せめて土日くらいはのんびりさせて欲しい…
ーーー征服歴1500年11月 連合王国陸軍参謀本部ーーー
カイトが彼の副官と共に立ち去り、野次馬達も解散した廊下には、アレクと彼を支えるエリカ、そして騒動の発端であるレナだけが残っている。
「エリカ…もう大丈夫だ」
「ええ」
アレクの身体を支えていたエリカが手を放す。
アレクはまだ若干ふらつく身体を無理矢理動かし、何とか壁に背中を預けて身体を支える。
「っ…ふぅ、病み上がりには厳しかったな」
「…あんな奴らに殴られて歩けなくなるとか情けなくないかしら?」
「いや、流石にジャッカード少佐の拳はかなりきつかったぞ?」
エリカの言葉にアレクは肩を竦める。
そうして他愛もない会話をして、騒動で殺気立っていた気配を沈めたエリカは、ひたすら無言でうつむいているレナに目を向ける。
「さてと…色々言いたいこと…特に絶対に貴女に目線を合わせないようにしないアレクの事とか色々言いたい事があるけど、まず1つ確認させて」
「は、はい!」
泣き腫らした目をおずおずとエリカへ向けて、レナが返事をする。
「貴女、
「はい…え、あれまだ名前は言って…」
「……やっぱり。なんでアレクがあんなに無抵抗なのかと思ったら」
困惑するレナの反応を見て、エリカは納得したように頷く。
そして咎めるような目をしてアレクを振り返る。
「ねえアレク、この子…」
だが、エリカの視線を受けたアレクは顔を背け、それどころかエリカとレナに背を向ける。
「あっ、ちょっと!」
「エリカ…済まないが、レナを頼む」
そしてエリカの返事も聞かず、よろめきながらもしっかりとした足取りで歩き去って行った。
「……もう」
「…兄さま」
そのアレクの背中をエリカは不機嫌そうに睨み、レナは悲しそうに見送る。
どこか逃げるようにその場を去ったアレクを見送ったエリカは、ため息を一つつくとレナへと向き直る。
「まあいいわ。あいつには後でキツく言っておくとして…今は貴方よ、レナ」
「私…ですか?」
「ええ、貴女よレナ」
輝く銀色の髪と黄金の瞳の美女が、凛とした表情でレナの顔を覗き込む。
「え、えぇっと…リガール中尉殿…?」
「エリカでいいわ。私もレナって呼ぶし」
「は、はい…エリカ…様」
「よろしい」
エリカは満足気に微笑む。
その笑顔に、同性にも関わらず思わず頬を染めたレナは、僅かにたじろぐ。
だがエリカはそんなレナの様子に頓着すること無く、懐から小さな箱を取り出した。
「えっと…これは?」
「開けてみなさい」
困惑するレナに、エリカは平坦な口調で箱を開けるよう促す。
箱を受け取ったレナは、エリカの様子に戸惑いながらも、エリカの言葉に従い箱を開ける。
そして開けた小箱の中身を見たレナは目を見開く。
その小箱には、かつてレナ自身が作り、淡い想いを抱いていた相手へと送った筈の木彫りのペンダントが、大事そうに納められていた。
「なんで…」
震える声で、元々白かった肌を蒼白にしたレナがエリカを凝視する。
エリカはその怜悧な美貌に何の表情も浮かべず、レナの視線を受け止める。
「なんで貴女が…なんで兄さまのペンダントを!?」
驚愕と困惑と、そして僅かな怒りを込めてレナはエリカを詰問する。その声も表情も、つい先程まで気弱そうにうつむいていた彼女から想像もできないほど、激しいものだった。
「あは、なぁんだ。そんな顔も出来るのね、レナ」
「質問に答えて下さい、エリカ様!」
激昂するレナの姿を見ながら、楽しそうな表情を浮かべたエリカは、レナの手から小箱と、その中に入っているペンダントを奪い取る。
「あっ…返して下さい!」
