ーーー征服歴1500年11月 連合王国陸軍参謀本部ーーー
「いいかいエリカ、君は確かに今は軍人だけど、同時に栄えあるリガール辺境伯家の令嬢でもあるんだ。当然名家の令嬢として周りに範を示さないといけない。判るね?」
「はい、兄様」
「確かにカレウス先生がやったことは色々問題がある。用件も言わずに呼び出して、無理矢理とんでもない量の仕事を手伝わせるなんて、僕だって殴りたくなる。だけど暴力は良くない」
「はい、兄様」
「連合王国の貴族たるもの、まず暴力に頼る前に考えるべきだ。お前は僕ほどじゃないけど頭もいいし機転も効く。こういう時どうすればいいか分かるだろう?」
「はい…まずは言葉で抗議し、きちんと相手の言い分も理解するべきでした」
「そうだよ。まず相手の事情も理解し、きちんとこちらの強みと相手の弱味を理解するんだ」
「はい、兄様」
「その上できちんと相手を追い詰めて、自分の手を汚すことなく相手を破滅させるのが、最も優雅な報復だよ?」
「…流石はカレウス伯父様の一番弟子です、兄様」
「エリカ、正座一時間追加」
「横暴だ!」
会議室の隅で、エリカは兄であるダニエルから有り難い説教を受けている。正座で。
「なあ、俺准将だよな?あと伯爵だよな?割と偉い人だよな?」
「ええ、世間一般でいえば雲の上と言っても過言ではない身分かと」
「じゃあ何で俺は正座で書類に判子を押してるんだろうなぁ!?」
「部下達の総意と、閣下より偉いお方からのご指示です」
会議室の奥、決済待ちの書類の山で埋もれたカレウスの執務机の横で正座させられたカレウスは、カマル中佐の監督の下、予想以上に溜まった書類にひたすら判子を押し続けている。
「ほ、本当に宜しいのですか殿下!」
「ああ、構わないよ。明日一日休養をとって、それから仕事をしなさい。僕の名義で保養施設を使えるようにしておいたから、そこを使うといい」
「し、しかし料金は」
「ああ、それも僕のお金で…」
「殿下、こちらがグランツ准将名義の領収書になります。こちらをお使い下さい」
「有難う大尉、ということで支払いはグランツ准将名義で頼むよ?」
「「はい!!」」
部屋の中央では、疲労困憊の評議会の面々を見かねたアリウスが、自身の権限を使って彼らに一日の休暇を許可し、ついでに本来なら上級将校や高級官僚向けの保養施設の利用を自分名義で許可した。支払いについても、顔を包帯で覆った士官が、カレウス用の領収者を(勝手に)拝借してきた為、実質カレウスの奢りで無料となった(間違いなく規定の金額を超えるため)。
「なんか不吉な予感がするんだが…」
「手が止まっていますよ閣下?」
「いいなぁ私も保養施設で休みたい…」
「反省が足りないようだねエリカ?」
アリウスの男気に万歳三唱する声を聞いた正座組が、それぞれの監視役に睨まれ正座を継続させられる。
「さて皆、今日はもう帰って休むんだ。明日一日英気を養ってから、また頑張って仕事をするんだよ?」
「「「はい、アリウス殿下!!」」」
そうこうしている内に、正座させられている二人以外の評議会の面々をアリウスが解散させる。
「有難うございますウォーカー大尉、貴方のお陰で一週間ぶりに娘が起きてる時間に家に帰れます」
「ああ、久々に外で酒が飲める!! 感謝するぜウォーカー大尉!」
「溜まってた書類に加えて明日の分までまとめて終れるなんて…夢じゃないかしら?」
「大尉もちゃんと休んで下さいね?」
解散し会議室から出てゆく面々は口々に功労者であるアレクに感謝しながら、晴れ晴れとした顔で去ってゆく。
翌日の保養施設利用に関する書類を片手間で作成したアレクもまた、今は正座させられている
「た、助けてアレク!! あんただってカレウス伯父様殴りたいって言ってたじゃない!! 私だけ怒られるのは理不尽でしょ!?」
「いやまぁ…確かに言ったがまさかいきなり殴るとは…」
アレクが流石に困惑しながら、そもそもエリカが正座させられた経緯を思い出す。
会議室に戻ったカレウスに、問答無用で拳を叩き込んだエリカは、会議室にいた面々の拍手喝采に笑顔で応えた直後、何故かカレウスと一緒に会議室に入ってきた彼女の兄であるダニエルに捕獲され、既に一時間以上も正座でお説教される事となった。
