作者の拙い文才では上手く言語化できなかった事を語って下さったラクス様に最大限の敬意を。
そしてテンションが上がったので文章量が普段の2倍になりました。
ーーー征服歴1500年11月 バランタイン公爵家王都屋敷 遊戯室ーーー
怒りで銀色の髪を逆立て、カレウスの襟首を締め上げたエリカは、白目を剥くカレウスを揺さぶり無理矢理その意識を覚醒させる。
「気絶したふりなんて許さないわよ、とっとと吐きなさい!!」
「うぇっ、ぐぁっ、まっまでぅえ!?」
ガクガクとエリカに揺さぶられ情けない声をあげるカレウスは、エリカの腕をタップしてせめて揺さぶりだけでも止めようとするが、激怒したエリカはそれに気づかずカレウスを揺さぶり続けている。
「おーいエリカ嬢、そのままだと喋りたくても喋れねぇから一旦やめてやれ…ククッ」
「そうだぞエリカ…プフッ…その腹黒はお前と違ってモヤシだからそのままでは死ぬぞ?」
ヴォルスとミランダが、情けない姿のカレウスを見て笑うのを堪えながら、エリカに解放を促す。
怒り狂ってはいるがかろうじて理性を保っていたエリカは、実力でも家格でも格上の二人に諭されてようやくカレウスを揺さぶるのを止める。ただし、襟首は締め上げたまま。
「ぐっぐるじ…」
「喋るくらいはできるでしょ? とっとと吐きなさい」
激情を内に込めた冷たい声音でカレウスを締め上げるエリカに、ほぼ部外者であるヴォルスとミランダは顔を見合わせ首を傾げる。
「なあこれどういう状況だ? 面白いけど流石にカレウスが死ぬぞ?」
「戦場でエリカを救ったという士官の名が確かアレクサンダー・ウォーカーだったはずだから、多分カレウスの陰謀がバレて、エリカが恩人を救うために乗り込んできた…といったところかしらぁ?」
ミランダが床に転がるダニエルに視線を向けると、起き上がったダニエルが肯定するように首を縦にふる。
事態を静観していたエリカとダニエルの祖父レオポルドは溜息を一つつき、エリカを抑えるため腰をあげる。
「いい加減にせぬか!!」
「っ…お祖父様、私は!」
「まずはカレウスを離してやれ、それではまともに話ができんわい」
「でも…お祖父様も言ってたでしょ? カレウスおじ様みたいな人種は自由に話させたらろくなことにならないから、脅す時は物理的に締め上げろって」
「……そういえばそうじゃったの」
「おいご隠居…」
「リガールのご隠居様…」
怒りながらも昔自分が言っていた
そして助けを求めるように周囲から視線を集中されたミランダが、呆れた顔で仕方なくエリカに語りかける。
「エリカ、確かにカレウスみたいな人の心のない外道を相手にする時は無駄に囀らせず必要な事を問い詰めるのが正しいけど、貴女だけに分かる理屈でカレウスを締め上げても、私達は混乱するだけよ? まずはそのモヤシを解放して事情を話しなさい。大丈夫、そのモヤシが余計なこと言い出したら私が止めてあげるから」
「……わかりました、ミランダおば様」
説得に応じたエリカは、渋々カレウスを解放する。
「ゲボっ、えーいクソ何だってんだ!」
「カレウスおじ様、貴方やっぱり裏でコソコソとアレクを消そうとしてたのね」
「チッ…それをどこから聞いた?」
「質問してるのは私よ。さあ、今日アレクが襲撃されるんでしょ? 早く襲撃地点を言いなさい、時間がないの!!」
忌々しそうに睨むカレウスを、彼と同じ黄金の瞳で睨み返し、エリカが切羽詰まった様子でアレクの居場所を問う。
それに対してカレウスは懐から懐中時計を取り出し、時間を確認する。
「…そうだな。予定ならそろそろアレが襲撃される時間だろう」
「知ってるのならっ」
