ーーー征服歴1500年11月 連合王国陸軍参謀本部 第十三会議室ーーー
受勲式典まであと3日、前日が予備日であることを考慮すると期日まで残り2日をきった受勲式典準備評議会の面々の顔は一様に明るかった。
「やっと…やっと終わった!」
「期限までに終われるなんて、夢じゃねぇよな…?」
「あぁ…これでしばらくぐっすり眠れる」
「寝ても書類の山に溺れる悪夢を見る生活ともおさらばだな」
全ての書類の精査と評価が終了し、残るは書類の承認と、抗議で怒鳴り込んでくるバカの対処だけとなった彼らは、歓喜の涙を流し笑いあう。
そんな中で、エリカは申し訳無さそうな顔でアレクに頭を下げる。
「ごめんなさい、まだ仕事が残ってるのに早引きさせてもらって…」
「気にするな。あと残ってるのは細かい数字の確認作業と決済だけで、大した手間じゃない」
「でも、結局貴方に半分以上仕事肩代わりさせた挙げ句、パーティに出ないといけないから早く帰るなんて…」
「貴族にとってはパーティに出るのも仕事の一つだろう?」
「そうだけど…」
気にした様子もなくコーヒーを飲むアレクに、エリカは悄然とした顔で再び頭を下げる。
「アレク、本当にありがとう。貴方に手伝ってもらわなかったら絶対にこの仕事は終わらなかったわ」
「正直、お前は俺の巻き添えみたいなものだ。だからそこまで殊勝になるな」
「うーん…多分カレウスおじ様なら貴方がいなくても暇してる私を捕まえて手伝わせそうだし、むしろ貴方が一緒にいてくれて良かったと思うわよ?」
「…そうか」
「そうよ」
思った以上にエリカのカレウスに対する信頼が低い(ある意味高い)事に若干困惑したアレクは、遠い目をして残ったコーヒーを飲み干す。
「準備があるだろうし、さっさと行け」
「…正直パーティ行くのめんどくさい」
「愛想笑いして適当に酒と料理を愉しめばいいだろ」
「鬱陶しいくらいの求婚者と、上から目線で“遊んでやる”ってナンパしてくるおっさん達をいなしてたらそんなの楽しめないわよ!」
「そういう場所で結婚相手をさっさと見繕うのもお前の仕事だろ?」
「だって、めぼしい相手は全員決闘で叩きのめしたのに、懲りずに求婚してくるのよ!? 鬱陶しいのよ!」
「知らんわ!」
貴族令嬢として明らかにおかしい発言をするエリカに流石のアレクも声を荒げてツッコミを入れる。
「そうだアレク、貴方も一緒にパーティに出ましょうよ!」
「何でそうなる!?」
「貴方が隣に立ってればよっぽど気合の入った馬鹿以外は私を口説きに近寄ってこないでしょ?」
「勝手に人よけの盾にするなよ…というかほぼ平民扱いの俺が、
受勲式典を前に、戦場から王都へと帰還した貴族士官達を労うためという名目で、現バランタイン公爵(陸軍大臣)とその跡取りの第一夫人が主催したパーティは、バランタイン家以外の七大貴族の当主や王党派の有力者、更には”革新派“の貴族達すら集まる盛大な催しとなった。
最初は参加を辞退していたエリカも、実の姉であり主催者であるバランタイン家嫡男の第一夫人ユリア・バランタイン(旧姓リガール)の呼びかけにより参加する事が急遽決定し、ドレスの調整の為に残った仕事をアレクに頼み、早引きする羽目になった。
そんなパーティに、所詮は滅んだ弱小男爵家の次男でしかないアレクが招待されることなどあり得ないし、ましてやリガール辺境伯家の令嬢の隣に立つなど、天が落ちてきたとしてもあり得ないと、本人が一番良く理解している。
「そもそも、四年間戦場暮らしだった奴が大貴族のパーティの作法なんぞ心得てると思うか?」
「貴方なら割とその辺りのマナーも完璧そうだけど?」
「…一通り頭に入ってはいるが、ぶっちゃけ面倒くさい」
「私だってそうよ!」
「だから俺を巻き込もうとするな!」
辟易したアレクは荒げた息を整えるために溜息を一つつき、それから呆れたようにエリカに説明する。
「そもそも、俺も今日は仕事が終われば打ち上げで飲みに行くんだぞ? なんでわざわざ面倒くさい貴族のパーティになんぞ出ないといけないんだ?」
「ぇ?なにそれ? わたし聞いてないわよ!?」
