ーーー征服歴1500年 王都カルネアス 繁華街裏路地ーーー
白馬に跨り、凛々しい乗馬服に身を包んだエリカは、馬上から周囲を睥睨する。
血と泥に塗れ、顔を隠す包帯を失い無惨な貌を晒すアレクと、彼が背後に庇う、頬を切り裂かれ血を流すレナを。
突然現れたエリカに混乱し、その場から逃げ出そうとする
銀鈴の美声が、その場の全ての人間の足を止める。
「貴方達は全員拘束するわ。抵抗はしないでね、殺してしまうかもしれないから」
厳冬の外気よりもなお冷え切った声で、エリカはサーベルを抜きながら命じる。
「そういう事です。僕もこれ以上手間をかけたくないので、大人しくしてくださいね?」
「グ、グランツ大尉!?」
彼女が駆け抜けてきた側と逆の道から現れたアトラムが、後ろに控える監察局の兵士達に指示を出す。
「全員武器を捨てろ。お前もだ、ウォーカー大尉」
「准将閣下まで…」
バランタイン家の私兵達を伴ったカレウスが、不機嫌そうにエリカの通ってきた道から現れた逃げ場を潰す。
そして、エリカの声を受けても構えを解かないアレクへ武装の解除を呼びかける。
「断る」
「なっ!?」
「ちょっとアレク!?」
ここに来て初めて発したアレクの、何の感情も乗らない平坦な拒絶に、カレウスもエリカも驚愕する。
「助けに来たのよ! もう大丈夫だから剣を置いて!」
「……エリカ、レナの事を頼む」
「え…ちょっ!?」
エリカの言葉を無視して、アレクは
「なっ!?」
エリカとレナに返り血が飛ばないよう、二人の前に出たアレクは、容赦なく腕を失った男の頚を刎ねる。
「エリカお嬢様!」
「お嬢様を守れ!」
よく訓練されたバランタイン家の私兵達がエリカと、彼女に庇われたレナを即座に囲む。
「な、おい待てお前ら!」
カレウスが慌てて叫ぶ。
綻んだ包囲から、ラドロス少尉に唆された警邏隊の隊員たちが逃げ出し━━
「逃げられると思っていたのか?」
片っ端からアレクに首を刈られてゆく。
「ヒイィィィ!? や、やめ」
「待ってくれ俺は何も知らな」
「悪いのはラドロス少」
命乞いすら最後まで口にできないまま、アレクを襲撃した者達は、標的によって殺されてゆく。
「た、助けてくれ。俺はラドロス少尉に命令されただけだ」
「嫌だ、死にたくない!」
賢いものは、即座に武器を捨ててアトラム側に駆け込む。
「ひっやめ…やめろ謝る、謝るから命だけは…」
血塗られた細剣を無造作に構え、頭から爪先まで返り血に塗れたアレクが、この
細身で、本来なら”斬る“事よりも”突き“に適した細剣は、10人以上の首を斬り飛ばした事でボロボロになっている。
それでも、アレクが振るう限りは絶殺の処刑刀であることに変わりは無い。
ラドロスは殴り潰された顔を歪め、涙を流しながら懇願する。
だが、アレクの歩みは止まらない。
「嫌だ、やめろ…やめろやめろやめろやめろぉ!!!」
アレクの剣が無様に這いずりながら逃げるラドロス少尉の首に振り下ろされ━━━
「なんのつもりだ?」
「やめない。これ以上の殺戮は無益よ」
アレクの細剣を、エリカのサーベルが弾き、ラドロス少尉の命を救った。
「あ、ありがとうございますエリカお嬢さぶげ!?」
「邪魔よ、アトラム! このゴミを片付けて!」
「僕はゴミ処理業者じゃないんですけど…」
縋り付くラドロスを蹴り飛ばし、アレクから視線を外さないまま、エリカはアトラムへ残った襲撃者達の拘束を押し付ける。
それを見て漸く、アレクは剣の切っ先を下ろし、全身に纏っていた殺気が霧散する。
エリカは、改めてアレクの姿を観察する。
額が切り裂かれた事で顔を覆っていた包帯が剥がれ、無惨な貌を晒している。止血していない傷からはまだ血が溢れ、アレクの左目を潰している。
全身は自分の流した血と返り血、そして泥に塗れている。服で隠れていない顔や手足に靴の跡が残っている事から、アレクが無抵抗で嬲られていた事が見て取れて、エリカは眉を顰める。
「遅くなってごめんなさい。無事…ではないわね」
「いや、十分だ。ありがとうエリカ、助かった。それと…レナの傷の治療を頼む」
「そう…ね。任せなさい、バランタイン家のお抱えの一番いい医者に診させてあげる。というか貴方の傷も」
「俺は掠り傷だ、問題ない」
アレクはそう言うと、手に持った細剣で器用に上着の一部を切り取り、包帯代わりに額の傷に巻きつける。
そして一息つくと、テキパキと生き残った襲撃者達の拘束を指示するカレウスへ目を向ける。
視線を察して顔を向けたカレウスは、悪びれもせず舌打ちする。
「面倒な事をしてくれやがって」
「あそこでエリカを斬られていたらもっと大惨事でしたよ。被害を最小限に留めたんですから感謝して欲しいですね」
「チッ…最後のはお前の憂晴らしだろうが」
「いま准将閣下を斬らないだけ自制はしていますよ?」
