ーーー征服歴1500年11月 連合王国陸軍参謀本部第13会議室ーーー
【アレクとエリカが書類の処理を開始してから一時間後】
広く装飾の少ない部屋の中は、人間性を消失した亡者達の怨嗟のうめき声と嘆き、そしてこの地獄を生み出した元凶への恨み言に支配されていた。
「私、この書類の山を片付けたらカレウス伯父様を一発ぶん殴るわ…」
「どうやらまだ人の言葉を話す余裕があるようですね。どうぞ、追加の書類です」
「イヤァァァ!!」
不用意な言動のせいでカマル中佐に書類の山を追加され、およそ淑女が上げてはいけない叫び声を上げながら、エリカは机に突っ伏す。
その醜態を横目でチラリと確認したアレクは、溜息をつくとエリカの机に積み上げられた書類の山(殆ど減っていない)の半分を自分の机に移す。
「ア…アレク?」
「ハァ…これぐらいならお前でも処理できるだろう?」
「いやでも貴方の分…あれ?」
自分の仕事に忙殺され周りが見えていなかったエリカが、仕事を始めて一時間経って漸く隣のアレクの机を確認すると、その机にはエリカの机から移した書類以外、殆ど書類が残っていなかった。
「な…何で貴方の机に書類が無いのよ!?」
「終わらせたからに決まってるだろ」
「まだ始めてから一時間しか経ってないわよ!?」
「…前線で夜襲と暗殺を警戒しながら書類仕事するのに比べれば遥かに楽だな」
「えぇ…」
どんよりした昏い眼で語るアレクに若干引きながら、そういえばアレクが元々文官志望だった事をエリカは思い出す。
エリカ同様、アレクの言動にドン引きしていたカマル中佐が、目を瞬かせながらアレクの処理し終わった書類を確認する。
「…問題無さそうですね。一応確認ですが、第2師団第296大隊第一中隊の戦功報告が不備になっているのは?」
「実際の補給状況と、損害で減ったはずの部隊の人員の数が矛盾しています。実際の戦力より過小な戦力で戦功を挙げたと報告したのでしょう」
「ではこちらの第1師団第109大隊の報告の差し戻しは?」
「大隊長の戦果として報告された戦功の大半は部下の小隊長のものです。件の小隊長が戦死後、戦果報告が殆ど無くなった事からも確実でしょう。戦死した小隊長への死後の受勲については申請書を添付しておきました」
「……第一師団の大隊長は王党派の貴族ですが?」
「
「…
ドサリという重々しい音とともに、アレクの机に大量の書類の山が追加される。
「………カマル中佐?」
「申し訳ありませんが、期限が迫っています。仕事のできる人間には能力に見合った仕事量を、というのが准将閣下の方針です」
「………なあエリカ、あの腹黒の顔は俺に殴らせてくれ」
「やめときなさい…貴方が殴ったら下手すると死ぬわよ?」
「二人共まだ余裕がありそうですね」
「「ちょっ!?」」
不穏な言動の二人に、カマル中佐がおまけとばかりに書類の山を押し付け、二人の顔が青褪める。
「あ、アレク…あの〜これも…」
「エリカ…いい機会だ。この調子で書類仕事に慣れておけ」
「見捨てないで!?」
「おや、まだ話す余裕が…」
「「直ぐに終わらせます!」」
どんよりとしたオーラを纏うカマル中佐の威圧感に、流石の二人も身の危険を感じ取り、慌てて仕事を再開する。
再び前線から届けられた4年分の書類、戦果報告から部隊の日誌、会計記録に至るまで、戦功評価に必要な書類を確認し、そこに矛盾点が無いか確認する果てしない作業に戻ったエリカは、横目で隣で同じ仕事を行っている筈のアレクを盗み見る。
「……えぇ」
エリカは自分の見た光景に、なんとも言えない感嘆を漏らす。
姿勢良く机に座るアレクは、左手で資料となる書類を確認しながら、右手に持ったペンで記された情報に矛盾点や不備が無いかを規定の書類に書き込んでゆく。
それ自体はエリカとも、そしてこの会議室で人間性を失いかけながら作業を行っている他の士官や文官、従卒達とも変わらない。
だが、速度が明らかに違う。
アレクは一瞥しただけで書類を持ち替え、本当にきちんと読んでいるのかという速度で書類を捌いてゆく。そして右手のペンは残像ができる程の速度で動き、時に赤いインクで不備のある書類に修正を加えてゆく。
みるみるうちに、アレクの机に積み上げられた書類の山が切り崩され、処理済みのサインの書かれた書類の束が処理済みの書類用の箱に放り込まれてゆく。
「リガール中尉、手が止まっていますよ?」
「は、はい!」
全体の進捗をチェックしているカマル中佐がエリカを注意する。
「…しかし嬉しい誤算ですね。正直猫の手程度でも助かると思っていたのですが」
「…自分に
カマル中佐の呟きに、アレクは手を止めないまま応える。
「……グランツ閣下は人望が無いので、能力は兎も角信頼できる人員が少ないのですよ」
「リガール中尉はともかく自分は信頼出来るのですか?」
「詳細は知りませんが、今の貴方は閣下には逆らえない…とのことですよ」
「…なるほど」
アレクは一瞬だけ訝しげな目をカマル中佐に向けたが、今追求するべき事では無いと判断して書類の処理に戻る。
「もうすぐ閣下が戻られるはずです。申し訳ありませんが、お二人が何故呼ばれたのか、詳細はその際に」
「了解しました。殴るのは話を聞いてからにします」
「…出来れば殴るのは、この処理済みの書類全てに閣下が判子を押してからにしてください」
「わかりました」
「待って!? それでいいの中佐!?」
「リガール中尉…これはおまけです」
「もうイヤァァァ!!」
聞き耳を立てていたエリカがカマル中佐の言動に思わず声を上げ、藪蛇で書類の山を追加され、見かねたアレクが追加分を自分の机へ移す一幕があったが、この地獄の戦場では些細な事だった。
カウレス・グランツ准将がこの会議室へ現れるまで、あと2時間…