「ファラム准尉が昨日に企画したんだが、お前や貴族出身の士官はパーティがあるから来ないだろうと声かけてなかったんだろうな」
「…わたしパーティよりそっちの打ち上げに行きたい」
「場所を手配してくれたファラム准尉には悪いが、お前みたいな大貴族の令嬢が来るような店じゃないぞ?」
エリカの呟きにアレクは呆れ顔で答える。
ついでに近くに来ていたファラム准尉も同意するように首を縦にふる。
「そうですよリガール中尉。僕の妻の実家なので料理の味は保証しますが、大衆食堂なので貴族の方々をおもてなしできる格式は無いんですよ…」
「わたしは気にしないわ!」
「こういうのはもてなす側が気を使うんだよ…」
「そうですね…僕も官庁勤めなので最低限の作法は身につけましたけど、妻の実家は由緒正しい庶民なので…」
内務省から出向して来たファラム准尉は、祖父が男爵家の四男で独立したという、家系的にはギリギリ貴族と言えなくもない出身で、貧乏な実家で苦学しながら一般採用で内務省に入局した苦労人で、礼儀作法も本人が謙遜する以上に身についてはいるが、流石に彼の義父母にまでそれを求めるのは酷である。
「うぅ〜…そっちに誘われたって言えば頑張ればパーティを断れたかもしれないのにぃ…」
「何度も言うがこっちを巻き込むな」
「大貴族に目をつけられたら僕みたいな弱小役人は生きていけないので、勘弁してください」
「それはそうだけど…」
ぐだぐだと言い訳をして帰りそうにないエリカと不毛な言い争いをするアレクは、ふとエリカの背後に立った人影を見て口を噤む。
「ちょっと、どうし「エリカ?」」
「ひぇ!? だ、ダニエル兄様!!?」
女性なら誰もが見惚れる美貌に、底冷えするほど凍てついた笑顔を貼り付けたエリカの兄、ダニエルは慌てて飛び退こうとする妹の頭を掴む。
「遅いと思って迎えに来たら、何をしてるのかなぁ…エリカ?」
「えぇっと…ほ、ほら私アレクに助けられてからちゃんとしたお礼出来てないし、せっかくだから今日のパーティに誘おうかと…」
「お前な…」
必死に言い訳するエリカに、アレクもダニエルも冷たい視線を向ける。
ちなみに、空気の読めるファラム准尉は早々に退避している。
「愚妹が迷惑をかけたようだね、ウォーカー大尉」
「まったくです。早く引き取ってください」
「そうするよ。遅れるとユリア姉さまが怖いからね」
「痛い! 兄様、頭が! 頭が割れるから緩めて!」
穏やかにアレクと会話するダニエルだが、妹の頭を掴んだ手がギリギリとエリカの頭を締め上げている。
武芸ではエリカに劣るダニエルだが、幼少期からの英才教育により並の軍人より遥かに強いし、膂力であれば妹に負けはしない。ダニエルのしなやかな指がエリカの頭に食い込み、悲痛な叫びを上げさせる。
「ハッハッハ、ゴードン兄様じゃないんだからそんなことにはならないよ」
「あぁ、コツがいるからな。教えましょうか?」
「待って!? コツって何!? い、痛!!?」
「興味深いけど僕はほら、頭脳労働担当だから」
「頭が! 私の頭が駄目になるから!」
「確かにそれなら必要なさそうですね」
「聞いて!? ねえ助けてとは言わないけど無視しないで!?」
騒がしい妹にうんざりしたのか、単純に疲れたのかダニエルはエリカの頭から手を離す。
痛む頭を抱えて怯えたように距離をとるエリカに呆れた視線を向けたダニエルは、ふと思い出したようにエリカに告げる。
「それとエリカ、ウォーカー大尉へのお礼ならもうお祖父様がリガール家の名で渡したから必要ないよ」
「…え? 聞いてないわよ!?」
エリカが目を見開いて当事者のアレクを見る。
「…言ってなかったからな」
「言いなさいよ!」
「…面倒くさそうだったからな」
咎めるようなエリカの視線を避けるようにアレクが顔をそらす。
「そもそも、何で私抜きでそんな大事なこと勝手に決めたのよ兄様!」
「何故も何も、わざわざ相談する必要があるかな?」
「あるわよ! だってわたしはアレクに…っ」
言い募ろうとするエリカを、ダニエルが怜悧な視線で睨みつけて射竦める。
「エリカ、これは
「っ!」