「で、お前が行ってどうする?」
エリカの言葉をカレウスが遮る。
「カレウス、貴方」
「やめいミスト侯、今は口を挟むでない」
「ご隠居様っ!?」
案の定、エリカを煙に巻こうと喋りだしたカレウスを掣肘しようとミランダが口を開くが、レオポルドが彼女を睨みつけその口を鎖す。
そして
「アレは今頃、ジルベルト子爵の婿とそいつが集めた警邏隊に囲まれている頃だ。殺されているかもしれんし、逃げおおせるにしても公的な身分の保証された兵士を傷つける事になる。この国に居ることは出来なくなるな」
「だから早く行かないと…っ!」
「まあ聞け。ラドロス少尉…ああアレを襲撃している実行者なんだが、すでにアトラムがそいつの周辺を洗っている。“革新派”や、帝国の密偵との繋がりが出てくるはずだ。そしてアレを襲撃した事を咎めて、ラドロス少尉と繋がってた連中を一網打尽にするのが、今回の計画だ。これが成功すれば“革新派”への打撃になり、厄介な帝国の密偵の跳梁も抑えられる。何より、お前が“カナンの騎士”になる予定のカイト・ジャッカード少佐に嫁いだ時、“王党派“の人質としてではなく
カレウスは、殺気のこもった目で己を睨み続けるエリカに淡々と現状を説明する。
「今お前がアレのところに駆けつければ、この仕込みは台無しになる。連中は俺やアトラムがラドロス少尉を疑っていないと思ってるからな。だがお前が駆けつければ警戒され、証拠も隠滅されるし密偵は逃げるだろうよ」
「……」
「で? ここまで聞いたうえでお前はアレを助けに行くか? ”王党派“が勢力を盛り返す機会を不意にして? 俺は別にいいぞ? お前が結婚してから苦労するだけだからな」
無言で己を睨むエリカを嘲笑うように、カレウスは唇を歪める。
カレウスの演説を聞いて、ミランダは内心舌打ちし、自身がカレウスを掣肘するのを止めたレオポルドを睨む。
彼女はエリカの事を評価しているが、流石にカレウスに弁舌で勝てるとは思っていない。カレウスの語った”無貌鬼“アレクサンダー・ウォーカー襲撃の裏事情は理にかなっている。少なくとも情を排除すれば、自分達”王党派“はほぼ損失を出すことなく多大な利益を挙げることが出来るだろう。
ミランダの視線の先で、エリカは呼吸を整えるように溜息をつく。そして怒りを押し殺した声で、カレウスの演説を肯定する。
「確かにそうね、カレウスおじ様。アレクをここで見捨てれば、私も、そして”王党派“も今まで通りの地位を保てるわ」
「なんだ、分かってるじゃないか。だったらとっととパーティーに戻れ。俺を殴ったことは許してや「でも!」
カレウスの言葉を遮り、エリカが声を荒げる。
「私はアレクが私達の保身の為に死ぬことまで、納得してないわ!」
「…?」
「アレクだけなら、ちょっとやそっとの数の兵隊に囲まれても返り討ちにして逃げられるわ。そのせいでこの国に居られなくなっても、あいつなら平気でこの国から逃げて他の国で生きていけるでしょうしね」
「まあそうだろうな。並大抵の事でアレは殺せないだろうよ」
「そうね…だからおじ様はアレクを殺す為に人質まで使ったんでしょう!?」
「ああそう…うん?」
「とぼけたって無駄よ! ついさっき重症を負ったボウモア子爵がここへ来たわ、私に助けを求めに!」
「…は?」
「だからおじ様、早くアレクの居場所を吐きなさい! いくらアレクでも、家族を…レナ嬢を人質に取られれば無抵抗で殺される。おじ様はそれを知ってたから彼女を誘拐したんでしょ!」
「おい、待て待て! 俺はやってねぇ!」
「……え?」
