◇
時は少し
リーアルが部屋を後にして、室内に残されたのが自分達2人だけだと知ると、慈愛と共に媚びるような笑顔を浮かべていた不知火の顔から、それが消えた。
「ゆきかぜ」
固い口調で名を呼ばれた娘は、緩んだ笑顔を母へと見せる。
「なぁに?」
その顔を見て、不知火は僅かに眉をひそめた。そして娘を抱きしめ、諭すように言い聞かせる。
「……ごめんなさい。形はどうあれ、私はあなたの心を一度壊そうとしてしまった……。だけど、あの狡猾な男に勘付かれずにあなたに近づいてチャンスを待ち、あなたを助けて共にここから抜け出すためにはこうするしかなかったの。あの男は約束を守るつもりなんて最初から無かった。だから、こうせざるを得なかった。……私の言ってることが、わかる?」
突如として代わった母の様子にゆきかぜは戸惑う。が、同時に一度崩れた心に再び光が射していくような感覚も覚えていた。共にここから抜け出す。母にその意思が無いために脱出に意味など無いと悟り、一旦完全に堕ちたはずの心が理性を取り戻していく。
「抜け……出せるの……お母さん……?」
「あなたが望むなら。勿論、凜子ちゃんも一緒に」
「お母さん……奴隷娼婦に堕ちちゃったんじゃなかったの……? 対魔忍であることを捨てちゃったんじゃ……」
抱き寄せられた身体を離し、母の顔を見上げながらゆきかぜは尋ねる。それに対し、フッと自嘲的な、同時に悲しそうな笑みが不知火の顔に浮かんだ。
「……ええ。一度はそう。あの男が言ったとおり、私は3年間ほど必死に耐えていた。いつか対魔忍の仲間が助けに来てくれる。そう信じていた。……でも、この光さえ射さない闇の地下都市には、対魔忍といえど潜入することすら困難。次第にその心は薄れて……とうとう完全に屈服したわ。そこで今のご主人様……いえ、あの男の兄の専属奴隷娼婦となった。そして諦めの気持ちからだんだんと歪んだ感情を受け入れ、奴隷娼婦であることに疑念さえ抱かなくなっていった……」
母の独白を、ゆきかぜは悲痛な表情で聞いていた。自分が2週間で音を上げたこんな日々を、3年もの間耐え続けていた。それだけで胸が締め付けられるような思いだった。
「その様子から、私が絶対の服従を誓っていると判断したみたいね。事実、私自身も専属奴隷娼婦となってからしばらくはそうだった。……でもある時、そう、1年前。ゆきかぜ、あなたのお父さんが殉死したと聞いたわ。私を信頼しきっていたために、他の対魔忍の情報同様、何の疑問もない様子で彼は私にそのことを言ってきた。……その時、心が揺れ動いたのを自覚したわ。本当に心が堕ちきったわけではないのではないか。私は、夫の死を悔やんでいるのではないか。そう思った。……だけど、その心がまやかしだと言い聞かせ、私は奴隷娼婦であり続けようとした。その方が……一度堕ちたために、もう楽になってしまっていたのよ」
ゆきかぜは何も言えなかった。不知火はなおも続ける。
「そしてそれからしばらく時が経ち……。今度はあなたと凜子ちゃんが捕まったと聞いた。また私の心は揺れ動いたわ。その時に、あの人が亡くなった話を聞いた時のことを思い出したの。……やはり壊れたはずの心のどこかで、まだ正常な理性が残っている。実の娘を、自分と同じ道に貶めることなど出来ない。その時に決めたわ。……賭けに勝ったら解放すると言っておきながら、あの男は約束を守る気など無い。なら、我が子は絶対に私が助け出してみせるって」
「お母さん……」
再び不知火がゆきかぜを抱き寄せる。次いで、優しくその頭を撫でた。
「……本当にごめんなさい。リーアルの裏をかくには、こうするしかなかったの。私がここに来ても違和感が無く、さらに奴が勝利を確信し、気を緩めるこの瞬間しかチャンスが無かった……。でも、そのせいであなたにはつらい思いをさせてしまった……」
「そんなの……いいよ……! ここから3人で抜け出せるなら……!」
「ええ、きっと抜け出せるわ。……そうしたら、ちゃんとタッ君に思いを伝えなさい」
意外そうにゆきかぜは目を見開いた。
