ーーー征服歴1500年11月 連合王国陸軍参謀本部 某所ーーー
「……参ったわね」
「ああ…正直、ここまで追い詰められたのは人生初だ…」
「そうね…ってステュクス川よりも!?」
「…あれは力技で何とかできたからな」
怒号と悲鳴の鳴り響く修羅場で、アレクとエリカはかつて無いほど追い詰められていた。
額に冷や汗を浮かべながら(アレクの顔は包帯で隠れているが雰囲気で分かる)、眼の前に積み上がった
「…どうしてこうなったのかしら」
「…分からんが、これは流石に俺のせいではない…よな?」
「難しいところね…」
「悩まれるのは地味に傷つくからやめてくれ…」
会議室を急遽改装したのであろう広々とした部屋に並べられた机、その上に山と積まれた書類とその机に座り死んだ目で書類を処理していく士官達と彼らを補佐して血走った目で走り回る従卒や下士官達。皆頬は痩け、幽鬼の様な顔でほとんど人間性を失いながら、終わらない仕事をこなそうと藻掻き苦しんでいる。
おそらくあと数時間もすれば自分達もこの仲間入りをするのだと半ば諦念しながら、アレクとエリカは顔を見合わせる。
「嘆こうが文句を垂れようが仕事は消えない…とっとと始めるぞ」
「それしか無いわね…明日の朝までに終われるかしら…?」
そして二人はペンを握りしめ、かつて無い絶望的な戦場へと足を踏み入れた。
何故二人が突然修羅場に巻き込まれたのか、その理由を詳らかにする為、時は僅かに遡る。
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【三十分前】
予定された時間より早く、指定された部屋へと辿り着いたアレクとエリカは、扉の前で立ち尽くしていた。
扉の横には、臨時で設置されたのだろう『受勲式準備評議会』と書かれた木札が掲げられている。
この扉、というよりもこの扉の先にいるであろうカレウス・グランツ准将に呼び出された二人は、当然この部屋に入らないといけないのだが、どちらも扉をノックする事も、ましてや扉を開けることも躊躇していた。
「ねぇ、早くノックしなさいよ」
「…俺の勘が、この扉向こうが危険だと告げているんだが?」
「奇遇ね、私も凄く嫌な予感がするわ…でももうここまで来ちゃったのよ?」
「…俺はもう少し煙草を」
「身体に悪いからやめなさい…逃さないわよ」
エリカは踵を返そうとするアレクの肩を掴み、グイグイと扉の前へと押し出す。
要塞城の名に相応しい無骨で分厚い扉からは、怒号やうめき声、時には啜り泣き等が漏れ聞こえてくる。アレクもエリカも、扉からどんよりとした陰鬱なオーラが漏れ出て来るのを幻視した。
「いや明らかにおかしくないか? 何で安全な後方なのにあんな地獄みたいな空気が漏れている!?」
「知らないわよ! と、兎に角用事をさっさと済ませて逃げるわよ!」
「いっそこのまま逃げた方が…」
「あの性格の捻くれたグランツ准将がその事を知ったらどうなると思う? むこう1年はこのネタで嫌味言われるわよ?」
「お前もそういう認識なのか…」
一応恩人ではあるが、同時に自身に無理難題を平然と飲ませた相手であり、影で“腹黒”と呼んでいた相手が、他の人間にも同じように認識されていた事に奇妙な感慨を受けつつ、アレクは必死に抵抗する。
「待てエリカ、こう言っては何だがそもそも今日の俺はツキが無さすぎる。こういう日は無理せず危険からは逃げた方が良いんじゃないかと思うのだが?」
「安心なさい。私は人よりも運がいいから、貴方のちょっとした不運くらいなんてこと無いわ!」
「…頼もしいが、その自信を今発揮してほしく無かったな」
エリカの男前な発言に観念し、抵抗を諦めたアレクは、慎重にかついつでも逃げられるように重心を低くしながら、扉をノックした。
「………反応が無いな。よし、帰「もっと強く叩きなさい」」
「…了解」
肩を掴むエリカの手がミシミシと音をたてて軍服に食い込む。その程度の痛みなら顔色一つ変えないアレクだが、エリカの威圧には逆らえず再び扉をノックする。
それなりに強く叩かれた音が漸く届いたのか、扉の中の喧騒が止む。
「……」
「………誰も返事しないわね」
「よし、今のうちに逃げ「やめなさい」」
いかなる過酷な戦場にも任務とあらば平然と斬り込むアレクだが、同時に勘も鋭く、それによって何度も命を救われてきた。
そのアレクの勘が囁く。“逃げろ”と。
だが、彼の後ろにいるエリカは、勘の鋭さではアレクに劣らないが、如何せん修羅場を潜り抜けた数が違う。
扉の先に嫌な気配は感じるが、自分とアレクが揃っていればなんとかなると、若者特有の楽観論が野生の勘を鈍らせていた。
故に、この先彼らが直面する修羅場は、誰のせいでもなく、彼ら自身が選択し足を踏み入れた戦場なのだ。
“ガチャリ”と音がして鍵の開く音がする。アレクもエリカも気が付かなかったが、内側から鍵がかけてあったようだ。
そしてゆっくりと扉が開くと、眼の下に黒黒とした隈を蓄え、青白い顔に無精髭を生やした士官が顔を出した。
彼の軍服に縫い付けられた階級章は“中佐”のものであり、それ故に階級が下であるアレクとエリカは揃って敬礼し、自身の所属と姓名を明かす。
「スペイサイド方面軍臨時編成大隊大隊長アレクサンダー・ウォーカー大尉です、カレウス・グランツ准将より本日この部屋に来るように指令を受けました」