先程まで傲然と嗤っていたカレウスは額に冷や汗を浮かべ、本気でエリカの言葉を否定する。そして同じく顔を蒼くするダニエルに視線を向ける。”お前がやったのか?“という疑念を乗せて。
それに対してダニエルも全力で首を横に振り応える。”僕もやってない!“と。
そして弾かれたようにダニエルが部屋の外へ駆け出し━━
「何をしてるのかしらぁ
「ぐべッ!?」
ミランダに足を払われすっ転び、更にヒールを履いた足で背中を踏みつけられる。
ついでにミランダは部屋に控えていたバランタイン家の執事に目配せする。仕事のできる執事は即座に事実関係を確認するため部屋の外へと飛び出した。
ちなみに、ミランダはかつては海軍において軍艦を駆り、先頭に立って敵船に切り込み武功を挙げた女傑である。生半可な軍人では相手にならないほど強く、ダニエル如きでは逆立ちしても勝てない。
「おいカレウス、どういう事だ?」
「グランツ伯爵、事と次第によっては貴方を拘束する必要がありますよ?」
「ちょっ待っ…痛たたっ!?」
後退ろうとしたカレウスもまた、即座に動いたヴォルスとヘリオスに肩を掴まれる。ヴォルスは見た目から当然だが、ヘリオスもまた政治家に転向するまでは海軍士官として海賊や他国の私掠船討伐の最前線で戦い抜いた猛者である。ミシミシと音を立てそうなほど強く肩を掴まれたカレウスは、悲鳴を上げる以外に何も抵抗出来はしない。
「待ってくれバランタイン公にアーフェン議長! 俺は無実だ!」
「お前ならやりかねん」
「伯爵…使えない身内を煽って部下を襲わせて、それを使って敵対派閥や帝国の密偵まで釣り上げるのは、まだ許容出来ますが、流石に現役の子爵を襲って更にはその娘を拐うのは、政治家である前に一人の人間として受け入れるわけには行きません」
「少しくらい迷ってくれよ!」
自分の言い分をノータイムで否定されたカレウスは、一縷の希望を込めて、唯一動かないレオポルドに視線を送る。
そもそも、アレクの家族の保護を保証しているのはリガール家なのだ。カレウスはレオポルドなら何か知っているかもしれないと、本来なら彼が最も忌避する希望的観測に縋る。
カレウスの期待に応え、レオポルドが重々しく口を開く。
「落ち着け皆の衆、そしてカレウス達を放してやれ」
「お祖父様、本当にカレウスおじ様は関わってないの? 信用できないわよ?」
「ご隠居様、場合によっては私は一抜けするわよぉ?」
「おいご隠居、あんたは関わってねぇだろうな?」
「御老公、私もミスト侯と同意見です」
「じゃから待たぬか。件のボウモア子爵家は我がリガール家の手のものが陰ながら守っていたはずじゃ。いかにカレウスじゃろうと手は出させんし、儂らが人質にするために襲撃などせんわ!」
咎めるようなミランダ達の視線をものともせず、レオポルドが言い切る。
「じゃあ何? アレクを殺す為にリガール家を敵に回してまでボウモア子爵家を襲撃したの? そのえーっと…なんとか少尉が?」
「ラドロス少尉だ…というかお前も会って…いやいいか。兎も角、いくらラドロス少尉が間抜けでもよっぽど煽られるか裏に誰か居ないと、そもそもアレの弱点がボウモア子爵令嬢だと知るわけが…」
「実際に襲われて攫われてるじゃない!」
「だから俺も驚いてるんだろうが!」
エリカの焦りと怒りが伝播したかのように、カレウスも声を荒げる。
「どこのどいつだ、この俺の計画に余計なことしやがって…」
「おいこの人間のクズ、襲われた子爵とさらわれた令嬢の心配より自分の陰謀が利用された事にキレてるぞ」
「私達も人のこと言えた義理じゃないけど、筋金入りのクズねぇ…」
ヴォルスとミランダが呆れた顔で嘆息する。