「そもそもコレは貴女の物じゃないでしょ? じゃあ私が持っててもいいんじゃないかしら?」
「それは…っ、そのペンダントはアレク兄さまの大切な物です!! だから…アレク兄さまに、返さないと……」
少しずつレナの声が小さくなってゆく。それはまるで、自分にそれをする権利などないと自覚し、怯えているかのように。
そして再び、レナは暗い表情で俯く。
そんなレナの様子に、エリカはばつの悪そうな表情を浮かべ、レナの手にペンダントの入った小箱を渡し謝罪する。
「…ごめんなさい、悪いことをしたわ。ちょっとだけ、貴女が妬ましかったの」
「妬ましい…? エリカ様が、私を?」
「ええ」
そう言って、エリカは大切そうに小箱を胸元に抱えたレナを眩しそうに見つめる。
「本当はね、今日アレクが参謀本部に顔を出すと聞いて、このペンダントを返すために持ってきたの」
「返す…?」
首を傾げるレナに、エリカは困ったような表情をしながら補足する。
「そのペンダントは、あいつが戦場で、一人だけ残って戦った時に私に預けたものなの」
「え、一人で…ですか?」
「そう、一人で。わざわざ私を気絶させて馬に縛って送り出してね。一人だったら間違いなく死ぬって分かってたあいつは、私にこのペンダントと、貴女への
エリカは厳かな声音で、アレクが自身に託した伝言を、伝えるべき相手へと伝える。
「『アレクサンダー・ウォーカーは君を恨んでいない。俺は俺として、納得して戦い、誇り高く生き抜いた。だからどうか、君も君の人生を、幸せに生きてくれ』、これがアレクの、貴女への伝言よ」
そう言ってエリカは、優しい手つきでペンダントの入った箱を撫でる。
アレクの
「ぐす…ごめんなさい…ごめんなさい、アレク兄さま…わたし、兄さまにあんな酷いことをしたのに…なのに…ごめんなさい…ごめんなさい」
箱を強く握り、涙を流しながらひたすらアレクへの謝罪を口にするレナを、エリカは厳かな表情で見守り続ける。
そしてレナが落ち着きを取り戻したタイミングで、エリカは優しく諭すように、レナへと言葉をかける。
「レナ、そのペンダントは貴女が持っていなさい」
「そんな…でも、これはアレク兄様の」
「だからよ。あいつは一度、それを手放した。貴女へ返すためにね。わたしはアイツの頼みをきいて、そのペンダントを貴女へ返した。だからそのペンダントは今は貴女のもの。例えアレクにもう一度それを返すにしろ、それをするのは貴女でなければならないわ」
エリカの言葉に、レナは怯えはように半歩だけ下る。
その反応に、薄々だが事情を察していたエリカは、自身の予想が正しかったと確信する。
「……今のアレクが怖いのね、レナ?」
「…はい」
エリカの言葉を、レナは辛そうに肯定する。
そしてレナは俯き、大切そうにペンダントの入った小箱を胸に抱きしめながら、ポツポツと話し始めた。
「四年前…大戦が始まってすぐに、ウォーカー男爵領が滅んだと父から伝えられた時、私は実感がわかなかったんです」
「現実味が無かった?」
「はい…だって、アレク兄様とは兄様が学園の夏休みでスペイサイド州に戻る前に、ボウモア家の屋敷でお会いしていましたから。それから一月も経たずに兄様が亡くなられるなんて…ましてやイースレイ兄様もロッフェル大叔父様も…ウォーカー男爵家の優しい人達が皆死んでしまったなんて、想像すら出来なくて…」
レナは後悔するように、かつての自分の心境を語る。
「でも…お父様が必死に集めた情報でも、やっぱりウォーカー男爵家の人達は皆死んでいて、ごく僅かですが遺品も届いたんです…それで漸く、もうあの優しい人達に、何よりアレク兄様に会えないと分かって…私は泣きました」
