軍人として類まれな戦術眼と指揮力、そして個人の武力も持ち合わせていると判断できる。その上で、この男は我が帝国最強の騎兵隊を相手に
「しかしいくらなんでも…個人の戦果として過剰過ぎるのでは…?」
「常識的にはあり得ないだろうね。でも、戦争では時に有り得ないほどの戦果を挙げる“英雄”が生まれることがある。それを我々はよく知っているだろう?」
かつて大陸を席巻した征服王と始原皇帝の激突において、それぞれの陣営で綺羅星の如く活躍した数多の名将達は言うに及ばず、かつて中原の大国を滅ぼした騎馬民族の大戦士達やそれと対抗した中原の将軍達、獣国の建国王、そして連合王国のカナンの騎士。多くが戦争の中で名を上げ、常人では成し遂げられない偉業と共に語られる“英雄”達。
軍を率い、国を治める人間として、時に人の常識を超える逸材は現れるのだと、剴馮も彼の部下達も理解している。
そしてその存在は、時に個人でありながら戦略にすら大きな影響を与えるということも。
「アレクサンダー・ウォーカーが、この戦争を覆す“英雄”になると?」
「分からない。だが彼は最悪の逆境の中で生き残り、大戦果を挙げた。これを単なる幸運と考えるのは…楽観し過ぎかな?」
苦笑する剴馮に、彼の有能な部下達は首を横に振り答える。
そして代表するように、老年の武官が剴馮に尋ねる。
「殿下、スペイサイド州へ暗殺部隊を送り、アレクサンダー・ウォーカーを殺しますか?」
「…いいや、止めておこう。劉貭の報告では、何度も暗殺者を送ったが尽く返り討ちにされたらしい」
「劉貭殿下を疑う訳ではありませんが、暗殺者の質が悪かったのでは?」
「その可能性は考慮しよう。だが、敵地に潜入して暗殺をこなせる実力者は貴重だ。無為に擦り減らすのは得策じゃないよ」
「…では、彼奴を放置すると?」
「まさか」
剴馮は酷薄な笑みを浮かべながら、武官の言葉を否定する。
「私の可愛い弟を傷付け、帝国の威信に泥を塗った男だ。その落とし前はきちんと命で支払ってもらうさ」
「しかし…どうやって?」
剴馮は武官の言葉に笑みを深める。
「成り上がりの英雄を殺すのは、
「なるほど、つまり…」
「ああ。連合王国に潜ませている間諜に連絡しろ。アレクサンダー・ウォーカーの評判を貶めて、彼を味方に殺させるんだ」
剴馮の部下達は彼の言葉に畏まり、命令を実行するため即座に行動を開始した。
━━━━━━━━━━━
部下達の去った執務室で、メイヤの淹れたお茶を飲みながら剴馮が呟く。
「さて、彼が単に運が良かっただけならこれで終わりだろう。だけどそうで無ければ…」
剴馮の唇に笑みが浮かぶ。それはこれから数奇な運命を辿るであろうアレクへの冷笑にも、新たな強敵に出会えた事への興奮にも見えた。
「ふふ、もう消化試合だと思っていたこの戦も、まだまだ楽しくなりそうだ」
そして剴馮はお茶の代わりにお酒をメイヤについでもらおうと振り向き…
「休憩は終わりですね殿下。では連合王国の協力者向けの指令書にサインを」
大量の書類を運び込むメイヤと文官達の姿を見て、現実逃避の為に空のカップに口をつけた。
アレクの国外追放フラグ①
『超大国の謀略』→達成