エリカを傷つけるか人質にとり、この場を離脱しようとした警邏隊の隊員、おそらくはラドロス少尉を唆していた帝国の密偵は物言わぬ生首を晒している。
それを咎めたカレウスを、アレクは冷徹に現実を叩きつけて黙らせる。おそらく、アレクがカレウスに報復を実行しなかったのは、彼の両頬が既に誰かに殴られて腫れ上がっていた為だと思われるが。
「どうせこの連中の身辺は洗っているのでしょう?」
「当たり前だ。お前が大人しく死んでれば、一番効率よく全員生け捕りにできたんたがな!」
「だったらせめて最低限の契約は守ってもらいたい。俺の家族の保護は最優先事項のはずですよ?」
「…リガール家がつけていた護衛が殺されていたらしい。想定以上の手練れだったんだよ」
「…“革新派”ではないですね。帝国ですか?」
「ああそうだ。お前、第七皇子以外になんか恨まれてんのか?」
「帝国の貴人を害したのはその件くらいですよ。下っ端ならいくらでも殺っていますが、その程度の事に戦略的価値のある密偵を消費しますか?」
「そうだな…」
カレウスはアレクと情報をすり合わせ、内心でもう一度舌打ちする。
都合のいい話だが、カレウスは今回の襲撃が予定通りに行われ、アレクが国外へ逃亡したとしても、ほとぼりが冷めれば呼び戻すつもりだった。
アレクが自分に近いレベルで謀略や政略に理解があることも、自分の事を嫌い警戒していることも理解している。そして同時に、アレクが
だからこそ、利害が一致し、手元に
たが、その関係は崩れた。今回、エリカが間に合ったから良かったが、カレウスはアレクを、保護すると約束した彼の家族ごと見捨てた。
不思議とエリカには甘い対応をするアレクならば、報復で自分を殺すことはない。だが、この男が二度と自分達に協力する事も無いと、カレウスは冷徹に判断を下した。
故に、考え込むふりをしてアレクの進む道を開ける。
いまだに血塗られた剣を手放していないアレクが、次に何処へ向かうつもりかわかっていたが故に。
カレウスの隣をすり抜け、アレクは普段と変わらない足取りで歩みだす。
不思議と周囲の兵士達がそれに気付かないのは、アレクの卓越した隠形のお陰か、それともカレウスが事前に“何があっても見逃せ”と指示を出していたならか。
少なくも、喧騒から離れて夜の闇に溶け込もうとしたアレクの後ろから声がかかる。
「何処へ行くの、アレク?」
心配そうなエリカの声が、アレクの足を止める。
たが、エリカのどこか縋るような声にも、アレクが振り向くことは無い。
「野暮用だ」
「…剣を持ったまま?」
どこか試すような、恐る恐る距離を図るような声で、エリカはアレクの言い訳を咎める。
「お前には関係のない事だ」
「っ…私は、私は貴方を助けに来たのよ!」
「ああ…感謝している。だからこそ、これから俺がやることに
アレクは再び歩き出す。
己の最も大切な、唯一残った家族を傷つけた
本人を殺すつもりは無い。今から屋敷を襲撃し、
『次また舐めた真似をすれば殺す』
国を出る前に、それだけはやっておかなければ、また
「待って! 待ちなさい、アレク!」
背後から悲痛な叫びが聞こえる。たが、その声がアレクの歩みを妨げることは無い。
最早アレクとエリカの進むべき道は分かれたのだから。
「行かないでよ…」
瞳に涙を浮かべ、手を伸ばすエリカと対称的に、カレウスや彼が連れてきたバランタイン家の私兵達、そしてアトラムの部下達は、
唯一アレクを止められたかもしれないレナは、心理的なストレスの影響で気絶し、気を利かせたアトラムと彼の部下により既に搬送されている。
その様子を見てエリカは悟る。
アレクの血塗れの背中が遠ざかってゆく。
その歩みに淀みはない。
己がこの国から追放されることに、何の痛痒も抱いてはいないから。
暗闇に姿を消す直前、一度だけ立ち止まったアレクがエリカを振り向く。
昏く淀んだ、生気の無い屍人の目で、傷だらけの顔に笑顔を貼り付けて。
「
「あっ…あぁぁ」
全てを捨ててでも助けたいと願った男の、壊れ果てた姿にエリカは膝をつき涙する。
短い間ではあったが、自分と共にいたアレクの目には確かに生気があった。自分への確かな親しみがあった。
だが、それも最早過去となった。
戦いの果てに味方すら殺して、祖国からも存在を拒絶されて。
疲れ果てて壊れた
アレクは踵を返す。
最早彼に声をかける者などいない。
血塗られた怪物は祖国に拒絶され、
主人公追放フラグ⑤
『決別の刻』→成り━━
”ポスン“と、アレクは背中に軽い何かが当ったのを感じて振り返る。
アレクの視線の先で、涙で美しい金色の瞳を充血させたエリカが、憤怒の形相でアレクを睨む。
「拾いなさいアレク、もしも
アレクに
これにて特別外伝ルートはヒロインの活躍により一旦は不成立となりました。
なお、ヒロインが決闘に勝たない限りルートは完全消滅しません。