「…辛かったのね」
「…戦争で家族を無くした人は身近にも沢山いました。だからいつまでも悲しんでいるわけにもいきませんでした。それに、せめてウォーカー家の人達に関わるものを少しでも守りたいと、私もお父様も考えていたんです。だから家財を売って、王都のウォーカー家の屋敷とそこに仕えていた人達を支援したり、ウォーカー男爵領の生き残りを探しました」
「……借金をしてでも?」
「…そうですね。戦争で物価が上がって生活も苦しくなったのに、無理をしてしまって、結果的に高利貸しにお金を借りることになりました」
エリカの言葉に、レナが苦しげに笑う。
「戦争勃発から2年して、借金が危険な水準まで膨れ上がってしまった時期でした。アレク兄様が生きていると知ったのは」
「アベラワー防衛戦ね」
「軍の方が我が家に来た時は驚きました。兄様にとってはボウモア家は生き残っている唯一の親類でしたから、身元の確認の為にお父様が参謀本部まで呼ばれたんですよ?」
その時の父親の様子を思い出したのか、辛そうにしていたレナの頬が少しだけ綻ぶ。
「帰ってきたお父様は泣いていました。泣きながら嬉しそうに私を抱きしめ教えてくれたんです、アレク兄様が生きていた、と。それをして聞いて私も泣いてしまって…父娘二人で抱き合いながら泣き笑いしていましたね」
レナは懐かしい過去を慈しむように、当時の様子を苦笑しながら語る。
「叙勲の為に兄様が王都へ返ってくると知って、とても嬉しかったんです。2年ぶりに、もう会えないと思っていた兄様に会えるって…でも、兄様がボウモア家の屋敷にいらっしゃった時、私は“学園”の授業があったので、兄様をお出迎え出来なかったんです」
ほころんでいたレナの表情が次第に暗くなってゆく。
「学園の授業が終わって、もうすぐ兄様に会えるって…馬車の御者さんを急かして急いで家に帰ったんです…なのに…」
「アイツはいなかったの?」
「いいえ…兄様はお父様と応接室にいました。私ははしたないと思いましたけど、早く兄様にお会いしたくて応接室まで走ったんです」
「…意外ね」
「はい…子供の時ウォーカー男爵領で過ごした時以来の全力疾走でした」
エリカの相槌にレナは少し恥ずかしそうに頬を染める。
だが、すぐに表情を再び暗くして話を続けた。
「部屋のドアを開けた時、兄様は入口を背にしてソファに座っていました…でも…」
レナが苦しそうに言葉を区切り、縋るように大切に胸に掻き抱いた小箱を抱きしめる。
「わたし…初めは兄様が部屋にいると分からなかったんです…」
「……昔のアイツと、その時の姿が重ならなかったのね?」
「…はい」
か細く、レナがエリカの言葉を肯定する。
「部屋でお父様とお話している人が誰か分からなくて…だって、声が…優しくて温かだった兄様の声が…聞こえなくて……」
「
「そう…だったんですね。わたし、そんな事も知らなくて…だからあの時言ってしまったんです…『
レナの懺悔するような言葉に、エリカは形の良い眉を寄せる。
「酷いですよね…でも、それだけならまだ良かったんです…」
「…あぁ、貴女は見たのね」
「エリカ様も…ご覧になったんですね。はい、あの日兄様は今日みたいに、顔を包帯で隠していませんでした。だから…わたしはあの日、わたしの声を聞いて振り向いた兄様のお顔を…見てしまったんです」
震える声で、己の過去を懺悔し続けるレナは、恐怖に震える自身の手を隠すように小箱を強く握る。
「兄様はいつの間にか、ソファから立ち上がってわたしの前まで近づいて来ていました…昔みたいにわたしの頭を撫でるために…昔と違う、