「あんなこと、本心から言ったわけじゃないのよ。あくまであの男を欺くため……」
「そっか……。よかった……。私も、忘れろって言われて……すぐには出来なかったから……」
「それでいいの。大事なのは身体じゃない、心よ。どんなに身体を汚されても、心だけは支配することは出来ない。……なんて、1度堕ちてしまった私が言っても説得力は無いかもしれないわね。とにかく、それは戻れたら、の話。最後まであの男に勘付かれずにここから抜け出してから考えること。だけど3人が無事にここから抜け出すためには……ゆきかぜ、あなたが守ってきた処女、本当に失ってしまうかもしれない。その覚悟は、ある?」
僅かに、ゆきかぜの表情が曇った。しかし母の真剣な視線を受け、重々しく頷く。
「……それで私とお母さんと凜子先輩がここから脱出できるなら、構わない。それに達郎は、私が汚れちゃっててもきっと迎え入れてくれるはずだから。……そうじゃなかったらぶっとばしてやるわ」
気の強い自分の娘らしい言葉だと、不知火は苦笑をこぼした。だがこんな気持ちになれたのは久しぶりなことに気づき、自慢の娘を抱き寄せ、優しく、だがはっきりとした口調で告げた。
「ありがとうゆきかぜ……。凜子ちゃんも一緒に、絶対にここから抜け出しましょう。それまで、私達の心は固く凍りつかせておくの。でも苦難に耐えて、最後に勝利を掴みましょう。そして……あの外道に、必ずやこの手で復讐を……!」
◇
目の前で起こった光景を、凜子は呆然と眺めていた。不知火の
「があっ……!」
「だ、旦那っ……!?」
凜子の胎内に射精を終えて男根を引き抜いていたゾクトも、残された片方の目を見開いていた。混乱する小物の奴隷商人はただ立ち尽くすことしか出来ないでいる。
「ゆきかぜっ!」
その時聞こえた鋭い母の声に応えるように、凜子の上に乗っていたゆきかぜは背後のゾクトに蹴りを打ち込んだ。小柄で華奢であっても対魔忍である少女の脚力を受け、数歩たたらを踏んだその背中が壁へと衝突する。
「がはっ……! ゆきかぜ、てめえ……!」
怒鳴りつけようとしたゾクトだったが、すぐにその顔が青ざめた。既にゆきかぜはベッドから降り、しかも術が使えないはずという前提を無視して両掌に放電する球体を渦巻かせている。そして勝気なその目は鋭く吊り上げられ、憎しみを込めて自分を汚した相手を睨みつけていた。
「なっ……! お、お前……まさか……!」
「これまでの礼よ……! 受け取れッ!」
ゆきかぜの手から雷球が放たれた。「雷撃の対魔忍」の面目躍如とばかりに、5000ボルトもの高圧放電が落雷を思わせる音と共に轟いてゾクトの身体を内側から焼く。断末魔の悲鳴すら上げられずに体組織をズタズタに焼き切られ、膝から崩れ落ちた黒焦げの奴隷商人は既に絶命していた。
「ゆき……かぜ……?」
何が起こっているのかわからない凜子はそう相棒の名を呼ぶことしか出来ない。そして理解が及ばないという点では、死の縁に立たされながら未だにとどめを刺されずに口から血を吐くリーアルも同じだった。
「どうしました、リーアル『様』? そんな驚いた顔をされて?」
冷たく妖艶な笑みを浮かべたまま、文字通り心臓を鷲掴みにし、わざとらしく不知火は問いかける。それに対し、リーアルは何かを話そうと唇を動かそうとしたようだった。
「なんです? もしかして、なぜキメラ微生体が投与されているのにゆきかぜが忍法を使えるのか、という疑問ですか? あるいは、私がどうしてあなたに手を上げられたのか、でしょうか?」
胸を貫かれたままの娼館の主は頷きはしなかった。その余裕すらないのだろう。だが不知火はそうであろうがなかろうが関係ないと言いたげに小さく笑っただけだった。
「簡単なトリックです。私の使う忍法は水遁の術。そして得意技は幻を作り上げる
不知火が刻印の浮かび上がった舌を突き出す。その上を指が通り過ぎると、浮かんでいたはずの刻印が