「おじ様の計画なんて知ったことじゃないのよ! 早く居場所を吐きなさい! 手遅れになるわよ!!」
焦燥に耐えられなくなったエリカが再びカレウスに掴みかかるが、カレウスは意に介さず、思考の海に沈む。
「”革新派“の誰か…違う。連中もそこまで馬鹿じゃないし、そもそも事前に把握していた警邏隊の戦力でも過剰と判断しているはず…帝国の密偵…だが何故そこまで…第7皇子の報復か? いや、あの切れ者の第4皇子がここまで大胆で無駄な事をするはずが…」
締め上げられているのすら気づかず、カレウスは”王党派“随一と畏れられるその頭脳をフル回転させる。
「いや…そうか理由など関係ない。むしろ
カレウスは顔を上げ、エリカの手を振りほどきレオポルドへ振り向く。
「勝ったぞ御老公! 今なら忌々しいブラントン男爵と、そいつと繋がってる帝国の密偵を完全に叩き潰せる!」
「どういうことじゃ、カレウス?」
「理由ははっきりしないが、おそらく子爵を襲ったのは帝国の密偵だ! しかもリガール家の護衛を排除できるほどの腕のな! そいつ等は今、ラドロス少尉と一緒に居るはずだ、自分達の仕事の成果を確認するために。そして仕事が成功した時なら最も油断する」
カレウスが自身の黄金の瞳に狂喜の笑みを浮かべ熱弁を振るう。
「そいつ等を捕らえれば帝国のこの王都での諜報は一気に弱体化する。そしてそんな帝国の密偵と間接的にでも繋がっていた”革新派“の連中も損害はでかい。いやむしろ、俺ならそれを梃子に一気に奴らを叩き潰せる!」
カレウスの言動は自惚れでは無い。彼ならそれ位出来ると、カレウスの性格を嫌うミランダですら、彼の言葉を肯定するように首肯する。
だがこの場で一人だけ、カレウスの言葉に…否、
「待って!? それじゃあアレクが…っ!」
だが、カレウスは冷徹にエリカの言葉を切って捨てる。
「必要経費だ」
「なっ!?」
「よしんばアレと、人質に取られたレナ嬢が死んだとしても、こちらに大きな損害は無いだろう」
「おいカレウス、流石にそいつぁ…」
絶句するエリカを庇うように、ヴォルスが声を上げる。大貴族の当主として時に冷酷な選択も行う彼でも、カレウスの言動には眉を顰める。
「たかだか、派閥に属する力もない弱小子爵とその娘を見捨てた所で、大した痛手では無いでしょう。そもそも、ボウモア子爵を保護するという取引も、書類に残している訳では無いですしね」
「確かにウォーカー大尉との取引は口約束ですが…先生いくらなんでも…」
あまりにも酷薄なカレウスの言葉に、ダニエルは助けを求めるように
だが、ミランダは黙したまま、火の消えた煙管を咥えてカレウスを見つめている。
「ダニエル、急いでアトラムへ連絡を送れ。あいつならもう動いているかもしれんが、張った網から絶対に獲物を逃がすなとな」
全員の反論を封じたカレウスが指示を下す。今夜で四年以上続いた鬱屈に終止符を打つために。
ダニエルは躊躇いがちに、ついでにまたミランダに足を払われないように注意しながら、部屋の出口を目指す。カレウスと同じく人の心など”なにそれ食えるの?“と考えているダニエルだが、曲がりなりにも親友の弟と、彼に頼まれたボウモア家の令嬢を見捨てるのは、足を踏み出すのを数瞬躊躇う程度には心苦しい。
だからこそ、己の妹がどうするのか気になり、つい振り向いてしまった。怒るのか、それとも泣くのか。どうか自分の代わりに、アレクの為に感情を表に出してくれと願って。
ダニエルの視線の先で、エリカは瞳を閉じ沈黙していた。
それを見てダニエルは目を伏せる。妹もまた己の師が語った理屈に納得してしまったのだと、そして