「スペイサイド方面軍第931大隊第3騎兵中隊中隊長エリカ・リガール中尉です。ウォーカー大尉と同じく、こちらへ来るよう指令を受けています」
お手本のように整った二人の敬礼に、顔色の悪い中佐は見た目通り疲れ果てたような力ない敬礼で返す。
「イース・カマル中佐です。ウォーカー大尉にリガール中尉…グランツ准将から話は聞いています。どうぞ、お入り下さい」
おそらく本人の気質なのだろう、丁寧な口調で二人を部屋の中へ招き入れた。
会議室の一つを急遽改装されたであろう部屋は、並べられた机以外は余計な調度品の無い部屋だった。
だが、その部屋に足を踏み入れたアレクとエリカは、部屋の中の異様な空気に顔を強張らせた(アレクの顔は包帯で隠れているが雰囲気で分かる)。
整然と並べられた机に積み上げられた膨大な書類の山と、生気のない顔で書類を処理していく士官や参謀本部付きの文官達。
「うああ嗚呼!! 家に、家に帰してくれぇ!!」
「お、おい落ち着け! 大丈夫だ、この書類が片付けば…」
「少尉、追加の資料が届きました」
「いやあぁぁぁ!!」
「もう嫌だ…もう数字を見るのは嫌だ…」
「タスケテ…タスケテ…」
彼らは時に奇声を上げ、時に啜り泣き、終わらない仕事に押しつぶされ精神を殺されてゆく。
「ねぇ…これ…」
「見るな…俺たちはグランツ准将に呼ばれて来た単なる部外者だ。この部屋には何の関係もない」
「そ、そうね」
二人は異様な空気を放つ
だが、女神の如く整った容姿のエリカはもとより、包帯で顔を覆っているアレクも、どんなに気配を抑えようと目立つものは目立つ。
「
「新しい
「
「最後おかしくない!?」
「おい馬鹿っ!」
亡者達の妄言に耐えられなくなったエリカが叫び、アレクがそれを止めようとするがもう遅かった。
「生贄だ」
「生贄だ!」
「「「「「生贄だ!!!!!」」」」」
机で書類を処理していた士官が、山盛りの資料を運んでいた従卒が、只管計算を行っていた文官が、死んだ目に昏い光を宿し、アレクとエリカを注視する。
「逃げるぞ」
「ええ!」
二人は弾かれたように出口へ向うが…
「「な!?」」
二人が出口へ到達する前に、二人にすら察知できない精度で入口近くに隠形していた従卒が扉を閉め、内向きの鍵をかける。
「っしま!」
「あ、ちょっと!」
不意を突かれ隙を晒した二人の手足に、最早人間性を捨てた士官や従卒、文官達が纏わり付く(辛うじてエリカを抑えるのは女性が担当する程度の理性は残っていた)。
そして身動のとれなくなった二人を振り返ったカマル中佐は、陰気な顔に憐憫を浮かべながら口を開く。
「申し訳ない、ウォーカー大尉、リガール中尉。グランツ准将は今はいらっしゃいません」
「それは…俺達が早く来すぎたから…ですか?」
「それもありますが、本日は急な会議が入りましたので」
「では日を改めてまたお伺いいたしま「准将閣下から伝言があります」」
「…せめて最後まで言わせてくれ」
アレクの力ない抗議を無視して、カマル中佐はカレウスの伝言を二人に告げる。
「『この評議会で行われている今大戦の戦功評価は、今後ウォーカー大尉が
「「……」」
カマル中佐が淡々と語った伝言に、アレクは瞳を鋭く細め、エリカは目を見開く。
「脅しにしても穏やかじゃないんじゃないかしら?」
「…私は准将閣下からの伝言を伝えただけです」
「アレ…ウォーカー大尉と、この惨状と何が関係あるの?」
「さて、私は一介の中佐ですので」
部屋の空気に呑まれて困惑していた先程とはうって変わり、殺気すら滲ませた表情で、エリカはカマル中佐を問い詰めるが、陰気な顔の中佐は眉一つ動かさずエリカの詰問を受け流す。
だが、流石に説明不足過ぎると気付いたのか、カマル中佐は口を開く。
「この評議会で行われている戦功評価はあくまで式典で受験する功績の裏付けです。ですが、あまりにも実態とかけ離れている功績は当然取り消されます。
「…准将にとって
「グランツ准将は公正なお方です。戦功の評価自体は厳密に行うよう、我々に指示を下さりました」
木で鼻をくくったようなカマル中佐の言葉に、アレクは呆れたように溜息をつく。
「ちょ…ちょっと待ちなさい。それが何でアレクの今後に関わるのよ!」
「大方、下手な人間に任せると
「なっ…そんなこと」
「……ウォーカー大尉、ご安心下さい。まともに仕事せずに余計な工作に励んでいた不届き者は既に過労死寸前で病院送りになっています」
「安心できるけど不安になる事言ってないかしら!?」
カマル中佐の不穏な発言にエリカが叫ぶが、カマル中佐もアレクも、ついでに二人を拘束している
「さて、時間は有限です。式典まであと10日しかありませんので、早く仕事を再開しましょう」
「待って、まだここで働くなんて言ってないわ…って引っ張らないでくれないかしら!?」
「諦めろ…あの腹黒の事だ。おそらくまだ脅迫の手札を残している」
「それはそうだけど…その台詞は未練たらしく地面にしがみついて言う物じゃ無いわよ?」
流石に多勢に無勢、尚且つ一応味方なので実力行使するわけにもいかず、アレクとエリカは山積みの書類で埋もれた机へと引き摺られて行った。
かくして物語は冒頭へと戻る。
次回、主人公無双(?)回…予定