「私の踊る幻想の水をもってすれば、偽の刻印を作り出してみせるなど子供騙しのような手品ですわ。……あなたにここに呼ばれた後、部屋を空けた隙を見てキメラ微生体の解除薬は頂戴させてもらいました。さっきのを見てわかるとおり、私だけでなくゆきかぜにも投与済みです。そして私同様、幻影陣で舌に刻印の幻を貼り付けさせてもらいました」
血が失われることでリーアルの顔が青ざめていく。しかし意識を失うことさえ許さない幻影の対魔忍は突き刺した腕を僅かに動かし、痛みで相手の意識を強引に覚醒させた。
「あなたの敗因は慢心です。私を信頼しすぎたんですよ。確かに私は1度あなたによって完全に堕とされた。それによってあなたは私の絶対の服従を妄信し、永遠に手元にいるものと信じて疑わなかった。ですが、私の心は死んではいなかった……。1度支配したはずの心がまた取り戻されたわけです。移ろい行く心を支配し続けるなど困難なこと。鏡花水月……私が得意とする幻のように手に取れないものだと、気づくことが出来なかったようですわね」
やはりリーアルは何も答えられない。そこで何かを思い出したかのように、不知火は「……ああ、そういえば」と切り出した。
「私を『ジョーカー』と言いましたかしら? ですが、ジョーカーは時に裏切るんですよ。最強のワイルドカードというだけではない、ババ抜きにおいては最後まで掴まされていれば負けという顔を持つ。……あなたが掴んだジョーカーは、ババ抜きのババだったようですわね」
不知火の顔に皮肉っぽい笑顔が浮かぶ。自分を貶めたこれまでの怨み、娘まで汚された怒り、そして取り戻された対魔忍の誇り。目の前の外道を見る目は実に冷たく、「第2のご主人様」に対する眼差しからはほど遠かった。
「さて、そろそろあなたとのお別れの時間も近づいてきたようですが、何か最後に言い残したいことはありますか、リーアル『様』?」
わざとらしく「様」の部分を強調して不知火は問いかける。それに対して血を吐き出しつつ、呻き声と共にリーアルは何かを言おうとしている様子だった。
「し……らぬ……よ……くも……」
途切れ途切れの言葉を述べる相手を侮蔑的に一笑。
「申し訳ありません。何を言いたいのか、私にはわかり兼ねますわ」
冷徹に返した不知火の手の中で、リーアルの心臓が握り潰された。糸が切れた人形のように娼館の主の身体が脱力し、崩れ落ちる。それより早く血まみれの腕を引き抜いた復活の対魔忍は、腕を振って血を払ってから、その男の衣服でさらに血を拭き取った。
「……お母さん!」
その時を待っていたかのように、娘は破顔して母の元へと駆け寄った。純粋な慈愛の笑顔を浮かべ、不知火はゆきかぜを抱きしめる。
「やったんだよね……? お母さん!」
「ええ……! よく……よく耐えて頑張ってくれたわね、ゆきかぜ……!」
真の意味での親子の再会を果たした2人を、ベッドの上で凜子は先ほどまで同様ただただ見つめていた。状況が理解できないと、声も発せずにいる。
「凜子ちゃん……大丈夫?」
その様子に気づいた不知火が声をかけてきた。さらにゆきかぜも重ねる。
「大丈夫ですか凜子先輩? あの……バレないようにとはいえ、私もかなり無茶をやらせてしまって……」
「い、いや……。その……。一体……何が……」
ゆきかぜが母の手元を離れて傍へと近づいてくる。そして、身を包む小悪魔的な赤の衣装のせいもあるのだろうが、どこかいたずらっぽく微笑んで切り出した。
「お母さんがリーアルに冥土の土産として説明したとおりです。お母さんは一度堕ちてしまった後、心を取り戻していた。そのことを知った私もどうにか踏みとどまることが出来た。そしてあいつの隙を待った……」
「凜子ちゃんを騙すようなことをしてしまったのは謝るわ。……でも、詳しくは後にしましょう。リーアルが殺されたことに気づかれたら、私達を逃がすまいと防衛線が引かれてしまう。追っ手が増える前に脱出しないといけない。……凜子ちゃん、ここからはあなたの出番。疲れていると思うけど、空遁の術での跳躍、出来る?」
状況をより詳しく知りたい凜子だったが、2人が正常な心を持ったまま、ここからの脱出を考えていることだけは明確にわかった。確かに自分の空遁の術ならここから跳躍して抜け出すことも出来るかもしれない。だが、それ以前の壁が立ちはだかっている。