だが、ダニエルは自分の認識が異なっていたと、そのすぐ後に悟ることとなる。
目を閉じたエリカは、己の内に渦巻く感情を俯瞰する。
直情傾向で考えるよりも先に行動することを是とするエリカだが、決して愚かではない。カレウスの語った計画が合理的であることも、その計画が成功すれば自分は望まぬ婚姻を強いられることも無くなるだろうこともはっきりと理解している。
たが、その為にはアレクサンダー・ウォーカーは死なねばならない事まで含めて。
例え自分との”約束“があろうと、アレクは自分の命と
故に、今ここでアレクを助けに行かなければ、アレクは確実に死ぬ。
貴族としてのエリカは、その事を辛く感じながらも”仕方ない“と考える。
所詮は自身の領地すら守れなかった貴族の系譜でしかないアレクが死ぬだけで、自分達はこの国での立場を盤石に出来るのだ。迷うほうがおかしい。
だが、一人の人間としてのエリカはそれを全力で否定する。
もしここでアレクを見捨てれば、自分はもう戻れないと、エリカの本能が警鐘を鳴らす。
アレクと袂を分かつだけなら、この胸に秘めた想いを押し殺して、貴族としての己の義務を果たす事ができた。
だが、自分の意思で、
エリカは奥歯を噛みしめる。
今ここで彼女が何も言わなければ、アレクは死に、彼とその家族を生贄に、自分達は繁栄を手にできる。
『じゃあねアレク、
『……ああ、
エリカの脳内に、アレクと最後に交わした会話が響く。
ふと思う、もしかしたらアレクは、今のこの状況も予想出来ていたのではないか…と。
エリカは目を開き、不敵に嗤うカレウスへと問う。
「カレウスおじ様、一つだけ教えて」
「…なんだ?」
先程までの激情が嘘だったかのように静かなエリカの問に、カレウスは疑念を感じながらも頷く。
「アレクは、人質の事はともかく、おじ様の策略で味方に襲撃されることを知っていたのね?」
「……ああ、そうだ。直接伝えた事は無いが、評議会にいた間諜が誰かは教えておいた。アレなら、その情報だけでも充分警戒出来る。少なくとも油断して殺されることはなかっただろうし、俺の意を汲んでこの国から出て行ったはずだ」
「自分が報復で殺されるとは思わなかったのね」
「質問は一つだと…まあいいか、丁度いいしな」
「なに?」
「ハッ、気づいてるんだろ? アレは俺を殺さない。俺を殺せば、巡り巡って
「そう…やっぱりね」
カレウスは人の情など下らない不合理なものと見下しているが、同時に多くの人間はその不合理なものに振り回され縛られる事も理解している。だからこそ、アレクがエリカを尊重していることを利用して、アレクを敵対者達への釣餌に仕立て上げた。
アレクであれば、エリカの為に命以外なら差し出すと、冷徹に認識していたが故に。
カレウスとの答え合わせを終えて、エリカは再び目を伏せる。
ようやく対等になれたと思っていた男は、また自分の為に無理をしていた。
エリカは知っている。
誰よりも強くなったアレクが、心底戦うことに倦んでいる事を。
この一週間と少し、文句を言いながらも書類仕事を楽しんでいた事を。
そんなアレクがまだ、この安全なはずの王都で戦っている。
再び家族を人質に取られて、今度こそは死ぬことを強要されて。
それを強いたのは他の誰でもなく自分なのだ。
スペイサイド州で、自分がアレクを救いにいかなければ…否、そもそも自分がスペイサイド州へ往くことを希望しなければ、アレクは何の柵もなく、その強さのみによって生き延びる事が出来たはずだ。
例えカレウスに強要されても、それこそ事前に準備していた脅迫材料でその軛から逃れることも出来た。