エリカに殴られ悶絶したカレウスは、初めこそアリウスやダニエルに同情されたが、彼の部下であるカマル中佐と、山のように溜まっていた仕事を率先して片付け、気がつけば会議室の面々のリーダーのような立場になっていたアレクの証言から、評議会のブラック過ぎる業務形態(一月程誰もまともに家に帰れていない)が発覚してしまった。
時代的に人権意識など概念すらないのが普遍的なこの世界ではあるが、建国以来肥大する行政組織に対して文官が慢性的に不足している連合王国では、文官を使い潰してただでさせ少ない人手が更に減ることを防ぐために、強制的な業務時間外労働の禁止や有給休暇取得促進などの対策をかなり早期から行っていた(それでも過労死や自殺などが絶えない程、連合王国の官僚達の業務は過酷である)。
本来なら軍人にもこの規定は適用されるのだが、
基本的に過度の残業禁止や有給取得義務が適用されるのは
カレウスがアリウス達の助力を受け入れた時は、どうせ証拠も無いし評議会で働いている人間の大半は既に人の言葉を失いかけているから問題無かろうとたかを括っていた。だが、よりにもよってまだ気力と体力が充実しており、ついでに文官志望で様々な法例にも明るいアレクが今日から働き始めていた事が運の尽きだった。
隣の机で死んだ目で書類を処理するエリカや、同じように死んだ目で終わらない書類仕事と戦う臨時の同僚達の姿に瞑目したアレクは、膨大な書類を率先して処理しながら、この地獄を生み出した元凶に報復する準備を密かに整えた。
己に課された書類を周囲が引くほどのスピードで終わらせ、エリカを含む他の面々の終わっていない書類を回収し代わりに処理しながら、カマル中佐を含む評議会の面々の業務状況を聞き出し、己の知識と合わせてカレウスの告発準備と、評議会の面々の有給取得等の書類も整えた。
そして本日分(という名の1週間分の滞った書類の山)を片付け、ついでにカレウスの告発書と参謀本部人事部への休暇申請書を作成したアレクが、英雄として胴上げされている所に
アリウスの決定に評議会の面々は万歳三唱で応えた。おそらくその瞬間ならアリウスの支持率は100%だっただろう。
「まったく…ウォーカー大尉はちゃんと合法的にカレウス先生を破滅させる行動をしたというのに、我が妹ともあろう者が」
「ゔっ…だ、だってあんな面倒な書類仕事初めてやったのよ!?」
「…まあ、慣れてない割に良くやってた方じゃないか?」
「でしょ!?」
アレクのフォローにエリカは目を輝かせる。
「おいエリカ嬢、お前の書類間違いだらけじゃねーか!!」
「エリカ?」
「エ…リガール中尉…お前」
「ひぅ…スミマセン!!」
カレウスからの怨嗟のこもった叱責に、エリカは涙目で体を縮こませる。
「准将閣下、これでよろしいですか?」
「ご苦労。念の為こっちもチェックしとけ」
「……
「なんか言ったか?」
「いいえ」
ミスだらけのエリカの書類を即座に修正したアレクに、エリカの処理した分の書類の再チェックを命じたカレウスが、あからさまに不服そうなアレクを睨むが、アレクはさっさと机についてエリカの書類に修正を加えてゆく。
その様子を、アリウスとダニエルは不思議な目線で眺める。その目線は驚きと、いくらかの懐旧、そして悔恨が混じっていた。
そしてものの数分で書類を片付けたらアレクに、アリウスが問いかける。
「ウォーカー大尉、一つ質問があるんだがいいかな?」
「はい、私に答えられる事で良ければ」
アリウスの様子に少し警戒しながら、アレクは頷く。
「不快だったら答えなくてもいいけど…ウォーカー大尉、君はレイの…イースレイ・ウォーカーの
アリウスの言葉に、アレクは僅かに驚く。
その名前を、特に親しい人間だけが呼ぶ
「はい。イースレイ・ウォーカー男爵は自分の兄です」
その言葉に、アリウスとダニエルはホッとしたような、そして寂しそうな表情をして沈黙する。
その様子にアレクは、そしてエリカもどうして良いか分からず沈黙してしまった。
沈黙を破ったのは、アリエスではなくダニエルだった。
次回が長くなりそうなので一旦ここで切ります。
そろそろ登場人物が増えてきたので次回辺りに新登場のキャラのプロフィールを載せる予定です。