「……現在の体力でどこまで出来るか、安請け合いはしかねます。しかしその前段階の問題として、2人と違って私はまだリーアルに投与されたキメラ微生体の支配下にあり忍法は使えません。不知火殿、もし解除薬があるなら、私にも早く渡していただきたいのですが……」
その言葉にゆきかぜと不知火が互いに目を合わせた。何を言っている、と言いたげな顔である。
「……先輩、気づいてないんですか?」
「舌、出して鏡で見てみて」
水城親子2人に言われるまま、怪訝そうな顔で凜子は部屋にあった鏡に舌を出してみる。そこで彼女は目を見開いた。舌にあるはずの刻印が、綺麗さっぱり無くなっていたのだ。
「なっ……! なぜ無くなっているんだ……!?」
「事前に解除薬の中身を取り出して、漏れないようにお母さんの術で作った特製のカプセルに移し変え、私の口の中に隠して仕込んでおいたんです。それで、いきなりだとあいつに怪しまれかねないので、不自然にならないタイミングまで待ってから、それを割って中身を口移しで移しました。効果が効き始めた時に胸に痛みを感じたはずですが、覚えてませんか?」
馬鹿な、と凜子は呟いていた。確かにゆきかぜとキスを交わした後、胸が痛んだような気がする。だがそれはさておき、つまるところゆきかぜは口移しを行うために、唇を重ね合わせても怪しまれないタイミングまで待ったというのだ。しかしそれでは――。
「それでは……お前はそのタイミングを作るために、これまで守ってきた自らの処女を差し出したというのか!?」
「……ここから抜け出すには凜子先輩の空遁の術が不可欠。だから、徹底してリーアルの目を欺き続ける必要があったんです。その気になればキメラ微生体を生体爆薬に変化させて四肢を吹き飛ばせる……。しかも、解除薬を服用してから完全に体内のナノマシンが消滅するまで少し時間がかかる。もし先輩が深刻なダメージを負ってしまえば、術は使えない。だからリーアルに気づかれず、かつ口移しが成功しても完全にナノ生命体が消滅するまで時間を稼がなくちゃならなかったんです」
そのためにゆきかぜは堕ちた後で立ち直れたにも関わらず、自ら処女を差し出して痴態を演じて見せた。3人でここを抜け出すというその目的のために。
「先輩に黙ったまま、辱めるような行為をしてしまったことは謝ります。でも、事前に話してしまったことで先輩の異変に抜け目無いリーアルが気づいてしまったら、残ったキメラ微生体を爆薬にして身体を吹き飛ばされていたかもしれなかった……。それが黙っていた理由です。……ごめんなさい」
「謝る必要など無い。リーアルを欺き続けなくてはならなかったという、その理由はよくわかった。だから私は責める気は無いよ。敵を欺くにはまず味方から、だ。……いや、むしろ謝るのは私の方だ。お前の決意も知らず、一生軽蔑するなどと言ってしまって……」
どこか悪戯っぽく笑い、ゆきかぜはそれを否定した。
「気にしてませんよ。それに、あの時お母さんが言ったじゃないですか。後できっとわかってくれる、って」
これには凜子も苦笑を浮かべるしかなかった。確かに言われた。まさかこういう意味だとは、その時は夢にも思っていなかった。
「あと……。本当は達郎が良かったけど、でも初めての相手が凜子先輩でよかったな、なんて、ちょっと思っちゃったりもするんです。……あ、そっちの趣味があるわけじゃないですよ! ……多分」
「多分、って……。いや、まあ私もここにいる間に……それも否定できなくなってしまったか。……その話はやめだ。ゆきかぜは演技であの痴態を演じていたわけだろうしな」
「気持ちよかったのは事実ですけどね」
「……私のフォローを台無しにするな」
心に余裕が生まれた2人は、久しぶりに他愛もない会話を交わして笑い合った。掛け替えの無い後輩の相棒。ゆきかぜと一緒にいられて、本当によかったという思いが凜子の胸に溢れる。
「さて……。凜子ちゃんも納得してくれたところでそろそろ本題に戻りましょう。さっきも言ったとおり、ここからは凜子ちゃんの空遁の術が頼りよ。……いけそう?」