なのにアレクは、自分を恨むどころか、また自分の為にその力を振るってくれていた。
エリカはその事を申し訳ないと思いながら、同時に心の底で歓喜していた。
アレクは…アレクだけは、自分を“リガールの祝福の御子”ではなく、“エリカ・リガール”として尊重してくれていることが分かったから。
目を閉じたエリカは薄っすらと笑みを浮かべる。
エリカは悟る。もしもここでこの決意を口にすれば、もう後戻りは出来ないと。
全てを失うかもしれない。
たった一人の、もうこの国に、少なくとも“王党派”にはなんの価値も無い男の為に。
それでもいいと、エリカは目を開き、自分と同じ黄金の瞳を真っ直ぐ見据える。
そしてゆっくりと、カレウスの目前へ歩を進め━━━
「なんだ? まだ何かぶへらぁ!!?」
もう一度その憎たらしい顔をぶん殴った。
「ぐぁ…っ何をするこのクソガキ!!」
「うっさいわねこの腹黒!! あんたの言い分なんてクソ喰らえよ!!」
「なっ!!?」
エリカは踵を返す。
「な、おい待てどこへ行く!?」
「アトラムを探すわ。ボッコボコにして締め上げれば吐くでしょ、時間がないの。これ以上無駄話する気は無いわ」
「もう間に合わないかもしれないぞ」
「間に合わせるのよ。良く考えたらアレクなら人質程度で簡単に殺されるわけ無いわ。むしろ今頃人質を取り返して反撃してるわ」
振り向かず切り返すエリカの言動を聞いて、蚊帳の外のヴォルスとミランダはヒソヒソと話す。
「本当か?」
「さぁ? 眉唾だけどあの”黒狗隊“を単騎で返り討ちにしたそうだから、実戦経験も無い警邏隊と貴族のボンボン位なら何人いても無意味かもねぇ?」
「え? そんな奴がいるなんて俺聞いてねぇぞ?」
「どっかの腹黒が、エリカの功績を上乗せする為に情報を隠したんじゃないかしらぁ?」
外野の声を無視して、カレウスは怒りを込めてエリカを引き留めようと叫ぶ。
「今お前が行けば、全てが台無しになるんだぞ!」
「…おじ様が”王党派“の為に、それに私の為にもこの計画を実行したのは分かってるわ」
「それだけじゃ無いぞ。アレも、ウォーカー大尉もお前が来ることなど望まない」
「そうね。きっと”なんでこんなところに来た“って怒鳴りつけるわ」
「だったら…」
「それでも、私はあいつを助けに行くわ。そうじゃないと、もう二度と
かつてスペイサイド州でアレクを助けに行ったときとは訳が違う。きっと家族すら敵に回すと知って尚、エリカは己の意思を曲げない。
自分が自分であるために、例え叶わずとも、己の想いを捨てない為に。
「このっ…!?」
業を煮やしたカレウスがエリカに掴みかかろうと足を踏み出し、それをミランダが止めようと動く寸前、再び遊戯室の扉が大きく開く。
「「「「ゲっ!」」」」
「貴方達ねぇ…」
「お主ら…」
「…?」
扉から現れた女性の姿に、部屋にいた面子の反応は2つに分かれる。
うめき声を上げたのは
他の面々はその姿に呆れた眼差しをむける(唯一ヘリオスは首を傾げている)。
扉の前で腰に手を当て、にこやかに微笑む美女に、うめき声を上げた面々は気圧され後退る。
腰まで届く蒼みがかった黒髪と
たが、この部屋にいる者達は知っている。この美女は、ユリア・バレンタイン(旧姓リガール)は、怒れば怒るほど優しい笑みを浮かべることを。
「エリカ?」
「は…はひ!」
返事をしたエリカが舌を噛む。
「事情は執事のバートンに聞きました」
「ユリア姉様、私はっ!?」
口を開こうとするエリカの鼻先に、ユリアの手にあった扇子が突きつけられ、その口を塞ぐ。
そしてユリアは、この屋敷の(名目上の)最高権力者であるヴォルスに笑顔を向ける。