つい先程までの、厳しくも親しみが感じられた口調から一転し、冷たく厳正な声音で語るダニエルに、エリカは気圧され言葉を失う。
「……分かり、ました。我儘を言って申し訳ありません、ダニエル兄様」
「いいよ。まあ僕も今の今までお礼を渡したの忘れてたし」
「兄様!!?」
戯けた様子で肩を竦めるダニエルの胸倉を掴んだエリカは、さっきまでの殊勝な態度を返せと迫るように彼を揺するが、ダニエルはおおらかに笑ったままされるがままにされる。
「…はぁ、もう良いわ。こういう態度のダニエル兄様に何か言っても無駄ね」
「そうなのか?」
「そうよ」
ダニエルから手を離し、疲れた様子で溜息をつくエリカに、アレクは労るように紅茶のカップを渡す。
紅茶を飲んで一息ついたエリカは、アレクとダニエルに尋ねる。
「というかお礼って結局何を貰ったの?」
「基本的に金だな。とはいえ一人だと使いきれない金額だったから、1割だけ現金で貰ってあとは
「あとは馬だね。戦場で愛馬を亡くしたと聞いたから、新しい馬を贈らせてもらったよ」
サラリと、自分の知らぬ間にアレクと
「…ねえアレク、それで…本当にいいの?」
「良いも何も…ああ、まあ金額的に
「いやぁ…もしかして我が家の経理担当者と渉外担当者が顔を蒼くしてたけど…それかな?」
「さあ、どうでしょうか?」
苦笑するダニエルに、今度はアレクが肩を竦める。
「さて、本当にそろそろ行くよエリカ。遅れてユリア姉様に叱られたくはないだろう?」
「まだここにいたい…」
「じゃあこの残った書類を「さ、帰りましょダニエル兄様!」」
「「現金だな!?」」
ダニエルを引きずってでもこの場から逃げようとするエリカに、アレクとダニエルが叫ぶが、エリカは猛然と出口を目指して突き進む。
「じゃあねアレク、
「……ああ、
アレクの曖昧な返事に首をかしげ立ち止まったエリカだが、その手に書類の束が握られている事に気づいたエリカは即座に会議室を離脱した。
「良いのかい?」
「…ま、いいでしょう。この程度の書類ならすぐに片付きます」
「そっちじゃ…いやそっちも大事かもだけど、そっちじゃ無いよ?」
机に書類を戻したアレクに、ダニエルは微笑みながら、その目には冷徹な光を宿して尋ねる。
「
「ま、何かの拍子にすれ違う事くらいはありそうですので」
「それもそうか」
評議会の仕事が終われば、つまり明日からは参謀本部戦史研究局の局員という
戦功の大半をエリカへと渡し、受勲式典へ出席する権利も放棄したアレクは、今日この日をもってエリカとの関わりは絶たれる。それがリガール家がアレクへ多額の金銭と”ボウモア家の保護“を約束する代わりに彼に課した条件だった。
それは当主代行が可愛い孫娘に悪い虫がつかないようにするためであり、大事な
「…正直、僕の数少ない友の弟に不義理を働くのは心苦しいけど、許してくれウォーカー大尉」
「自分は特に何も気にしてはいませんよ。貴族であれば大なり小なりしがらみはできます。リガール家ほどの家なら尚更でしょう?」
「そうだね…」
ホッとしたように微笑むダニエルは、どこか嬉しそうに、そして寂しそうにアレクを見つめる。
「…何か?」
「いや…やはり君はレイの弟だよ。さっきの言葉と同じ様な事を、昔レイにも言われた」
「そうですか…ありがとうございます」
アレクもまた、包帯の下でわずかに嬉しそうに微笑みダニエルに頭を下げる。
そんなアレクの様子に、わずかに表情を崩したダニエルだが、アレクが頭をあげる時には既にいつもの人好きのする、それでいて得体のしれない笑みを顔に貼り付けていた。
「じゃあ僕も行くとするよ。ウォーカー大尉、もしも困った事があれば相談してくれたまえ。どこまで力になれるかわからないけど、一度くらいなら無償で助けるよ?」
「2回目からは…まあいいか。ええ、その時がきたら頼らせて頂きますよ、リガール中佐」
アレクの返事を背に、ダニエルもまた会議室を去った。
そして残った仕事を片付けたアレク達もまた、帰り際にカマル中佐からご祝儀として軍資金を貰い、打ち上げへと繰り出した。
軍資金の出所はカマル中佐のポケットマネーが2割で、残りは彼とアレクが脅し取ったカレウスのポケットマネーです。