「少し待ってください。今、確認します」
凜子は目を閉じ、精神を集中させる。慣れたはずの術のこの感覚が、実に久しぶりに感じた。目を開き、凜子は視覚と聴覚を「跳ばす」。空遁の術のひとつ、「五感跳躍の法」。千里眼の如き全てを見通す瞳が、闇の街を疾走する。
視える。そうはっきりと凜子は実感していた。久方ぶりの使用にも関わらず、自分の術はこれまで以上に冴え渡っているようにも感じる。失敗は許されないというこの状況に呼応してくれるように感覚は研ぎ澄まされ、体力が低下しているとはいえ今なら跳躍にも絶対に成功するという自信も生まれていた。
「私の術の及ぶ範囲、1キロでですが確認して、手薄な場所はわかりました。跳べます。ただ、当然ながら壁にでも埋まってしまえばそれまで……。この点は、私を信じてくれ、としか言いようがありませんが……」
「凜子先輩なら大丈夫」
「昔からあなたはとても優秀だった。きっと成功する。私とゆきかぜの未来を、あなたに預けるわ」
そこまで言われては凜子も力強く頷く他はない。2人は自分を信じてくれた。応えなくてはならない。
「あ、ちょっと待って」
跳ぶための準備をしようとした矢先、不意に不知火がそう声をかけた。それから勝手知ったる他人の家とばかりに衣装棚の中を漁り、「……こっちの方がいいわね」と凜子の元へと服を放り投げてきた。
「裸じゃ恥ずかしいでしょ? 間に合わせでしかないけど、これを着た方がいいと思うわ」
「確かに言われてみれば、それはそうですが……。なぜこっちなんですか?」
怪訝そうな顔で凜子は尋ねる。不知火が選んだのは普段彼女が着ている対魔忍スーツのレプリカではなく、米連に潜入していた時代のを模した白いコスチュームの方だったのだ。
「だって、対魔忍スーツは身体に密着するから。……凜子ちゃん、その股間で着るのは……かなり恥ずかしいと思うわよ?」
言われて目を落としてようやく気づき、彼女は顔を真っ赤にした。先ほどリーアルに投与された薬はまだ切れておらず、彼女の股間には女性には本来あるまじき異形の器官が今も存在するままだった。この状態で密着するスーツを着ればその形が明らかになってしまう。一方で米連スーツなら、股間部分はビキニのようになってはいるものの、まだマシではあろう。
「……こんな理由でこっちを選ぶことになるとは」
彼女自身も呆れ気味に、だが仕方ないと米連スーツのレプリカを身につける。どうも股間が落ち着かない気がするが、やむを得ないと自らに言い聞かせ、手早く着替えを終えた。
「潜入任務中の時からずっと思ってたんですけど、凜子先輩のその衣装かっこいいですよね。さすが空装武神」
「な、なんだ……こんな時に……」
「確かに似合ってるわね。帰ったらアサギに頼んで、対魔忍スーツもこっちにしてもらうといいんじゃないかしら」
「も、もう不知火殿まで! 冗談言ってる場合ですか!」
そう言われても2人は笑うだけだった。しかしその親子の笑顔が実に眩しく、ゆきかぜはこうやってまた母と共に笑うために対魔忍となって苦しい日々に耐えてきたのだとふと思っていた。
(……私の一世一代のこの空遁の術、2人のためにも必ず成功させなければならないな)
静かに、だが強く、蘇った空装武神はそう心に誓った。2人の冗談でリラックスでき、プレッシャーも程よい緊張感に変わっている。
「では……行きますよ……!」
ゆきかぜと不知火は頷き、凜子の傍に寄る。精神を集中させ、再度「五感跳躍の法」。先ほど当たりをつけた位置を見つけ出し、そこに狙いを定める。
心に迷いはない。あるのは「空」のみ。この忌まわしき日々に終止符を打つため、闇の都市を抜け出すため、自分達の輝ける未来を掴み取るため。
印を結び、凜子は「跳んだ」。彼女の空遁の術の真骨頂、「空間跳躍の法」。3人の希望を乗せ、その日、アンダーエデンから対魔忍達の姿が消えたのだった。
◇
ヨミハラの脱出劇から数日。凜子は自宅の自室で椅子に腰掛け、天を仰いでため息をこぼした。