「お義父様?」
「俺は悪くねぇ!」
「まだ何も言っていませんよ?」
この屋敷の真の権力者であるユリアに逆らえないヴォルスは、何もしてないのに言い訳を始めようとしたので流石に制止させられる。
「ダニエル?」
「悪いのはカレウス先生です姉様!」
「おいふざけんな!」
ユリアに笑顔で睨まれたダニエルは、昔からの習性で即座に降伏し、全ての罪を元凶へと押し付ける。
「カレウス様?」
「お、おい待てユリア。これは”王党派“の大事だ、いくらお前でも…」
「分かっていますわ。私も次期公爵の妻です、カレウス様の計画に本来なら真っ先に賛成するべきですわ…ですが、今回は可愛い妹に味方させて頂きます」
「んな!?」
そしてユリアは、扇を手元へ戻すと、この屋敷の女主人にふさわしい風格でエリカへ指示を出す。
「エリカ、私のおフルだけど乗馬服と剣は用意したわ。それとお義父様の馬も、いつでも出せるように準備させてあるわよ」
「姉様!」
「お、おいユリア…っひ!?」
文句を言おうとした舅は、嫁のひと睨みで口を噤む。
エリカは目を輝かせ、ユリアに抱きつく。
「さ、早く準備なさい」
「あ、でもまだアレクの居場所…」
「大丈夫よ、ちゃんとカレウス様が案内してくれるから」
「はい、分かりました!!」
「なんで俺が…」
「へぇ…じゃあ」
口答えしようとしたカレウスにユリアが耳打ちする。他の面々には聞こえなかったが、みるみるカレウスの顔から血の気が失せる。
「ま、待てユリア!! なぜそれを!?」
「あら? カレウス様なら私の顔の広さと耳の良さは知っているはずよ?」
「諦めろカレウス、ユリアには勝てねぇ…」
「…ユリア姉様に逆らって無事でいられるのはゴードン兄様とラルグ義兄様(ユリアの夫 次期バランタイン公爵)位ですからね」
カレウス本人ですら失念していた醜聞を盾に、ユリアは妹の往く道を切り拓く。
「…儂の孫強すぎない?」
「多分レーネ(ユリアの母でリガール辺境伯の第二夫人)の血ねぇ…」
エリカを送り出し、膝をつくカレウスに笑顔で出立の準備をさせるユリアに、おそらくこの場で唯一彼女に対抗できるミランダが問いかける。
「ねえユリア、一ついいかしらぁ?」
「あら、何でしょうかミランダ様?」
「いいのぉ? エリカを行かせたら、これからバランタイン家も含めて、”王党派“の立場は悪くなるわよぉ」
「その程度なら、少し私達が苦労すれば10年か20年もすれば取り戻せますわ。こんなことのために、
「フフ、その通りねぇ」
目配せして、執事にユリアを呼ぶように指示を出していたミランダは楽しそうに微笑む。
ユリアもミランダも、政略結婚ではあるが婚約相手は自分の納得する相手を選び、相手との愛を育んでから結婚できた。
だからこそ、自分の妹や娘にもそう会ってほしいと常々願っていた。
ユリアからすれば、”王党派“が一時的に衰退する事よりも、気難しく男の理想が高すぎるエリカにようやく出来た”欲しい“と望む相手を、エリカ自身が救いに行く事の方が大事なのだ。その為なら、今はリガール家の領地で父を支えている二人の母(第一夫人の義母と第二夫人の実母)の代わりに、多少なりとも骨を折るのは吝かでは無い。
「ミランダ様、後を頼みますわ。私はパーティーに戻って、エリカが居なくなった事を上手いこと誤魔化してきます」
「任せなさぁい、これでも侯爵なのよ。表の政治は貴方より得意なのよぉ?」
「フフ、流石はミランダお姉様。頼りにさせて頂きますわ」
およそこの国で最も恐ろしい二人の美女は、後ろで青ざめた顔の男達を無視して軽やかに笑いあった。
次回から主人公視点に戻ります。