ーーー征服歴1500年11月 連合王国陸軍参謀本部第13会議室ーーー
アレクとエリカを帰らせたカレウスは、処理済みの書類に確認の判子を押しながら、不機嫌そうに舌打ちする。
「グランツ准将、舌打ちしても書類は減りませんよ?」
「それは分かってるが、そっちじゃない」
「…ウォーカー大尉の事ですか?」
「ああそうだ、忌々しい」
「なるほど、飼い犬に手を噛まれたのが腹立たしいと」
「それどころか危うく食い千切られそうだったからな」
書類の決済が一段落したカレウスは懐からシガレットケースを取り出し、中の葉巻を一本選んで口に咥える。
カマル中佐は自然な仕草でその葉巻に火を付ける。
葉巻の芳醇な香りを楽しみ一息ついたカレウスがぼやく。
「見誤った俺のミスではあるが…下手な高級官僚より書類上での戦いに心得があるとか読めるかよ」
「記録は確認しましたが、少なくともウォーカー大尉が士官に就任するまでは、ほぼ物理的な腕っぷしだけで生き抜いていましたからね…」
「刃を潰したサーベルで人間の頸を刎ねるくらいにイカれた強さだったからな。得意分野が書類仕事とか巫山戯てるだろ」
「文官として見れば是非部下に欲しい人材ですね」
内務省儀典局から出向中のイース・カマル二等文官(中佐相当官)は、半日だけ共に働いたアレクの能力を正しく評価していた。
「平気で上司のサイン捏造して好き勝手する奴だぞ?」
「それは准将達が嫌われていただけなのでは?」
カレウスの嫌味はカマル中佐の正論で跳ね返される。
「それに、いくら何でも任せた仕事に対して報酬が少なすぎませんか?」
「命を救って、ついでに家族の苦境も助けてやったんだ。命くらいかけても問題ないだろ?」
「いえ、過去の事ではなく今回の仕事の件です」
「あー…そっちか」
カマル中佐の訂正にカレウスは唸る。
カレウスとアレクの間で行われた交渉の結果、王都中央大学への推薦状を報酬とする代わりにアレクにはいくつかの仕事を任された。
まず前提として、受勲式典までこの準備評議会の仕事を手伝うこと。
一つは自身の戦功の内、ラバナキア会戦におけるアレクの戦功をエリカへ移し替えること。これは自身及び同じ大隊所属だったエリカの戦功を詳細に把握しているアレクであれば矛盾なく書類を整えられると判断された為だった。
そして最後の一つは、“王党派”の主流派閥であるカレウス達と敵対する勢力、即ち“革新派”とそれに与する“王党派”の非主流派とその後ろで糸を引いているであろう帝国の間諜を陥れる為の
「アレが目立つ動きをすればするほど間抜け共が釣れる。戦功と比較して後ろ盾は無いに等しいからな。それが王党派の実力者である俺や、リガール家のエリカと親しくしていれば、頭の足りない奴らならアレを消そうと動くはずだ」
「そして暗殺しようとして返り討ちに遭うと?」
「たとえ難癖で捕縛しようとしても法令知識で切り抜けられそうなんだよな…」
つい先程、アレクが危うく捕縛されかけた事は流石に二人も知らなかったが、例外的な状況でなければアレクなら何とか出来るだろうと、二人共アレクの地力を正確に認識していた。
「言っとくが、報酬についてはあれ以上のものは用意できないぞ?」
「…准将がケチなだけでは?」
「お前な…言っておくが金だろうと爵位だろうとそれなりのものは用意できたからな?」
「だったら空手形でも報酬として与えてあげれば良いでしょうに」
「俺は
葉巻の煙を燻らせながら断言するカレウスに、カマル中佐は訝しげな目を向ける。
流石に言葉が足りなかったと自覚したカレウスは、妻の縁戚であり数少ない味方であるカマル中佐に解説する。
「報酬ってのは相手が喜ぶもの、欲しいと思うものを渡さないと意味はない。いくら価値があろうと、本人が望まないものを押し付ければむしろ印象が悪くなる」
「それはそうですが…ウォーカー大尉は金も爵位も望んでいなかったと?」
「ないな。あれは屍人だ、とっくに死んでるくせに死にきれなくて彷徨い歩いてる馬鹿野郎なんだよ。そんな奴が今更金や名誉なんざ欲しがらねえよ。それに価値があると信じてもいない。それでも望むものがあるとすれば、そりゃ自分以外の誰かの…家族の為か、あとは失った過去を取り戻そうとするためだろうさ」
「だからこそ、本来なら入学する予定だったが大学への推薦状ですか」
「ま、そんな所だ。アレが欲しがる報酬で、俺が唯一用意できるのがそれだった訳だ」
カレウスは灰皿に葉巻の灰を落とし、忌々しそうに鼻を鳴らす。
「…アレは思いの外義理堅い。一応報酬さえ渡せば仕事はこなす。色々裏で画策していたとはいえ、スペイサイド州でウォーカー大尉は俺達が与えた仕事は十全に果たした」
「今回も問題はないと?」
「…駄目であればキッパリ断るだろうよ。アレはこの国への帰属意識なんざ持ってないが、まだ多少の
「リガール中尉ですか」
「正直驚いた。アレはもっと冷徹で、無気力だったはずだ。半信半疑だったが、奴は任務と関係なくエリカ嬢を助けた。少なくともエリカ嬢がこちら側である限り、自分から見限る可能性は低い」
「そうですか…」
納得したのか、カマル中佐は深く頷く。
「では私も明日はゆっくり休ませてもらいましょう」
「え…? いや管理職のお前は明日も俺と決済とかクレーム対応を…」
「明日の午前はウォーカー大尉に頼んでおきました」
「いつの間に!?」
「ウォーカー大尉も午後からは休みをとるそうですので、あとはお願いします」
「あれ…俺の休みは?」
「閣下は管理職ですよ?」
「お前もだよ!!」
不毛な言い争いの末、明日は午前で仕事を納めることを決めた二人は、残った書類を纏め帰り支度を始める。
「ああそうだ准将、よろしいですか?」
「なんだ、俺も明日は午後から休むぞ?」
「はぁ…チッ」
「すまん、ちょっと怖いから舌打ちしないでくれない?」
「失礼…休みの話ではなく、
「あぁ、真面目に仕事してくれてるから見逃してる連中か」
「彼らもこのまま?」
「勿論だ。むしろウォーカー大尉の
カレウスは機嫌良さそうに笑う。
「…承知しました」
カマル中佐は、評議会に送り込まれ、優秀な諜報部員であるが故に使い潰されてゆく間諜に同情しながら瞑目した。
せめて明日の休みはしっかり英気を養って、また働いて欲しいと願いながら。
いくつか外伝を挟んだら、一気に話が動く予定です。