過去に垣間見たアレクの素顔と、彼の纏った濃密な死の気配を思い起こしたレナの透き通るような白い肌からは更に血の気の失せる。
「だから…わたしは…わたしは…っ」
「…辛かったら、言わなくていいのよ?」
「…いいえ、聞いて…下さい。アレク兄様と親しくされているエリカ様に…知っていてほしいんです。わたしの…
レナは怯えと、それを覆い隠す程の覚悟を瞳に込めて、エリカの顔を見つめる。
「わたしは…わたしの頭を撫でようとした兄様の手を払いました。そして…言ってしまったんです…
「……そう」
エリカは、感情を殺した瞳でレナに続きを促す。
「そしてわたしは逃げ出しました…その部屋から、そして…
レナは苦しそうに息を吐く。その顔には、自身の
そしてレナは、手に持った小箱を改めてエリカへ差し出す。
「だからわたしは、この小箱を持っていることも、ましてやアレク兄様に改めて返すことも出来ません。そんな資格は、わたしにはもう、無いんです」
「そう…でも、それなら尚更、貴女はそのペンダントを自分で返すべきよ」
「え…?」
翠色の瞳に困惑を浮かべ小箱を差し出すレナの手に、エリカは自身の手を優しく重ねる。
「レナ、貴女が恐れているのはアレクの
その指摘に固まるレナに対して、エリカは言葉を続ける。
「“優しいアレク兄様”はもういない。それを自覚してしまうのが怖いから、そして今のアレクが過去のアレクを消してしまうように思えるから、貴女は今のアイツを拒絶している」
「そう…なのでしょうか?」
困惑気味に、だが心当たりもあら様子でレナは形の良い眉を寄せて悩む。
「戦場で人を殺して、体と心に傷を負った兵が、帰還した故郷で家族や友人に怯えられる事は、結構あるのよ。
「そう…ですか」
「結構な数の戦場帰りの元兵士が、戦場で心を病むの。そして、それを助けられるのも、より深く傷つけてしまうのも家族や親しい人間なの」
「家族…」
「ええ、そうよ。帰還兵達にとって、故郷や家族は生きて帰るための大きな支えだもの。彼らの多くは大義なんかじゃなく、自分の家族や故郷を守って、生きて帰るために戦うの。例えどんなに傷つこうと、ただ家族のところに帰るために」
エリカは優しく、そして力強くレナの手を握る。
「レナ、私は今のアレクしか知らないわ。誰よりも強くて、無愛想で、生真面目で、意地っ張りな捻くれ者なアイツしか知らないの。でもね…アイツがなんでどれ程傷ついても、どれ程惨めで辛い思いをしても戦い抜いたのか、その理由は知っているわ」
「……」
「貴女よレナ。貴女がいたから、アイツは四年間戦い抜いたの。例え貴女に拒絶されても、貴女を護るためにアイツは最後まで戦い抜いた」
エリカは黄金の瞳に慈しみと、ごく僅かな嫉妬を込めてレナの顔を真っ直ぐに見つめる。
「レナ、怖がらないでとは言わないわ。でもね、貴女の思い出の中にある“優しいアレク兄様”は、ちゃんと生きてるわ。例え戦場がアイツにどんな理不尽を強いたとしても、アイツの本質は…アイツの根底にある優しさは失われていないもの」
「……はい」
「今すぐにじゃなくていいわ。ちゃんと、アイツと向き合える覚悟が決まったら、ちゃんとそのペンダントを返してあげなさい。大丈夫、もしもアレクが逃げようとしたら、縄で簀巻きにしてでも貴女の前に連れてくるわ!」
エリカは豊かな胸を張り、レナを勇気づけるように太鼓判を押す。
「フフ…はい、わかりました。その時は…その…ご相談させて頂いても良いですか?」
「任せなさい!」
上目遣いで尋ねるレナに、エリカは輝くような笑顔で応えた。