脱出は無事成功した。凜子は任された大仕事を見事に全うし、疲弊する身体を押して数度の跳躍を成功させていた。そうしてヨミハラから抜け出すことは出来たものの、早くも追撃の手は迫っていた。
だが、逃亡する彼女達を救う影があった。迫り来る追っ手を兆弾の特殊狙撃による銃弾で蹴散らし、異常をいち早く察知して対魔忍本部と連絡をつけて救援部隊を呼び寄せてくれた、凜子の友人。
結局、その時は礼を言う暇もなく愛子と別れてしまったと、凜子はそう思い出していた。あくまで愛子は学園に戻る気はないらしい。「ひとつ貸しだ」という言伝を、後になって彼女の姉である紫から聞いていた。
学園に戻れてから、しばらくは慌しかった。弟の達郎や米連潜入中にバックアップの任に就いていた奏、そして教官のアサギら、親しい顔ぶれが皆喜んでくれた。それ以上に数年間行方不明だった不知火の帰還という出来事はかなりの衝撃だったようである。無事を喜ばれると同時に、不知火は自身が仕えさせられたリーアルの兄の存在をアサギに報告。魔族と手を結ぶ悪徳政治家ということを表沙汰にして失脚させられるよう、対魔忍を管轄する政府の人間と協議して詰めていくという話をしていた。
あとはメディカルチェックやら教官らの聞き取りやら、そんなこんなで数日間はあっという間に過ぎていた。脱出時に身体に生やされていた女性にあるまじき異形器官は、時間の経過と共に元に戻り、胸から噴き出ていた母乳も収まった。ただ、強力な媚薬に犯されて改造させられてしまった身体と、何より快楽を知ってしまった心だけはすぐに治すことは出来ず、しばらくは身体の疼きを抑える薬とカウンセリングで対処するしかないという話だった。
ゆきかぜも凜子同様、「訓練」の影響は決して軽いものではなかった。だが悲観した様子は無い。より苛烈な責めを受けていた母と共に、これからも対魔忍として戦うことを決意していた。
それらが終わり、ようやく平穏な日常が戻ってきたように凜子は感じていた。今家の中に弟の達郎の姿は無い。近所であるゆきかぜの家に行っているということは、事前にゆきかぜから聞いていたために知っていた。
今回の一件でゆきかぜも腹を括っただろうし、達郎も同様だろう。いつ何が起こる変わらないということは、凜子も既に話している。おそらく2人の距離が一気に縮まる。そう凜子は考えていた。
「……だがこれは縮まりすぎというものではないか?」
天を仰いだままで凜子は呟く。それから視線を戻し、
『ううっ……。ゆきかぜ……!』
『ああああっ! 達郎、たつろぉ! 凄い、気持ちいいよおッ! 好きぃ、達郎大好きィ!』
『俺も……俺もだ!』
『あぁっ……! 嬉しい……! 嬉しくてあそこ……キュンキュンしちゃうぅ……!』
横になる達郎の上に跨り、ゆきかぜが腰を振っている。凜子自身も捕らえられていた最終日に同じ状況で快感を体験しているために、あの時の自分同様、今は弟が言葉に出来ないような快感を味わっているのだろう、などと考えてしまっていた。
『でもごめんね……! 私、あそこで汚されちゃって……。こんないやらしくなっちゃって……』
『さ、さっきも言っただろ! どんなになったってゆきかぜはゆきかぜだ! おっ、俺は……俺は、どうなってもお前のことが好きなんだって……!』
『あぁ……! 達郎!』
ゆきかぜが上体を倒し、自然に唇が重なり合う。恋人同士の純愛セックスに、思わず凜子はまたため息をこぼしていた。
「まったく……。妬いてしまいそうだ。見せ付けてくれて……」
だが今の独り言は不適切だったと思い当たった。術まで使って勝手に覗いているのは自分の方だ。2人の世話焼き、などという理由にかこつけてこの出歯亀紛いの行為を始めてしまい、引くに引けずここまできているのだ。
『や、ヤバい……! ゆ、ゆきかぜ……!』
『出すの……? いいよ、出して……! 思いっきり出して! ああッ……! 私も、もうイッちゃいそう……。あっ、あんっ、あああんっ!』
ゆきかぜが腰を動かす速度と、達郎が下から突き上げる速度が増していく。切羽詰った若い2人のまぐわいは、覗き見をやめなければならないと思う凜子を引きつけるほどの光景でもあった。
『くっ……! ゆきかぜっ……!』
『あっ、ああああぁぁぁぁぁああッ! きたああぁッ……! たつろーのせーえき……ビュルビュルってぇ……! 私……イッちゃううううううぅッ!』
達郎の射精を受け、激しく乱れてゆきかぜは絶頂を迎える。恍惚としたその表情は恋人と肌を重ねられたという悦びに満ち溢れ、だが同時にどこか妖艶でもあった。
『あぁ……ゆきかぜ……』
『達郎……んんぅ……』
胎内に男を迎え入れたまま、貪るように唇を重ね合う2人。が、まだ唇が離れぬうちに、早くもゆきかぜの腰がまた動き始めていた。
『うあぁっ!? ゆ、ゆきかぜ……! まだ無理だって……!』
『何弱音吐いてるのよ……! あぁん……。私は全然満足してないんだからぁ……!』
『そんなこと言っても……今出したばかりで……』
『私の初めての時、凜子先輩は連続3回戦だったのよ!? あんたも弟なら少しは見習いなさいよ!』
思わず凜子は椅子からずっこけた。引き合いに出す相手を間違えている。そもそもあれは薬の影響下で女性ながらにしてペニスを生やされてしまったわけであり、さらに自身が望んでいないにも関わらず無理矢理にやられたことだ。
『凜子姉……くっ……! 凜子姉に負けてられるか……!』
だがこの発破かけは、姉に対してコンプレックスを抱いている達郎の闘争心を刺激したらしい。遮二無二腰を振り出し、どうにかゆきかぜを満足させようとしているようだった。
『あぁん……! いい……いいよぉ……! よぉし……私も頑張っちゃうんだから……!』
本来なら忌むべき奴隷娼婦として刷り込まれた知識とテクニックを駆使し、ゆきかぜも腰を動かし始める。またも激しさを増した2人の痴態に凜子は目を奪われてしまっていた。そして無意識のうちに、右手が股間へと伸びていたのだった。
「……いかん。これ以上はやめよう」
覗き見ている実の弟と妹代わりの後輩の情事を
ようやく互いの思いが実ってよかった、という思いはある。同時に、自分もいい加減に恋人を見つけた方がいいのかもしれない、などという年頃の女性のような考えも浮かんでいた。そういえば、と、一生あの場に残るかもしれない、となった時に心の拠り所にしようとした「弟」のことを思い出す。彼を見つけ出して、などという考えも思い浮かんだが、それでは危険に巻き込むことになりかねない。感心できることではないだろうと、考えから消そうとした。
だがあの青年のことを思い出してしまい、さらにそれ以上に、今の2人を目にしたことによって、凜子の身体は火照り始めていた。捕らえられていた時の後遺症。劣情が体内を駆け巡り、自分で慰めたくなってくる。
「……まいったな。この身体の疼き……どうしたものか……」
「それじゃあ……おばさんが鎮めてあげようかしら?」
「わひゃあっ!?」
音も無く部屋のドアが開けられて聞こえてきた声に、文字通り凜子は飛び上がった。開いた扉の先にいたのは不知火だった。仮にも対魔忍である自分に全く気取らせずに、気配を殺し切っていた凄腕対魔忍を見て、凜子の顔に苦いものが浮かぶ。
「不知火殿! 心臓に悪いからやめてください! それから何でうちに、しかも無断で入ってきてるんですか!?」
「凜子ちゃん、任務中じゃないんだから昔みたいにおばさん、って呼んでくれてもいいのよ? 昔はお互いの家が自分の家だったようなものじゃない?」
「それはそうですが……。でもだからといってしら……おばさまが入ってきた理由には……」
言われたとおり、凜子は堅苦しい呼び方をやめた。それに対して満足したように頷き、不知火は理由を話し始める。
「ゆきかぜが今日うちにタッ君を呼ぶことは前もって聞いていたわ。だから、邪魔しないようにするつもりでいたの。でも、今日に限って学園でのカウンセリングやら、アサギや碧との話し合いやらが予定より早く終わっちゃってね。帰るに帰れないから、お邪魔したのよ」
ああ、と凜子は納得の声を上げていた。
「……それはそうと、私の接近に気づかないとは、まだまだね」
と、不知火が話題を切り替えた。少し考えてから凜子が返す。
「それは……おばさまが優れすぎているだけです」
「違うでしょ? ゆきかぜとタッ君の色事を、わざわざ空遁の術を使ってまで覗き見るのに夢中になってたから、でしょ?」
「う、ぐうっ……」
反論できない。確かに平常時の彼女なら気づいていた可能性は否定できなかった。そして何より、自分の覗き見行為がばれていたことをどうしたらいいかと困ってもいた。
「母として、我が子の情事を覗かれるというのは、果たしてどうしたものかしらね?」
「……申し訳ありません。初めは、2人の恋の行方が気になっていてという思いだったんですが……。段々目が離せなくなってしまって……」
「正直でよろしい。……まあ2人には黙っておいてあげるわ。代わりに……」
すうっと不知火の身体が凜子に近づく。余りに自然に、しかも急だったために凜子はその接近に気づけなかった。その彼女の右手は、先ほどからの覗き見で濡れつつある股間へと伸びていた。
「お、おばさま!?」
「……さっき言ったとおり、私が鎮めてあげる、ということでどう? 凜子ちゃんと一緒で、私もまだ身体が疼いちゃってるの……。いいでしょう……?」
捕らわれていた時のような妖艶な笑みを見せ付けられ、凜子は返答を詰まらせた。実際に彼女も快楽を求めていたのは事実だったからだ。
仕方ない、と凜子はベッドへと移動する。そうしつつも、小言は思わず口からこぼれていた。
「……本来私はそっちの趣味は無いのですが」
「あら、そう? 私とゆきかぜが相手をした時、随分ノリノリだったと思うけど?」
「うぅ……」
もう何を言っても通用しないかもしれない。そんなことを思い始めたところで、不知火の手が凜子の豊満な胸へと伸びてきた。母乳が出ることはなくなったが、それでも性感帯に変わりはない。
「んっ……。あぁ……」
やはりその技術は巧みだった。異性だけでなく同性に対しても、捕らわれの期間に身につけさせられたテクニックが遺憾なく発揮されているように感じる。
「どう? 元奴隷娼婦のテクニック、凄いでしょ?」
「おばさま……あぁっ……。それは、忌むべき記憶では……?」
「ええ、そうね。出来れば消したいとも思うわ。……でもね、それでも私なのよ。嫌な過去、つらい過去があっても、そうやって認めて、受け入れて、強くなっていく。それが、対魔忍じゃないかって思ったりするのよ」
なんと強い女性だろうと凜子は感心していた。が、次には自分の身体に与えられる刺激で思考がうまく働いてくれなくなってしまう。
「うふふ……。凜子ちゃんは真面目すぎるわね。なんでもかんでも真に受けちゃダメよ? こんなの、正当化する咄嗟の出まかせなんだから」
「なっ……! あっ……ああっ……!」
だがそれでも、全部が全部嘘と言うことは無いだろうとも凜子は思っていた。もしかしたら、不知火なりの照れ隠しなのかもしれない。とはいえ、それを確認する術もない。
ただはっきりとわかることは、ゆきかぜがずっと捜していた母親が確かにここにいてくれるということだった。昔とは少し変わってしまったかもしれないが、3人共に無事にあの魔界都市を脱出し、また一緒にいることができる。それだけで十分ともいえるだろう。
そう思った考えも、次には訪れる快楽の前に消えてしまっていた。あれこれ考えても仕方がない。今は身体の疼きを鎮め、与えられる快感に身を委ねるのを優先するかと、少々よろしくないと自覚しながらも、凜子の心は官能の渦に飲み込まれていった。
(完)
本来は1話のみの一発ネタにするつもりだったんですが、原作を再構成気味に書いてみようということでここまで書いてみました。
一応ハッピーエンドが好きな人間なんで、完堕ちエンドではなく、さらに原作では不知火の救出ルートが存在しないのでこういう形にしてみました。
ここまで読んでくださった方、ありがとうございました。R18を書くのは今回が実質初めてだったので拙い点も多かったかと思いますが、楽しんでいただけたら幸いです。